不安定
1
真達がエル・アーシアに行ってから10日が経過した頃、キスクの街では喧騒にも似た騒がしさが蔓延していた。
普段から人が多く、賑やかな街ではあるのだが、今の街の中を支配している空気はいつもと違い、不安が渦巻いて落ち着かない。
街に不穏な空気が流れ始めたのは一週間ほど前のこと。行方不明になっている人がいるという話が出てきたことが事の発端だ。
行方不明者の数は決して多くない。それに、連絡手段が乏しいゲーム化した世界で顔を見なくなったことなど、同じギルドに所属でもしていない限り特段珍しい話ではなかった。
だから、最初の頃はここまで不安な空気が流れるまでには至らなかった。だが、数日前に一人の男が命からがらキスクの街に逃げ込んできたことから騒動は始まる。
その男はあるギルドに所属しているパラディン。構成メンバー50人ほどのギルド内でもその堅固さから厚い信頼を得ている人物だ。その日も男はギルドのメンバー数人を引き連れて狩りに出かけていた。
その男が血相を変えてキスクの街に帰って来て真っ先に向かった先は、いつもギルドのメンバーが集まる街の酒場『クレセントムーン』だ。
這う這うの体で酒場に駆け込んできて、いつもの席で飲んでいる、ほろ酔いのギルドマスターにしがみ付く様に声を荒げて話した内容。
「か、か、怪物……怪物に、怪物に……みんな……みんな、こ、こ、こ、こ、殺された……やばい、やばい、やばい、やばい……」
普段は多少偉そうなところがあるが、腕の立つパラディンとして信頼のある男が豹変したかのように慌てふためいた姿にギルド内でも動揺が走ったのである。
そして、ギルドマスターがパラディンの男から詳しい話を聞いて分かったことは、怪物は巨大なドラゴンであること。それが突然空から現れて、仲間を次々いに虐殺していったということだった。
にわかに信じられないような話であったが、嘘や酔狂でそんなことを言う男ではなかったし、何よりも普段の姿からは想像もつかないような恐怖に引きつった様子が事実であることを物語っていた。
そこから、話が広まるのは早かった。他とも付き合いのあるギルドであり、交流のあるギルドから行方不明になっている人がいるので情報があれば教えてくれと協力依頼が来ていることもあったため、その情報はすぐに流されることとなったのである。
2
「おい、またドレッドノート アルアインが出たらしいぞ!」
宿屋のロビーで軽装備の男が大声を上げていた。ナイフを携帯しているので、職業はアサシンだろう。
「まじかよ……昨日も出たっていう話を聞いたぞ……」
アサシンの仲間、ローブ姿の男が悲鳴にも似た声を漏らした。ローブ姿の男はソーサラーのスタッフを持っている。
数日前に、あるギルドから流された、キスクの街の周辺に巨大なドラゴンが出没するという情報。それは、他の目撃情報とも合わさり、バージョンアップで実装されたドレッドノート アルアインであるという結論に至っていた。
今やキスクの街はドレッドノート アルアインの話一色だ。
「ねぇ……その話、詳しく教えて……」
宿屋のロビーに備え付けてある小さい二人掛け用のテーブルに俯せていたローブ姿の少女が男たちの話を聞いて立ち上がった。傍らにはサマナーの専用装備である魔法書を携帯している。
髪の毛は長く奇麗なシルバーグレイで、日本人とは少し違う、欧米系が入った美しく整った顔立ちから見るにおそらくハーフなのだろう。だが、今の少女は暗く濁った表情をしている。碌に寝ていないようで、目の下にはクマができており、食事もちゃんと取れているのか怪しい感じがした。それでもある種の破滅の美しさとでもいう容姿を見せているのは、地顔が美形だからだろう。
「話をするのはいいけど……聞いてどうするんだ?」
アサシンの男が返答を迷っていた。ドレッドノート アルアインに関する情報は多くの人に知ってもらった方が良いのは間違いない。多少、情報が錯綜しているところはあるにしても、今は情報の量が必要だ。だが、目の前にいる少女は一種異様な様相をしていた。そこに気圧されてアサシンの男は言い淀んでいるのである。
「いいから、教えて」
サマナーの少女は睨み付けるようにしてアサシンの男を見た。目には少女とは思えないような威圧感を含んでいる。
アサシンの男はソーサラーの男の方を向いた。ソーサラーの男がそれに対して小さく頷く。
「ミドガ湿地帯の辺りだそうだ。数人が狩りをしていたところに現れたらしい……。少し離れたところに居た人がたまたま隠れることができて助かったって話だ」
アサシンの男が知っている情報はこれだけ。あくまで人伝で聞いた話だから、どこまで正確なのかは分からない。
「昨日はどこに現れたの?」
サマナーの少女はソーサラーの男に訊いた。この男は昨日もドレッドノート アルアインが出たという話を聞いている。
「俺が聞いたのは、キスクの街の北東辺りにある中学校の近くだ。学校の中で休憩をしてた人が、外で襲われているのを見たらしい」
ソーサラーの男が持っている情報も人から聞いた話だった。
「昨日は他にどこに現れたの?」
サマナー少女はなおも訊いてくる。
「いや、俺が知っているのはそれだけだ。他の場所で出たっていう話は聞いていないよ……。どうやら、一日に何度も出没するようなことはないっていう噂だよ」
「一日に何度も現れないの……?」
「単なる噂だよ。誰も検証した人はいない。ただ、あれだけの化け物が出てきてる割に犠牲者が少ないっていうことと目撃情報も少ないから、そういう噂が出てるんだよ」
「犠牲者が少ないって、あいつにどれだけの人が殺されたと思ってるのよ!」
突然、吼えるようにしてサマナー少女が怒鳴り散らした。目には憎しみと怒りで満たされている。
「おい、落ち着けって……。俺に怒鳴っても仕方ないだろ、俺はあくまでそういう噂があるっていう話をしただけだ。実際の犠牲者の数は知らないよ」
急に怒鳴られ、面を喰らった様子でソーサラーの男が言う。正直、これ以上この少女に関わりたくはなかった。
「……ごめんなさい」
急に空気が抜けたようにして、サマナーの少女が謝罪の言葉を呟いた。急に怒ったり、急にしょげたりしている様からどう見ても精神状態は不安定であることは明らかだった。
「今、分かっていることはこれだけだ、他に情報があったら教えるから。とりあえず、飯食って寝ろ。今の顔酷いぞ。な、そうしろって、そうしないと必要な時に動けなくなるぞ」
アサシンの男は宥めるようにして言葉をかける。
「何か分かったら教えてくれるの……?」
「ああ、教えるよ。だから、今は飯食って寝ろって。な、そうしろ」
アサシンの男もこれで少女と関わるつもりはなかった。情報を仕入れたからといって、わざわざこの少女を探して情報を教えてやるようなことをするつもりもない。偶然出会ったなら教えてもいいかというくらいだ。
「……分かった……そうする……」
「ああ、それがいいよ。じゃあな」
アサシンの男とサマナーの男はそう言うと宿屋を後にした。残されたのはサマナーの少女だけだった。
サマナー少女は宿屋のロビーの壁に掛けられている小さな鏡を見た。現実世界にあるような品質の良い鏡ではないが、今の少女の姿を写すにはそれで十分だった。
「……酷い顔」
サマナーの少女は、さっきの男たちが自分をあまり良いように見ていない理由が分かった。確かにこんな顔で情緒不安定な奴がいたら誰でも関わりたくないと思うだろうと納得する。
思えばバージョンアップがあった日以降、碌に食事もとっていなければ睡眠もほとんど取っていない。現実世界にある図書館から動けずにただ、呆然と過ぎていく時間を過ごしていた。ようやく動く気になってキスクの街に帰ってきたのは2時間ほど前のことだ。
「ご飯食べて、寝る……か。確かにそうね……こんな顔だと誰も協力してくれないわよね……」
ハーフの少女、橘 華凛は鏡に写る自分の姿を睨み付けた。決意にも似た目で真っ直ぐ睨む。力のない自分一人では何もできないことは理解している。だから、誰かに頼らなければどうしようもない。その為に必要なものがあるのならば、それをやるしかない。
幸い、容姿には恵まれている。それを武器として磨くことしか華凛にできることはなかった。人に媚びを売るなんてことはやりたくもないことだが、復讐を果たすためには自分を捨てるしか方法はなかった。




