迷路 Ⅻ
ミノタウロスは猛然と美月に向かって走ってきた。それはまるで制御を失った機関車のように、全身からいきり立つ湯気をまき散らしながらの突進だ。
ミノタウロスの勢いそのまま、無造作に振り上げられた両手斧が力の限り振り下ろされる。
「……ッ!」
ガシンッ! 勢いよく床を叩く音が響いた。美月はミノタウロスの動きを注意深く見て、横に飛ぶことで攻撃を回避していた。
だが、ミノタウロスの攻撃はそれで終わるわけではない。美月は次の攻撃に備えて態勢を整えると、じっとミノタウロスを見つめた。
たった一撃を躱しただけだが、美月の額から嫌な汗が流れた。呼吸が荒くなっているのが分かる。心臓もバクバクとうるさいほどに鳴っている。
(絶対に……絶対に攻撃を食らうわけにはいかない……)
美月は再び両手斧を掲げるミノタウロスを見ながら対応を考える。ミノタウロスの攻撃にはどれだけ耐えることができるのだろうか。万全の状態ではなかったとはいえ、ノームを一撃で倒した攻撃がある。防御力の低いビショップが食らえば致命傷になりかねない。
「ノームお願い!」
<アースクラッシュ>
華凛が再度召喚しなおしたノームをミノタウロスへとけしかけた。アースクラッシュは攻撃と同時に使用者のヘイトを増加させるスキルだ。これで美月に向いた敵視を取り返そうという算段。
――なのだが、本職のパラディンやダークナイトと違い、ノームの持っているヘイト増加スキルは弱い。周りが手加減してこそ成り立つ盾役がノームだ。
だから、溜まりに溜まった美月へのヘイトをノームが上回ることは容易にはできない。
「くっ……」
そのことは華凛も理解している。でも、他に打開策は思いつかない。歯噛みしながらもなんとかミノタウロスの標的をノームへと変えるために只管スキルを使い続ける。
その間にもミノタウロスは美月に向けた両手斧を振り下ろす。小回りの利かない大ぶりの武器だが、ミノタウロスが持つ両手斧は巨大な分、回避行動を取らないといけない距離も大きい。
それに加えて、力任せに振られる両手斧は速度も速い。救いなのは動きが雑で単調なこと。美月はミノタウロスの動きを予測してなんとか回避行動を続けることができていた。
「彩音! このまま倒しきるわよ!」
<レンジャーソウル>
<イーグルショット>
翼が声を荒げた。全身が灼熱の鉄のように真っ赤に染まったミノタウロスが美月を狙って攻撃を続けている。盾役のノームがその役割を期待できない以上は、美月が攻撃を食らう前に何としてでもミノタウロスを倒してしまわないといけない。
レンジャーソウルの効果によって、スナイパーは射撃速度とスキルの再使用時間が短縮される。翼は手数で押し切る作戦に出た。
「わ、分かった!」
<ウィザードソウル>
彩音がすぐさま反応を示し、内に眠る魔法使いの魂を呼び起こす。ウィザードソウルは魔法の詠唱速度を向上させるスキルだ。
<ダイヤモンドダスト>
彩音は続けざまに水属性のスキルを発動させると、ミノタウロスの周囲をキラキラと光る無数の小さな光が囲んだ。
それは一つ一つは小さな氷なのだが、一瞬のうちにミノタウロスの巨体が見えなくなるほど集まり、激しく渦巻きだした。
「ブォーーッ!」
真っ赤に変色したミノタウロスを冷却できるかと発動させた彩音のダイヤモンドダストだが、ミノタウロスの動きは止まらない。執拗なまでに美月を狙って攻撃を繰り返している。
「彩音、手を止めないで!」
矢を射り続ける翼が叫んだ。このまま攻撃を続ければ、美月のヘイトを上回って、ミノタウロスの標的が自分に変わるかもしれない。そんなことは百も承知で翼は攻撃を続けていた。
「分かってる!」
翼に言われるまでもなく、彩音は手を緩めるつもりはなかった。当然、攻撃力の高いソーサラーが攻撃を続けていれば、翼よりも彩音の方が標的になる可能性は高い。しかも、防御力で言えば、ソーサラーはサマナーと並んでワースト1位だ。
だが、そんなことを言っていられる状況ではない。今も美月はミノタウロスの猛攻に晒され続けている。
「ノーム、お願い! 早く……!」
華凛も必死でミノタウロスの標的をノームに変えようとスキルを発動させ続ける。だが、一度ノームは消滅しているため、溜まっていたヘイトはその時点でリセットされてしまっている。どうしても、ヘイトを稼ぎなおすだけの時間は必要だった。
(絶対に逃げ切らないと……絶対に……逃げ切らないと……)
一撃でも受けると死に繋がるという恐怖が美月を精神的にも肉体的にも追い詰めていた。顔色は青白く、流れる汗はそのままに、呼吸は荒く、肩で息をしている。
(でも、真は……真はいつもこんな攻撃の前に立ってた!)
美月の脳裏によぎったのは綺麗な顔のベルセルク。何か不満なことがあると、すぐに髪をかき上げて嘆息する癖のある男だ。
いつも前に立って敵の攻撃に晒され続けてくれた。どんな相手でも怯むことなく立ち向かう雄姿をそばで見てきた。
だから、美月は目の前のミノタウロスから目を離さない。恐怖は容赦なく押し寄せて来るが、飲み込まれずに踏みとどまれるのは真を見てきたから。
ミノタウロスは睨みつけてくる少女を睥睨しながら両手斧を高々と振り上げた。ミノタウロスの腕は筋肉が隆起し、体の色はさらに赤く染まる。
「ヴォオーーッ!」
ミノタウロスは大きく叫ぶと同時に両手斧を思いっきり振り下ろした。動作からするにノームを屠ったあの攻撃だ。
ガツンッ!! ミノタウロスの両手斧が床を激しく叩きつけた。高速で振り下ろされた斧だが、美月はミノタウロスの予備動作を見ることで回避した。
「美月! もう少し堪えて!」
翼が檄を飛ばした。美月は反応をしていないが、聞こえてはいるだろう。美月の疲労は翼の目から見ても明らかだった。これ以上戦闘を長引かせれば事故が起こりかねない。
それは彩音も華凛も理解していた。今できる最大限の攻撃を加え続ける。
そして、翼の連続攻撃スキルがミノタウロスに突き刺さった時だった。
「グゥォオオオオオオオーーーーーンッ!!!」
ミノタウロスは身を縮めて苦しみだした。もがく様に体を振りながら、苦悶の声を上げている。
「や、やったの……!?」
様子が変わったミノタウロスに対して、翼が手を止めた。それに釣られるようにして、彩音と華凛が手を止めてミノタウロスの様子に注視する。
疲労困憊の美月もようやく人心地ついたとばかりに、緊張を緩めた。
「ブオオオオオオオオーーーーー!!!」
その直後。ミノタウロスは解き放たれたような絶叫を上げた。縮こまっていた体を大きく開き、手にした両手斧を徐に振りかぶる。
「……ッ!?」
美月が油断していたところにミノタウロスが両手斧を振り下ろしてきた。そのせいで、一瞬だけ美月の反応が遅れる。
「ァッ……!?」
翼もろくに声を上げられなかった。緊張が切れたところに、不意打ちの攻撃。それが美月に襲い掛かってきた。分かるのはそれだけ。現状を理解するだけで精一杯の状態だった。
ガンッ! ミノタウロスの両手斧は床を叩いた。
間一髪、美月はミノタウロスの攻撃を回避することに成功していた。それはギリギリのところだった。至近距離で巨大な斧が床を叩く音を聞いて、美月は耳に痛みを覚えるほどだった。
だが、そんなことを気にしている暇はない。ミノタウロスは次の攻撃のために、また巨大な両手斧を振り上げ――ずに、床に叩きつけた両手斧を予備動作なしに横に払った。そして、その刃は美月の腹部に深々と突き刺さる。
「えっ……!?」
美月は頭の中が真っ白になった。その時だけ時間が止まったかのように、ただ漠然と現実を見る。大きな斧の刃が自身の腹を抉るように直撃している。
同時に、ミノタウロスが振るった両手斧は、美月を易々と吹き飛ばした。
「美月ーッ!?」
まるでおもちゃのように大きく飛ばされた美月を見て、翼が絶叫する。どれほどの力が加われば、人間の体をあそこまで吹き飛ばすことができるのだろうか。想像もつかないことに頭が混乱しながらも、すぐに美月のところに駆けよった。
「美月ッ!」
翼が倒れる美月の名前を叫ぶ。
「うっ……つ、翼……に……にげ……」
腹部を抑えながら、何とか美月は立ち上がった。だが、痛みで上手く声が出せない。ゲーム化された世界では、たとえ鋭利な刃物で斬られても、手足が切断されるようなことはない。それは、ミノタウロスの巨大な斧であっても同じだ。ただ、受けたダメージに応じて痛みがある。
「にげ……? ッ!?」
意識が美月の無事を確認することだけに向いていたせいもあって、翼は一瞬だけ美月が何を言っているのか分からなかった。しかし、すぐさま後ろを振り返った。それは考えるまでもない。当然のごとくミノタウロスが止めを刺すべく迫ってきていた。
「ブボォー!」
ミノタウロスは大きく横に両手斧を振りかぶった。
その時、翼は真が話ていたことを思い出した。巨大なモンスターの攻撃で一番よけにくいのが横薙ぎの攻撃だと。直線的な縦の攻撃は横にずれるだけで避けられるが、巨大なモンスターの横薙ぎの攻撃は、その攻撃範囲が広く、大きく後退しないと避けきれないから面倒だという話。
翼は咄嗟に美月を突き飛ばした。
美月が再度床に倒れこんだ次の瞬間、ミノタウロスの両手斧は美月の目の前を通り過ぎた。
「がはッ……!?」
ブンッと空気を切る音とともに聞こえてきたのは翼の声だった。
「――ァッ!?」
美月は碌に声も出せず、ただその瞬間を目の当たりにする。
「翼ちゃんッ!?」
彩音が翼の名前を叫んだ。翼は美月をかばってミノタウロスの攻撃をまともに受けてしまった。それこそ、美月が吹き飛ばされた時よりもさらに大きく吹き飛ばされて。
「翼ーッ!」
美月は慌てて翼の方へと駆け寄った。ありえないくらいに大きく飛ばされた翼はどうなったのか。顔面蒼白になりながらも、必死で翼の方へと駆け寄っていく。
「美月ーッ! そっちはダメーッ!!!」
声を張り上げたのは華凛だった。
美月はなぜ華凛がそんなことを言うのか分からなかった。だが、すぐに理解することとなる。ミノタウロスは美月を狙っている。だから、美月が翼の方へと駆け寄ると、ミノタウロスも一緒に連れて来ることになるのだ。
結果として、吹き飛ばされた翼の方へミノタウロスを誘導してしまうという失態を犯してしまう。
それに気が付いた時には、すでにミノタウロスの射程範囲の中だった。もう間に合わない。回避行動を取れば、ミノタウロスの攻撃は倒れている翼に当たる。回復スキルを使用している暇はない。美月が攻撃を食らえば命はないだろう。
<アースクラッシュ>
華凛は慌ててノームのスキルを発動させた。もう何度目になるか分からないヘイト増加の効果を持ったスキルだ。
「フーッ!」
鼻息を荒くしたミノタウロスが足元にいる小さな精霊を見下ろした。何度やっても一向にノームへ標的を変えなかったミノタウロスだが、しつこく繰り返しアースクラッシュ等のヘイト増加スキルを使っていたことが功を奏した。
「今のうちに早く! 長くはもたない!」
華凛の声が大きく響き渡る。美月の回復スキルが期待できない状態で、本気を出したミノタウロスの攻撃をいつまでも受けていられない。サマナーも一応は精霊を回復するスキルを持っているが、ビショップの回復能力には遠く及ばない。
「はい!」
<ヘルファイア>
彩音が全力でミノタウロスを倒しにかかる。美月は疲労と痛みで回避行動が鈍っている。ここで倒しきらないと次はないだろう。
<アースシェイク>
華凛はこれでもかとばかりにノームにヘイト増加スキルを使わせる。
<オーラレイ>
同時に華凛も無属性の魔法スキルを発動させた。エネルギーが光の束となり、レーザービームのようにミノタウロスへと突き刺さる。
<アローランページ>
苦痛に顔を歪ませながらも翼は何とか立ち上がってスキルを発動させた。現実の人間では不可能な速度で連続の矢を射る。
「翼ぁッ!?」
思わず美月が叫んだ。激痛に油汗が滲んでいるが、翼は根性で立っている。
「美月――いいから、攻撃して!」
痛みに声が詰まりながらも、翼は怒鳴るように美月に攻撃を指示した。今はお互いの無事を喜んでいる場合ではない。目の前の強敵を倒すことが何よりも優先なのだ。
「うん!」
<ヘブンズクロス>
美月がスキルを発動させると、聖なる光が十字架を形どりミノタウロスの体を焼き付けた。ヘブンズクロスはビショップが使える攻撃魔法スキルの中では強力な方なのだが、再度使用できるようになるまでの時間が長いという短所がある。
「ブフォオオオオオオオーーーーーン!!!」
ミノタウロスは苛烈な攻撃を受け、発狂したような声を上げると、我武者羅に両手斧を振り回し始めた。そこには戦いの駆け引きや計算は一切ない。力の限り暴力を振るい続けるだけの暴走だ。
そんなただの暴走でも、受けるノームには耐えられるものではない。ミノタウロスの暴走が始まると、攻撃を受け止めることができなくなり、消滅してしまった。
「ノームがッ!?」
ようやく態勢を取り直したと思った矢先、呆気なく消滅させられたノームに対して、華凛は自分の力不足に歯噛みする。
そして、ノームが消滅したことによって、ミノタウロスの次の標的は美月――ではなく、彩音に向かった。
彩音の強力な攻撃で、いつの間にか美月のヘイトを彩音が上回っていたのだ。
両手斧を振り回しながら突進してくるミノタウロス。
それに対して彩音は……攻撃魔法スキルの詠唱をしていた。
「彩音、何やってんの! 逃げて!」
逃げようとしない彩音に対して翼が慌てて声を上げた。こういう時は絶対に彩音は逃げることを優先すると思っていた。それなのに、彩音は攻撃を優先させている。
<ダイヤモンドダスト>
ミノタウロスとの距離、あと数メートルといったところ。彩音のダイヤモンドダストが発動した。無数の氷の粒がミノタウロスの巨体を包みこんで激しく渦を巻く。
「ヴォォ…………」
氷結の抱擁に囚われたミノタウロスはそこで膝を付いた。巨大な両手斧を持っていることもできなくなり、金属が床を叩く音を響かせる。
そして、そのまま前のめりに倒れると、二度と起き上がることはなかった。




