災禍 Ⅲ
「なっ……なんだ……あれは……!?」
誰かは分からないが、間の抜けたような男の声が聞こえてきた。数えきれないほどのドラゴンの群れを見上げ、それが事実であると理解することを頭が拒否しているかのような声だ。
「こ、こっちに近づいてきてないか……?」
別の男が声を上げた。ドラゴンの鳴き声はさっきよりも鮮明に聞こえるようになっている。
「えッ!? いや……あ、来てる……来てるぞ! こっちに来てるぞ!」
さらに別の男が慌てて声を出した。ドラゴンの群れはどんどん帝都イーリスベルクに向かって飛んできている。最初は鳥の群れのようにしか見えなかった姿も、今でははっきりとその凶暴な姿を目視することができる。
「逃げろーッ!」
誰が叫んだかは分からないが、その声が引き金となった。
「うわああぁぁぁーーー!!」
「キャーーーー!!」
一斉に悲鳴が上がると、パニックは瞬時に伝播していった。さながら怪獣映画に出てくるエキストラのように、人々は這う這うの体で走り出す。
「な、何が……? 何が起きてるんですか!?」
混乱する人々の渦中で、彩音が真の方を見つめた。
「まさか……このドラゴンの群れ……」
真が険しい顔をしながら、ドラゴンに埋め尽くされようとしている空を見上げる。
「これって、バージョンアップの影響で……?」
真を見ながら美月が言った。バージョンアップ直後に出現したドラゴンの群れ。それを結び付けるのは当然の考えだろう。ただ、真には他にも何か思い当たることがありそうな顔をしていた。
「十中八九バージョンアップの影響だ――くっそッ! 仕方ない、迎撃するぞ!」
空を見上げながら真が歯噛みする。美月が想像している通り、真にはこのドラゴンの群れに心当たりがある。だが、それを悠長に検討している余裕はない。ドラゴンの数は見えるだけでも数百匹――いや、千匹は超えているだろう。しかも、後続がどれだけいるのかも分からない。
「う、うん――私はダメージを受けた人の回復に専念するから、そっちはお願い!」
ビショップ用の杖をギュッと握り締めて美月が言う。
「美月、俺から離れすぎるなよ! ヒールヘイトは馬鹿にできない。ドラゴンに狙われたら、すぐに俺のとこまで来い!」
横目で美月を見ながら真が言った。このゲーム化した世界の元となったのはMMORPGという大規模人数でプレイするオンラインゲームだ。
そのMMORPGの多くが採用しているヘイトというシステム。それは、敵にとって脅威となる行動を取ったプレイヤーが狙われるというシステムだ。それが敵対心と呼ばれるものである。当然、敵からしてみれば、攻撃対象を回復されるというのは、脅威となる行動であり、敵対心が増大してしまう。
回復役が敵から狙われるのは、回復による敵対心の増加、即ちヒールヘイトによるところが大きい。
「大丈夫、分かってるよ!」
そのあたりのことは美月も重々承知している。
「私たちは真と一緒にドラゴンを蹴散らすよ! いいわね、彩音、華凛!」
空を見上げながら翼が言う。あまりにも数が多すぎるため、真一人では迎撃しきれない。力は真に比べれば、圧倒的に不足しているが、それでも、今まで戦ってきた経験がある。数を減らすことくらいはできる。
「分かった! やってみるね!」
彩音がしっかりとした声で返事をした。昔の彩音なら逃げることだけを考えただろう。だが、今は戦うことを選択している。
「い、いや……。そんな……いや……」
だが、華凛だけは様子が違った。唇が小刻みに震えていた。瞬きも忘れて空を見上げている。武器であるサマナーの魔書も出していない。
「華凛……?」
翼が心配そうに華凛を見た。しかし、華凛には翼が目に入っていない。ただ、空を見上げて小刻みに震えているだけ。
「華凛さん! しっかりしてください! 大丈夫です、怖くありません!」
彩音が華凛の肩を掴んで声をかけるも、華凛の様子は変わらない。
「華凛、どうしたの? 大丈夫だからね。私たちが付いてるからね」
美月も華凛の様子が気になり、声をかける。華凛は完全に怯え切っているのが分かった。
「み、美月……。いや……ダメなの……怖い……。紗耶香が……みんなが……」
華凛の脳裏にはあの日のトラウマが蘇っていた。真達と出会う前、人間不信の華凛を唯一受け入れてくれた友達。その友達が、ある日のバージョンアップで皆殺しにされた。突然現れた、巨大ドラゴン、ドレッドノート アルアインに食い散らかされた。
目の前で親友の紗耶香が食われた瞬間がフラッシュバックする。
それは克服したはずのトラウマだった。真達と出会い、自分の居場所を見つけることができ、華凛も強くなった。
だが、押し寄せて来るドラゴンの数が桁違いに多い。数匹のドラゴンが飛来したところで、華凛の心が折れるようなことはないが、無数のドラゴンを前に、再び心が壊されようとしていた。
「華凛! 大丈夫だ! あんなのは、ただのトカゲの群れだ! 俺が倒してやる!」
真が華凛顔をグイッと下げ、目線を空から、真の方へと向ける。
「真……君……!?」
華凛と真の目が合う。真に顔をがっしりと掴まれた状態。視線を外すこともできない。
「しっかりしろ! 華凛はもう弱くない! 『フォーチュンキャット』の橘華凛だろ!」
真が叫び、華凛を鼓舞する。それは決して華凛を励ますために言っているのではない。正当な評価として、華凛の強さを認めている。
「あっ……!? う、うん! ごめん、大丈夫……。もう大丈夫だから!」
華凛の目に力が灯った。勇気が恐怖を蹴散らしていくのが分かる。
幾千の言葉よりも、真の一言が華凛にとっては一番心強い。
「よし、みんな無茶はするなよ」
大剣を構えながら真が声をかけた。
「あんたに言われたくはないわよ!」
翼も弓を構えながら返事をした。一番無茶をする人間に言われたくはないセリフだ。
「雑魚の群れに無茶もくそもねえよ!」
負けじと真が言い返す。
「真さん、翼ちゃん、第一波来ますよ!」
彩音が注意を促した。軽口を叩けるのは良い状況だが、目の前の敵はすぐそこまで迫っている。油断はできない。
既に、ドラゴンの群れは帝都イーリスベルクに到達している。次々と街中にドラゴンが降り立っていく。
「グオォォォーーーーーン!」
急降下してきたドラゴンの一匹が真に向かって突撃してきた。
「ああ、分かってるよ!」
<ソニックブレード>
真が大剣を空に向かって振ると、真空のカマイタチが見えない刃となってドラゴンを襲った。急降下してきたドラゴンにそれを避ける術はない。音速の刃は無残にもドラゴンの体を斬り裂いた。
「グゥギャーーン」
ソニックブレードの直撃を受けたドラゴンは断末魔の悲鳴を上げて、地面に叩きつけられる。一匹はこれで終わり。だが、ドラゴンの数は目視では到底数えきれないほどいる。
「これでも喰らえ!」
<イーグルショット>
翼が一匹のドラゴンに狙いを付けて矢を放った。イーグルショットはスナイパーの単発スキルで、射程が長く、威力も大きいスキルだ。とはいえ、真と違い、その一撃でドラゴンを倒しきることはできない。
「私だって!」
<ヘルファイア>
彩音は翼が攻撃したのと同じドラゴンを狙って、魔法スキルを発動させた。たちまち、ドラゴンの体は黒い炎に飲み込まれていく。
ヘルファイアはソーサラーの単体攻撃スキルで、一度発動すると、しばらくの間、継続的に敵にダメージを与え続けるという効果も持っているため、威力が大きいスキルだ。
「ガアアァァァーーー!!」
だが、まだドラゴンは倒れない。その巨大な爪を彩音に向けて振り下ろしてきた。
「やっぱり、真さんみたいにはいきませんね……」
後退しながらも、彩音がドラゴンの爪を回避する。
「分かり切ってることを愚痴っても仕方ないわよ!」
<オリオンシュート>
翼は手を緩めることなくスキルを発動させていく。複数の矢がレーザーとなってドラゴンの体を射抜く。
「それでも、これくらいの敵なら私だって!」
<ダイヤモンドダスト>
彩音がスキルを発動させると、無数の氷の粒がドラゴンの周りを渦巻いた。一瞬の内にドラゴンが氷に飲み込まれて真っ白にになる。
「ガァ…………ッ」
氷漬けにされたドラゴンはそのまま地面に横たわる。これでようやく一匹仕留めた。
「どんなもんよ!」
翼が自慢げに声を上げる。
「翼ちゃん、まだ一匹だけだよ。まだまだドラゴンは――」
「翼、彩音! 後ろ!」
急に美月が声を荒げた。切羽詰まったその声に、翼と彩音が振り返ると――十数匹のドラゴンが翼と彩音の上からも、背後からも襲い掛かってきていた。
「いっ、まずッ――」
翼が咄嗟に迎え撃とうとするも、ドラゴンの数が多い。どれをターゲットにしていいのか、判断ができない。
「伏せて!」
<シルフィード>
<ショックフェザー>
そこに、華凛がスキルを発動させた。
サマナーが使役する風の精霊シルフィードが持つショックフェザー。風に舞う幾多の羽は、まるで遊んでいるかのように軽やかだが、その実、羽に触れると麻痺していしまうという凶悪なスキルだ。
ドラゴンの巨体で、風に舞い踊る無数の羽を回避することは絶対に不可能。十数匹いたドラゴン達は、全て風の精霊が放つ麻痺羽に触れてしまう。
「オラァーッ!」
<ソードディストラクション>
動きを止められたドラゴン達に真が飛び込んできた。跳躍から体ごと一回転させて剣を振り回すと、辺り一面を蹂躙するかのような衝撃がまき散らされた。それはまるで、破壊という事象をそのまま具現化したかのような圧倒的な力だった。
真の攻撃を受けたドラゴン達は悲鳴のような鳴き声を上げて地面に落ちていく。
「真、華凛……。ありがとう……助かったわ……」
冷や汗を流しながら、翼が礼を言う。
「間一髪だったわね……」
華凛も間に合ったことにほっと胸をなでおろす。
「まだ終わってない、次行くぞ!」
真が次の狙いを選びながら言う。今倒したドラゴン達を入れても、倒したのはせいぜい十数匹。残りの数は空を埋め尽くすほど。まだまだ終わりには程遠い。
「はい!」
彩音が力強く返事をする。ただ、今のドラゴン達の不意打ちには正直肝を冷やしたのだが、真がいるという安心感はやはり力強い。
「真、こっちの応援お願い!」
その時、美月の声が聞こえてきた。美月は他にも戦っている人達を懸命に回復していた。逃げた人達も多いが、残って戦っている人も多い。
「すぐに行く!」
真が即返事をして、美月の方へと向かって行く。
そこで気が付いたのは戦っている人が意外と多いことだった。ドラゴンの群れが襲ってきたと分かった時には、パニックになって逃げまどっていたのだが、逃げた先にもドラゴンがいるため、結局のところ逃げ場などない。戦う以外に選択肢がない状況を理解した人達が続々と戦闘に参加してきているのだ。
これはセンシアル王国で起こった、異界の扉事件の経験が大きかった。戦わないと生き残れない。そのことを身をもって経験したことで、パニックから脱してドラゴンを迎撃することができている。
ドラゴンの鳴き声に、激しい戦闘音と人々の雄叫びや悲鳴が入り混じり、帝都イーリスベルクの街の中は、一瞬にして轟音飛び交う戦場と化していった。




