夕暮れのひと時
1
空の青さが残る中、沈みゆく太陽は地平を赤く染めていく。
大海原を駆ける帆船は、凪のような穏やかな風でも、力強く波をかき分けて走り続ける。それは心地良いひと時だった。
一日の中でも限られた時間にだけ見ることのできる景色。けれど、同じ景色はもう二度と見れない。今見ている光景は、今しか見ることができない。
潮風が真の髪を優しく撫でると、どことなくノスタルジックな気分になっていた。
センシアル王国騎士団が用意した大きな帆船の船尾には、真と美月だけしかいなかった。センシアル王国騎士団は船内に待機しており、船乗りはマストの上の見張り台や、操舵室などそれぞれの役割に応じて、決められた配置場所にいる。
現実世界の人達は、夕食前の時間で各自の部屋で待機している者が多い。
「この光景を見てると、今から死の大地って呼ばれているような場所に行くなんて想像もつかないね」
海風に流される髪を押さえながら、美月が呟いた。夕日に染まる、茶色いミドルロングがとても綺麗だ。
「…………っえ? あ、ああ、そうだな」
夕焼けの海を見つめる美月の横顔に、真は思わず見とれてしまっていた。声をかけられて、ふと我に返ったところで、ようやく返事ができた。
「ふふっ。ぼーっとしてたでしょ?」
真の反応が面白かったのか、美月が可笑しそうに微笑んだ。
「あ、いや……凄く綺麗だったから――あ、け、景色がな!」
咄嗟に真が言い訳をした。美月はあどけなさが残っているが、整った顔立ちで、とても綺麗な顔をしている。
「うん。凄く綺麗……」
美月はそう言いながらも真の方をじっと見ていた。
「……ん? どうした?」
その後の言葉もなく見つめてくる美月に対して、真が思わず声をかけた。
「真の髪がさ……夕焼けと混ざって、凄く綺麗だなって……」
美月がはにかんだ表情で真を見ている。真の赤黒い髪が、夕焼けで濃赤色に染まると、まるで宝石のように神秘的になる。
「俺の髪? 別に言うほどでもないと思うけどな」
真が髪の毛の端を摘まんで夕日に照らしてみる。
「髪だけじゃなくて、真の顔も凄く綺麗だからね。なんかさ、キスクの街で真と再会した時のことを思い出してた」
「キスクか……。懐かしいな……」
世界がゲーム化の浸食を受けてから、まだそれほど間が経っていない頃。街としての機能が整っているキスクの街に、大勢の人が来ていた。そこで、真と美月は再開を果たした。だが、同時に消えない傷ができた場所でもある。
「今でもあの時のことは覚えてるんだよ。夕方に声をかけられて、振り返ったら凄く綺麗な人がいて。世の中にこんなに綺麗な女の人がいるんだって驚いたんだよ」
「さ、最初に会った時に男だって教えてただろ……」
ストレートに綺麗だと言われて、真もどういう顔をしていいか分からなかった。嬉しくないこともないが、真としては武骨な感じの強そうな見た目に憧れている。
「それでも、急に声をかけられたから分からなかったの。それに、しばらく会ってなかったしさ。声だって、真は女性よりの声なんだから。その後に合流した恭介さんなんて、完全に真を女の子だって思って声をかけてたでしょ」
美月の顔に少しだけ影が差した。恭介は、美月の元ギルドメンバーの一人だ。グレイタル墓地の事件で壊滅した、ギルド『ストレングス』のメンバー。軽いノリの男性だが、仲間想いで頼りになる人だった。
「数少ないベルセルクの同業者だったな……。腕も悪くなかった」
少し迷いながらも、真は返事をした。美月にとって、グレイタル墓地での一件は、深く心に傷が残っている。だけど、『ストレングス』のことを美月の口から話している。折り合いを付けられてないのは、むしろ真の方かもしれない。
「恭介さんと正吾さんは、『ストレングス』の柱だったからね。もし、グレイタル墓地の事件が、何事もなく解決していたら、真をスカウトしてたと思うよ」
美月が静かに微笑んだ。もしも、グレイタル墓地で、誰もゾンビになっていなかったら。
「そうかなあ……? あの時は凄く気を使われてたような感じだったけど……?」
『ストレングス』というギルドは少人数ながらも、仲間同士の結束が強いギルドだった。少人数のリア充ギルドといったところか。真にとっては入り辛い輪の中だ。
「それは、真が緊張してただけじゃない。皆は凄く歓迎してたよ。まぁ、確かに真はああいう雰囲気苦手かもしれないけどさ……。でも、徐々に慣れていってさ、翼と彩音にも出会って、『ストレングス』に入ってもらって。華凛はどういう出会い方になったのかな? 恭介さんあたりがナンパしたかも。それで、アルアインに襲われる前に、真と出会って、誰も死ななくて済んで……。そうしたら、華凛の友達も一緒に『ストレングス』に入ってさ……」
「そうだな……」
絶対に実現することのない、もしもの話。『ストレングス』のメンバーは美月を残して全員が死亡しているし、華凛がかつて行動を共にしていた友達も同じだ。
「もし、そうなってたら……って、思うことはあるんだけどね……。でも、それは、叶わないことだから……」
「…………」
真は返事をすることができなかった。真は、美月以外の『ストレングス』のメンバーを助けることができなかった。出会ったばかりとはいえ、ゾンビになった『ストレングス』のメンバーを斬った感触は、忘れることができない。
「だからね。私、今の状況が奇跡みたいなんだなって思うの」
「奇跡?」
「そう、奇跡。『フォーチュンキャット』のメンバー全員が無事でいられる奇跡。グレイタル墓地で起こったことよりも、ずっと危険なミッションを何度もやってきたけど、皆無事でここまでこれんだよ」
「危なかったこともあったけどな……」
「特に真がね! ほんと、無茶ばかりするんだから」
膨れた表情で美月が言う。
「俺は別に無茶なことをしてるつもりはないんだけどな――それを言ったら、美月だって、ブラドに突っ込んで……」
真の言葉が止まった。美月がアークデーモンと化したブラドに突撃してきたのは、真が発狂しそうになっていたからだ。美月だけにその責任を押し付けることはできない。
「うん……。それは、分かってる……。もっと真のことを信じてあげなくちゃダメなんだなって……。今は、そう思ってるから……」
俯きながら美月が言う。自身の行動がどれだけ、周りに心配をかけたことか。真の無茶を言えた立場ではないことくらい理解している。
「俺も……なんとか抑えるようにするからさ……。アグニスと戦った時は、抑えることができてたし、今度も大丈夫だと思う」
その言葉に自信を持ってるわけではない。アグニスとの戦いで、真が発狂せずに済んだのは、戦いの途中でアグニスが去っていったことが大きい。あのまま戦い続けていたとしたらどうなっていたかは分からない。
「うん。真なら大丈夫だよ。それと、こっちのことは心配しないで。真は真の戦いに集中してくれればいいから」
「いや、でも……。できるだけ早くディルフォールとイルミナを倒して、そっちの応援に行くから」
「心配しなくても大丈夫よ。私達は『ライオンハート』さんと一緒に戦うんだしさ。椿姫さんや咲良ちゃんだって一緒なんだよ」
美月が笑顔で返した。それがカラ元気だということくらい真にも理解できる。本当は美月も怖いに決まっている。それを表に出したら、真が戦いに集中できなくなることを、美月はよく理解していた。
「それは、まあ、そうだけど……」
『ライオンハート』の実力は真もよく知っている。とはいえ、今回参加する『ライオンハート』のメンバー70人と真一人を比べた時、どちらが強いかと聞かれたら、真一人の方が強いと即答できる。それくらいの差があるのだ。
「うん、大丈夫……」
それ以上何も言えない真に対して、美月は優しく微笑む。包み込むような柔らかい笑みだ。穏やかで、温かくて、可憐で、儚い。何よりも美しいと思える。その笑みを決して失いたくはない。
しばし沈黙の時間が流れた後、波の音に交じって、快活な声が聞こえてきた。
「あ、いたいた! 真ー、美月ー。ご飯できたよー」
声の主は翼だった。横には彩音と華凛もいる。どうやら三人で呼びに来たようだ。
「あ、ああ……分かった。すぐ行く」
この時間との別れを惜しみつつ、真は呼ばれた方へと歩いて行った。
その後ろ姿を美月が愛おしそうに見ている。と、そこに華凛が駆け寄ってきた。
「美月だけずるい! 私も真君と二人で夕日見たい!」
拗ねた声で華凛が言った。真には聞こえない距離と声量だ。流石に、これを真に直接言うことはできないようだ。
「あっ、ごめんね華凛。今日はたまたまだよ。明日は華凛が真と二人で夕日を見れるように協力するからさ。それで許して」
少し困った笑顔で美月が返事をした。
「えっ!? 明日!? そ、そんな急に言われても……心の準備が……」
突然の申し出に、華凛がオロオロとし始める。真と一緒に夕日を見たいというのは本音だが、思わぬ好展開に思考が付いていけない。
「それなら、今晩中に心の準備しておかないとね」
美月は悪戯に笑って返した。具体的なプランは何もないが、それも今晩中に考えておけばいいことだ。
「う、うん……、分かった……。美月の方も任せたわよ!」
「大丈夫よ、独り占めはしないから」
美月がそう言って、微笑むと、華凛も安心したような顔になった。
「美月ー! 華凛―! 早くしてー。皆待ってるからー」
船尾から動かない美月と華凛に、業を煮やした翼が叫んだ。
「ごめんねー、今行くからー」
美月が返事をすると、華凛と一緒に船内へと歩いて行った。
2
カンカンカンカン! カンカンカンカン!
翌朝、けたたましく鳴る鐘の音に起こされた。まだ眠い眼をこすりながら、真は船窓から外を覗いた。
(まだ夜明け前じゃねえか……)
外の景色を見ながら、真は心の中でぼやいた。外は薄暗い。陽の光も見えない。だけど、夜明け前にしては、少し様子が違うような気がする。
真は、寝ぼけた頭を起こしながら、外の景色をよく見てみた。
空はどす黒い雲が覆っており、絶えず稲光がしている。波は荒く、風も強そうだ。それでも、あまり揺れていないのは、これがゲームの世界だからだろう。波と風の影響を、現実と同じように再現するようなことはしていない。
「朝……か……?」
どうやら夜ではなさそうだ。分厚い雲に覆われて、太陽の光が弱々しいが、朝にはなっている様子。げんなりするくらいに暗い朝だ。
「もう朝になってるわよ。真も起きて、何か様子が騒がしいの」
そう声をかけてきたのは翼だ。こんなに暗い朝でも、翼はちゃんと起きている。
「んーっと……。騒がしい……?」
真は大きく伸びをして、船室を見渡した。美月と彩音も既に起きており、華凛はようやく目を覚ましたところ。
騒がしいといえば、鐘の音で起こされたことか。
カンカンカンカン! カンカンカンカン!
再び鐘の音が響いた。そして――
「シン・ラースが見えたぞー!」
船乗りの慌ただしい声が聞こえてきた。その声に、真の眠気は一気に吹き飛んでいった。




