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ヴァリア帝国領 Ⅳ

        1



「ウォルバート様におかれましては、ますますご清祥のことお喜び申し上げます。この度は、我が主君、ロズウェル様の、申し出にお応えいただき、厚くお礼を申し上げます」


アーベルが恭しく膝を付き頭を垂れる。


ヴァリア帝国領の辺境。山の中に佇むウォルバートの別荘にやってきた真達は、まず、別荘の主であるウォルバートに挨拶に来た。


ここはウォルバートの書斎だろう。大きな窓も隠れてしまうくらいに、本棚がびっしりと並んでいる。部屋の奥にある机の上にも本が積んである状態だ。別荘であっても、色々とやらないといけない仕事は沢山あるようだ。


「楽にしてくれたまえ、アーベル。私も今のヴァリアを憂いてのことだ。ロズウェルが立ち上がってくれたことを心から感謝してる。微力ながら、できることはさせてもらうつもりだ」


ウォルバートと呼ばれた男は優しく返事をした。癖のある金髪は後ろで束ねられている。お腹周りが出ているのは単なる中年太りというやつだろう。


真達のことも快く受け入れたくれたウォルバートだが、つい先ほどのミルアの言葉が頭から離れない。『食べる物もなく、蛆を口にしたこともあるのだぞ』という言葉。


「はい。お言葉に甘えまして」


アーベルはそう言って、すっと立ち上がる。


「して、こちらの方々は? 随分と可愛らしいお嬢さん方ではないか」


ウォルバートは微笑みながら言う。可愛らしいお嬢さん方とは、真達5人とミルアのことだ。


「ロズウェル様からもお話が入っているとは存じますが、この方々が、今回、僕と同行していただくことになった、センシアル王国の英雄とロータギアの戦士でございます」


アーベルが真達の方へ手を向けて紹介した。


「あ、ああ……、そうだったか。これは失礼したようだな。本当に綺麗なお嬢さん達だったから、ついつい、言ってしまった。気を悪くしないでほしい。それに、ロズウェルが寄越した人材だ。見た目だけでは判断できない力を持っているということだろう。よろしく頼むよ」


ウォルバートは一瞬目を丸くした。ヴァリア帝国の陥落に関わる重要な任務に選ばれて来たのが美少女達なのだから、驚くのも無理のないことだろう。


思えば、リヒターは真達を見て『小娘風情に何ができる』、『ふざけているのか』と言っていた。それに対して、ウォルバートは疑うようなことを言わなかった。それだけ、ロズウェルのことを信用しているのだろう。


「こちらこそ……、よろしくお願いします……」


複雑な心境で美月が返事をした。横にミルアがいる状況で、ウォルバートと和やかな雰囲気を出すのは気が引けたからだ。


美月はチラッと横目でミルアの方に視線を向けるが、腰に手を当てて立っているだけ。先ほどのように、怒りを出している様子はない。至極平然ととしている。ただ、いつでも、腰にあるナイフを抜ける態勢ではあった。


「そう硬くならなくてもいい。センシアルからここまで来るのはさぞ大変だっただろう。だが、急かすようで悪が、明日には私の使用人として、ここを出発することになる。今日は一日体を休めてくれたまえ」


「はい。ありがとうございます」


アーベルが再び頭を垂れた。


「硬くならなくていいと言っただろ」


ウォルバートはハハハと笑いながら、机にあるベルに手を伸ばした。


チリンチリンと金属製のベルが綺麗な音を立てて部屋に響く。まるで小鳥の鳴き声のように、可愛らしい音だ。


「失礼いたします。お呼びでございますか、ご主人様」


ベルを鳴らしてから十数秒で、メイドがウォルバートの書斎にやって来た。


「客人を部屋に案内してやってくれ」


「かしこまりました――どうぞこちらへ」


メイドが丁寧に頭を下げると、真達を連れて書斎を出て行った。



        2



真達には一人一部屋が用意された。広い別荘は7人の客に対して、それぞれ一つの部屋をあてがうだけの許容量がある。


部屋にはアフタヌーンティーを楽しむためのテーブルに、大きな鏡の付いたドレッサー。敷かれた絨毯を踏みしめると柔らかい感触が足の裏に伝わってくる。


ベッドもフカフカだ。清潔な白いシーツに、羽毛の布団。枕も大きくて柔らかい。


夕食を終え、自分の部屋に戻ってきた美月は、久々に座るベッドに心が安らぐ――という気持ちにはなれなかった。


数日前の夜に真と口論になってから、一度も口をきいていない。今日の夕食時もそうだ。ウォルバートがディナーを振舞ってくれたのだが、真と美月は少し離れた席に座った。


真のことが気になるが、話し出すきっかけが掴めない。そもそも、話をしたところで、意見は対立している。また喧嘩をするきっかけにしかならないのではないかという不安の方が大きい。


「はぁ……」


意識せず溜息が漏れた。真が言っていることも理解ができないわけではない。発狂した真の姿は、遠目から見ただけでも、理性があるとは到底思えない。


もしも、美月が危険に晒されたとしても、発狂し、戦うことに傾倒してしまった真が助けてくれるかどうか。真が恐怖を感じているところはそこだ。それは分かっている。


「…………」


美月は無言のまま床を見ていた。暖色のランプが照らす絨毯と、美月の足。見えるのはそれだけ。


(私だって何も間違ってない……)


心の中で美月が言い聞かせる。真が発狂しないようにするには、戦わせないことが一番だ。だから、代わりに自分が戦う。魔人が強敵であることだって百も承知だ。


しかし、真は一人で背負おうとする。敵が強大であることを、その身で経験しているから。真なら勝つことができるから。それでも――


コンコンコン


ぐるぐると回る美月の思案を止めたのはノックの音だった。


「美月、入るよ」


声の主は美月の返事を待たずしてドアを開けて入ってきた。そういえば、部屋の鍵をかけていない。


「翼……、どうしたの?」


美月の部屋を訪ねてきたのは翼だった。もう寝ていると思っていたのだが、まだ起きていたことが意外だった。


「どうしたのって、こっちのセリフよ――隣いい?」


「うん……」


美月は腰の位置をベッドの中央から枕側に寄せた。


「で、どうしたの、美月?」


翼は唐突に訊いてきた。前置きも何もない。翼らしい直接的なアプローチだ。


「別に、どうもしないよ……」


床に視線を落としたまま美月が応える。


「どうもしないのに、真と口を利かないの?」


「…………」


美月は黙ったままだった。それは気づいて当然のことだろう。いつも真のことを気にかけている美月が、真と何も会話をしていない。真の方だって、美月に話しかけるようなことはしていない。何かあったに決まっている。


「喧嘩したっていうのは、見てて分かるんだけどさ……」


「…………」


「喧嘩の原因、話してもらっても大丈夫?」


「…………」


美月は無言で首を横に振った。でも、本当は翼に、戦うことで真が発狂してしまうことを知ってもらいたい。そして、翼にも真が発狂しないように協力をしてほしい。


だけど、今それを言うことはできない。真が戦いによって発狂することを言っていいのか分からない。真だって知られたくないことだ。きちんと真と話し合ったうえで、翼達に協力を求めないといけない。


しかし、真と話をするきっかけがない……。また、頭がぐるぐると回る。


「そっか……。それなら、無理には聞かないけどさ……」


「………うん」


頭が纏まらないまま、美月が力なく返事をする。


「でも、美月と真には今まで通り、仲良くしてほしいのよね……」


「私だって! ……真と話をしたいよ……」


美月はがばっと顔を上げて翼に言った。だが、すぐに俯いて、小さく後の言葉を続けるのみ。


「痴話喧嘩じゃないわよね?」


まさかとは思うが、念のために翼が確認する。


「それは違う……」


美月は即座に否定。痴話喧嘩程度なら、ここまで悩むこともない。


「まぁ、真にそんな甲斐性はないわよね」


翼が笑いながら言う。華凛ほどではないにしろ、真のコミュニケーション能力はかなり低い。そんな真が知らない間に女を作るなんてことは考えられない。


「…………」


美月は俯いたまま。翼が元気づけようとしてくれていることは分かるが、反応できる気分ではない。


「どっちが悪いとかある? それは聞いてもいい?」


翼は美月が無反応であることを気にすることなく、話を続けた。


「……どっちがっていう話とは……違うと思う……」


細い声で美月が返事をした。


「美月も真も悪くはないってこと?」


「……うん」


「そうかあー、どっちも悪くないかぁ」


翼が頭を悩ませる。どちらかが悪いのであれば、先に謝らせて、最終的にお互い謝って終わりという形にもっていこうと思っていたのだが、それはできないようだ。


「でも……真が言ってることは違うと思う……」


「真が間違ったこと言ってた?」


「そうじゃない……。真は間違ったことを言ってるわけじゃなくて……」


「うん……」


翼は静かに相槌を打つのみ。


「私も間違ったことは言ってなくて……」


「うん……」


「でも……真が言ってることは……ただの……正論で……。だけど、それは違うんじゃなかいって……」


美月の声に涙声が混じりだした。だが、美月は泣き出すようなことはしない。ぐっと堪えて、通常の声に戻す。


「正論だけど、美月には認められない?」


「絶対に認めるわけにはいかない!」


美月は翼を見ながら答えた。力の籠った視線が翼を貫くようにして見ている。もう、涙声などどこかに消えてしまっていた。


「そっか……。要するにどっちが正しくて、どっちが間違ってるかっていう話じゃないんでしょ?」


「うん……」


「それならさ、美月が良いと思うようにするしかないんじゃないの?」


「そんなの……簡単に言わないでよ……」


「まぁ、私は詳しい事情を知らないからね。あまり無責任なことは言えないんだけど。でも、一つだけ言えるのはさ、今の状況が良いって思える? ってこと」


「それは……」


「勘違いしないでほしいのは、今の状況が悪いって言ってるんじゃないのよ。お互い考えがあって、間違ったことは言ってないわけなんだしさ。でも、悪くはないけど、じゃあ、良いのかって聞かれて、『良い』って答えられないんでしょ?」


「…………」


「だったらさ、『良いです』って答えられるようにするしかないじゃない」


「……どうやって?」


「それは、詳しい事情を話してくれないと答えられないよ」


「…………」


「私が言えるのはここまで。ただ、真の無茶を止められるのは美月しかいないと思うよ」


「えッ!? どうしてそれを……!?」


「美月と真が喧嘩する理由が他にあるの? 今の話を聞いてて、それ以外にないでしょ」


翼は笑顔で言った。真と美月の喧嘩の内容は全く知らない。それは本当だ。だが、真がまた無茶をしようとして、美月がそれを止めたいっていうことくらい分かる。ずっと、この二人を見て来たのだから。


「うん……。そうだね。ふふ、そうだよね」


なんだか美月はおかしくなってきた。答えなど最初から出ていたのだ。真が発狂しないように、美月が真を守る。今回のバージョンアップの会議の時に、美月が真に言った言葉だ。それを実行するだけの話。真が何と言おうが関係ない。


「私の話はこれでお終い。明日からはいつも通り真と接するんだよ」


翼はそう言うと、ベッドから腰を上げた。


「うん。ありがとうね、翼」


「いいのよ。それじゃあ、お休み」


「お休みなさい」


その日の夜。美月は久々に熟睡することができた。真が言っていることが間違いではないことは分かっている。それでも、美月自身が納得できるような形にしたい。自己満足かもしれないけど、できるだけのことはしようと思った。それが、美月にとって『良い』と言えることだから。




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