第九十五話、邪神乃娘 ~内なるケモノは手を伸ばす~
想像していたよりもだいぶコミカルだった黒幕パンデミック。
思わぬ変化に戸惑いつつも――。
その緩さ故にあたしは気を引き締めていた。
黒猫を背後に纏う神父は何も知らずに、両手を広げる。
軽薄そうな唇が動き出す。
ふわりと揺れた金髪に、黄昏のオレンジ色が反射していた。
「さて、お遊びはこれくらいにしておきましょう。こちらには世界を焦土と化すことのできる兵器があるのはご存じでしょう? 大人しく日本を解放し、わたしを救世主にしてはいただけませんか?」
伸びる指先まで計算された演出。
風に揺れる神父服。
無駄に壮大な声。
それはさながら映画のワンシーン。
これも救世主の異能の一つか。
演説や説法をするときに発動されるスキルのようなもの、視覚的にも英雄っぽく見える能力なのだろう。
ま、当然レベル差があるのであたしには効かないが。
「あなたを、救世主に……ねえ」
「無駄な争いを避けることこそが正義ではないのですか?」
世界を救うために世界にミサイルを向ける。
なんとも矛盾した思想だが、ディカプリオ神父にとってはそれが正しい導きなのだろう。
あたしは言う。
「それじゃあ真面目な交渉をするわよ。確かにこちらとしても、意見は割れていてね。ここであなたを救世主にしてあげてもいい、そういう案が出ているのも事実よ」
神父の糸目がわずかに開かれる。
「ほう? つまりは我が妻になると?」
「違うっての。真面目な話といったでしょう?」
一蹴するあたしに肩を竦めてみせる神父。
彼の戯言には構わず、あたしは話をつづける。
「この状況であなたがもし日本を解放すれば、みんなあなたを本物の救世主として崇めるでしょうね。だって、実際に危機的状況から救ったように見えるんですから。あなたは念願の救世主になれる。ここまでは理解できてるわよね?」
「理解できているか? おかしなことを言いますね。あなたはわたしを狂人の類だと思っているので?」
思っているに決まってるじゃない……。
まあ一応、交渉ターンなのでそんな感情を隠し。
あたしは毅然とした姫の姿で、スゥっと瞳を細めていた。
「心を入れ替えてあなたが本物の救世主になるのなら。いいわよ、さっきも言ったけどあなたを本当の意味で救世主にしてあげる。これは政府も了承済み、というかあっちの人からの提案よ――あなたの性格は破綻しているけれど、その異能だけは本物の救世主の力ですもの――超法規的措置、あなたの過去の罪を不問にして公に迎え入れてもいいそうよ」
異能力を把握している政府としても、魅力ある能力にはみえたのだろう。
これからこのまま世界が歩みを進めれば、異能がもっとありふれた世界になる。
彼の異能は統率にも優れている、その時に必ず役に立つ力であるといえるだろう。
混乱の世を治める力の一つとしては申し分ない筈。
問題は本人のこの性格だが。
ともあれ。
ディカプリオ神父の説得と勧誘。
これは会議の中で提案された政府関係者からの要請なので、一応こちらもその義務を果たしているのだ。
「逆に問いましょう、アカリさん。本物の救世主の定義とは?」
「さあ? あたしに聞かれてもねえ。とりあえず独善で死刑囚を蘇生させて手駒に魔改造しないこと、とかじゃないかしら」
ここで嫌味をひとつまみ。
まあ実際、そういう外道をするなってのはあってるし、いいわよね。
「ただ従う、政府の犬になれと?」
「公僕ってそういうものでしょう?」
むろんあたしはごめんだが。
そもそもだ。
「あなた、結局はどうなりたいのよ」
神父の瞳が揺らぐ。
「え……?」
「救世主になってなにをしたいの? なぜ救世主になろうと思ったの? その答えを聞かせて頂戴」
「わたしに興味があると、そうおっしゃるのですね」
ふふっと微笑する男の空気がわずかに変わっている。
「あなたのような方に興味を持たれることは、悪い気分ではありませんね。けれど――申し訳ない。つまらない話なんですよ。本当につまらない……よくある話に過ぎません。だからそれはよしましょう」
これは――……。
……。
隠されると暴きたくなる、それがネコの本能だった。
あたしはふぅ……と息を吐き、本当の意味で真面目に。
姫たる顔で問いかけていた。
「あら、そう? けれど、ごめんなさいね。あたし、へそ曲がりなの。今少しだけ興味がでてきたわ。あなたが知りたくなったわ。あなたがそうなってしまったきっかけ、神の声に耳を傾け妄信することになった、あなたの物語を聞かせてくれないかしら」
あたしは手を伸ばす。
ああ、知りたい。
あたしは知りたい。
知識欲があたしの内なる魔性を掻き立てる。
キラキラキラと白い雪肌に魔力が灯る。
あたしは話術スキルを発動させていた。
「神父――あなたはどこの誰で、何者なの?」
「わたしは……」
動揺が走っていた。
彼の肩に乗るパンデミックが慌てて洗脳電波を送ろうとするが、あたしが指を鳴らす。
空間が――止まる。
時魔術の領域に強制的に巻き込み、あたしと神父以外の時を止めたのだ。
正確に言うなら極端に遅らせているのだが。
実際は違えど、止まっていると言っても差し支えないだろう。
胸に手を乗せ、神父が言う。
「わたしは……わたしです。どうなりたいか……そう言われましても――わたしはこの狂った世界を正したい、そう願っているだけですので。そこに一切の私欲はありませんよ」
私欲まみれじゃない……っ!?
とツッコミたいが、ここも我慢。
頑張れあたし!
あたしは神父ディカプリオの心の隙間を覗き込む。
魔族としてのあたしが、うずうずと魔力を蠢かしていた。
これも戦いの一種――精神世界を掌握するバトルといえるだろう。
遅延時間の影響から逃れたパンデミックがモフ毛を膨らませ、ぶにゃ!
タバコを顕現させ、海に潜む天使の遅延状態を解除。
こちらに向かわせタバコの火を輝かせるが――。
再度あたしは指を鳴らしていた。
「あなたの相手は後でしてあげるわ。少し黙っていて――」
干渉を受けた天使とパンデミックが重力波に沈む。
相手はギャグ属性の持ち主。
けれど、あたしの知識欲の前では関係ない。単純な話だった――あたしの欲望の方が、強いのだ。
次第に、あたしのタガが外れてくる。
あたしは知りたい。
知りたい。
もっともっと、知りたい!
魔の姫たるあたしの瞳が、更に赤く染まっていく。
父やパンデミックが憎悪の感情を暴走させ魔性と化したように。
あたしもかつて、知りたいと思う探求心を暴走させていた。
それも今は落ち着いているが、それはきっとゲームや漫画、アニメと出逢ったおかげ。
人間が作り出した、無限の世界がそこにある。
新しいモノを知りたいと願うあたしの欲を叶えてくれる世界が、今も作られ続けているのだ。
だからあたしは人間が好き、人間の描く世界が好き。あたしが大好きと思うモノを生み出す、彼らの物語が好き。
人とは不思議な生き物だ。
アリの如き小さな魔力しかない脆弱な生き物なのに、その心と脳の中には無限の可能性が詰まっている。
人間、一人一人がそれぞれに自分の世界、物語を持っているのだから。
そんな貴重な知識の宝庫。
壊しちゃったら勿体ないじゃない?
だからあたしは、宝の山をひとつでも多く守りたい。
あたしの背後に、赤き魔猫の異界姫の幻影が浮かび上がる。
だからあたしは人の世を終わらせたくない。
それだけで世界を救う理由には十分。
そういう意味で、あたしは我儘なのだ。
人間としてのあたしはちゃんとした倫理観や、同情で行動し、人を殺させはしないだろう。
守りたいと強く願うだろう。
それこそ、英雄譚の勇者のように。
けれど、魔族としてのあたしは違う。
魔姫としてのあたしは違う。
それでも結果は同じ、人を救う事に違いはない。
だからあたしは――知識欲を満たしながらも、世界の流れを良き方向へと修正する道を選択する。
あたしは可能性を探り、ディカプリオ神父の弱点を掴み。
そしてそれを口にしていた。
「単刀直入に言うわ。あなた――神を名乗る存在に、騙されているんじゃないかしら?」
神父の信仰度が、減っていく。
ディカプリオ神父の瞳、その視線が、あたしとあたしの背後の知識欲の魔性に奪われていた。
魔に魅入られた者の顔で、けれどそれでも抗い神父が唇を上下させる。
「騙されているなど、不敬な考えですね。いつでも我が神は、あの方は正しかったのです。今更なにを疑う事があるのでしょうか」
「なら聞くわよ。あの方とやらの考えでは、この状況も想定されていたのかしら?」
そう。
あたしというイレギュラーが発生している時点で、おそらく計画は破綻している。
その心の隙をつくことが一番手っ取り早い。
赤き魔猫が、じっと神父を眺めていた。
お前の物語を聞かせろ。
おまえという存在を、あたしに教えろ。
さあ早く!
早く!
パンデミックが精神支配の解除を直感したのか、憎悪の魔性の力を発動させていた。
ざぁああぁああああぁぁぁぁ!
世界が闇の霧に覆われ始める。
けれど、それもあたしは――指を鳴らしキャンセル。
静寂を強制した中で、神父が言う。
「と、当然でしょう。神が間違うはずがない。あの方は本物の神。わたしを救い導いてくださる、いと尊き方! 神こそが、主こそが――わたしの人生、そのもの! 全てがうまくいく、今までだってそうだったのです。だからこれからも――! そうに決まっているでしょう!」
自分に言い聞かせるような声だった。
もはやそこに飄々とした仮面はない。
それも当然だ、今、神の声はあたしが遮断しているのだから。
神の声を頼りにしていた者。
本物の神と信じる敬虔なる信徒、その彼に、魔性を発揮したあたしの精神汚染が侵食する。
突然、神の声が聞こえなくなったら?
今の彼は隙だらけだ。
「もし違ったら? あなたが告げるいわゆる本物の神ではなくて、ただの詐欺師だったら? 考えたことはなかったの?」
「当たり前でしょう、疑うことなどありません――」
そう、神を疑うことなど大罪だ。
それが彼に自信を取り戻させたのだろう。
だからこそ、あたしはその瞬間を突く。
「あら、かわいそう……。それこそが何よりの証拠じゃない?」
「可哀そうだと!?」
存外に男らしい声が、彼の喉の奥から飛び出ていた。
「ええ、そうよ。人はね、必ず神を信じる前には疑うモノなのよ。どれほどに良い神でも、いいえ神に限った事じゃないわ。どれほどによく見えたとしても、確かめる筈よ。それが信頼できるものなのか、多少はね。危険があるかどうか、本当に信頼に足るものなのか。それが人間の本能――人の心理というものよ。けれどあなたは一度も疑わなかった。それって、どうなのかしら」
ただの詭弁である。
けれど、神の声と光を失った神父には深く突き刺さるだろう。
心に杭を打たれたような、そんな形相で糸目の男は頭を振る。
「違う……っ。そんなはずは……」
「ないって言い切れる?」
思わず伝うはずだった言葉を先に言ってやる。
男は哀れなほどに背を揺らした。
あたしから逃れるように顔を手で覆う男。
その手の甲に、太い血管が浮かびあがる。
全力で顔を押さえているのだ、人皮が伸びるほどに――。
爪の先の白さと同じぐらい、その肌から血の気が引いていく。
心が揺らいでいるのだろう。
あたしはそんな彼の目の前で、歩き出す。
ゆったりと、わざと穏やかな顔で。
言った。
「詐欺にあった人ってね。本当に気付かないんですって。でも、気付いちゃったときにはそうなるらしいわ。今のあなたみたいに」
声に、従い。
更に男の瞳が揺らぐ。
「ちがう……っ」
「本当にいままで一度も疑問を持っていなかったのなら、あなた――完全に洗脳されていただけね」
「ちがう、ちがう……っ、違うに決まっている! 戯言を! 神はそのようなことを――」
途中で言葉をつまらせたのは、思い当たることがあったのだろうか。
それとも思い至ったのだろうか。
そのゆらぎをあたしは確信に変える。
「そう? あるでしょう? そのようなことができる力が。あたしだって話術スキルで対象者に疑問を抱かせぬままに行動を縛れる、あなただって救世主の力で疑問を持たせず民を操る力を持っている。魔術、異能。言葉なんてなんでもいいわ、あなたの神もそういった力を使って……あなたを扇動していただけだとしたら?」
そんなことはありえない。
そう言い切る根拠が彼にはないのだろう。
後ずさる神父の足元に、潮が触れる。
空気が変わっていた。
男はあたしの後ろを見ていた。
ぞっとした顔で、神父が白く変色した唇を蠢かす。
「あなたは……いったい、何者なの、ですか」
「知っているでしょう? 日向アカリ。どこにでもいる、ごく普通の異界の姫よ。ただ少し、あなたの物語に興味を持っただけじゃない。そんなに怯えないで欲しいわね」
ネコが男を見ていた。
じっと。
さあ、おまえの人生をみせろと。
「あ、あなたは正義の味方なのでしょう! なのに、なのにどうしてそんな邪悪な顔をして、わたしを見るのですか……ッ」
「あら、おかしな人ね」
黄昏に沈む海岸。
夜の始まりを背に抱いて、逆光の中であたしの唇が言葉を刻む。
「あたし。そんなこと一度でも口にしたかしら?」
……っ。
と、神の声が途絶えた男は怯み。
喉の奥から、声にならない悲鳴を絞り出していた。
そう。
あたしは別に正義の味方じゃない。
だから私欲がでたら、優先させることもある。
「あたしはただ知りたいだけ。あたしが知らないモノを全て知りたいだけなの。だから、教えて頂戴」
あたしの瞳が、さらに赤く染まる。
扇動する言葉が、男の意識を上書きしていく。
文字通りの洗脳だった。
頭痛を抑えるように、神父が頭に手を触れる。
大きな手、その筋張った指の隙間から動揺に揺れる瞳が見える。
「わたしは……神に選ばれ、神はこんなわたしを選んでくださり。違う、わたしは――……わたしは……」
「ふーん、いいわね。怯えている様だけは嫌いじゃないわ。それじゃあ、あたしがあなたの過去を確かめてあげるわ。神がなにをしていたのか、どうあなたを取り込んだのか」
揺らぐ男の正面に転移し――顎に指を当て。
くいっと持ち上げ。
瞳をネコのモノとしたあたしは、ニヒィっと微笑する。
「さあ、あなたの物語をみせてちょうだい――」
あたしの異能が発動する。
《ジ・エンド。始まるあなたの物語》。
あたしは狂人と化した男の物語へと入り込んだ。




