第百一話、原初の神父 ~真実を辿る魔導書~その4
黒衣の神父を失った教会の物語。
画面が切り替わり、時も流れていた。
カリスマと光を失った小さな世界を支えていたのは、十五歳ぐらいになった少年ディカプリオ神父。
成長したディカプリオ神父は敬虔なる信徒となっていた。
おそらく、あの黒衣の神父がそれでも神を信じていたから――。
清貧な暮らしは続いていたようだが――。
共に眺めている池崎さんが言う。
「あれから十年ぐらいってところか。この時代は……ちょうど異能が発生したターニングポイント前後になるわけだよな」
「ええ、あなた達――パンデミックの呪いからこの世界を救うために、お父様たちが異世界転移してくる時期ね」
異能の力を発生させ、父たちはこの世界にかけられた呪いと憎悪に対処した。
けれど、異能が発生した副作用でパンデミックは転生し、最初の池崎さんが人間として産まれる。
そしてその何年後かは知らないが――池崎さんは子どもの頃に機械弄りが得意な少年として有名になり、誘拐される。
まあそれはまだ先の話。
「ここはあたし達が生きる今から十五年前のターニングポイント。この時にディカプリオ神父にも何かが起こるんでしょうね」
「時期で考えりゃあ、まあ異能に目覚めるんだろうがな――」
あたし達が眺める中で、動きがあった。
礼拝堂の、閉じられた棺を眺めるディカプリオ少年が少し大人になった顔で言う。
「神父様、神父様はいつお目覚めになるのでしょうか――」
その時点で既に、ディカプリオ少年はどこかの軸がずれているように見える。
池崎さんが怪訝な顔を浮かべ。
「お目覚めになるって……こいつ、大丈夫か?」
「たぶん最後の審判の日に死者が全員蘇る、そんな教義を心から信じているんじゃないかしら。死者は最終的には善悪問わずに生き返る……そう考える宗派もあるって事よ。だから海外ではまだ、土葬が主流だったりする地域もあるわけなんだけど――」
この辺を最初から彼に説明すると長くなるので割愛。
「んじゃ、こいつは本気で大好きな神父が蘇ると思ってるってわけか」
「どう、なんでしょうね。十五歳にもなれば、その辺の現実も見えてくると思うんですけど……」
「実際、どうなんだ? 蘇ったりするもんなんかねえ」
と、教会を嫌う憎悪の魔性様は、嫌味を漏らしているが。
「信じるのは自由でしょう。まあそれでも――日本にいるのに火葬も土葬もせずにいるのは正直、どうかと思うけど」
むろん、十五年前当時の日本での詳しいルールは知らないが、一応難しい許可を取れば土葬ができなくもないらしいのだが。
その辺はあたしも詳しくはない。
問題なのは、おそらくこの棺がそのままになっているということだ。
同じ疑問を抱いたのか、池崎さんが瞳を細める。
「しかし、これ。たぶんそのままにしてあるってことだろう? 腐敗とか、そういうのは大丈夫なのか?」
「法律的な意味では間違いなくアウトでしょうね。ただ腐敗とか、そういう心配はもしかしたら大丈夫かもしれないわ」
あたしは聖人の特性を習得した人間の魔術式を提示し。
いつもの魔術講師の顔で告げる。
「聖人の遺体っていうのは特別なのよ。ゲームや漫画でたまにでると思うんだけど――聖遺物って言葉、聞いたことがあるんじゃないかしら? 真に聖なる者の遺体は朽ちないのよ。まあ、その辺の伝説を悪用しようと独裁者の遺体に防腐処置をして――やっぱり聖人や神だったんだって聖人伝説に倣い、その血を継ぐ後継者……ようするに次の独裁者の神としての側面を強調する。そんなパターンにも利用されているみたいだけれど」
これもある意味で偶像崇拝。
象徴を作り出す政治的な行為と言えるのだろうが、やはり話がややこしくなるので割愛。
なぜって、そりゃあファンタジーの世界だけじゃなくて現実でもそういう事例があるからである。
「じゃあ、あの神父の遺体はそのままってことか」
あたしのお父さんの事なので、ちょっと言葉を選んでいるようである。
しかし実際はどうなのか……。
あたしは鑑定の魔眼を発動させ、中の遺体を確かめようとするが。
近眼の人が、目をギュギュっとするように鼻梁をきつくし。
あたしがぼそり。
「あれ? 何も納められていないわね」
「はぁ? だって棺にはお前さんの親父さんの、転生前の神父が入ってる筈じゃねえのか?」
腕組みしながらこちらを見る池崎さん、その赤い視線を受けながらも。
ふむ――。
あたしは顎に指を当て、名推理モード。
「考えられる可能性はいくつかあるわね。ディカプリオ少年や、子ども達がいつまでも神父と別れたくなかった。だから遺体は既に埋葬してあるけれど、シスターや大人たちがここに象徴として、棺だけを残し礼拝の対象にしていた。空の棺だけど、そこに置いてあることに意味があるってパターン。まあこれは現実でもない話じゃないわ」
是非はともかくとして、の話だが。
「アカリン先生は他にも可能性を考えたってわけか」
「あんまり考えたくない話なんだけど――」
あたしは生活が成り立っている教会に目をやっていた。
様々な計算式があたしの脳裏を駆け巡る。
考えの途中、物語が再開する。
先ほどもいたシスターが現れたのである。
黒衣の神父の死から十年経っているので、歳を取っているのだろうが――。
たった十年でだいぶ老け込んでいるように見える。
というか、明らかに衰弱している。
実際、体が悪いのだろう。
ディカプリオ少年が慌てて駆け寄り――。
「シスター、起きて大丈夫なのですか!?」
「ディカプリオ……ええ、大丈夫です」
こほんこほんと咳を漏らすその声は、ひしゃげている。
重い病気を患っているのだろう。
おそらくは――パンデミックの呪いが徐々に発動されはじめている、といったところか。
シスターは骨と皮となった手で礼拝堂の椅子に腰かけ。
重い息を漏らす。
なにか、思いつめた、言わなくてはいけないことを告げる。
そんな、老婆の顔だった。
実際、十年前が若々しく見えただけで、それなりの歳だったのかもしれない。
聖人の周囲の人間は、その神聖な力を受けて若々しく見えるらしいともいうが。
「ディカプリオ。いいですか? おそらく、わたくしはもう長くないと思います」
「そんなことは、おっしゃらないで下さい。シスター」
ディカプリオ少年が目線を逸らしつつ、否定した。
けれど、彼自身もおそらく知っていた筈。
もうこのシスターは長くない。
「いいえ、これは運命なのです。わたくしは罪を犯したのですから、これも仕方がない事なのです――」
「シスターが罪、ですか?」
彼女の人となりを知っているだろうディカプリオ少年が、眉を顰める。
おそらくシスターは敬虔なる信徒だったのだろう。
だからこその疑問、といったところか。
けれど、老いたシスターは頷き。
「わたくしが死ねば、この罪も暴かれるでしょう。だから、悪いのだけれど、あなたが皆に、わたくしの犯した罪を隠したままで――皆にこれを配って欲しいの」
言って、老婆が複数の手帳を封筒から取り出して見せる。
それは――教会にはあまり似つかわしくない、とても現実的なモノだった。
「預金通帳、ですか?」
「ええ、わたくしが死んだ後、おそらくこの孤児院も認可が下りずに終わる。けれど、一番若いあなたが十五歳、もう一人前……とはいかないけれど、難しいながらも、働きながら暮らしていける年齢でしょう? だから、わたくしたちの家は、これでおしまい。全部、終わるのですよ」
独立するためのお金、ということだろう。
困惑しつつも老婆を支え、ディカプリオ少年が言う。
「終わるのは……仕方のない事ですが。貯金なんて、いつのまに――」
「開いてごらんなさい」
言われた神父は通帳を開く。
「シスター!? この金額は……っ」
「ええ、おかしいでしょう? こんなに貯めておけるはずがないと、そう思うでしょう? だからね、それがわたくしの罪。死んでも償えない、あなたたちへの裏切りなのよ」
あたしと池崎さんが顔を見合わせ、その通帳を覗き込む。
たしかに。
孤児院を継続しながら、こんな金額を集めるのは不可能。
そんな額だった。
それを子どもだった孤児院の家族、全員分が揃っているのだ。
老婆が言う。
「本当にごめんなさい。あなたたちには、特にディカプリオ。あの人を慕っていたあなたには、本当に悪い事をしたと、わたくしはそう思っているのです。だから死ぬ前に、どうしてもあなたに真実を打ち明けておきたかった。でも、これはきっとわたくしの我儘ね。何も知らせず、ただあなたたちにお金を遺していた方が、よっぽど正しい行いだったと、そう思ってはいるの――だから、ごめんなさいね」
告げた老婆が、震える指で示したのは――。
黒衣の神父が納められている筈だった、棺。
「この棺には、もう誰もいないのです……」
「何を言って……」
ディカプリオ少年は理解できていないようだった。
けれど、あたしは察していた。
「あの人は、本当に神の生まれ変わりだったのかもしれませんね……わたくしも本当に、驚きました。実は、あなたたちに内緒で、あの人を埋葬する話があったのです。いつまでも眠らせてあげることなく、ここで安置しておくのは、あの人にも悪いと思っていたから――」
告げて、遠くのあの日を見る顔で。
老婆が言った。
「だからね、わたくしは火葬の準備をする前に、一度、あの棺を開けたの。そうしたら、本当に……驚きましたよ。あの人は、あの時の安らかな顔のまま、静かに死んで、眠っていたのですから」
「どういう……おっしゃってる意味が、すみません。その、わたしには……」
困惑するディカプリオ少年に頭を下げ。
老婆が言う。
「きっと、本当にあの人は特別な存在だったのかも、しれません。けれど、わたくしはどうしても、この孤児院を守りたかった。あなたたちもそうですし、あの人が大好きだったこの場所を、この土地を、この生活を、守ってあげることが、あの人への恩返し――わたくしはそう思って、罪を犯しました。あの人はまるで生きているまま死んでいた……」
死んでも朽ちていない、不思議な身体。
それは言い換えれば、保存状態の良い、死んだばかりの肉体と同じ。
医学的に言えば――。
「移植が可能な身体、そう言えるでしょう?」
そう。
おそらく、彼女は父の遺体を臓器移植の売買に使ったのだ。
なるほど、彼女はその罪の呪いを受けてここまで老いてしまった――そうも考えられるかもしれない。
「シスター……、なにをそんな、なぜそんな嘘を、わたしに」
「ウソじゃないという証拠が、いま、あなたの手の中にあると思いませんか」
孤児院がなくなった後の子どもたちが、生きるために必要な。
現実的なモノ。
現金。
その通帳は、ディカプリオ少年の手に渡されていた。
「だって、そんな! シスターがそんな、臓器売買の、だって、そんな、人たちと……接点なんて」
「わたくしも、神父様に拾われ救われるまでは、少し、悪い事をしていたのですよ。本当に、悪い女だったのです。なのに、あの人は、そんなわたくしにも優しくしてくださって……なのに、ふふふ、わたくしはきっと地獄に落ちるのでしょうね」
思い出を辿るように、老婆が静かに瞳を閉じる。
「だから、死ぬ前に、地獄に落ちる前にあなたたちに謝ります。あそこに、神父様はもういらっしゃらないのです、だから、この孤児院が取り壊される前に、そのまま棺を埋めてあげてください。何も入っていない、空の棺ですけれど、それでも――他の子どもたちは、神父様が眠っていると思ってくれるでしょうから」
罪を打ち明けられたディカプリオ少年は困惑していた。
けれど老いたシスターを責めることはしなかった。
「シスターはずっと、その罪を誰にも言えずに……苦しんでいらっしゃったのですね」
「そうとも、いえるかもしれませんね」
「ならば、その罪はわたしが許しましょう。他の子達には、黙っておきます。とはいっても、通帳はちゃんと渡しますが――このことは、あなたとわたしの秘密にしましょう」
優しい言葉が、ディカプリオ少年の口から漏れていた。
老婆を気遣ったのだろう。
その姿は、まさに聖人の後光さえ射しているようにみえた。
この瞬間こそが、ディカプリオ少年が救世主の異能に目覚めた瞬間。
だったのだろうか。
罪を許す。
そういわれた老婆はわずかに目を見開き。
「そう、ありがとう。最後に、言えて、本当に良かった……ごめんなさいね、すこし、喋りすぎたら……疲れてしまったみたい……少し、眠ります」
言って。
老婆は天に召された。
少年は、空の棺に手を合わせた。
それから数か月。
ディカプリオ少年は全ての事後処理を終わらせ。
そして、孤児院を後にした。
独立した彼が向かった先は――病院。
その目的はきっと。
臓器移植された人物の捜索。
少年は、あの神父の面影を追ったのだ。
場面が再び切り替わる――。




