(二章)エピローグ ~いつかその日が来ますように~
人間も犬も猫も――死は一緒。
滅びは平等に訪れる。
ここは死後の道――周囲は暗く、明かりはない。
カッシャカッシャカッシャ。
仄暗い闇を、犬が歩いていた。
やり遂げた顔をしたビーグル犬である。
獣毛も誇らしげに揺れている。
けれど、その肉球と爪が歩む先に光はない。
暗く湿った終わりの世界へと進んでいる。
冷たい。
凍てつくような寒さが彼の肉球を冷やしているのだろう。
賢い魔術師の犬だからか。
彼自身もどこに向かっているのかは理解しているようだ。
人を多く惨殺した犬が、天国の主のもとへと行けるはずがない。
彼が進む先は――。
地獄。
それもそのはずだ。
ペスは多くの人を殺したのだから。
犬は己が選択を踏みしめるように、前を見た。
冷たく静かなこの道の果てにあるのは、主人には会えぬ世界。
復讐を決断したペスの決意の証。
成し遂げた果ての結末だったのだ。
もう二度と、ご主人様と会えることはない。
それでも後悔はなかったのだろう。
フフンと気高い誇りを抱いて、忠犬ペスは地獄を睨む。
その口が牙を覗かせ、くわっと唸る。
『フハハハハハ! なーにが地獄だ、偉大なる魔術師。ネクロワンサーたるこの我が! すぐにそのような場所も制圧してくれるわ!』
吠える言葉に反応はない。
ペスは寂しくなったのだろう。
尻尾を下げて、耳を下げ、来た道を振り返り――。
主との思い出が脳をよぎったのか。
ペスの口元が、ぶるりと震える。
言葉が漏れた。
『ああ、そうか。我はもう二度と、天国にいる主とは会えぬのか』
それが復讐の代償。
人を殺めたことへの罰。
ペスと主人の幸せを奪った者達の命を奪った。
それはまだ許されただろう。
けれど、同じアウトローだからといって――直接的に自らの主を不幸にしたわけではない悪人も殺していた。
その事実は変わらないのだから。
ペスは前脚を伸ばし、自らの頭を撫でていた。
主人に頭を撫でて褒められた。
あの日のぬくもりを思い出したのだろう。
思い出が次々と襲っているのか。
その瞳が揺れ始める。
ペスの口が、天で待つ者に向かい動いていた。
『我が主よ、あなたは天国で我を探すのだろうか? 我の到着を信じ、二度と帰らぬ我を探し続けるのだろうか? パンみたいでかわいいと……そういってくれた我の垂れた耳を、探してくれるのだろうか? まるで扇風機のようだと笑った我のしっぽを求め、待ち続けるのであろうか』
復讐の鬼となった犬。
彼のモノの咢が天に向かい、声を漏らす。
『我は間違ったことなどしていない。誇りをもってそう言える。なれど、あなたとの再会がもう叶わぬというのなら――あなたに悲しい思いをさせてしまうのなら。それだけは、間違いだったのかもしれぬ』
犬の手が届かぬ天へと伸びる。
叶わぬからこそ、願うのだ。
そういったのは誰だったのだろう。
犬の遠吠えが、地獄の道を虚しく響き渡る。
けれど、ここは終わりの道。ペスの物語はここで終わる。
闇の中。
門が生まれる。
罪人を焼く地獄の業火だった。
ガガガガガァァァッァ。
死者の腕が罪人を捕まえようと。
伸びる!
死者を眺め、罪を裁く、冥界の主人からの迎え。
因果応報。
その言葉は彼自身にも返ってくる言葉。
死者の腕が犬の身体を包み込み。
犬は己の最後を知った。
『我を救ってくれたあなたに、幸せでいて欲しかった。そして叶うならば最後にもう一度だけ、あなたに頭を撫でて欲しかった。ただそれだけであったのに――この世とは実につまらんモノであったわ』
ああ、つまらん。
つまらん……と、ひとしきり吠え。
やがてペスは、滅びを受け入れたのか。
ゆったりと瞳を閉じた。
その口が――思い出を噛み締めるように。
最後に言葉を漏らす。
『主よ、さらばだ――どうか来世で幸せに』
これがペスの物語の終わり。
死者の腕が、忠犬を劫火へと誘い抱き。
そして。
世界から音が消えた。
はずだった。
ペスの耳が、ざわりと蠢く。
遠くの方で音がする。
ペスは瞳を恐る恐る開けてみた。
猫が見ていた。
赤い毛並みの、恐ろしい程の魔力を抱いた猫が。
じっと眺めていた。
その口が、魔術式をあの時のように膨大に展開する。
▽魔術起動。
▽世界介入。
▽権限全上書き。
▽アダムスヴェイン、強制割り込み使用。
▽使用者。
赤き魔猫の異界姫。
ガシャァァァッァァァァァァァン!
割れた天から光が差す。
犬は何事かと天を見上げる。
その視線の先には――。
本気モードで赤き魔力と髪を揺らす、この世で最も美しき者。
「ってなわけで、迎えに来たわよ! ペス!」
驚愕で見開かれた犬の眼が、美少女の顔を眺めていた。
そう!
あたし! 日向アカリを見ていたのである!
彼はこの世界をつまらんと諦め、滅びるつもりだったらしいが。
しかーし!
そんなことは少女の求めるハッピーエンドには似合わない!
冥界の天井から糸が垂れていた。
それは一条の光。
蜘蛛の糸。
釈迦が垂らす救いの手。
神話ではないが、物語を再現する神話再現。
蜘蛛の糸が暗闇に覆われた空を――どどーんと!
割ったのだ!
なななななな! っと、ツバすら吹いて驚いて。
ペスが叫ぶ。
『な!? 娘よ、どうしてここに? ま、まさか! キサマも死んだのか!?』
「バカねえ、あたしは死んだ程度じゃ死なないわよ。これでも本物の魔の姫なんですから」
『ではなぜ――っ、わけがわからんぞ?』
困惑するワンコに。
あたしは太陽よりも明るい笑顔で、にひぃ!
「言ったでしょう? あたしがあなたを飼ってあげるって! まさか成仏した程度で、このあたしから逃げられるなーんて、甘い事を思ってるんじゃないでしょうね!?」
ビシっと告げてあたしは!
お父さんから貰ったペット飼育許可証をどーん!
ペスが耳としっぽを下げて、ジト目で言う。
『いや、ここは地獄への道であるぞ?』
「知ってるわよ?」
『うぬ!? そう普通に返されても困るのだが。だいたい! いったいどのようなインチキを使ってここまでやってきたのだ!?』
並々ならぬ魔力を纏う赤髪を、あたしはふっと指で弾いて。
「分かってないわねえ! あたしは本当に特別なんだから、冥界下りくらいできるわよ。奈落とか地獄とか冥界っていっても、結局は世界に存在するエリアなんだから。本気でサーチすれば発見できるのよ。って、時間がないんだった。そんなことより! 早く逃げるわよ!」
急いで告げて、あたしは雪肌色の指を鳴らす。
パチン!
音が魔力を放ち、死者の腕を振り払ったペスの身体を宙に浮かせる。
『ど、どこへ行くつもりだ!』
「あなたの魂を現世に戻すのよ! まあ肉体は滅んじゃってるし――新しい肉体を再構築するまで、しばらくは縫いぐるみの中に入ってもらうことになるから。そのつもりでね!」
実は、ニワトリもこもこ状態なヤナギさんを、連れ帰る計画に失敗していて。
もこもこに飢えているのである。
あたしはただ、かわいいままのニワトリモードを維持できるようにしてあげようと思っただけなのに。
なぜか全力で断られちゃったのよね。
『な、何が目的なのであるか』
「目的なんかそんなにないわよ。あたしは気ままに生きているだけ。でもそうね、あなたが善行を積んで、大好きな人が待っている場所に行けるようになるまでは――一緒に居てあげるわ! ちなみに、拒否権はありませーん!」
告げたあたしに、ペスの瞳が揺らぐ。
ご馳走を仰ぎ見る飼い犬のような顔で。
彼は言う。
『わ、我は、いつかまた! 主人に会えると――! そういうのか?』
「そうよ! 今、魔術式で見せてあげるわ! これがあなたのハッピーエンドへの道筋よ!」
あたしは魔術式を膨大に浮かべ。
ざざざ、ざぁああああああああああぁぁぁぁっぁああぁぁ!
冥界の空を青白い計算式の海で覆いながら。
「輪廻は巡るわ。いつかまた、長い転生の繰り返しの中で、あなたを愛したその人と再会できる日も来るはずよ! でも地獄で焼かれちゃったら終わり。だから、地獄行きはキャンセル! 古い言い方だけど、功徳を積むってやつ? かしら。あなた! あたしのところで世界を救うぐらいの善行をなしなさい!」
『世界を救うだと!?』
「あはははは、あたしもよくわかんないけど! なんかこのままだと地球って滅ぶらしいのよ!」
と、ちょっぴりお茶目な顔を作ってやったのだ。
ペスがあたしの背に捕まり。
冥界を抜け出す道を一緒に進みだす。
その口が、あたしの髪を揺らした。
『ところで、なにやら周囲が騒がしいのであるが……』
「そりゃそうでしょ。説得の時間も交渉の時間もなかったし。冥界の門番とか騎士団とか軍隊とか、そういうのを全部ふっとばしてきてるんですもの。今、冥界は大騒動。うわ! もう追手が来てる、だーかーらー! 早く逃げないとまずいのよ!?」
実際。
やらかしているあたしを追って、やばい幻獣やら神獣やらが。
グガグガグゴゴゴ!
死者と侵入者を逃がすなと騒いでいる。
あたしのお願いをちゃんと聞いてくれるようになった三魔猫が、ウニャニャニャ!
モフ毛を魔力で靡かせ、なんとか幻術を用いて誤魔化しているのだが。
ペスは頬をヒクつかせ。
『まずいのよ!? ではなーい! なにをやっとるのか、キサマは!』
追跡の魔力弾を、魔導図書館からの魔力砲撃で迎撃し。
指を鳴らしたあたしは、冥界全体に状態異常攻撃!
死霊にも通じる《麻痺の魔眼》を発動!
大戦争のような状態になっているのだが、気にしない。
「文句なら現世に戻った後で聞くわ! さすがに得意フィールドにいる冥界神に捕まったら勝てないから、急いで!」
『キサマというやつはっ! 非常識が過ぎる!』
あたしは言った!
「そんなことないわ! あたしに言わせれば、世界の方が常識的すぎるのよ!」
この世は狭くて暗くて、たまに嫌な思いをすることもあるけれど。
それでもあたしは強く生きる。
楽しまなくっちゃ損というやつなのだ!
ペスは呆れた様子だが。
どうやら吹っ切れたのか、呆れが勝ったのか。
ニヒィっとワンコスマイルで、尾をぶんぶん振り回し!
『ぐわははははは! 仕方あるまい! このペス、今しばらくキサマに付き合ってやるとするわ!』
あたしは冥界神が出現しかけた空間を指さし。
「よーし! あんたはあっちの空に大量の骨をバラまいて! 骨に干渉して、冥界神の空間干渉を上書きで妨害するから!」
『ふん、任せよ!』
ペスもまた、犬耳をパタパタさせながら。
死霊召喚の魔術を展開し始める。
「さあ、ひと暴れするわよ!」
いつかのその日。
ペスの罪が帳消しになるほどの功徳を積んだ時。
優しいあの人に撫でて貰える日も、きっと来るだろう。
そのいつかが訪れることを、願い!
この冥界荒らしの裏エピローグを、誰にも見られないように封印。
怒られないようにこっそり閉じようと。
あたしはそう思うのだった!
二章。
因果応報 ~アウトローたちの墓と理由~ 《解決》




