書籍三巻 販促SS♯2
「……えぇ……なに、これぇ……」
メインモニターに表示された環境に、千早は思わずつぶやいた。
地図作成の依頼とは書かれていたが、どういうわけだか地球へ通じるゲートと思しきものが野ざらしになっている。この地点をOとして地図を作成するらしい。
ただ、環境が明らかに千早の知る新界と異なっている。
絶え間ない雷轟と霧のように細かく白い雨に視界を閉ざされた暗い森の中。この劣悪な環境に適応させようと無理やりに改造を施したらしい関節の駆動ががたつくアクタノイド。
ラグもいつもの新界より激しく、しかもラグの大きさにも波がある。アクタノイドを一歩進めるだけで画面にノイズが走り、落雷のタイミング次第ではフラッシュを焚かれたように画面が白く染まる。
極限環境といっても差支えがない。こんな場所で地図を作るのだから、破格の報酬も納得だ。
「難しいけど、非戦闘依頼……ふふっ」
千早は静かに笑う。
この依頼はいわば、アクターズクエストのAIが突き付けてきた挑戦状だ。
人が操るアクタノイドとの戦闘ではなく、大自然との戦闘。アクターズクエストAIは千早が大自然相手に戦って目的を達成できるのか証明してみろとこの依頼を突き付けてきたのだ。
つまり、この依頼を成功させればアクターズクエストのAIも千早に非戦闘依頼の適性があると認めてくれる。
「ふふひっ……絶対、ぜーったい、地図を作る、もんね……」
意気込みとは裏腹に、千早は慎重にアクタノイドのスペックや武装を確認する。
視野角が広くサブカメラも複数搭載されて複眼のようになっているが、元はオールラウンダーだろう。関節駆動域も広くなっている。しかし、ラグの影響とは別に膝と股関節、腰の駆動がガタガタとぎこちない。上半身を使った重心移動や振り返り、走る、跳ぶといった動作に影響が出るだろう。
メイン武装は静穏性に優れた突撃銃ニンジャ=サン。サブに大口径拳銃『穿岩』という取り合わせ。音を極力殺しつつ中距離の外敵を排除するのが理想だが、近距離の敵に対しては貫通力に優れたピアシング弾を放て、という構成だ。
「えっと、ここに置いておこう」
千早は一切のためらいなくメインとサブの両武装をゲートの横に置いた。
撃っても当たらないから使わない。ある意味で潔いその決断も、腰に備え付けられている手榴弾を手放す結果にはならない。
むしろ、地球へのゲートの横の箱詰めされた手榴弾を追加で手持ち武装に加える。
「な、なんで手榴弾がこんなに? 障害物の排除用、かな?」
素人のアクターでも手軽に扱えるように準備したのだろう。勝手に納得した千早は感圧式マットレスを踏み込んでアクタノイドを進ませた。
それにしても酷い環境だ。通信状況や天候もさることながら、自然環境も酷い。
アクタノイドの足が沈み込むほど厚い苔の層が地面を覆っている。背の高い木々はその幹にスカート状のひだをいくつも付けていて、そのひだの中に共生しているらしい苔や虫がうじゃうじゃいる。
ひだの中を覗き込んで後悔した千早は口直しのように周囲を見回す。
「どこ?」
そもそも依頼地を知らされていない。だが、新界をあちこち見て回ったはずの千早でもこんな植生の場所を知らない。ネット上にも情報がない地域だ。いたるところに生えているスカート状のひだを持つ樹木もおそらく新種だ。
依頼内容には発見物の口外禁止も含まれているのでネットに上げることはできない。先任者がいたとしてもその禁止事項に引っかかってしまい、ネット上に情報がないのだろう。
「新界奥地の、秘密研究地域とか、保護区、みたいな?」
あれこれ想像してみるが答えは出ない。ただ、完全初見の新界生物が襲ってくる可能性に備えて、千早は周囲を隈なく調べていく。
本来の依頼である地図の作成よりも、まずは周囲の環境を知る方が大事だ。
日本へ続くだろうゲートの周囲を調べまわった千早は感圧式マットレスにしゃがみこんで頭を抱えた。
「この依頼、ほんとに、むずかしいよ……」
さすがは豪華な縁取りがされているだけある。劣悪な環境に加え、事前情報は一切なし。貸与されたアクタノイドも動きがぎこちない。
そして、前任者たちと思しきアクタノイドの残骸が七つも転がっていた。少なくとも七回は機体が壊れる事態がゲート周辺で起きているのだ。それも、おそらくは凶暴な野生動物による被害だ。
腕や足に大きな穴が開いた機体が三つ。その他の機体の状態も見る限り、アクタノイド同士の戦闘ではなく貫通力のある攻撃を繰り出す野生動物が付近に潜んでいる。
加えて、周辺の植生と機体の錆具合などを考えると、この付近は相当な長期間、雨が降り続けている。雨季なのか、他の原因があるのかわからないが、生物の生態に影響を与えるほどの雨だ。
落雷を受けて炭化した樹木から炭を剥離させて体に纏う虫があちこちにいる。黒光りするその虫は落雷に紛れて炭同士をぶつける澄んだ金属音を奏でる。落雷を起点にしたこんな生態を持っているのなら、この付近はカタトゥンボ川以上にひどい落雷地域なのだろう。
「あの機体、雷を受けたのかなぁ……」
やけに状態がいい機体が一機転がっていたのを思い出して、千早は身震いする。普通の人でも雷が落ちてしまうこの場所は、不幸体質を自覚する千早にとって死地に等しい。
とにかく落雷に対処しないと地図の作成どころではないと、千早はアクタノイドを操作してワイヤーを張り始めた。
ほとんどの場合、落雷は背の高い樹木に落ちる。アクタノイドが影響を受けてしまうとすれば、非常に湿っている地面を伝って来た電流や金属故に電気を引き込んでしまうからだ。
ならば、金属ワイヤーで木を結んでいくことでアクタノイドではなくワイヤーに電気を受け流す。いわゆるアース線の代わりにできる。
一分間に十回以上落ちているこの地域の雷もこのアース線で受け流せると思いたい。
「よ、よし……地図作ろう」
ここまではいわば事前準備。依頼にある地図作製はここからだ。
ゲートを離れて数分ほどで千早はアクタノイドの足を止めた。
「……獣道?」
分厚い苔に覆われた地面の一部が掘り起こされている。なにか重たく鋭い物を引きずったような浅い亀裂が地面に一直線に走っていた。
次から次に出てくる新情報に千早は混乱していた。それほど長くないアクター生活だが、こんな獣道は見たことがない。明らかに新種の生物だ。
しかも近くには異様に深い穴が地面に空いている。七メートルほどは垂直に陥没しているその穴を慎重にアクタノイドを動かしてのぞき込む。
「巣じゃない、ね……」
蟻地獄のような生物の巣を想像していたが、この穴はどうやら樹木が落雷で焼ききれたことで形成されたもののようだ。その証拠に燃え残った木の根から生えている若木がスパイクのように穴の入り口に向かっている。天然の落とし穴、それもかなり殺意が高い。
千早は新界植物の一種、マキビシ草を思い出した。根果という特殊な果実を持ち、根果を踏んだ生物にスパイクを突き出して重傷を負わせ、その傷が元で死んだ生物を栄養源に育つ凶悪な新界植物だ。
この穴の底に落ちれば、若木の栄養源として活用されるのだろう。機械のアクタノイドであっても、無事では済まない。
こんな天然トラップが他にいくつあるのか。
「あっ、だから、地図が欲しいんだね……」
納得して、千早は穴の位置を地図に書き込み、近くの樹木を支柱代わりにしてワイヤーを張り巡らせることで安全柵を作った。




