迷宮 Ⅱ
1
「どうやら強制的にワープさせられたみたいだね……」
暗転した後に見えた風景がさっきのものと全然違うことにも悟は冷静だった。静かに周りの風景を観察している。
「浮いてるのはウィル・オ・ウィスプか……?」
真が下水道内に浮いている発光体を見る。白い光を放つ球体がいくつかあるのが確認できた。無機質なコンクリートを白く照らし、視界を確保することができている。
「そうみたいだね……。ここは現実世界の下水道で間違いなさそうだし、光がないことへの処置としてウィル・オ・ウィスプが配置されていると考えていいかもね」
悟も浮いている白い発光体を観察している。どうやらこちらに危害を加えるようなことはしてこないようだ。
「おい、悟。その、なんだ? ウィルなんたらってのは」
姫子はこういったものに関する知識はない。ただ、漠然とゲームに関することなのだろうなということくらいしか分からない。
「ウィル・オ・ウィスプというのはですね、各地にある鬼火の伝承の一つですよ。呼び名はその地域によって様々ですが、暗い夜に出現して、人を迷わせるといいます」
「おい、それだったらまずいんじゃないのか? これはあたしらを迷わすためにあるんだろ?」
「まぁ、それは地域によって伝承が違うでなんとも言えないですね。ウィル・オ・ウィスプは成仏できずに彷徨ってる魂だとか、妖精が変身した姿だとか色々ありますしね。それに、ウィル・オ・ウィスプがいないと下水道は真っ暗で見えないので、それこそ迷うどころじゃないですよ」
ウィル・オ・ウィスプが配置されているとはいえ、先の方まで見通せるほど強い光源ではない。悟も目を細めて遠くの方を見るが、すぐに限界に達する。電気の供給が止まっている現実世界では、光源の確保が非常に難しい。
「このウィル・オ・ウィスプっていうのは必要だからいるんでしょ? だったらいいじゃない。それよりもっと大事なことがあるでしょ!」
咲良の鼻につくような声が下水道に響いた。一番声が高いので否応なく注目を集めてしまう。
「大事なこと?」
聞き返したのは翼だった。ウィル・オ・ウィスプが人を迷わすものなのかどうかはミッションを遂行するにあたって重要なことでないのか。
「咲良の言う通りなんだよね……。みんな大事なことを見落としてるよ……」
椿姫もウィル・オ・ウィスプがどういうものなのかというのはそれほど気にしてはいなかった。白く光る球体がいくつも浮いているだけだ。
「いや、でもウィル・オ・ウィスプが誘導するように配置されてたら、間違ったところに迷い込まされて戻って――あ……!?」
真はウィル・オ・ウィスプを軽視すべきではないと反論していたのだが、そこで気が付いたことがあった。確かに咲良や椿姫が言うように、ウィル・オ・ウィスプがどうこう言っている場合ではない。
「蒼井君も気が付いたみたいだね……。そうなんだよ……、ここからどうやったら入口に戻れるの?」
椿姫が難しい表情を見せている。ワープで飛ばされてきたのだから、今まで通った道を引き返すとうこともできない。見える範囲は下水道だけ。上に続く階段もなければ、梯子も見当たらない。椿姫の疑問に応えられる者はここにいない。
「迷わされるどころか、もうすでに迷ってるのよ私達は」
咲良が数瞬の沈黙を破った。年齢は一番下なのだが、冷静に現状を分析することができている。今までに『ライオンハート』で経験してきたことは伊達ではないということだ。
「進むしかないだろ……。ここは9人っていう人数制限が付いてる。ここで待っていても誰も助けには来れない」
すぐに答えたのは姫子だった。今、この場から戻ることができるルートはない。助けも来ない。だったら進むしかない。シンプルな答えだが、他に考えられることはない。
「そう……ですね……」
不安混じりだが、美月も意を決したように同意する。以前にもウル・スラン神殿という場所でワープさせられた経験がある。あの時は時間制限があり、残り時間も僅かしかなかったため、戻るという選択肢は最初からなかった。それに、ウル・スラン神殿はそれほど広くなく、見える範囲に何かしらの手がかりがあった。だが、このイルミナの迷宮はどれだけの広さがあるのかも分からないし、見える範囲には何も手がかりはない。
「あたしが先頭を行く。蒼井、お前も来い。悟、お前は後ろを守れ」
「分かった」
「了解しました」
姫子の指示に真と悟が素直に従う。他の配列はアサシンの咲良が前の方に来るのと、魔法職である彩音と華凛は後方に下がる。真ん中にはビショップの美月とスナイパーの翼なのだが、エンハンサーである椿姫は咲良と同様に前の方に位置取った。
2
イルミナの迷宮の入り口からワープで飛ばされたのは現実世界の下水道で、その作業用の通路の真ん中である。右を見ても左を見てもどちらにもウィル・オ・ウィスプが浮いており、順路は分からない。
結局、勘で進む以外になく、迷宮の探索は文字通り迷った状態でスタートすることになった。
「ねえ、この下水道に出てくるモンスターってさ、やっぱドブネズミとかかな?」
隊列の中央にいる翼が疑問を漏らす。歩き始めてまだ数分しか経っていないが、出現するモンスターには当然のことながら警戒をしないといけない。
「ええーッ!? ちょっと嫌よドブネズミなんて! 汚いじゃない!」
あからさまに嫌そうな顔をしたのは後ろを歩いてる華凛だった。世界がゲーム化されてから、色々なモンスターと対峙してきたが、嫌なものは嫌だ。
「うぅ……私もドブネズミはちょっと……」
彩音は地下というものにあまりいい思い出がない。真と出会ったきっかけも地下鉄で巨大ムカデに追いかけられていたところを助けてもらったのだ。あの時は本当に死ぬかと思った。
「モンスターだから、当然巨大ドブネズミってことになるよね。あ、それと、こういう所ってさ、ゴキブリも大量にいるんだよ」
女子の会話を聞いていた悟が何故か嬉しそうに言っている。
「ゴ、ゴキ……ッ!?」
ゴキブリという単語を聞いて彩音の顔が引きつる。ドブネズミも嫌だが、ゴキブリも嫌だ。そして、頭の良い彩音は想像してしまった。モンスターとして出てくる巨大なゴキブリを。
「ちょ、ちょっとー! そんなこと言わないでしょねッ! あなたMなんでしょ!? 言われる方が良いじゃないの!?」
言わなくてもいいことを言われて、華凛は苛立ちを抑えきれていない。相手は10歳くらい年上の大人なのだが、お構いなしだ。
「僕は女性に嫌がられるのが好きなんだよ」
悟はにっこりと答える。今の華凛の言い方などは悟にとっては快感でしかない。こういう反応をされることが嬉しいのだ。
「うわ……こいつ、まじで気持ち悪い……」
ゴキブリを見るような目で華凛が悟を見る。だが、そういう反応こそが悟の求めていること。それは華凛も分かっているのだが、反射的に悪態を付いてしまう。
「ゴキブリとかネズミだったら倒せばいいじゃない。そういうのって大して強くはないでしょ」
元々ゴキブリであろが、ゲジゲジであろうが平気で対処してしまう翼には特に問題ではなかった。単に弱い部類に入る敵でしかない。
「翼ちゃんのそういうところは、たまに羨ましいと思うよ……」
物怖じしない翼はこういう時でも力を発揮することができる。彩音にはそういうところは真似ができない。それでも、昔に比べれば相手に怯むようなことも少なくなってきている。それは翼の影響が強いのだろうかとふと思った。
「椎名さんは逞しい――ん?」
悟が話の途中で急に辺りを見渡し始めた。ニヤケていた顔つきも消えて真顔になっている。
「ちょっと!? そういうの止めてよね!」
華凛が怒って悟に文句を言う。女性に罵られて悦ぶかどうかなど、どうでもいい。嫌がることをしつこくされることに対して純粋に腹が立った。だが、
「橘さん静かに――姫ー! 止まってください!」
悟の表情は真剣そのものだ。冗談で女子が怖がることを言っているようにも見えない。ウィル・オ・ウィスプが照らす範囲を超えて、その奥を凝視している。
「どうした悟?」
警戒の色が強い悟の声に姫子が武器を構えた。それに続いて真も大剣を構えると、他のメンバーも一斉に武器を構えて辺りを見渡した。
「何……?」
一瞬で広まった緊張に対して、華凛の声が漏れた。
「しっ! 静かに!」
悟が口元に人差し指を付ける。そして、聞き耳を立てて注意深く気配を探った。カサカサという音が近づいてきている。
「上よーッ!」
叫んだのは翼だった。その声にみんが一斉に反応して、翼の指さす方へと視線を向けた時だった。
ガサガサガサガサガサガサガサガサッ!!!
ウィル・オ・ウィスプの白い光に当てられて出てきたのは黄枯茶色の巨大な蜘蛛。広げた足は2メートルほどはあるだろうか。長い8本の足で下水道の天井にへばりついている。
「1、2、3、4、5……くそッ! 数が多い! 囲まれてるぞ!」
最初の一匹が現れた後からも次々と巨大蜘蛛がやってきた。その数を数えながら真が毒づく。巨大蜘蛛は前からも後ろからもやってきている。その数は今見えるだけでも40~50匹。後続はもっといるだろう。すでに天井は巨大蜘蛛に覆いつくされているほどだ。




