潜入の段取り Ⅱ
「とりあえず、二人とも座ってくれ」
立ったままのアーベルとミルアに真を着席するよう勧める。今いる部屋は6人部屋であり、そこそこ広い。備え付けのテーブルは部屋の広さに比べれば小さめだが、アーベルとミルアが座る分には問題ない。
「そうですね、立ったままというのも失礼でしたね。それでは、お言葉に甘えて座らせていただきます」
アーベルは物腰柔らかくそう応えると、近くにあった椅子に腰かけた。
「えっと、ミルアだっけ? お前は座らないのか?」
すぐに座ったアーベルとは対照的にミルアは椅子に近づくこともしていない。
「必要ない。座った状態だと、襲撃された時に不利だ。私は立ったままで問題はない」
至極真面目にミルアが返事をした。確かに座った状態だと、立ってから戦闘態勢に入るまでにタイムラグが生じる。それは一瞬のことなのだろうが、その一瞬が生死を分けることもある。
「襲撃なんてされねえよ!」
真が突っ込んだ。王都グランエンドの宿で、襲撃を受けることなど絶対にあり得ない。だから、座っていたからといって、対応に遅れて命を落とすというようなことも絶対にない。
「襲撃されるかどうかが問題ではない。襲撃された時に不利になることが問題だ」
この答えもミルアは大真面目だ。常に戦闘を意識する。それが寝ている時であろうが、風呂に入っている時であろうが、子孫を残そうとしている時であろうが、ミルアには関係ない。
「あ、うん……そうだな……」
真は諦めた。ミルアはこちらの常識が全く通用しない世界の住人だ。基準が全く違う。
「それでは、僕から話をさせてもらいますね」
真とミルアのやり取りを完全にスルーして、アーベルが口を開いた。
「ああ、そうしてくれ」
真もこれ以上、ミルアのズレた常識に付き合うつもりはない。時間も有限だ。寝る時間だって遅くなってしまう。
「現在、ヴァリア帝国は敗戦により、センシアル王国からの報復を恐れている状態にあります。水面下ではお互いが色々と話をしているようですが、外交上ではヴァリア帝国側がセンシアル王国の要求を全て拒否しています」
アーベルが現状の説明を始めた。ヴァリア帝国が突然、センシアル王国に侵攻してきた。そして、ヴァリア帝国は敗北という結果に終わった。当然、センシアル王国から賠償の要求をしたが、ヴァリア帝国は全て拒否していた。
「詳しいな。戦線を離脱したんだから、ヴァリア帝国には戻れないはずだろ? どこからその情報を手に入れた?」
真が疑問を投げかけた。疑念と言った方が正確か。まだ、アーベルという男を信用していいかどうか判断できていない。
「敵前逃亡をしましたが、腐ってもヴァリア帝国魔道軍です。魔道による情報収集は得意なんです。それに、先の戦いでは、ほとんど戦っていませんからね、情報網も生きてるんですよ。それと、センシアル王国側もヴァリア帝国に密偵を送りこんでいるので、情報は入ってきます。これで、疑いは晴れましたか?」
表情は崩さずにアーベルが答えた。真がアーベルを疑っていることなど最初から承知の上だった。
「そうか……。分かった。続けてくれ」
「はい――ヴァリア帝国がセンシアル王国の要求を拒否しているのは、まだ戦うつもりだからです。ただ、先ほども言いましたとおり、ヴァリア帝国はセンシアル王国からの報復を恐れていることも事実です」
「矛盾してないか? センシアルが無茶な要求をして、それを拒否してるとかじゃなくてか?」
アーベルの質問に対して真が口を挟んだ。センシアル王国と戦う意思を持つ一方で、センシアル王国からの報復を恐れている。結局どっちなのか。
「センシアル王国が要求してきた賠償は、まあ、多少は吹っ掛けてきてます。賠償金の支払いと領地の割譲ですね。これは、交渉次第で軽くできますので、外務が正式な場を設けようとしているのですが、ブラド皇帝が交渉すらも一切拒否している状況なんです」
アーベルが困ったなといった笑顔で言った。
「それって、ブラド皇帝と帝国の行政の意見が対立しているっていうことですか?」
これは美月が質問をした。
「そうです。厳密に言いますと、帝国元老院と行政はセンシアル王国と交渉したいのですが、ブラド皇帝が頑としてこれを拒否している状況だとか」
「皇帝の他に交渉をするかどうかを決める権限がある人はいないんですか? 絶対に皇帝の許可がないとダメなんですか?」
今度は翼が入ってきた。戦争を終わらせるための交渉をしようとしている人がいるのに、それを、皇帝だかなんだか知らないが、邪魔するのは翼には納得がいかないことだった。
「そういう人はおりません。他国と交渉するかどうかは皇帝の専決事項です。皇帝に重大な欠格事由があれば、代理に皇帝の職務を行う大臣が選任されますが、現状ではブラド皇帝は健在……ということになっています。ですから、ブラド皇帝にセンシアル王国との交渉の意思がなければ、絶対に交渉による解決はありません」
「その、ブラド皇帝が交渉を拒否している理由はイルミナが原因ですよね?」
彩音もアーベルに質問をした。先日の会議の時の話を思い出せば、イルミナ・ワーロックが原因としか考えられない。
「ええ、間違いなくイルミナのせいでしょうね。今やブラド皇帝はイルミナの人形です。イルミナはセンシアル王国との戦争を望んでいると思われます」
「イルミナか……」
真がイルミナの名前を呟く。アルター真教という狂った宗派の源流を作った女。世界の浄化を目的としたアルター教において、殺戮という手段を使って、その目的を達成しようとした異常な思考の持ち主だ。
「ですから、イルミナを排除しなければ、ヴァリア帝国だけでなく、センシアル王国にも甚大な被害を及ぼすことになります。当然、ヴァリア帝国内でも反イルミナ派は増えてきています。今回の潜入作戦は、その反イルミナ派の人脈を使って行います」
ここで、アーベルから具体的な話が出てきた。
「センシアル王国からの報復を警戒してるんだろ? ヴァリア帝国内の協力者がいても難しいんじゃないのか?」
真がアーベルに尋ねる。アーベルの説明から推測するに、ヴァリア帝国内はかなりピリピリしているはずだ。センシアル王国と交渉しようにも、イルミナの操り人形であるブラド皇帝が反対している。このままでは、両国が衝突する危機感を持っているはずだ。そんな中で潜入作戦を決行するとなれば、かなり難しいと予想される。
「おそらく、それほど難しくはありません」
「難しくはない? 普通に考えたらヴァリアは厳戒態勢に入ってるだろ?」
「ブラド皇帝が正気ならそうでしょう。ですが、ブラド皇帝は乱心されている。イルミナは戦争を仕掛けてきましたが、なぜかヴァリア帝国内での反乱の兆候に興味を示していません。イルミナに直接探りを入れたら返り討ちに遭いましたが、内部での企て事は放置されています。ですから、反イルミナ派もかなり自由に動いている状態です」
「あり得るのか? そんなことが?」
真が訝し気な顔で訊いた。イルミナがブラド皇帝を操っていることくらい、内部の人間ならすぐにでも分かること。反乱分子が出て来ることも容易に想定できる事態だ。実際に反乱分子ができているのに、それを放置しているというのはどう考えてもおかしい。
「それが、あり得ているのが現状です。おそらくイルミナの最終目的はヴァリア帝国の滅亡だと思われます。戦争を望むのも、センシアル王国にヴァリア帝国を滅亡させることが目的なら辻褄が合います」
「イルミナがヴァリアを滅ぼす理由は?」
「不明です。そもそも、イルミナという女がどこから来たのかも不明。肌の色からタードカハル出身ではないかということくらい。イルミナという名前も本名かどうかは分かりません。数百年前に存在したと言われている、アルター教の聖人の名前がイルミナ・ワーロックという女性なのですが、その名前を名乗っている理由も不明です」
アーベルの説明に真達は黙り込んでしまった。アーベルはセンシアル王国の前宰相アドルフがイルミナ・ワーロックを復活させたことを知らない。
ヴァリア帝国の危機はアドルフによってもたらされたもの。センシアル王国の内政のトップが引き起こした事件で、ヴァリア帝国が滅亡する危機に瀕しているとなれば、今の協力体制は根底から崩れることになるだろう。
その片棒を担がされたのは真達『フォーチュンキャット』のメンバーだ。命の指輪を取りに行き、イルミナの魔書も取りに行った。最終的にはイルミナの遺骸をセンシアル王国に持ち帰ったのだ。
「ですから、イルミナがヴァリア帝国を守るつもりがないのなら、逆にそれを利用しようというわけです。以前よりロズウェル様が懇意にされている協力者がおります。その方は辺境に別荘をお持ちなので、まずはそこに向かいます。その後、僕たちはその協力者の方の使用人という形でヴァリア帝国の帝都イーリスベルクに潜入します」
真達の沈黙を、質問がない、と受け取ったのか、アーベルは潜入作戦の続きを話し出した。
「ロズウェルさんは将軍だったな。そのロズウェルさんが懇意にしてるっていうことは、ヴァリア内でも相当な権力者って考えていいんだな?」
真はイルミナについては一切触れなかった。恣意的に流したと言ってもいい。アーベルは今回のミッションでの協力者だが、イルミナの手先であるという疑念は完全に晴れたわけではない。だから、イルミナについての真実を真達が知っているという情報は開示するわけにはいかないという判断だ。
「ええ、そうです。ロズウェル様の叔父に当たる方です。ロズウェル様がイルミナに反旗を翻すと決めた時に、一番最初に賛同してくれたのもこの方です。信頼に値する方なので、潜入作戦に関しては心配する必要はないと思います」
「ロズウェルさんはヴァリアにとって裏切り者だろ? その叔父さんも、帝国内では立場が危ないんじゃないのか?」
「そのことに関してはご心配ありません。先の戦争に関しては、ヴァリア帝国への報告もこちらで操作しています。正確な報告をできる者もおりませんので、ロズウェル様の謀反は隠せています。それに、ヴァリア帝国は今、かなり混乱しています。色々な情報が錯綜しているので、こちらの企みが露呈するまでにはまだ時間がかかります」
アーベルの説明を聞いた真が訝し気な顔をした。『正確な報告をできる者がいない』とアーベルは言った。センシアル王国への侵攻の際、ヴァリア帝国に戦況を伝える兵士は必ずいるはず。それがいないということは、つまり、消したということだ。
ただ、真はそのことを追及するつもりはなかった。やっていることは戦争なのだから、手段に綺麗も汚いもない。それに、余計なことで美月達を煩わせたくもない。
「イルミナにもバレてないってことでいいんだよな?」
「いえ、おそらくイルミナはロズウェル様が逃亡したことを知っていると思います」
「おい!? いいのかよ!?」
余りにもあっさりとアーベルが言うので、真は驚きの声を上げてしまった。
「先ほども申しましたとおり、イルミナは反対派を放置しています。ロズウェル様が逃亡したことも放置されている状態。イルミナの最終目的がヴァリア帝国の滅亡なら、ロズウェル様は有用な駒になるということです」
「有用な駒か……」
「僕の主を駒扱いされるのは癪に障りますがね……」
「そうか……、分かった。それなら、潜入の件はそれで大丈夫だと思う」
真はとりあえず、この作戦案に乗ることにした。アーベルのことを完全には信用しきれてはいないにしても、潜入の時点で裏切る可能性は低いだろう。裏切るとしたら、戦争が始まってからの方が効果的だ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、僕としても一安心ですよ」
アーベルはそう言うと席を立ち、真の方へと近づくと、嬉しそうに手を握った。
「いちいち、手を握らなくてもいいだろ!」
鬱陶しそうな顔で真が手を振り払おうとするが、ことのほかアーベルが握る手の力が強くて、振りほどけない。
「ああ、すみません。僕の癖なんですよ。嬉しくなるとついつい相手の手を握ってしまって」
アーベルは謝りながらもまだ真の手を握っている。
(だから、顔が近いって!?)
しかも、アーベルは顔も近づけている。真は仰け反りながらもそこから逃げようとする。
「それでは皆様。3日後の朝にヴァリア帝国に向けて出発します。急な話ではありますが、準備の方をよろしくお願いします」
アーベルは美月達の方へと振り向くと、ようやく真の手を離した。
「はい、分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
アーベルに対しては美月が返事をした。アーベルが裏切り者かどうかはまだ分からないところがあるが、真がこの作戦に賛成している。それなら、一旦は信用していいだろうと考えての返事だ。
「あ、そうだ。マコト。当日は、迎えに来るから、この部屋で待っていてくれ」
潜入作戦の話ではずっと黙っていたミルアが最後にそう言うと、全員が了承し、打ち合わせはこれで終わりとなった。




