第八十四話、災厄の顕現 ―二匹の猫はかく語る― 後編
※一部、気分を害する可能性のある表現があります。ご注意ください。
ウィッチクラフトの並ぶ遺跡。
顕現なさった大物、三獣神――白銀の魔狼ホワイトハウルおじ様を前にし。
姫たるあたしは口を開いていた。
「あたし、どうしても知りたいのです!」
繰り返す世界を象徴する本棚を背景に。
あたしは髪を赤く染め上げ、皇族のしぐさで頭を下げたのだ。
「彼、池崎ミツルさんが――現代に発生した憎悪の魔性がなぜ人を恨んでいるのか。あたしは事件にかかわった関係者の一人として、ちゃんと知っておきたいのです。おじ様、お願いです! 教えていただけないでしょうか?」
あたしは知識欲のケモノ。
知りたいと思ったことは、どうしても知っておかないと気が済まない。
それに、これは本当にこれからのためには必要な情報だ。
なのであたしは必殺技を使う。
つぅ……っと、影の中から顕現させたのは月兄の学校にある、森のネコレストランの招待状。
賄賂というやつだ。
おじ様はしばし瞑目し。
ふっと微笑してみせる。
『ふむ。まあよかろう――諦めよ池崎とやら、どうせ我が弟子の口から語られること。結果は同じであろう』
「ありがとう存じますわ、おじ様」
ここは素直に感謝のお姫様スマイルである。
当然、イケザキキャットがモフ毛を膨らませ抗議の叫びをあげるが。
『おいこら、異世界の神! 賄賂に釣られる厳格なる神がいていいのか!』
『グハハハハハ! 告げたであろう、我は善であり悪。正義も悪も、個人により差がある概念、不安定なるモノ――故あらば、時に我は悪にも身を染めよう。それが神という存在だ。覚えておくといい』
招待状をささっと獣毛の中にしまい、おじ様はムフー♪
極上なるハスキースマイルでご満悦。
こういっちゃなんだけど。
お父さんも含んでおじ様たち、あたしに甘いからな~。
さて、戯れもここでおしまい、
ギャグみたいになっているが、憎悪の魔性になるほどの憎悪だ。
きっと、あまり気持ちのいい話ではないだろう。
あたしは瞳を閉じる。
ただの好奇心ではない。あたしは――ちゃんと知り、ちゃんと考え、その上で行動を決めたい。いつまでも誰かに守られ、誰かの思惑で動き、誰かの敷いたレールの上を進んでいたくなどない。
おじ様が語りだす。
『こやつの正体は、数億もの命を奪った呪い。復讐を誓い世界を憎悪した者達から生まれた、真なる災厄。人類を呪いし者の名は――ネコ』
……ん? ネコ?
聞き間違い、だろうか?
いやいやいや、たしかにネコって言ったわよね!?
全然、意味わかんないけど――。
猫って?
猫って、あのっていうか、あたしたちの三分の一と一緒の、猫!?
「じょ、冗談ですわよね。おじ様。だって、ネコが災厄だなんて――」
おじ様が頭を振る。
『姫よ、憎悪の魔性たる世界最強のネコ――ケトスの娘よ。そなたも知っておろう、憎悪を抱いた猫の強さを。その恨みの力を――残念ながら、事実である』
どーしよ、これ。
まじな感じの口調だ。
あたしは息を吐く。
真面目な話として受けいれたのだ。
「お話を、聞かせていただけますか?」
『かつてのあの日々――中世の暗黒時代の話だ。これは魔……いや、あの方が不在の時期に始まった凶行である。姫よ、心して目にせよ。そして人間よ、目を背けず汝らの先祖が行った、呪いの正体を知るがいい』
力が発動される。
過去視の魔術の波動である。
ハウルおじ様が、歴史の資料を顕現させたのだ。
大黒さんが声を漏らす。
「これは……っ」
「禁術に分類されている、過去視の魔術よ――単純に言っちゃえば、時間に刻まれた過去の映像をあたしたちにも見える形で、映し出しているの」
まあ、実際にそれをするのはかなり難しいのだが。
あたし達は映像に意識を移す。
そう、ここには過去があった。
凄惨な光景を。
呪怨と怨嗟に満ちた、憎悪の叫びを――。
リアルな映像として顕現させはじめたのである。
人間の悲鳴と、ネコの叫びがこだましていた。
ネコが邪悪なものだと一部の偉い者達が決め、ネコを迫害する政策が、教会から出された時期があった。
それは正しき神の教えと反する凶行。
けれど、史実だった。
映像の中で、一匹の黒猫が主人から引き離され悲鳴を上げていた。
これが物語の始まりなのだろうか。
◆
そこには一人の女主人と、一匹の偉そうな猫がいた。
愛するネコを処分すると言われ、女は激高していた。
当然だ、女はネコを家族として愛していたのだろう。
けれど、一番偉い人がネコを邪悪なるモノとし、迫害を決めた。
悪魔の化身とし、処分を命じたのである。
それに逆らえる時代ではなかった。
女主人は取り押さえられ――ネコを奪われた。
猫は鳴いた、けたたましく鳴いた。けれど当時のネコはまだ弱かった。ただ可愛いだけの生き物だった。
主人は愛しき猫に細い手を、指を懸命に伸ばすが――役人らしき男に殴り倒され。
そして。
ネコは主人の前で殺された。
絶叫が空を劈いた。
女主人は絶望し、地を掻きむしる。
大地を掻く爪から、血が零れる。
猫の死を嘆き、猫を想う心がその喉から憎悪の声を吐き出させるのだろう。
けれど、神を呪う声を時の権力者は許さなかった。
教会を罵倒した女主人も――殺された。
あっさりと、斬首された。
殺された女の首は飛び、焼かれたネコの前に落ちていた。
ネコの死骸は、殴られ青黒く染まった主人の首を眺めていた。
そういう時代だったのだろう。
死んだ主人はネコと共に魂となった。
愛するネコのために怒りをぶつけ、自らの正義を信じ教会に殺された女主人には、天国への階段が与えられた。
無辜なるネコも天国への階段を与えられた。
けれど――天国へと向かう道を、猫だけは拒絶した。
気丈なる女主人が言う。
――どうして、一緒に行ってくれないんだい?
と。
ネコが言った。
――ワタシはどうしても許せないのです。寒い日にはワタシを温め、お腹が空いたときにはご飯をくれた。心優しいあなたを殺したあの悪魔たちが。どうしても許せないのです。
と。
ただ殺されただけならば、まだ平気だったのだろう。
天国へと上がれたはずだった。
けれど――自分のために主人を殺された。その恨みが、ネコの魂を汚染させていたのだろう。
ネコは言った。
――だからワタシは旅に出ます。愛しき人よ、あなたとは共にいけない。ワタシはワタシのやるべきことを果たしましょう。
魂となったネコは女主人の制止を振り切り、旅立った。
歩き出していた。
ネコはそれから世界を見た。
人の歴史を見た。
憎悪を見た。
人の醜さを見た。
醜さを見た。
醜さを見た。
見た。見た。見た。
見た。見た。見た。
瞳が赤く染まっていく。
殺されていく無辜なるモノ、その憎悪の心を拾い。
吸収し、猫の魂は鯨のように膨れ上がっていく。
ネコが誰もいない空に言った。
――主人よ。きっとあなたは奇特な人だったのでしょう。人とは醜い生き物だと、ワタシは学習しました。
伸ばす肉球の先にも、悲劇が見える。
それは人が人を貶め、裁判にかけ、拷問し、殺す。
悲惨な場面だった。
そして、ネコは魔女と貶められ憎悪のままに死んだ、人間のなれの果てと出逢った。
潰された女がそこにいた。
焼かれた女がそこにいた。
水に沈められた女がそこにいた。
そしてその先には――女たちと共に殺された、無数のネコの山があった。
彼女たちは医療を得意としていた。
それは現代医学にも通じる、医療の先駆けともいえる知識だった。
けれど、異端だった。
教会の教えに反していた。
だから殺された。
魔女と呼ばれた女は言った。
――あなたはだあれ?
ネコは言った。
――ワタシは死だ。憎悪によって生まれ、憎悪によって運ばれる、死そのものだ。
魔女と呼ばれた女たちが言う。
――そう、あたし達ね。魔女なんですって。
――あんなに人を救ったのに。
――教会の教えとは違う救いだったから。魔女なんですって。
憎悪を吸ったネコが無数に増えていく。
肉球を差し伸べ。
ネコ達が言う。
――ならば共に参ろう。
――世界が汝らを魔女というのならば。
――世界の敵、悪というのなら。
――我らと共に本物の悪となろう。
一番大きな猫が、赤い瞳を輝かせ言う。
――我らの憎悪は、必ずや人類を滅するであろう。
それはもはや悪魔のささやきそのものだった。
あの日。
あの時、あの悲劇によって殺されたネコは、既に、本物の悪となり果てていたのだ。
魔女となった女たちは、肉球を掴んでいた。
――そうね。
――なら、一緒に……逝きましょう。
――みんなもきっと、こっちにくるから。
魔女たちが振り返る。
――だって、あたしたち。
――こんなに殺されているんですから。
その後ろには。
死体の山があった。
血。肉。死。血。肉。死。血。肉。死。
血。肉。死。血。肉。死。血。肉。死。
血。肉。死。血。肉。死。血。肉。死。
死があった。
死があった。
死があった。
神に逆らった。
いや、暴走する教会に逆らったとして吊られた肉塊の山が並んでいた。
中世暗黒時代の――汚点。
魔女狩り。
聖人たちが執り行う、狂気なる儀式の中。
無辜なる人間と無辜なる猫は、何度も殺されたのだ。
……。
ネコは憎悪を回収した。
膨れ上がった憎悪を吸収し続けた。
力は無限に存在した。
なぜなら人はそれほどに隣人を魔女とし、その飼い猫を悪魔の使いとし。
殺しを楽しんだのだから。
世界は憎悪で満ちている。
ネコはそう、人から学んだのだった。
◆
映像が――あたし達の脳裏によぎっていた。
さすがにちょっと、気分が悪くなったが……。
あたしは理解していた。
これはかつて実際に起こっていた、悲劇だったのだと。
凄惨な映像に眉を顰め。
大黒さんが、呆然と呟く。
「これって……魔女狩り、なのかしら?」
「で……しょうね。まさか、これほどリアルな映像で見せられるとは……あまり、直視したくない光景ですが……史実の通り、ということでしょう」
ヤナギさんの言葉に、腕の中の池崎さんが静かに瞳を閉じる。
おそらく、あのネコこそが……。
魔女狩りの歴史が、流れ続けている。
ネコと人とが迫害された、終わりのない地獄の日々だった。
あたしはあえてこの光景を語ることはしないが……。
人間の暗黒面といえる歴史が、遺跡の中に広がっていたのだ。
あたしも当然知っている。
悪魔と魔女の使い魔とされたネコが、いわれのない虐殺を受けたことも。
それは否定することのできない、人類史に刻まれた負の部分。
沈黙したままの池崎さんに目をやりつつ。
ハウルおじ様が語りだす。
『これが――教皇グレゴリウス九世から始まったネコ狩り……そして更に人の心の醜さが発展した先にあった魔女狩り。弱き者達への迫害の歴史である』
あたしが言う。
「おじ様……あのネコは、やっぱり」
『……姫の想像の通りであろうな――あれこそが初めに生まれた、力ある憎悪の核。池崎ミツルと呼ばれるようになる男の誕生だ』
弱い者を虐める快楽に耽る人間。
その醜い享楽の宴を冷めた瞳で眺め――。
裁定者たる白銀の魔狼は朗々と続けた。
『この時に、ネコ達は思ったのであろうな。穀物を襲うネズミから人間を守り、聖典を齧るネズミから宗教を守り、そしてなによりも最も美しく愛らしい我らネコがなぜ、このように殺されねばならぬと。自らを焼かれ、主を殺され。憎悪をしたネコが祈ったのだろう。呪ったのだろう。憎悪したのだろう。人間を、世界を。その結果かどうかは分からぬ。なれど、ネコを殺した結果起こった災厄があった――姫は知っておるだろうか』
あたしには分からなかった。
中世時代の当時に魔術はない。
あったとしても、それはごく微力なモノでしかなかったはずだ。
カチャリ……と、大きな手で眼鏡を覆うように上げて。
ヤナギさんが言う。
「ネズミの倍増。それに伴った感染症の異常発生。パンデミックですね――。たしかに西暦千二百年ごろ、教皇の命による猫への迫害があった後……ネコの減少により病原菌を運ぶネズミが増えた時期があった。という説がありますね。天敵を失ったネズミによって齎された病は、億単位の人を殺したそうですが……」
言葉をいったん止めて、記憶をたどるように冷静な彼が言う。
「そして十七世紀の危機。人類の多くが死んだとされる時期にも、病原菌が蔓延。パンデミックが発生しました。一説によれば、魔女……すなわち、異端の医療知識を持つ者を殺してしまった故に、パンデミックは拡大されたとも言われています。ネコへの迫害による、病原菌を運ぶものの増殖。治す者を迫害したことによる、病の拡大――あくまでも結果論かもしれませんが、人間は自らで自らの首を絞めた……ともいえるのでしょうね」
歴史を紐解く顔のヤナギさんを見て、おじ様が感嘆とした息を漏らす。
『その通りだ、ロックウェル卿の使徒よ。さすがは我が友の眷属。ヤツと同じく博識よのう』
おじ様が語り続ける。
『偶然かもしれぬ、ただの風評かもしれぬ。あるいは、ネコの死に伴うネズミの増殖など、関係なかったのかもしれぬ。なれど――パンデミックと共に、憎悪は力をつけた。魂だけであったネコが、人を滅ぼす形となったのだ。全てのネコの憎悪を背負い、そして西暦千六百年ごろに活性化した魔女狩りの呪いを受け取り――こやつは覚醒した。人を憎悪する存在となり果てた』
始まりのネコの旅路の果て。
復讐の物語の途中経過。
憎悪の集合体となっていた呪いの概念が、ウィッチクラフト、魔女の呪いを学習した。
ということだろう。
魔術のない世界においても、奇跡はある。
過ぎる憎悪が溜まれば――世界を書き換えることができたということか。
映像が切り替わる。
呪いによって蝕まれた人間が、次々と倒れていく姿が見える。
これも歴史の一ページ。
『飼い主を殺され、また己自身も悪魔の手先と虐殺された無辜なるモノ。魔女の使いたるネコ。業火にくべられた暗黒時代の犠牲者。ネコと、そして魔女と呼ばれし者が殺され起こった災厄こそが、こやつの本体』
それを具体的な名で呼ぶとすると、きっとちゃんとした言葉がある。
あたしもその名を知っていた。
ハウルおじ様が――咢を開く。
『虐殺者たる人類はかつてのこやつをこう呼んだ――数億の命を奪ったモノ、黒死病。すなわち、ペストとな』
人類を滅ぼそうとする憎悪のパンデミックが、人の皮を着た存在。
それが池崎少年の正体。
異能力名とするのなら。ザ・パンデミック。といったところか。
黒死病とペストは厳密には違うのかもしれない。
けれど、死を運ぶ概念としてそれは強く結びついている筈。
心は力となる――それは恐怖とて同じ。
死を運ぶ厄災。
それが。
十五年前――世界に魔術と異能を与えお父様たちが封印した、滅びの名。
けれど、ここに誤算があった。
異能力を得た世界の副作用で、パンデミックは転生を果たしたのだ。
世界を呪い、憎悪する異能力者の赤子として産まれてしまったのである。
その少年が今、溜めこんだ憎悪を果たすために世界を滅ぼそうと暗躍している。
人類史の黒い部分。
魔女狩りと、それに伴ったネコへの迫害の歴史。
そのツケが、人類への呪いとなって現代を襲っていたのだろうか。
んーむ、猫って憎悪もすごいからなあ。
なにしろ、一度恨むと相当にしつこい。
実例をあげるとウチのお父さんだし。
なるほど、たしかにこれは中世より刻まれた自業自得。
ネコでもあるお兄ちゃんが、この世界を見捨てても構わないと思った、その理由としては理解できる。
本を正せば、猫を悪魔の化身として迫害した人間のせい。
罪なき飼い主と、自分を焼き殺されたネコ達の憎悪。
そこから発展した黒死病。
パンデミックの擬神化こそが消えぬ滅び、憎悪の魔性たる池崎さんの正体――おそらくこれが全容だ。
ものすっごい、重要な事実が判明したのだろうが。
どうしても、あたしは気になることがあった。
……。
ってことは、始まりの池崎さんって猫だったってこと?
あたしはネコ状態の池崎さんを、じぃぃぃぃぃっと眺めていた。




