第五十五話、あなたの狂気のはじまりは
異界の姫たるあたしが覗くは、とある石油王の物語。
あたしと池崎さんが出逢ったあの事件。
異能力者誘拐事件にも関わっていた男で、異能力者の買い手。
あたしは魔導書を発動し。
時と記憶のトンネルの中を進んでいた。
魔導書に刻まれた青白い文字を受け、あたしの赤い髪がバサバサっと揺れている。
魔導書の中は記憶の世界。
ここに入ってこられるのはあたしだけ――。
……。
の筈だったのだが。
なぜかわずかにタバコの香りが、あたしの鼻孔を擽っていた。
振り返るとやはり。
彼がいた。
「なーんで、ミツルさんがいるのよ……」
呟くあたしにジト目を返すのは、イケオジ未満。
無精ひげをそっと掻く池崎さんである。
「いや、文句を言いてえのはこっちだっての。あのニワトリ神がネコ兄貴の影から顕現してきやがって、オレを鳥足キックで無理やり本の中に押し込みやがったんだよ」
「ロックおじ様が? というか、森のレストランから見ていただけじゃなかったのね……」
これをあたしと池崎さんに見せたかった。
――ということなのだろうか。
石油王の過去を見ることで、世界の滅びが回避される事に繋がるという事だろうか。
分からないが――。
あたしは、腰に手を当て吐息で赤髪を靡かせ。
ふふんと、微笑を作ってみせる!
「来ちゃったもんはしょうがないし、まあいいわ! でもあたしから離れないでね、下手すると記憶の中に魂を囚われて二度と戻れなくなるから!」
腕を組んで銜えタバコをペコペコさせて。
「なあ、ちょっといいか?」
「なによ」
「んな危険な場所に説明抜きに押し込むとか、やっぱりおまえさんの関係者って、一回ちゃんと説教した方がいいんじゃねえか……?」
う……っ。
ま、まあ本当にちょっとどうかと思うのだけれど。
「そーいう話はあとよ。ほら、見えてきた!」
トンネルを抜けた先の世界は、石油王の過去。
魔導書に栞が刻まれていた場所。
いわゆるターニングポイントとなった場所である。
よーし誤魔化せた!
ここは石油王の邸宅。
十年前、ぐらいだろうか。
なぜそう思うのか、それは見知った顔がいたからである。
宮殿のような場所。
五歳ぐらいの器量のよい男の子がいるのだが。
なぜだろうか――その頬は、青黒く腫れていた。
池崎さんが眉を顰め。
「あのガキは……御曹司か」
「そのようね――」
そう、ホークアイ君である。
おそらく自分の家なのに、部屋の隅。
居場所がないのか――オドオドと、無駄に高級そうな絨毯の表面を眺めていた。
女中たちの影口が聞こえる。
――あの子の声、隣の街まで響くんですって。
――呪いの子でしょう?
――ちょっと、旦那様に聞こえたら処罰されるわよ。
女中たちの声に、ビクっと子どもが体を震わせる。
音波を扱う異能力者なので、耳もいいのだろう。
――ヤダ、聞こえていたのかしら?
――大丈夫よ、どれだけ離れていると思っているの。
――それに、いいじゃない。もし本当にそうだとしても、奥様がそう扱って構わないって、おっしゃっているんですから。
くすくすくすと声がする。
声がする。
声がする。
あたしは、ぐぬぬぬっと髪を逆立て。
うにゅにゅにゅ!
赤髪からネコの耳をくわっと生えさせ。
「なによあいつら! 子どもへの陰口なんて最低!」
「おいおい、これは過去の映像みたいなもんなんだろう……? ここで怒り狂っても仕方ねえじゃねえか」
「そりゃそうだけど」
ぶすっと唇を尖らせるあたしの頭をポンと叩き。
池崎さんが言う。
「ほらよ、動きがあるみたいだ」
女中たちの陰口が途絶える。
主が帰ってきたのだろう。
あたしは物語に集中する。
守衛猫化する前の石油王である。
ホークアイ君を三十代ぐらいにした、それなりに端正な顔立ちの男であるが。
石油王は、俯いているホークアイ君に近づき。
「ホークアイ、どうしたんだい、その頬は」
「これは……その、こ、転んで……」
「母さんか――」
あの頬の腫れの犯人は母親だったのだろう。
それを指摘され、ビクっと顔を怯えさせ。
「ち、違うんです。本当に、わたしが……悪いのですから」
「また異能を発動してしまったのか――」
ちびホークアイ君が、こくりと頷く。
「父上、お聞きしたいことがございます」
「なんだい、ホークアイ」
「わたしは、悪魔の子、なのでしょうか」
そんな言葉を漏らす我が子を眺め、石油王は言う。
「そんなことはない、おまえが声を出して反響した先に石油があっただろう? それはわたし達をとても豊かにしてくれる。そんな力を持つおまえが悪魔の子なんてことはない。父さんは、そう思うよ」
「母上は?」
縋るように言葉を投げてしまったちびホークアイくん。
その言葉ごと抱きしめるように。
石油王は息子を抱きしめる。
「すまないね、おまえに悲しい思いをさせてしまって。母さんに強く言えない、父さんが悪いんだ」
「どうして、強く言えないのですか?」
この辺りの地域では男性の権限が強い。
そういうセンシティブな部分を議論するつもりはないが、そういう風土だということは事実である。
確かに、石油王が強く言えば止まると思うのだが。
小さくかぶりを振り、父が言う。
「わたしが強く言ってしまうと、おそらく……母さんはわたしの父さんに追い出されてしまうだろう。母さんがいなくなってもいいのなら、それも選択肢ではあるが……」
「いやだよ、母さんがいなくなるのは、いやだよ」
腫れた頬を覗かせながらも、ちびホークアイくんはそう訴える。
「おまえは偉いな、ホークアイ。母さんよりも大人だね。わたしの自慢の息子だ」
強く抱きしめられた子供が、微笑んでいた。
母に愛されない分の愛情を求めるように、父の背をぎゅっと握っている。
天使のような子供だと、そう思う。
石油王が思いついたように言う。
「そうだ、おまえに友達を作ってあげよう。そうすれば、寂しくないだろう?」
「友達、ですか?」
「ああ、そうだ。友達だ――」
父の腕の中から離れ、大人びた顔で子どもが言う。
「無理ですよ。わたしには聞こえているのです。この街の声が、国の声が、世界の声が。石油の場所を言い当てる、気持ち悪い、悪魔の子だって。みんな、みんな……」
「だったらこの国じゃない友達を呼ぼう。お前と同じ、力を持ってしまった友達を」
ざぁぁぁぁあっと。
砂嵐が走る。
時間が切り替わる。
◇
これは一年後、くらいだろうか。
場所は同じ。
けれど、子どもの背の高さが違う。
ちびホークアイ君が言う。
「父上……? その方々は?」
「おまえの友達だよ、ホークアイ。おまえと同じで、すこし変わった力を持っているそうだ。さあ、おまえたち、挨拶しなさい」
そこにいたのは、アジア圏の子どもが二人。
ホークアイ君が六歳ぐらいなら、その二人は十四歳ぐらいだろうか。
怯えたように周囲を見ている。
「どうしたんだ、それがお前たちの仕事だろう」
「父上、きっと言葉が分からないのですよ」
ああ、そうか――と。
子どもに諭された石油王が頬を掻く。
ちびホークアイ君が言う。
「わたしに怯えていますね……」
「それはその、急に連れてこられたから、怯えているんだろう。それに、そうだ、この子達は孤児なんだ。だから可哀そうでね、拾ってあげたんだよ」
ウソを見抜く子供の顔で。
けれど大人の嘘を受け入れる子供の顔で。
ちびホークアイ君が言う。
「そう、なのですか――じゃあ一緒に遊んでもいいのですか?」
「もちろんだとも、そのために呼んだのだから」
彼の父は安堵した様子だった。
心からの父としての安堵である。
久しぶりに微笑んだ息子に、父の頬に濃い皺が刻まれる。
「ああ、こんなに喜んでくれるなら。お前に居場所を作ってあげられるのなら、もっと買ってこないといけないね――」
父は、微笑んでいた。
それは心から安堵する父の姿。
だった――。
ざぁぁぁぁぁ。
世界が切り替わる。
◇
ちびホークアイ君の身長がまた伸びている。
十歳ぐらいだろうか。
もはや頬に痣を作っていない器量の良い金持ちの息子が、そこにいた。
大空のように広い宮殿で、子どもが一人で立っている。
そこに近づいてきたのは父親。
親子の物語は続く。
息子が言う。
「父上、母上はどこに行かれたのですか。それに、他の女中たちも……最近、顔をお見掛けしませんが……」
父が言う。
「ああ、彼らはわたしの部下の事を怖いと言い出してね。実家に帰ったよ」
「それは! な、なぜ、引き止めなかったのですか?」
石油王が魔に魅入られた者の顔で言う。
「おまえは石油を掘り当てる音波を使えるだろう? おまえの友達も皆、おまえとわたしの護衛として役に立っている。でも母さんはどうだい?」
「父上……?」
息子はわずかに後ずさっていた。
困惑する息子の肩に手を乗せ。
逃げ道を奪うように抱きしめて。
力に溺れた狂人の顔で、石油王が冷たい声を漏らす。
「わたしをお金持ちにしてくれるおまえを殴るような女を、どうしてここに置いておかなくてはいけない? ああ、わたしの大事なホークアイ。わたしはお前をとても大事に思っているよ。だから――どちらを優先させるか、単純な答えだろう?」
吐息が、息子の髪を揺らしていた。
そこにあったのは、ぞっとするほどの黒い顏。
白い歯だけがギラギラと輝いている。
広すぎる豪華な家の中で。
誰もいなくなった家族の中で。
息子の声が響く。
「で、でも父上……」
「いいんだよ。おまえは何も言わなくていい。母さんに、女中に、召使に酷い扱いをされていたのに、ずっと言えなかったのだろう?」
それは事実だったはず。
だから息子は言葉を窮す。
そんな息子を強く抱きしめて。
「父さんは違う。父さんはお前のために、何人も異能力者を連れてきている。そりゃあ多少は無理をしたが、全部おまえのためだからね。お前が、喜んでくれるのが、父さん、嬉しいんだ。みんなお前の友達だろう? 寂しくないだろう? お前を大事にしているだろう? だからほら」
言葉が。
続く。
「次の採掘場の場所を教えておくれ」
震える瞳で、息子が言う。
「まだ足りないのですか……?」
「ああ、おまえのためにもっと、もっと――友達を増やしてあげないといけないだろう? お前が喜んでくれることが、父さんの幸せだ。いままで母さんを止めてあげることができなかった、罪滅ぼしだ。そのためにはお金が要る。それもちょっとのお金じゃあ足りない。様々な組織、様々な地域、様々な国に圧力をかけられるほどのお金がね。さあ、だから。父さんに教えておくれ」
狂気じみた父の顔を見る子供の顔は、凍っていた。
けれど、息子にとって、いままで恐怖の存在だった彼らは確かに消えた。
いつのまにかいなくなっていた。
もう殴られることも、陰口を言われることもなくなっていた。
誰もいない広い部屋だったとしても、真ん中を歩くことができていた。
息子は父を見て。
異能を発動し、問いかける。
「父上は、わたしを愛してくださっていますか?」
その異能は、心音によって相手の動揺を見極める能力。
おそらく、大黒さんとは別ベクトルの嘘を見抜く能力なのだろう。
父は迷わず、答えていた。
「ああ、世界で一番愛している。母さんがお前を愛してあげられなかった分、わたしはおまえを大事にすると誓うよ。本当に、いままですまなかった――」
父としての、慈愛すら持って。
石油王はそう、温かい声を漏らしていたのだ。
その大きな手が、息子の身体を更に抱き寄せる。
きっと、温もりも本物だったのだろう。
母に愛されなかった十歳の子どもには。
とても暖かい体温として、伝わっただろう。
幸か不幸か。
その言葉に嘘もなかったのだとあたしは思う。
その根底にあった父性愛は、本物だったのだ。
だから、息子はまた採掘場の候補を言い当てた。
母が愛してあげられなかった分。
その埋め合わせをするように、父は息子のために友達を作る。
その手段が、非道だったとしても。
息子の心は次第に平穏を取り戻していた。
母や女中たちによって奪われていた自尊心や自信を、取り戻していた。
ようやく、息子が我がままを覚え始めた時には、感涙さえしたのだろう。
だからこそ、ますます狂った。
息子のために異能力者を集める。
そのために組織を拡大させる。
そのために金が要る。
そのために息子を頼る。
息子のために異能力者を集める。
異能力を集めるために組織を拡大させる。
組織を拡大させるために金が要る。
これが、守衛猫と化した石油王が言えなかった事。
全てが言い訳となってしまうからと、告げなかった事。
あたしも知りたかった、親子の別ルートへのきっかけ。
ざざざぁあぁぁぁ……っと。
世界が戻り始める。
記憶の魔導書から抜け出す中で、あたしはしばらく考えていた。
異能力者誘拐組織が成長していく過程の一つを見て。
あたしはなんとも複雑な顔で、ぼそり。
「子を想う父の愛だけは本物だった……か。なんか、やるせないわね」
「だからって、そのせいで死んだ大勢が許せるわけじゃあねえだろう――それとこれとは別の問題だ」
ドライでシビアな大人の声が、池崎さんの口から漏れていた。
「そうね、けれど答えは見えたわ」
「何のだ?」
「少しだけ、悲しくない道よ」
そう、苦笑したあたしの言葉を合図に。
現実へと引き戻される。




