07.作戦
山脈の冷涼な空気が辺りを包む。
鉱山は険しい岩山に囲まれ、その入り口は薄暗く湿っていた。昼過ぎの太陽が高く昇る中、岩肌が照り返す光が少しずつ鉱山の内部にも届き始める。
入り口付近には炭と化した家屋の残骸が立ち並び、いつもなら薄汚れた鉱夫たちが生気を失った目をして行き交う広場には、打ち捨てられた古びた鉄製のツルハシやシャベル、擦り切れた革の手袋とブーツが散乱していた。
広場に並ぶ壊れかけた手押し車の影を縫うように坑道への侵入を試みているのは、安寧卿ミハエリス率いる軍の斥候だろうか。
想定していた罠も攻撃もなく、すんなりと坑道の入口に辿り着いた彼らは、崩れた入口の岩をどけ、人一人が何とか通れる隙間を確保した後、真っ暗な坑道へと消えて行った。
そんな鉱山入口の様子も安寧卿ミハエリスたちが陣取る場所も観察できる高台の岩穴に、ヨルたちは身をひそめていた。
「あれが、ミハエリスか。さすがはライラヴァル。見立て通りの日程で来たな」
「お褒め頂き恐縮ですわ! あとは3日ほどここに引き付けておけば、ゴールドクレスト山脈を抜けたヴォルフ将軍が先にベルヴェーヌに到着するでしょう」
「最初にミハなんとかを見つけたのはルーティエです! あのあたりに陣取ると思って、枝を指しておいたんです」
「うん、ルーティエも頼りになるな」
「もちろんなのです。ふふん」
「にゃんねーにょー……、にゃんにぇーにょー、みにゃ……うにゃ?」
「安寧卿ミハエリス、か? あー、うん。ミーニャは寝とけ」
「うにゃん」
ヨルの左右を陣取ったルーティエとライラヴァルが、お互いをけん制しながらお役立ちアピールをしてくる。あと、ニャンコ。できたら他で丸くなれ。膝で寝られたら、立ち上がれないではないか。
盾の月1日。
グリマリオン鉱山を目視できる位置に陣を築いた安寧卿ミハエリスたちを遠目に見ながら、ヨルはこれまでこの10日ほどを振り返る。
ヴォルフガングの部下を救出した二日後、多少体力が回復した部下と共にヴォルフガングはベルヴェーヌ目指して旅立っていった。ヨルたちはさらに4日を鉱山で過ごした後、鉱山襲撃の騒ぎを起こした。
鉱山襲撃と言っても、ほとんど冤罪に近い状態で連れてこられた鉱夫たちを傷付けるつもりはないし、鉱山に大ダメージを与えて聖ヘキサ教国の人々を魔獣の危機にさらすつもりもない。
だから上っ面だけ爆破して、鉱山労働者の皆さんには襲撃に乗じて逃げ出していただいた。もちろん、そう言う暗示をかけたわけだ。
鉱山の管理者たちにも「脱走者を追いかけなければ」といった暗示をかけて時間を空けて放してあるから、鉱山労働者の皆さんには頑張って逃げ延びてもらいたい。
これだけ大量に逃亡すれば捕まる者もいるだろう。捕まる数が増えるにつれ全容が明らかになるだろうが、「あれ、襲撃時の死傷者、ゼロなんじゃね?」と分かるのは数週間ほど先の予定だ。
(鉱山襲撃までは良かったんだよ。ガリガリだった鉱山労働者に暗示かけたり飯食わせたリ、坑道の調査したりで忙しかったぶん、ある意味平和だったから)
問題は、鉱山襲撃ののろしを上げてから、ミハエリスたちが来るまでの3日間だ。
ルーティエとライラヴァルがどっちがヨルの役に立つかで争って、そりゃあもう大変だったのだ。
お子さまとおネェさまとお猫さまから構成されたこの集団はハーレムなんかじゃないけれど、世の中のハーレム系主人公はどうやって皆を仲良くまとめているのか。大事なことだから二度言うが、これは断じてハーレムなんかじゃないけれど。
「交戦する必要はないからな。奴らだってさっさと片づけたいはずだ。感知できる程度の魔力をだせばやって来る。あとは姿を見られないように気を付けつつ、坑道の地形を利用して逃げ隠れすればいい」
「仰せのままに」
「ルーティエにお任せなのです」
「ふにゃはー、ミーニャはなにするにゃ?」
「ミーニャはセキト係な。中でねとけ」
「うにゃは」
もふもふ、もふもふ。
眠たいミーニャは、ほぼただのニャンコで可愛いな。
ヨルがモフっていると、つられてルーティエもモフりだす。
いや、モフっている場合じゃない。ここからは交代で鉱山に潜って、ミハエリスを引き付けるのだ。
換気口やら崩落跡やら出入りできる穴はいくつも空いているし、坑道は迷路のように複雑だ。魔素がかろうじてある待機場所で交代で回復しながら最低2日、できれば4日ミハエリスたちとこの鉱山でかくれんぼだ。
本当は身体能力の高くないルーティエは、ミーニャと留守番して欲しかったのだが、どうしてもと言い張るので短時間だけお願いしている。
(なんかライラヴァルと張り合うんだよな。セキトの待機場所、ちょっと危ないから行きかえりが心配なんだが。まぁ、送り迎えすればいいか)
グリマリオンの北方に陣を敷くミハエリス達に対して、ヨルは西方の崖にセキトを待機させている。
ゴールデンクレスト山脈は魔素枯渇地帯だが、鉱山から数キロ離れれば風の向きや地形によって薄いながらも魔素溜まりや魔素が流れてくる場所がある。安寧卿ミハエリスたちが陣取っているのが魔素だまりで、セキトがへばりついている崖が気流にのって魔素が流れてくる場所だ。
セキトの待機場所を見つけた時は驚いた。ゴールデンクレスト山脈がこんな風に終わりを迎えているとは思わなかったのだ。
魔素が薄くても地球の森程度の樹木は茂っている山道が、鉱山からたった数キロ離れただけで無骨な岩が転がる荒れ地に変わったかと思うと、切り立った崖でその終わりを告げている。
砂交じりの風が吹きつける絶壁だ。崖の縁に立つと、魔素と細かな砂が混じった風で視界はもうもうと曇って、魔王の目でも谷底どころか数十メートル先が見えない。
この風は、遥か南に広がるナフトラリア大砂漠から吹いてくる。
砂で煙ったこの崖のずっと西にはハイメイル山脈が始まっていて、ハイメイル山脈とゴールデンクレスト山脈に挟まれたこの大渓谷はナフトラリア大砂漠の北端にあたる。
標高の高いここは、まだ砂塵も風も少ないけれど、谷底は砂漠から吹き付ける風が二つの山脈に当たって谷底の砂をかき乱し、空と大地の境があいまいな場所になっているのだろう。
落ちれば抗うこともできずに呑み込まれ、砂と共にナフトラリア大砂漠へと流される、ザリアント流砂帯と呼ばれる場所の始まりでもある。
落ちれば一巻の終わりの危険極まりない場所だが、落ちなければ問題はない。魔人であるヨルとライラヴァルなら問題ないし、ハイパー荷運び蟹のセキトなら垂直の壁だって何のそのだ。
(ここなら安寧卿ミハエリスたちにも見つからないだろうし、鉱山は迷路みたいだし。うん、順調、順調……だよな。たぶん)
……慢心している時に限って、思いがけないことは起こるものなのだが。
「うにゃは~」
毛玉がモフくてあったかい。
いつの間にかライラヴァルまで加わって、3人で毛玉をもふっている。
ここはヨルのハーレムではなくて、ミーニャを囲むハーレムだったか。
毛玉を囲む3人の心は、今、一つに……!!!
なったかどうかは不明だが、ライラヴァルとルーティエの仲が縮まったようなので、ひとまず良しとすることにした。




