朗報
1
バージョンアップにより、ドレッドノート アルアインが追加されてから15日が経過した頃。キスクに居る人々はほぼ全てといっていいほど街より外には出なくなっていた。
外の狩場はいつ何時、ドレッドノート アルアインが襲ってくるとも分からない危険地帯と化している。ドレッドノート アルアインに関する情報を整理すれば、遭遇率は低いということが分かるのだが、それでも、絶対に遭遇しないとは言い切れない。たとえ1%でも遭遇する可能性があるのであれば、それは死刑台に上るのと同じに思えてくる。
キスクの街に引き籠ってさえいればドレッドノート アルアインに襲われることはない。だが、重大な問題があった。
狩りに出ないと生活ができない。
今はまだ貯蓄で生活することができる人が多いが、中にはその日暮らしで、こんな状況でも外で狩りに行かないと食べることもできない人もいる。助けてくれる人がいる場合はいいが、そうでない場合もある。
そのため、こんな状況でも外で狩りをする人は少しだけいる。そして、その中から犠牲者が出ると同時にドレッドノート アルアインに関する目撃情報などが入ってきていた。
そんな鬱屈とした空気が漂うキスクの街に朗報を持ち込んできた集団がいた。それは、バージョンアップ前からエル・アーシアの探索に行っていたギルド。
そのギルドはエル・アーシアに滞在していた期間のほとんどを野外で生活していたにも関わらず、ドレッドノート アルアインに一度も遭遇したことがないと言うのだ。
更に時を同じくして、別のエル・アーシアを探索していた一団がキスクの街に帰ってくると、こちらも同様にドレッドノート アルアインには遭遇したことがないという情報が入ってきた。
この情報にキスクの街全体が揺れた。活動の拠点をキスクの街に置いている人が大半を占めるが、この情報によって一気にエル・アーシアへの進出の機運が高まったのである。
2
次の日の昼下がり、キスクの街の中央広場の空は、どんよりとした灰色の雲が全体を覆っており、いつ雨が降り出してもおかしくないような雰囲気。心なしか吹いてくる風も冷たいような気がする。
そんな天気にも関わらず、今のキスクの街は慌ただしく動いていた。焦っているという表現でもいいだろう。みんなが時間に追われるようにして忙しく動き回っている。
この落ち着かないキスクの街の中央広場近くの飲食店に、あるギルドの一団が集まっていた。
人通りも多い立地にある店で、店内は広く、奥の長いカウンターといくつものテーブルが並べられており、今は30人弱が腰かけている。そして、その目線の先には不精髭を生やした大柄の男が立っていた。身に着けているのは金属鎧と片手斧のダークナイト。
「皆も緊急速報が回ってきていて知っているとは思うが、昨日の昼前、エル・アーシアに行っていたギルドが帰ってきた。彼らはエル・アーシアでドレッドノート アルアインと遭遇したことがないということだ――そうだな?」
不精髭のダークナイトが声を上げ、隣に立っているローブを纏った女性に確認する。こちらはビショップだ。ちなみに緊急速報とは、単に人海戦術で至急に回された情報を緊急速報と呼んでいるだけである。
「ええ、そうです。更に追加情報として、ドレッドノート アルアインに追われてエル・アーシアに逃げ込んだ途端どこかに行ってしまったという情報もあります。まぁ、これは本当かどうか分かりませんが……。でも、エル・アーシアにドレッドノート アルアインが来ないというのは確かな情報筋からのものです」
ビショップの女は不精髭のダークナイトとは違い丁寧な口調で応える。
「というわけだ。迷っている暇はない。俺たちはこれからキスクを出てエル・アーシアに向かう」
「マスター。エル・アーシアに行って、それからどうするんだ?」
木製のテーブルに座って話を聞いていたスナイパーの男が手を挙げて質問を投げかけた。
「エル・アーシアにウィンジストリアっていう大きな街があるらしい。ここからだと、歩いて5~6日はかかるそうだ。そこに向かう」
「規模としてはキスクとほぼ同等かそれ以上っていう話よ。詳しい話は分からないけど、活動の拠点を移すとしても問題はないと思うわ」
マスターと呼ばれたダークナイトの男に続いて、横に立っているビショップの女が補足の説明を加えた。
「もうすでに出発してるところもあるそうだ。俺たちものんびりしている余裕はない。今すぐに準備を整えて夜までには出発する」
「えっ!? マスター、ちょっと待ってくれ! 今日の夜までに出発するのか!?」
驚いたように声を上げたのはローブを纏ったエンハンサーの男だった。
「今朝、ドレッドノート アルアインが出たっていうは情報がある。噂じゃドレッドノート アルアインは一日に何度も出没しない。だから、今日中にエル・アーシアに行く必要があるんだ」
話を聞いていたギルドメンバー達が騒めき始めた。マスターの言っていることはよく理解できていたが、急すぎることと、その噂は信じていいのかどうかということ。そこに、ビショップの女が声を上げた。
「マスターも言った通り、迷っている暇はないの! 今ここで動くことが被害を出さずにエル・アーシアに逃げることができる可能性が一番高いのよ!」
その一言には納得せざるを得なかった。今日を逃して、次の日にドレッドノート アルアインが出没する可能性がある中を半日かけてエル・アーシアに向かう。それは、どう考えても合理的な判断とは言えない。多少博打の要素があるにしても、分が悪いとまでは言えない博打だ。
「待ってよっ! ドレッドノート アルアインはどうするですか? 放っておくんですか?」
そこに異議を唱えるのは一人だけだった。長く奇麗なシルバーグレイの髪と美しく整った顔立ちをしたハーフの少女、橘 華凛だった。
「華凛、何を言ってるんだ? 今、逃げなくてどうする?」
ダークナイトの男が理解しかねるというような顔をしている。
「だって、マスター言いましたよね!? ドレッドノート アルアインを放置してたら犠牲者が増えるだけだって。何とかしないといけないって言ってましたよね?」
周りの目が見ているとしてもお構いなく華凛は立ち上がって声を荒げた。
「あぁ……まぁ、言ったことは言ったかもしれないが、そこまで細かくは覚えていない……」
「言いました! 私はちゃんと聞きました! だから『ウルフガング』に入ったんです! 逃げることを考えるんじゃなくて、皆で協力して倒す方法を考えないといけないんじゃないんですか?」
「それは飛躍し過ぎだ! 俺はドレッドノート アルアインを倒すなんて一言も言ってないぞ! それにだ、今はエル・アーシアに逃げることが先決だ。それは、仲間の命を預かるギルドマスターとしての責務だ。これはギルドとしての方針だ!」
半狂乱に近い華凛に対してダークナイトの男が怒鳴り返した。確かに華凛が言う通り、ギルド『ウルフガング』のマスターでもあるダークナイトの男はドレッドノート アルアインを放っておくわけにはいかないと言った。だが、それは一種の建前であり、ハーフの美少女を前にして臆病なことを言えない男の性でもある。
華凛が目の前で『強い男の人はかっこいい』と言えば、どうしてドレッドノート アルアインから逃げるような発言ができようものか。
それをこの場で暴露するわけにもいかず、ギルドマスターとしての責務という理由で押し通している。だが、それは正論であり、華凛以外の誰もが納得する理由でもあった。
「信じられない……。ほんと、最悪……」
酷く落胆した表情の華凛が呟いた。その声が聞こえたのは周りの数人だけだろう。
「私……ギルド抜けます」
華凛はそう言うと脇目も振らずに店を出て行った。
華凛が店を出た後、店内は騒めきが起こり、店の外に出たばかりの華凛にまで聞こえてきたが、もうそんなことはどうでもよかった。
「待って、橘さん!」
華凛が店を出たところで、一人の少年が声をかけてきた。華凛はこの少年の顔を知っていた。たしかギルド『ウルフガング』のメンバーでサマナーをやっている少年だ。
「何か用? えっと……木下君だっけ?」
「早良谷です……」
早良谷は少し寂しそうな表情で返した。
「どっちでもいいわよ。で、何?」
「橘さん、ギルドを抜けてどうするんですか?」
「あんたには関係のないことでしょ」
「え、ええ、まぁそうですけど……でも、橘さんもエル・アーシアに行った方が良いと思うんです!」
「私はもう『ウルフガング』のメンバーじゃないの!」
華凛はうんざりとした声で返した。声も大きくなっている。ギルドのメンバーではないのだから、『ウルフガング』の方針に従う義理もない。
「あ、あの、それは分かってます……。あの……橘さんがどうしてドレッドノート アルアインに拘るのかは知りません。言いたくないこともあると思います……。でも、独りではどうしようもないから、僕達のギルドに入ったんですよね?」
「……」
華凛は早良谷の言葉に反論することができなかった。この少年のことはほとんど知らない。だが、こちらのことは見透かされている。
「だったら、尚更、エル・アーシアに行かないといけないと思うんです!」
「……どうしてよ?」
「今日中にかなりの人がエル・アーシアに向かうそうです。主要なギルドは全てと言ってもいいと思います。当然、活動拠点はエル・アーシアにあるウィンジストリアになります。キスクの街に残っていてもドレッドノート アルアインに対抗できるギルドは残っていませんよ……」
早良谷の意見はまさにその通りであった。キスクの街全体の慌ただしい空気を見ても分かるとおり、今の時点でもう移動のために動き出している。それが事実である以上、反論の余地はない。
「……余計なお世話よ」
華凛にできる対抗手段は不貞腐れることだけ。年下の少年に言い負かされたことは悔しいが、華凛は今日中にエル・アーシアに向けて出発しないといけないということだけは観念した。




