書籍三巻 販促SS♯3
周辺の環境を理解すれば、注意すべきものも明確になる。
千早は地面のひっかき傷や穴に注意しつつ、落雷を警戒してワイヤーを張る。
「足跡、ないね……」
地面のひっかき傷は見かけるが、生物の足跡らしきものが見当たらない。それもそのはず、地面に繁殖している分厚い苔の層が足跡を残さないのだ。
重量があるアクタノイドの足跡でさえ苔の層が受け止めてうっすらと形がわかる程度。天然のカーペットのようなこの苔は足音さえも消してしまう。
獰猛な野生動物がいたとしても、悪天候による視界不良と足音さえ聞こえないこの環境では早期発見は絶望的だ。
前任者たちが倒されたのも納得である。
千早はサブモニターに表示した地図作製アプリの進捗状況を見る。視界不良のせいでメインやサブのカメラ映像が不鮮明となりアプリがうまく作動していない。処理能力の低いオールラウンダーを基にした機体なのも影響している。
地図作製範囲として指定されているのは半径二キロメートル。この手の依頼にしてはかなり狭い範囲だが、アプリも満足に使えないため何時間かかるのかわからない。
機体を進めていると、落雷が直撃した木が燃えているのが目に入った。雷雨の影響か木の表面ではなく内部が燃えており、近付かないと気付けない。
「……延焼してない、理由は、これ?」
森林火災とは無縁の環境らしい。つくづくおかしな地域だ。新界にはまだこんな未知の場所があったのかともはや感心してしまう。
だんだんと環境にも慣れてきて地図作製が四分の一ほど進んだ頃、千早は機体の足を止めた。
地面に無数のひっかき傷を見つけたのだ。
「か、帰ろう……」
野生動物によるものと思われる地面のひっかき傷はぱっと見ただけでも深さが異なっている。おそらくは群れがここにいたのだ。掘り返された苔の断面は綺麗な層になっており、このひっかき傷がつい最近つけられたものだと語っている。
前任者たちがなすすべなく撃破されただろう野生動物の群れが近くにいる。
千早は脱兎のごとく機体を反転させ、一気に走らせた。苔のおかげで足音は消される。今まで通ってきた道にはワイヤーを張っているため、帰路に野生動物が待ち構えている可能性は低い。
ワイヤーで作られた道を一気に走り抜けようとしたとき、近くに雷が落ちた。
落雷自体は珍しくない。だが、落ちた場所を反射的に見た千早はぞっとした。
見たことのない生物が落雷を受け止めていたのだ。
丸太のような四肢を地面に突っ張り、頭部を低く下げた三メートルを超える体長のイタチ型の生物。何より特徴的なのは長い尻尾とその先端についた三日月型の黒い器官だ。
地面に突き立てるように構えられたその三日月型の器官は炭でも塗ったように黒い。引きずって移動しているのか地面には見覚えのあるひっかき傷ができている。地面との設置点にある苔が煙を上げていた。
三日月型の器官を避雷針代わりにして落雷を地面に受け流したらしい。
「――いたー!?」
道の上にはいなくともワイヤーで阻まれた新界生物との鉢合わせは想定していた千早は雷のような速さで手榴弾を投げていた。考えうる最速の投球だった。
しかし、普段以上にラグがある今回は雷速の手榴弾投げでも事態の変化に間に合わない。三日月型のイタチは余裕をもって千早の機体を観察し、投げつけられた手榴弾を尻尾で打ち返した。
「ぇっ……?」
自身が上げた間抜けな声で危機に気付き、千早の顔から血の気が引いた。
「なんでぇ!?」
感圧式マットレスを踏みつけ、木に張り渡したワイヤーに機体の重量を預け、反動でその場を急速離脱する。それでもラグの影響で動きが遅れ、機体は背中に強烈な爆風を受けて地面を転がった。
「ふっふひっ……ラグ死する……」
ガタガタと嫌な音を立てながら機体が体を起こす。完全に復帰するのを待ちきれず、千早はサブカメラの映像も含めて周囲に目を配った。その行為はさらなる絶望を千早に突きつける。
三日月イタチは一頭だけではなかった。白霞む雨の中、確認できるだけでも七頭いる。それも、手榴弾を打ち返してきたのはまだ若い個体なのか一回り小さかった。
爆発音で注意をひいてしまったらしく群れ全体が千早の機体を見据えている。威嚇なのか臨戦態勢なのか、三日月型の尻尾を地面から離して体の上に掲げている個体もいる。サソリのようなその姿勢を見て千早は察した。
ゲート近くにあった大破機体の中に腕や足に穴が貫通しているモノがあった。あの三日月型尻尾の先端を突き刺されたのだろう。雷を受け止めてもびくともしない頑丈さと強靭そうな尻尾を見ればありえない話ではない。
その上、即座に手榴弾を弾き返す反射神経と爆発の規模を見て接近を躊躇う知能の高さ。それでいて、逃げられないように群れが迅速に包囲網を敷きにかかる連携。
明らかに、千早一人の手にはあまる相手だ。アクタノイドを後三機ほど用意して弾幕を張るのが正道だろう。銃弾が通じるかは未知数だが。
千早は体を起こした機体をすぐさま走らせる。目的地は依頼開始地点であるゲート付近。安全確保のために周辺にワイヤーを張ってあるだけでなく、穴の位置なども地図に起こしてあるため地の利がある。
駆けだした千早の機体に合わせて三日月イタチの群れも走り出す。地面を覆う分厚い苔のせいで足音がないのが逆に恐ろしい。しかも巨体のくせして動きは機敏で、ジャンプした直後に木の幹を蹴るようにしてワイヤーが張られた道に侵入してくる。
「来ないで―!」
画面の向こうに叫びながら、千早は機体を操作して手榴弾を――進行方向の曲がり角へ投げた。
後ろからくる三日月イタチに投げても打ち返される。そもそもラグの影響で爆発前に走り抜けられる可能性が高い。ラグに加えてパケットロスもあるため手榴弾が爆発するまでの時間が千早にも読めない。
こういった事態に対応するための銃器はゲート付近に置いてきてしまっている。
だから、前に投げる。前で爆発させる。
爆炎に向けて機体をジャンプさせ、爆煙の中で地面を転がりながら後方に手榴弾を転がした。
やや遅れて牛の鳴き声のような叫び声が聞こえてきた。何かが地面を転がり落ちる派手な音の後、爆発音とともに肉片が飛び散る。
「ふっひ……」
バックカメラで自分が引き起こした惨状を見て引きつった笑い声をあげながら、千早は機体を走らせる。
爆煙が晴れた後方には白霞む雨の中に巨大な穴が開いていた。
物資に限界があるワイヤーを張る関係上、できる限り直線で道を作りたい千早が曲がり角を作らざるを得なかった理由がその巨大穴だ。
落雷により燃え上がった樹木の名残である深い穴を避けて曲がり角を作ったわけだが、その淵を爆破することで穴を広げ、後方からくる三日月イタチを落とした。そこに手榴弾を投げ込んだのである。
仲間を爆殺された三日月イタチ達が怒りの雄叫びを上げる。モニター横のスピーカーが音割れするほどの大音声に千早は恐怖のあまり身をすくませた。
その隙に、千早の退路を断つようにゲートまでのワイヤー道上に三日月イタチが飛び込み、尻尾を掲げる臨戦態勢を取る。
尻尾を掲げる三日月イタチに対し、千早は完全に腰が引けていた。なんでこんな依頼を受けてしまったんだろうと後悔が尾を引く。
「で、でも、依頼成功させないと……」
戦闘依頼なんてもう二度と受けたくない。自衛隊のご厄介になる経験なんて一回でも十分すぎる。しかも昨今は衛星打ち上げの話が出てもなお戦いをやめないバトルジャンキーが最後の熾烈な戦いを繰り広げていて、巻き込まれるだけでも心臓が持たない。
千早は泣きながら、四方八方から走り込んでくる三日月イタチに対し、上空へ手榴弾を放り投げる。
爆発する危険物であると学習している知能が高い三日月イタチは急停止して千早の操る機体から逃げ出そうとする。自爆に巻き込まれてたまるものか。そんな判断を下せるのだからやはり頭がいい。
だが、手榴弾の仕組みを知らない三日月イタチはピンが抜かれていないことに気付けない。
「たくさん持ってきて、よ、よかった……」
千早は“たくさん持ってきた”手榴弾を三日月イタチの逃げ先へ遠投する。直撃させる必要などない。
事前に地図に記した穴の付近を爆破すれば、学習能力の高い三日月イタチは仲間の爆死を思い出して急停止するのだから。
爆音が響き渡り、地面の苔をめくりあげるほど脚を突っ張って急停止する三日月イタチに千早の機体は高速で迫り、その尻尾をつかむ。
握り潰さんばかりの握力に悲鳴を上げる三日月イタチ。その悲鳴を聞いた仲間が助けようと方向転換して駆けだすが、あまりに遅い。
馬力に任せて三日月状の突起を深く深く地面に突き刺した千早の機体はワイヤーを三日月イタチの尻尾に素早く括り付けた。流麗なその動きは弧黒連峰の畑周辺に害獣除けの柵を作る過程で洗練されたものだ。
ワイヤーを巻かれた三日月イタチは言い知れぬ恐怖を感じたのか、暴れだす。
仲間の悲鳴に駆け付けた三日月イタチ達に見えるように手榴弾を掲げた千早はおもむろにワイヤーの逆端に手榴弾をひっかけた。
空に投げた手榴弾が爆発しなかったのだから、確実に爆発するわけではない。ならば、仲間を助けることもできるかもしれない。そこまで論理的に考えたのかは定かではないが、三日月イタチは仲間を助けようと走るものと逃げ出すものとに分かれた。
だが、千早の動きの方がはるかに早い。
ラグがある以上、三日月イタチの行動を見てから行動しては間に合わない。だから推測し、事前に動き出す。
千早の機体の足元に手榴弾が三つ、転がった。
すべてピンが抜かれている。
爆発しないことに賭けて仲間を助けに動く三日月イタチたち。その仲間と合流しようと走り出すワイヤー付き。千早はただ、ワイヤー付きの体を盾に爆発を逃れるだけ。
――形容しがたい惨状が生み出された。
いくら大型動物の体を盾にしたとはいえ千早の機体も無事では済まず、右腕が全損。サイドカメラも破損し、頭部が吹き飛んでいる。
だが、ワイヤー付きも駆け寄った仲間も手榴弾の爆発をもろに受けて即死、または瀕死となっていた。
ワイヤー付きの血や肉を浴びたまま、千早の機体は動き出す。
逃げ出していた三日月イタチが信じられないものを見るように硬直していた。
腕も頭も失って、肉と血を浴びてもなお動き続ける存在は三日月イタチに根源的な恐怖を与えていた。
すっと、千早の機体が手榴弾を手に持った瞬間、三日月イタチたちは恐慌状態に陥り、木に衝突したり足を滑らせて陥没穴に落ちたりしながら必死に逃げ出し始めた。




