03.ヴォルフガングの過去
(魔人も人だと思う日が来るとはな……)
自室の扉にもたれ掛かりながら、ヴォルフガングはヨルたちの会話に耳を傾けていた。
盗み聞きをするつもりはなかったし、扉に近づくだけで聞こえてくるのだ、ヨルだって隠すつもりはないのだろう。
言葉が通じるのに話が通じない、人の形をした獣。
それがヴォルフガングの知る魔人という存在だった。
「喰らいたくない」と嘆く魔人、我を忘れて貪る魔人、残虐に弄ぶ魔人。
人間を前にした彼らの表情は喜怒哀楽様々だけれど、その全員がもれなく人を食い殺す。
そして話をすればするほどに、彼らが別種の生き物なのだと思い知るのだ。
知恵はあるが理性はない。人の形をしていても中身は魔獣と変わらない。
それが魔人という存在だと思っていたのに。
(魔王がたった一人の人間の女と心中か……)
永遠に生きられる魔王が、焦がれた相手と共に終わりを迎えようなど、なんて情熱と絶望だろう。
短絡的ともとれる終焉。
それを望んだ魔王という存在が、ヴォルフガングにはひどく人間臭く思えた。
(ヨルに出会わなければ、妄執に囚われ危うく敵を見誤るところだった)
ヴォルフガングは『魔人殺し』だ。
魔人を危険だと思う気持ちは変わらないし、生き方を変えるつもりもない。
だが、魔人だから、敵国の者だから敵だという認識は最早ない。
今ならば、正しく敵を認識できる、そんな気がした。
■□■
――ヴォルフガングには、かつて三人の妻がいた。
一人目は同郷の幼馴染で、気心の知れた相手だった。
まだ若く、生まれた村で暮らしていた頃のことだ。
彼女との間には三人の男児に恵まれた。
のどかなばかりの退屈な村だったが、村の周囲の魔獣を狩るだけで家族全員楽に暮らせたし、村を守るヴォルフガングを次期村長にと推す声もあった。
若いヴォルフが日々現れる魔獣以上の刺激や変化を求めなかったといえば嘘になる。
けれど、金も名誉も成功も、家族を捨ててまで欲したことは一度もなかった。
なのに。
ある日、狩りを終えて家に戻ると、魔人が妻と二人の息子を食い殺していた。
子供を守ろうとしたのだろう。妻は、幼い二人をかばうように抱きかかえ息絶えていた。けれどその二人の息子もまた、手や足を食いちぎられて、失血死していた。
妻子を殺した魔人は……、長男だった。
ヴォルフガングは、泣きながら母親の肉を喰らう息子を、息子だった魔人を滅ぼした。
魔人を滅ぼした栄誉、魔人を家族から出した不名誉。
なによりも、妻との思い出の詰まったこの村に、とどまることなどできなかった。
村を離れ王都へ向かったヴォルフガングを救ったのは、持ち前の武勇と、皮肉なことに魔人を滅ぼしたという実績だった。
兵士の職を得たヴォルフは、家族を失い、子供を手にかけた思い出から逃れるために、がむしゃらに剣を振るった。
二人目の妻を得たのは、小規模な隊を任されるようになったころだった。
「妻子を失った悲しみも、子を手にかけた苦しみも消えることはないだろう。けれどそれを抱えたまま、新たな喜びを得ることはできる。何よりお前は強者だ。強者には血を残す義務がある」
当時の上官がそう説得したのは、魔人と聞けば刺し違えてでも屠ろうとするヴォルフガングを心配してのことだったのかもしれない。
上官に勧められ、会った女性が二人目の妻だった。
美しいが、どこか張り詰めたような雰囲気のある、そんな女性だった。
聞けば魔獣との戦いで死んだ兵士の妹で、兄を失ってより天涯孤独。そこだけがヴォルフガングと似ていた。
彼女には苦労をかけどおしだったように思う。
彼女にとってはヴォルフガングだけが家族であり寄る辺であったのに、失った妻子を振り切れず、憑りつかれたように魔人狩りを続けた。
病弱な体質もあってか従順でおとなしく口数の少ない妻は、いつ帰るとも、帰ってこれるかもしれぬ夫を、ただひたすらに待っていた。
陰鬱だった家に明かりが灯ったようになったのは、子を授かった頃だったか。
ヴォルフガングのひび割れた心が静かな喜びで癒された頃、ヴォルフガングは妻に問うたことがある。
なぜ、俺との結婚を了承したのかと。
もっと他に、愛情を与えてくれる男がいただろうにと。
その問いに、妻はよどみなくこう答えた。
「あなたが魔人殺しだからです」
兄は魔獣に殺されたけれど、妻の親兄弟もまた、魔人によって殺されたのだという。
魔人は村長の息子で、駆け付けた兵士に滅ぼされるまでに、村の半数を食い殺したという。
「生じたばかりの魔人は弱いと聞きます。けれど、人の、家族の姿をしている。だから、誰もが剣をためらい、そして、被害は拡大すると。
魔獣や災害、病でも人は死にます。けれど、魔人は人の姿をしていて、人の頃の名前がある。だから、魔人に大切な者を殺された人は、どうしたってあきらめきれない。納得なんてできっこない。人の名を持つ魔人を、恨んで、恨んで、ずっとずっと。
あなたは魔人を殺した。殺してくれた。これからも、魔人が現れたなら、きっとためらわずにその剣を振るうでしょう」
従順でおとなしいとばかり思っていた妻は、芯に強い復讐心を持っていた。
「子供を産みます。あなたの力を受け継ぐ、強い子を」
彼女は3人の子供を産み、体の弱い娘以外は兵士になった。
妻の思惑はどうであったにせよ、新しい命が成長していく姿はヴォルフガングに生きる喜びを思い出させてくれたし、彼を立ち直らせ、成長へと導いた。
二人目の妻は3人目の子供を産んだ後、病を得て天へ召された。
兵士となった子らは魔獣を倒したし、何人かは魔人さえ討伐した。その点で、妻の願いはかなったのだろう。けれど、兵士となった子らは、魔獣との戦いで、あるいは戦争で死んでしまった。子らが幸福だったのか、ヴォルフガングには分からない。
「愛している」
いまわの際に、初めて告げたヴォルフの言葉に妻は微笑み、
「新しく、奥様をお迎えください」
そう告げた。
彼女との間に生まれた娘。体が弱いゆえに兵士になれず、それ故母の愛情を得られなかった哀れなセレネ。彼女だけは幸せにしたい。
ヴォルフガングに残った思いはそれだけだった。
三人目の妻はいわゆる政略結婚だった。
武功を上げ、一代限りとはいえ爵位を賜った。ヴォルフガングを将軍の職に就けるには後ろ盾が必要で、そのための婚姻だった。
戦いに明け暮れ、家庭など顧みなかったヴォルフガングに病弱な娘の面倒など見れるはずがない。この縁談はヴォルフガングにとっても都合がよかったし、枯れ果てた心には、利害ばかりが優先される冷めた関係性がしっくりときた。
相手は前王の派閥の旧家。旧家の娘と言っても家名だけで、傍系の下級貴族から養子縁組された女だ。平民上がりの将軍を支えるのにふさわしい能力を持つ者が選ばれたのだろう、華々しい美しさはないが賢い女だった。
政略結婚と言えど妻を粗末に扱うつもりはないし、役職に見合った贅沢をさせる甲斐性はあったのに、彼女はそれを望まなかった。化粧を施し、はやりのドレスで着飾れば相当に映えただろうに、あえて飾らず目立たず立ち回る。内助の功を体現したような女性だった。
将軍ヴォルフガングの勇名は、彼女の支えにより確固たるものとなった。
彼女との間には、ヴォルフガングによく似た息子が生まれた。翌年には男女の双子。強い父と賢い母の血を引いた息子は幼くして神童とうたわれ、将来を期待されていた。病弱だった娘、セレネの体調も快方に向かい、母親譲りの美貌は社交界にうたわれるほどだった。将軍ヴォルフガングの栄華はこれからだと思われた矢先に、事件は起こった。
ヴォルフガング出征中の惨劇。
屋敷が、魔人に襲われたのだ。
これまでの事件とは違う。屋敷の誰かが魔人化したわけではない。理性を保つ魔人によって、ヴォルフの屋敷は襲撃された。
生き残ったのは、療養で偶然屋敷を離れていた病弱な娘と幾人かの使用人。妻と幼い子供たちは、魔人の牙にかかり、無残な姿になり果てていた。
世間では、魔人殺しの異名を持つヴォルフガングに対する、魔人の復讐だとされた。
けれど、真実は異なっている。これは政争。ヴォルフガングを、いや、前王を亡き者にしようとする派閥による暗殺だ。理性を保つ魔人の傭兵がいるといううわさは、ヴォルフガングの耳にも入っていた。
それを証明するかのように、ヴォルフガングを取り立てていた前王が病に伏し、王位は息子のものとなり、追い立てられるようにヴォルフガングは無謀な戦場へと送られた。
(魔人は殺す)
サフィア王国のどこかに、ヴォルフガングの家族を殺した魔人が潜んでいる。
妻子を殺した魔人を、『魔人殺し』は生かしておかない。
これまでならば、それで復讐が成ったと思っただろう。だが今は。
「汝のなすべきことを成せ」
ヴォルフガングを隷属の首輪から解放した、ヨルの言葉が耳に残る。
魔人を引き入れ、妻子を殺させた者がいる。おそらくそいつは、国へ帰したはずの部下たちが、メリフロンドで遺体となって転がっていたことにも関係しているはずだ。
そいつが魔人でなかろうと、例え自国の者であろうとも。
(俺は、なすべきことを成す)
まずはヴォルフガングの進むべき道を求めて。
知らせを寄越した部下たちは、ゴールデンクレスト山脈にあるグリマリオン鉱山に囚われている。
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