第百十六話、Cの食卓 ~タレはちょっと甘い方がコクがでる~
その後、ローストビーフの補充を受け。
あたしはヤナギさんとの話を進めていた。
「で――池崎さんの処遇はどうなるのかしら。もう、あの人も十五年前に戸籍やらなんやらが全部偽装された存在だったのは、伝わってるんでしょう」
「ええ、今まで騙されてきたと怒り狂ってる連中もいますよ」
眼鏡の下で、目線を静かに逸らすヤナギさん。
その心中を察したあたしは、にひぃ。
「あなたもずっと相棒状態だったのに、どうして相談してくれなかったんだ! ぐらい思ってるんでしょう? ねえねえ、どうなのよ~♪」
魔力で伸ばした影で、頭をペチペチしてやったのだが。
ジト目が眼鏡の下で光っている。
「あなた、先ほど自分の口が軽い事を反省したのでは?」
「それとこれとは別でしょう♪」
「だから子どもは嫌いなんです――」
「またまた~♪ 本当は好きなくせに~♪」
からかいモードになっているあたしに露骨な息を漏らし、ヤナギさんが大人の顔で言う。
「ヤツにはヤツの事情があったことを知っていますから。僕から特に思う事はないですよ――相談をしたくてもできない、孤独な戦いをずっとしていたんでしょうからね」
「そう、んじゃ一応はあなたも納得してるってことでいいのね」
冗談みたいな空気にしていたが。
まあ、その辺も本当にちょっと気になっていたのだ。
ヤナギさんが言う。
「ヤツはこれからどうするつもりなんでしょうか……」
「さあねえ。こっちにいるつもりなら、あの遺跡を拠点にするんでしょうけど――彼の目的はもう果たされた。これから何をしたいのか、どう生きたいのか……その辺のことも全部彼次第ってとこね」
パンデミックと池崎さん。
あたし達にとっては危険性はないが、この国や世界にとっては別。あの二人の危険性がなくなったわけじゃない。
おそらく、ずっと監視対象になるだろう。
ティーカップに指を当て、その熱を感じながら――。
あたしは口を開いていた。
「あたしね――池崎さんとパンデミックを異世界に連れ帰ろうと思っているわ」
「異世界に、ですか――」
「ええ。あたしの眷属、つまり部下として配下に加えようと思っているの。あたしが言うのもなんですけど、彼らにはこの世界は小さく脆すぎる。ロックおじ様が顕現しただけで、皆を圧倒し、重圧で押し潰しそうになってしまったみたいに……いつかその存在が誰かを傷つける可能性もあるから」
もし再び、災厄をまき散らす存在になったら。
それも怖い。
おそらく、対処するのはあたしとなる。
ヤナギさんが、しばし考え込み。
「まあ、私情や感情を抜きにして――こちらとしても、争いの種となる存在がどこかに行ってくれることは、平和に繋がりますが……よろしいのですか?」
「よろしいって、なにがよ」
「いえ、パンデミックはともかく――池崎を連れ帰るとなるとおそらく一悶着がありますよ?」
ん?
あたしは考える。
まあ、池崎さんもパンデミックもこちらの世界で発生した存在。
それもかなり力のある存在だ。
それを異世界に引き抜くという事は、ある意味で戦力を奪う事にもなるが――。
「どうなんでしょうね。池崎さん達がそのまま人類に手を貸すことなんて、絶対にないとは言わないわ……でも、可能性としては低いわよ? 今回は世界の破壊を防いだ池崎さんと、世界の破壊を諦めたパンデミックですけど――あの二人はいまだに人間自体を憎悪している」
あたしの父、大魔帝ケトスがそうであるように。
憎悪の魔性と化した存在は、二度とその憎悪を忘れることはない。
幸せそうに、呑気そうにしていてもその内では憎悪が常に赤く燃え続けている。
「確かに彼らの脅威は去った――でも、人類そのものを許しているわけじゃあないし、あたしがいるからパンデミックも様子を見ているだけ。そのあたしがこの世界から消えた後、やっぱり人類憎しで再び災厄をバラまくことだって、普通にありえるわ」
「だからこそ、あなたが連れ帰ることが適切だと――理屈は理解できます。しかし」
ヤナギさんは交渉を行う大人の顔で。
眼鏡をきつく光らせる。
「あなたが、池崎を連れ帰るという事がなによりもトラブルを招くのではないか、僕はそう思います」
「あら、信用してくれないの?」
「あなたの事は信用しています。けれど、考えてもみてください」
ふぅと息を吐き。
「愛娘が、男を連れ帰ってくるようなもんですよ? 上でご覧になっている、あの方はそれを許されるのですか?」
「……はい?」
「言っておきますが、真面目な話です。女子高生の子を持つ親ならば、娘が男を連れて故郷に帰ってくるとなった場合――大抵はぐぬぬぬっとなってしまうのではないでしょうか? ましてやヤツはあなたと何度も時を巡り、何度も出逢い、何度も言葉を交わしていた――親としては心配する筈ですよ」
そーいうのは問題ないと思うけどなあ。
「そんな、月兄や炎兄じゃあるまいし。大丈夫よ」
「こういう時のあなたの大丈夫は、あまり信用できないのですが――まあいいでしょう。それで、池崎はなんと?」
「まだ相談してないわ。だって、クライストの怪物を倒した後、そのままこんな感じだし? ちゃんと話もできていないのよ」
それに、池崎さん。
戦いが終わった後から、なーんかあたしの事を避けてるのよねえ。
ま、避けている理由もだいたいの予想はできるけど。
「それは、ついていく気がないのでは?」
「そうかもしれないわね。けれど、あたしは諦めないわよ? あたしが何回、あの人とループを過ごしたと思っているの? 何を考えているかぐらい、なんとなく分かっちゃってるわ」
告げるあたしの前。
テーブルに並ぶ紅茶の波紋に、赤い魔力が反射している。
そこに映っていたのは、五年後のあたしとよく似た麗しい大魔族の、姫の顔。
「欲しいと思ったモノを諦めきれない、執着する生き物がネコなのよ――」
紅茶の波紋の中で。
今度は赤い魔猫が、ニャハハハハハっと嗤っている。
あたしの性格を知っているだろうヤナギさんが、頭痛をおさえるように眉間を押さえ。
「なにをなさるつもりなのですか?」
「準備は整ったって事よ」
「暴れるおつもりで?」
返答はせずに。
くすりと微笑し、あたしは時が経つのを待った。
◇
偉い人たちの会議が終わったのだろう。
それは連絡もなしにやってきた。
軟禁状態になっているあたしの部屋、ヤナギさんが後ろに控える中。
現れたのは、先ほどのカマキリっぽいおっちゃん率いるこの国の偉い人達!
の代理だろう。
立場的にはたぶんかつての池崎さんに近い筈。
慇懃に礼をし、カマキリっぽいおっちゃんが言う。
「いやはや、さきほどはどうも失礼しました。ワタクシ、小林と言いまして――」
「ごめんなさい。失礼だとは思うのだけれど、あなたの”その”お名前には興味がないの」
こちらはツンとした姫様モードである。
まあ、見た目は黒髪美少女女子高生のままだが。
あたしの背後で蠢く影には、耳も尻尾も生えた大きな猫の姿が映っている。
一応、この辛辣な返しをしたのには理由がある。
彼が嘘をついているからだ。
カマキリおっちゃんが、露骨に困った顔をし。
「参りましたなあ。姫殿下とは長いお付き合いをさせていただきたいと思っているのですが。どうも、あまり心証がよろしくないようで、ワタクシの不徳の致すところであります」
「そうね、でも――職業病なら仕方ないわね、牧瀬卓さん」
「どうして、ワタクシの本当の名を――」
声のトーンが変わっていた。
鑑定の魔眼でその本名を読み取り。
あたしはやはり、くすりと首を傾げてみせる。
「あたしは、そういうことができる存在って事よ。ああ、後ろの人たちにも先に警告しておくわ。心でどう思うかは自由だけれど、口にしたら看過できなくなるわ。よく覚えておいて頂戴」
カマキリおっちゃんの後ろの、政府筋の連中が眉を顰める。
意味が理解できていないのだろう。
影を伸ばしたあたしは心を読み解く魔術を用いて、その胸の内を暴露していく。
「こんな小娘が本当に異界の姫なのか、脅してやれば一発で黙り込むだろう。な……っ、こいつ、心が読めるのか。バケモノ!? まずい、心が読めるのなら俺の不倫も!? って、へえ! あなた! 同僚の奥さんと不倫してるって、すごいわね! いやあ、そういうのってドラマの中だけだと思ったわ。えーと、まだ続ける?」
「いえ、問題ありません。いやはや、参りましたなあ!」
ガハハハハと、意外に豪快に笑ったのもカマキリおっちゃんの牧瀬さん。
かなり肝が据わっているようだ。
不倫を暴露された後ろの背広と、その横の――おそらく、同僚に奥さんと不倫されていただろう背広が、めちゃくちゃ険悪な空気を出しているが。
あたしのせいではない。
あたしは同席しているヤナギさんに目線を向ける。
「僕の上司ですよ。すぐに追い越しますけどね」
「あぁ……あなたのご同類なのね。道理で……」
「アカリさん。コレと一緒のカテゴリーにされるのは非常に不快なのですが?」
うわ、睨まれちゃった。
「ま、腹黒そうだって事は理解したわ。それで、なんの話に来たのかしら?」
「心をお読みになればよろしいのでは?」
「それはフェアじゃないでしょう? だから先に、一応できることを教えて差し上げただけ。あー、でも真面目な話……言葉は慎重に選んで頂戴ね。人類の命運がかかっているかもしれないの」
言って、あたしは魔力で浮かべたケーキ用のフォークで空を指差し。
「お父様が見ていらっしゃるから。本当に、危ないわよ」
「と、仰いますと?」
あたしはある意味で助手と化しているヤナギさんに、再度、目線を送る。
はぁ……とやはり露骨な息を漏らし。
「アカリ姫殿下の御父上が宇宙と大気圏の間から、こちらを観察されているそうですよ。むろん、娘のアカリさん、そして残りの二名の息子さんを心配してです」
「観察していると、問題がおありで」
「こういった方が分かりやすいかもしれませんね」
淡々と事実を告げるように。
公安の男は告げていた。
「あの方こそがCですよ」
政府筋の連中が青褪めていく。
余裕のあったカマキリおっちゃん牧瀬さんも、鼻筋に浮かんだ脂汗を拭うように口元を撫で。
「十五年前、異能力を発現させたとされる、あのC!?」
「ええ、あのCです。アカリさんたちは、正真正銘、あの方の直系の血筋にあたる方々となりますので――本当に、言葉は選んでください。冗談抜きで、消し飛びますよ」
警告を聞き、おっちゃんがごくりと息を呑み。
「お、おいヤナギ……実際、どんくらいヤバいんだ」
「比喩ではなく、対応次第で世界が滅びます」
おっちゃんがジトジトと脂汗を流し、あたしを向くので。
うんと頷き。
「脅したくはないけど、本当に本当。まあその後で罪のない人間は蘇生されるでしょうけど、どこまで蘇生させてくれるかはまさに神のみぞ知るね」
たぶんその辺はハウルおじ様が審判されるとは思うのだが。
あたしは警戒を崩し。
ついでに姿勢も崩して――。
「ぶっちゃけさあ、上からはどう言われてるのよ。あたしへの要求じゃなくて、あくまでもあたしに聞かれたから答えたって体で話してくれない?」
「どういう意味かな、お嬢さん。意図が掴めないのだが?」
「お父様が聞いているのなら、たぶんそれなりに反応をする筈だわ。で、そっちの要求っていう形だと提案された時点でアウトになる可能性があるわ。だから、先に内容だけを聞いておきたいって事」
カマキリっぽいおっちゃんは、息を漏らし。
「とりあえず我々が恐れているのは、あなたがたが他国に力を貸すこと。ご自分でも自覚はなさっていると思いますが、あなた方は単独での影響力がありすぎる。もし、野心ある隣国にでも行かれてしまえば、この国は終わり。国を守るこちらとしては、それだけは絶対に避けたいと思っているのですよ」
「まあ、もっともな意見ね」
あたしの同意を得て、その後に続けて。
とても言いにくそうな顔をし。
「それでです。お、怒らないで聞いていただきたいのですが」
「前置きがあるって事は、あたしが怒る可能性があるってことね――ま、直接要求される前に聞いておいた方がいいと思うわ。言って頂戴」
「そ、その……可能ならば、この国の誰かと結婚させてしまって」
おそらく、政略結婚的な言葉を漏らした。
その直後。
『なるほど、どうやら君たちは私に滅ぼされたいようだね』
酷く蠱惑的で、聞く者の耳と心を虜にしてしまうほどの美声が響いていた。
一瞬で、空気が変貌していた。
誰しもが、下を向いている。
ガタガタガタと歯を打ち鳴らし、足を竦めて顔面蒼白となっていた。
圧倒的なプレッシャーが、周囲を威圧していた。
部屋の隅に置いておいた、追加のローストビーフの皿の前。
背伸びして――むっちゅむっちゅとつまみ食いする、大きな黒猫の姿が見える。
びにょーんと伸ばす後ろ足は、角度まで計算され照明によく映えていた。
黒々とした毛並みは、赤い魔力で彩られている。
肉球が、デラデラと邪悪に輝き。
そのむぎゅぅぅぅぅっと眉間にシワを寄せた表情は、憤怒そのもの。
「お父さん……ブチぎれるか、つまみ食いするか……どっちか選んでもらえないかしら?」
『ふむ――そうだね』
言われた黒猫。
あたしのお父さんこと、大魔帝ケトスは真剣に考え込み。
そのままローストビーフのつまみ食いを選択した。
なかなか美味しいローストビーフだからか、その尻尾の先がブワブワっと歓喜に揺れている。
部屋を圧迫している重圧から皆を解放するべく、あたしは指をペチンと鳴らし。
結界を展開。
動揺に髪を揺らすヤナギさんが、困惑しまくった声を喉から押し出していた。
「ア、アカリさん……この、娘よりも食事に集中している方が」
「ええ、お父様。あなたがたがCと呼んで、その危険性だけは把握していた。異世界の大邪神よ」
あたしの紹介に、びにょーんと足を伸ばして皿を舐める父が。
キリっと首だけで振り返り。
口元に、べっちゃりとローストビーフのたれをつけ。
『おや、パパと呼んではくれないのかい?』
もう、あたし。
高校生なんですけど……。
ともあれ、ヤベエ奴がついに顕現しちゃいました。




