開戦前日
1
ヴァリア帝国からの侵攻が開始される前日。約1万ほどいるセンシアル王国騎士団のNPC達は、朝から見張りや陣地の警護をしている。
昨日の今日で陣地を完成させることができているのはやはりゲームだからといったところか。それとも日ごろの訓練の賜物なのか。兎に角、昨日の夕方に到着して、今朝には立派な陣地を築くことができていた。
それは現実世界の人達も同じ。アイテム欄からテントを出せばそれで設営は終わり。薪も同じように出して、火打石を使えば一瞬で火をつけることができる。食料も調理をする必要はなく、質量も気にせず持ち運びができる。こういうところはゲーム化して便利だと感じるところだ。
義勇軍として派遣されてきた『ライオンハート』のその他同盟連合は、早々に自分たちの陣地を作り、今日は一日自由時間として明日の開戦に備えることになっていた。
だが、誰一人としてまともに休むことはできていない。明日、この場所から見える場所が戦場になる。そして、その戦場に自分たちも立つ。
不安で心が押しつぶされそうになる。何もする気が起きない。ただ、テントの中で横になっているだけ。会話などほとんど聞こえてこない。聞こえてきたとしても喧嘩の声。千尋や小林が喧嘩の仲裁に入るも、効果は薄いように思えた。
『フォーチュンキャット』も周りと同じく重い空気の中で自由時間を過ごしていた。特に何かするわけでもなく、話をするわけでもなく、自分たちのテントの前で、ただ時間が過ぎるのを待っている。それだけなのだが、“戦争”という二文字が重くのしかかってくる。
特に不安定なのが華凛だった。元々精神的に強い方ではないのが華凛だ。食事もほとんど口にせず、じっとしているかと思えば、ウロウロと落ち着きなく動き回り、またじっと動かなくなる。これの繰り返し。
時刻は昼過ぎ。華凛は昼食を食べずにじっとしていたのだが、突然立ち上がって歩き始めた。行き先は不明。陣地の先にある河川とは反対の方向へと向かっているようだった。
「ねぇ、真……。ちょっと華凛の様子を見てきてくれない?」
美月が心配そうに口を開いた。華凛がどうしてこんな行動をしているのかは美月にもよく分かる。美月自身も戦争に参加するということへのプレッシャーに苦しんでいるのだ。
「ああ、あれはちょっと心配だな……」
真が華凛の後ろ姿を見ながら言った。猫背気味にフラフラと歩いている。
「そうですね……。華凛さんの性格から考えると、よく今まで我慢してくれてたなって思いますね……」
彩音も華凛の後ろ姿を見ていた。そもそも華凛は集団行動が苦手で、皆のために動くということが苦手だ。しかも戦争という惨烈たるものに参加することになった。『みんな我慢している』『みんな頑張っている』などという言葉は華凛が一番嫌いな言葉だ。
「こういう時はみんなで行くより、一人に行ってもらった方がいいわよね……。真、華凛のこと頼んだわよ……」
翼も心配そうに言った。華凛が戦場にまで来た理由は真が行くからに他ならない。真について行くというのが華凛の行動理念だ。それでも戦場にまで来たことに対する心的負担はかなり大きいだろう。だから、華凛が最も信頼している真に話をしてもらうのが最善だ。
「まぁ、とりあえず行ってくる……。こういう時なんて言えばいいのか分からないけど……」
自信なさげに真が言う。口下手の真は何をどう話せばいいのか全く見当がついていなかった。でも、このまま華凛を放置しておくことはできない。今の心理状況のまま明日、戦場に立たせるわけにはいかない。
「真なら大丈夫よ。良いことを言う必要はないの。思ったことを言ってあげて」
美月が優しく声をかけた。真が口下手なのは美月もよく知っている。だけど真はそれでいい。上辺だけの綺麗な言葉よりも、真剣に考えてくれた真の下手な言葉の方が何倍も意味がある。
「そういうのが一番難しいんだけどな……」
『フォーチュンキャット』のメンバーは真の言葉にどれだけ救われてきたか。そのことを真は自覚していなかった。真はただ必死に自分の思っていることを伝えただけだから。
2
華凛がやって来たのは、明日戦場となる河川の近くだった。最初は河川から離れる方へと進んでいたが、途中で方向を変えて河川に向かうも、また方向を変えて離れていく。右へ左へと行ったり来たりしているうちに、最終的に辿り着いたのは、あと数歩の距離で河川が見る場所。
「…………」
そこで華凛は膝を抱えて座りこんだ。膝と腕に顔を埋めて外界と自分を遮断する。そのまま目を閉じて何も考えない。
「…………」
酷く眠いような気もするが、目を閉じていても眠れる気配はない。闇の中へと沈みこんでいくような気がしていた。それに抗うことはしない。じっと沈みゆく自身を眺めている。どこまで沈むのかは分からない。ただ、沈んでいくだけ。
「華凛……」
「――ッ!?」
華凛は声をかけられてハッとなり顔を上げた。目の前には綺麗だが少し困っているような顔が見えた。
「華凛……ちょっとだけいいか……?」
「ま、真君……?」
真がやって来たことに華凛は少々戸惑っていた。周りには他に誰もいない。真と華凛の二人だけしかいない。
「隣……座ってもいいか……?」
真も出て来る言葉がぎこちなかった。ここまで来たのはいいが、結局のところ何をどう話していいかなど全くの無計画。
「う、うん……いいよ……」
小さな華凛の声を聞き漏らさず、真は横に腰を下ろした。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙が流れる。お互いに何か話をしたいと思っているのだが、言葉が出てこない。二人が座っているのはただの平原。時折風が吹くと草が揺れてカサカサと音を鳴らす。
「ここに何かあるのか……?」
意を決して真が口を開いたのだが、出てきた言葉はほとんど意味のない言葉。これならまだ『いい天気だな』と言った方がましだったかと思えるくらい。
「特に……何も……」
予想通りの答えが返ってきた。ただの平原に何かあるけがない。
「そうか……」
そして、真もこれ以上話を膨らますことはできなかった。
「…………」
また沈黙が流れた。真と二人っきりになれる機会など滅多にない。華凛としては何か真と話をしたいのだが、何も出てこない。気持ちが沈み切ってしまっている状態では何を話せばいいのか全く出てこなかった。
「なあ華凛……」
「……」
華凛が無言のまま真の方を見る。
「戦争に参加するのは、やっぱり怖いよな……?」
真は色々考えたのだが、出てきたのは月並みの言葉。他に何を言っていいのか思いつかない。それなら、兎に角会話をすることを優先させた。
「怖い……のは怖いかな……やっぱり。でもね、戦争自体が怖いっていうのとは違うかな……」
「そう……なのか?」
華凛の答えは意外なものだった。真だけでなく、美月や翼、彩音も華凛が不安定になっているのは戦争に参加することが原因だと思っていた。どうやら本当の原因は別にあるようだ。
「うん……。戦争に参加することは怖くないわけじゃないの……。それよりも……」
「それよりも?」
「…………」
華凛は答えずに俯いてしまった。真もこの先の話を聞かないことには華凛が何を抱えているのかが分からない。
「…………」
真はじっと華凛の様子を見守った。何を言いたかったのか問いただすようなことはしない。声をかけずにじっと華凛の様子を見る。
「あのね……」
しばらくすると華凛が口を開いた。か細い声だが何かを伝えようとする意志のようなものは感じ取れた。
「うん……」
「私は……役に立たないから……」
「役に立たない……?」
まったくもって想定外の答えた返ってきた。華凛の言っていることが理解できずに真が訊き返した。
「うん……。今回のミッションは戦争に参加するけど、私は皆みたいに強くないから……」
「いや、華凛は十分実力を持ってるだろ」
「ううん、そんなことない……。美月は皆の生命線で、まとめ役もやってくれてるし、翼は行動力が高くて、勇気がある。彩音は頭がいいし、凄い強い魔法も使えるし。私は……そんなに頭良くないし……」
「華凛の精霊だって役に立ってるだろ?」
「精霊なんていざという時に力不足になる……」
「力不足なんてことないだろ。凄く助かってるよ」
「だって、肝心な時に精霊の力が足りないっていうことはあったのよ。センシアル王城が迷路にされた時にミノタウロスと戦った時のこと覚えてる?」
華凛は涙目になりながらも言葉を並べた。真には分からない華凛の心の奥にあるもの。それを曝け出そうとしている。
「覚えてるよ。俺と他の皆が別々に倒したやつだろ?」
「そう……。それで、戦闘中に美月と翼が大きなダメージを受けたでしょ? あの時、私がノームを召喚してミノタウロスの攻撃を受けてたんだけど、途中でやられちゃって……。すぐにノームを召喚したんだけど、ミノタウロスの攻撃はノームに向かなくて……。一度、ヘイトを取り返したんだけど、またすぐやられて……。今度は彩音が狙われて……」
「でも、皆無事だったじゃないか」
「皆が強いから倒せたの! ノームがやられてなかったら危ない目に遭わずに済んだ! 美月と翼が痛い思いをすることはなかった! 私は肝心な時に足を引っ張る……。だから怖いの……。明日から始まる戦争で、私はまた皆の足を引っ張る……。私の力が皆と同じくらいあったら、もっと安全に戦えるのに……。私は……弱いから……役に立たない……。私は……皆と一緒にいる資格が……ない……」
華凛はただ真について来ただけ……ということではなくなっていた。自分を受け入れてくれた『フォーチュンキャット』のメンバーの役に立ちたい。そう思っていたのだが、実力差は身に染みて分かっていた。華凛は『フォーチュンキャット』に入るまでは日々の生活をするだけの狩りしかしてこなかった。対して美月や翼、彩音は積極的にミッションに参加する意志を持っており、格上の敵との戦いを想定していた。ここで差がついてしまったのだ。
華凛は、自分が『フォーチュンキャット』のメンバーに相応しくないのではという不安があった。一度は失った居場所だったが、『フォーチュンキャット』が自分の居場所になってくれた。だが、その実力についていくことが難しい。もしかしたら、自分はここにいてはいけないのではないかという不安が付きまとっていた。
「弱いか……。頭が弱いのは確かだな」
あっさりと『頭が弱い』と言う真に対して、華凛が流石にムッとする。
「でもやっぱり、役に立っていると思う。少なくとも俺や他の皆はそう思ってる」
「そんなこと――」
「あるんだよ! なあ、華凛。俺は強いと思うか?」
「それは、真君は強いよ」
何を当たり前のことを聞いているのか。華凛は真が言っていることの意味が分からないまま答えた。
「そうだな。俺は強い。かなり強い。っていうか俺より強い奴はいないって思ってる」
「うん……それは……そうだろうけど……」
華凛が訝し気な顔をした。真が自分の力を誇示するようなことを言うなんて思ってもいなかった。実に真らしくないセリフだ。
「でもさ、俺は何度も死にかけたんだよ……。強いだけじゃどうにもならないことがある。ミノタウロスの時だって、俺一人だったら先に進めなかっただろ? シークレットミッションの時だってそうだ。アルター真教の上僧を華凛のスキルで妨害してくれたから勝てたんだ。戦闘技術で言えばあの時は確実に俺の方が下だった」
「…………」
「だからさ、助かったよ……。なんて言えばいいか分からないけどさ……その……一緒に来てくれて……ありがとう」
照れながらも真は華凛の方を見て言った。もっと上手く言葉を並べれたらいいのだが、これが真の素直な気持ちだ。
「……ぁ」
その瞬間、華凛の中にある闇が弾け飛んだ。それは、どれだけ足掻いても纏わり付いてくる底なしの闇だった。抗うことすら無意味なほどに、華凛を飲み込み沈んでいく、重く苦しい闇。そんな闇が簡単に消し飛んでいった。こんなにも軽かったのかと思えるほど簡単に。自分はここにいていいんだと。
「か、華凛……!?」
華凛が大粒の涙を流している。真は慌てて声をかけるもどうしていいか分からない。
「え……。あっ……!?」
華凛も自分が泣いていることに気が付いた。手で涙を拭うが止まらない。再び真の顔を見ると、まだ困ったような顔をしている。そこから一気に華凛の感情が溢れ出してきた。
「……うぅ……ぁぁあ……。真君……! 真君! 真君!!」
喉が張り裂けんばかりの大泣き。華凛はもう何も考えられなかった。感情が求めるままに真の胸に飛び込み、大声で泣いた。
ずっとこうしたかった。大好きな人の胸の中に飛び込んでみたかった。そんなこと絶対にできなかったのだが、止めどなく噴出する感情が華凛の思考を止めた。
「ふっ……」
真は泣きじゃくる華凛を抱きしめて、そっと頭を撫でてやる。今更ながらに辛かったのだと理解できた。華凛が泣き止むまで、頭を撫でてやった。




