異変 Ⅲ
「悲鳴!?」
外から聞こえてきたのは女性の悲鳴だった。混乱する街の雑音の中でも一際大きく響いてきた悲鳴に、ただ事ではない空気を感じて美月と翼が窓の外に目を向けると――
「うわあああああーーーーーッ!?」
「いやあぁぁぁぁーーーーーッ!?」
「に、逃げろーーーーーーッ!!!」
女性の悲鳴に遅れること数秒。次から次へと叫声が上がってくる。美月と翼はけたたましい声の方向へと視線を移した。今いる部屋は3階。この高さからなら人混みの先まで見える。
「なッ……に、あれ……?」
美月の目線の先にいたのは2.5メートルほどの人の形をしたモノ。巨人というには小さいが、人間サイズに比べるとかなり大きい。
薄汚れた肌色に一糸まとわぬ全裸。何よりも不気味だたのはその顔。髪の毛は一切なく、目も耳も鼻もない。あるのは縦に割れた口だけ。頭のてっぺんから顎にかけて口が付いており、左右に広げては閉じてを繰り返している。
「あれが……魔人……?」
少し遅れて真も窓の外に目をやる。その奇怪な小巨人は真もすぐに見つけることができた。
「魔人!? あれが?」
翼がすぐに訊き返した。確かに人の形をしているので、魔人と言われればそうなのかもしれない。
「いや……分からないけど……このタイミングで出て来たってことはそうなんだと思う……」
真が自信なさげに答える。真のイメージしていた魔人とは違っていた。もっと、知性がありそうな姿を想像していたからだ。少なくとも服を着るなどの文化的なところを持っていると想像していた。
ゆらゆらと歩いている魔人の動きは遅い。何に向かって歩いているのかも分からない。ただ、漫然と歩いているだけのように見えた。それでも、この気持ち悪い姿に、街にいた人々はパニックになる。
無秩序に逃げ回る人の群れはぶつかり合い、何人かが倒れ、後続の人からも踏みつけられるなど混乱の様相はさらに増していく。
「キシャイエエエェェェェーッ!」
突然、魔人が金切り声を上げると、緩慢だった動きとは裏腹に、解放されたバネのような動きで倒れて逃げ遅れた一人の男性に飛びかかった。
「う、うわああああーーーッ!?」
飛びつかれた男性の絶叫がこだまする。魔人は大きな口を左右に開いて男性に噛みつく。何列にも並んだ鋭い牙が男性を頭から貪る。
「ひッ――ッ!?」
その悍ましい光景に美月と翼が声にならない悲鳴を上げた。それは街の人達も同じだった。パニックは一層酷くなり、混乱は一瞬で伝播していった。
「クソッ!」
それを見た真は歯噛みしながらも、部屋の外へと駆け出していった。
「ま、真君ッ!?」
華凛が呼び止めるのも無視して真は宿の階段を駆け下りて行く。もっと早く行動すべきだった。悠長に情報収集をしている場合ではなかった。魔人の姿を見た時に分かっていたはずだ。これが人を襲う者だということを。
バンッと勢いよく宿の扉を開け放つ。すぐさま逃げ惑う人の波が目に入ってきた。もみくちゃになりながらも必死の形相で逃げていく人々の波。
その波に逆らうようにして真が走り出した。真がいた宿が魔人から近かったこともあり、大半がその場を離れているが、逃げ遅れた何人もの人にぶつかりながら、倒れないように懸命に前に進む。
そして、その人の波が消えると数メートル先に魔人が立っていた。猫背気味に長い手をだらんと下げ、ゆらゆらと緩慢な動きで真の方へと向かってくる。
「来いよ……相手になってやる!」
真は大剣を構えると静かに呼吸を整えた。魔人はゆっくりと真へと近づいてくる。魔人のターゲットは完全に真へと向いていた。
すると、突然、魔人は爆ぜたように真へと飛びかかってきた。ゆっくりとした動きから急激な加速。不意を突くには有効的な動きだが――
<スラッシュ>
真は退くことなく、踏み込みからの斬撃を放つ。大剣を振り切る動きに合わせて頭も下に下げる。
ガシンッ! 一瞬前まで真の頭があった場所を魔人の顔が通った。牙同士がぶつかり合う嫌な音が真の耳に入ってくる。
<フラッシュブレード>
真は手を緩めることなく二撃目を放つ。真横に一閃。閃光のような斬撃が魔人を切り裂く。
「ケェェェェェーーーッ!!!」
魔人は怪鳥のような声を上げると、長い腕を大きく振り上げた。
<ヘルブレイバー>
魔人の動きに対して真は身体ごと大剣を振り上げて飛び上がる。長い腕の攻撃に対して距離を取るより、内側に入ってしまった方が良い。長い腕が邪魔をして、有効な攻撃にならないからだ。
真の攻撃はそこで止まった。魔人は真の攻撃を受けて、そのまま後ろに倒れていく。そして、ほどなくすると魔人の身体は跡形もなく消滅した。
「「真ー!」」
「真君!」
「真さん!」
後ろから美月達の呼ぶ声が聞こえてきた。真が振り返ると、美月達は傍まで来ており、不安そうな顔を真に向けていた。
「こっちは大丈夫だ。そんなに強くはなかった――」
「違うの! 違うことないけど、とにかく真、こっちにも魔人が!」
美月が叫ぶようにして言う。真は、自分のことを心配して駆け寄ってきたのだと思っていたのだが、どうやら少し違うようだ。当然、美月は真のことを心配しているが、今はそれどころではなかった。
「くっ……。分かった! すぐ行く!」
美月が指さす方向へ真が目をやる。そこには真が倒した魔人から逃げた人と、反対側に現れた魔人から逃げようとする人の波がぶつかり、まるで濁流同士が衝突しているかのような激しい人のうねりがあった。
「くっそ……。どうするんだよこれ!?」
今いる場所は王都の中心に近い場所で、人通りも多い通り。NPCも大勢いる。決して狭くはない道幅だが、逃げ惑う人が団子状態になって道を封鎖してしまっている。
飛び交う怒号や悲鳴。絶叫や断末魔。それらの声が混沌とした状況をさらに加速させていき、収拾がつかない状態になっていた。
「は、早く、何とかしないと……」
美月から焦りの声が漏れてくる。真が倒した魔人とは違う魔人が出現したことは宿の窓から発見した。すぐさま真を連れて行こうとしたが、この状態を治めることは美月にはできない。
「とにかく行ってみる」
真が小さくそう言うと、美月も小さく頷いた。今できることはそれしかない。
「す、すみません! 通して――」
真が激しい人の渦の中に入って行こうとするが
「邪魔だ! どけーッ!」
「いやあああーー! 助けてぇぇぇーーー!」
「どけって言ってるだろうがコラー!!」
理性を失った人の群れに呆気なく弾き返されてしまう。最早まともな判断を期待できる状態ではない。恐怖で冷静さの欠片も見当たらない。
「……ここは無理だ……迂回しよう」
「で、でもそれじゃあ……」
真の提案に美月が何か言いたげにしている。真も美月が言いたいことは分かっていた。ここは王都の中心に近い場所。大きな通りであると同時に裏道が少ない。隙間なく宿や商店が並んでいる。迂回するとなるとかなりの時間をロスしていしまうのだ。そうなると、犠牲者の数も増えていく。
「それが一番早い」
それでも、この人の塊を越えるよりは早いだろう。その間にどれだけの人が魔人の餌食になるのかは分からないが、現状でできる最善は迂回することしか思いつかない。
「迷ってる暇はないでしょ! 行くわよ!」
促してきたのは翼だった。迷っている時間が一番のロスになる。翼も真の言う迂回案が結果として一番犠牲が少なくなると判断した。
「うん……分かった……」
美月もそれを受け入れざるを得ない。犠牲が出ることは避けたいが、避けられないのであれば最小限の犠牲で済む方法を選ぶほかない。
そう決まれば、一刻も早く動かないといけない。真を先頭にして『フォーチュンキャット』のメンバーは急いで迂回ルートを走り出す。
長い通りを走ること数分。ようやく、曲がり角に差し掛かったところで、さっきと同じ光景を目にすることになる。
「そんな……」
彩音の口から絶望にも似た声が漏れた。通りを曲がったところで目に入ってきたのは、NPCも入り混じっての人の渦。混乱と怒鳴り声と悲痛の叫びが掻き乱れる人の塊。
「こっちにも魔人が出てきたのか!?」
その原因は一つしか考えられなかった。非常に簡単な答え。迂回ルートにも魔人が出現している。おそらく別の道にも魔人が出現しているのだろう。そして、それら魔人から逃げようと、理性を失った人々が衝突して壁となる。
「仕方ない! 別の道だ!」
「待って、ここの魔人もなんとかしないと!」
すぐさま真が別の道を模索するが、そこに美月が反論してきた。目的は現れた魔人を倒すことだ。そこに優先順位はない。行こうとしていた場所以外にも魔人が出現しているのなら、それも倒さないと犠牲が出る。
「分かってるよ! でも、どうするんだよ? 魔人に近づけないと戦えないだろ!」
「どうするって……。道を開けてもらうしかないじゃない!」
「パニックを起こしてる群衆をどうやって纏めるんだよ? それに異界の扉を閉じることの方が優先だろ! ここの魔人を相手にしてる暇はねえよ!」
「真はこの人たちを見捨てるって言うのッ!?」
「時間制限があるんだ! 異界の扉が完全に開いてもいいのかよ?」
真の口調には苛立ちが混ざっていた。美月に当たるつもりなど毛頭なかったのだが、思い通りにいかない展開に気持ちが焦ってしまう。
「そ、それは……」
美月も答えを持っているわけではない。真の言う通り、異界の扉が完全に開くまでの時間は36時間しかない。異界の扉が完全に開いてしまった後のことは分からないが、破滅以外に想像できるものはない。
「悪い……、そんなつもりは……」
申し訳なさそうに顔を伏せる美月を見て、真も少しだけ冷静になった。ここで、美月を責めても何も解決にならない。
「私も、ごめん……」
「二人とも行くわよ! 兎に角、倒せる奴から倒すしかないでしょ! 異界の扉もどこにあるか分からないんじゃ動くしかないでしょ!」
真と美月が互いに謝るのも束の間、翼が声を張り上げた。
「ああ、そうだな……」
翼の言うことは正論だった。真もそれ以外に方法は見当たらない。だが、どこに行けばいいのか皆目見当もつかない。結局闇雲に動き回るしかない。そう思った矢先。
「皆さん落ち着いてください! 我々は『ライオンハート』です! 我々が安全な場所へ案内します! 我々の指示に従ってください!」
よく通る成年の声が響いた。
真が振り向くと、そこには6人の男女がいた。誰もが一般には出回っていない装備を身に着けている。おそらく支配地域を持っている恩恵で手に入れた装備なのだろう。その6人の男女のリーダーと思わしき人物がさらに声を上げた。
「皆さん落ち着いて我々『ライオンハート』の指示に従ってください! 現在、『ライオンハート』の精鋭部隊が魔人の討伐に動いています!」
グループのリーダーらしき男はしきりに『ライオンハート』の名前を叫んだ。『ライオンハート』の名前は既にゴ・ダ砂漠出身者の間だけでなく、エル・アーシアとコル・シアン森林の出身者にも、ミッション攻略の中心ギルドとして広く知れ渡っている。
最強最大のギルド『ライオンハート』。その名前はパニック状態の群衆の動きを一旦止めるだけの力があった。




