024.そしてエビは赤く染まる
(うわぁ、アレ、やばくね? 俺、群体恐怖症なんだよね。行きたくねぇ……)
うじょうじょエビが集まるメリフロンドを見たヨルは、肌が粟立つ思いがしていた。
(魔王サマって名ばかり管理職? いや行くけど。行くけどさ。見てるかー、ルーティエ)
誰に対する言い訳か、キモイキモイと思いながらも走行速度は維持するヨル。
ドリスと街を助けるのだと、意気揚々と飛び出してきたのだ。キモイくらいで臆していては、超絶成長期を見せてくれたルーティエに示しが付かない。ルーティエに立派に育ってもらうためにも、お父さんとしてはカッコイイ所を見せなければ。
(魔女王ラーマナも義娘だったし、ルーティエも娘みたいなもんだよな。てか、魔晶石を与えた配下は、みんな子供的なポジションな気がすんな)
こんなこと、うっかり口に出したなら、みんなが「パパぁ! パパぁ!」と群がってきて、変なパパ活みたいになりそうだ。お手当、一体いくら払えばいいんだろう。いや、逆に貢いでくれそうだけれど。
何にせよ適切な距離感は重要だ。特にライラヴァル。奴にはヨルが配下にそんな親しみを感じていることなど、絶対に知られてはいけない。
そんなどうでもいい雑念で気を紛らわせながら、メリフロンドへと駆け付けたまでは良かったが、 ライツ葬送に面した岸に人間が集まっている場所があるらしい。一か所、飴玉にたかるありんこだとか、家庭菜園――特にマメ科にたかるアブラムシみたいな感じで、魔物エビが集っている。編術師団の研究施設からは離れた場所で進行の邪魔にはならないが、あの状態を放っておくのはまずいだろう。
グロースプラガーの大量上陸を防ぐために数を減らしておきたいが、いかんせん数が数だ。魔王の超火力に任せて「焼き払え!」みたいなことをやっちゃえば結構スッキリしそうなのだが、困ったことに人間もいる。
(ぷちぷち潰していくしかないかー。分かってるけど、超めんどい。……って、あれ?)
一面エビだらけの黒だかりを一匹ずつ潰すのヤダなと思っていたら、黒だかりの奥の方に知った魔力の反応を感じた。一面エビの壁みたいになっていると思ったら、内部から防護障壁を張って防いでいるらしい。
この魔力は覚えがある。ノルドワイズに置いてきたはずのライラヴァルだ。
どうしてこんな場所にいるのかはおいておくとして、防護障壁はグロースプラガーを防ぐにしては過剰な強度で、物理に加えて耐魔法性能までありそうだ。これなら、ヨルが外から一撃加えても、何とかもつのではないか。
「なんかわからんが、ライラヴァルが防護障壁を張っている間に焼いちゃおう。いきなり灰燼に帰す炎!」
瞬時にそう決めたヨルは、ライラヴァルの防護障壁に群がるグロースプラガーめがけて、いきなり灰燼に帰す炎をぶっ放した。
■□■
「いやああああぁ! キモイー! 来ないで、来ないで、群がらないでー!!!」
グロースプラガーに群がられたライラヴァルは、割と本気で悲鳴を上げていた。
普段なら、『銀のライラヴァル』なんて呼ばれて、世の女性にキャーキャー言われるライラヴァルだが、エビにはキャーキャー泣かされている。
ザッパーンでドッパーンな感じで襲ってきたグロースプラガーを、思わず防護障壁で防いだまでは良かったが、その後もどんどん結界に張り付いてくるグロースプラガーの群れに身動きが取れなくなっていた。
ヨルが魔物の血を「饐えた臭い」と感じたように、魔物は魔人を襲わない。
魔人や魔物が求める要素を、自らの狂い月の血が喰い尽くしているからだ。
だから、グロースプラガーが狙っているのは魔人化しているライラヴァルではなく後ろに隠れる人間たちで、防護障壁さえ張らなければライラヴァルを無視して人間を襲うのだが、半ば狂乱状態のライラヴァルはそんなことにも気が付かずに必死なあまり障壁に割と過剰に魔力を注いでいる。
「いやー! 裏側、超キモイー!!!」
障壁いっぱいにびっちり張り付いたグロースプラガーの裏側の気持ち悪さは、この場にいる全員が満場一致で同意することだろう。
普通のエビっぽい構造に加えて触手も生えているし、結構な割合で抱卵個体も混じっているのだ。
ガシャガシャのウニョウニョのツブツブなのだ。それが視界一面びっしりなので、それはもう、ライラヴァルの視界はたいへんな状況だ。今、障壁が破れたら、幾重にも折り重なって張り付いたグロースプラガーが土砂崩れのように落ちてくるだろう。それを想像しただけで気持ち悪さはマックスだ。今のライラヴァルは能力的には余裕があるのに、精神的にいっぱいいっぱいで、「助けて、神さま仏様」ならぬ「助けて魔王様」状態だ。
「ギャー、ヨル様助けてェー!!!」
ライラヴァルがこんなに必死に誰かに助けを求めたのは、おそらく生まれて初めてかもしれない。
田口因のような一般庶民は、下痢をしたとか熱が出たとか、あるいは虫歯になったとかいう割としょうもないことで助けを求めて神に祈りを捧げるのだが、ライラヴァルは過酷な家庭環境の中、枢機卿にまで上り詰めた男だ。オネェな言動に相反して、心身ともに武将のように屈強なのだが、そのライラヴァルが必死にヨルに助けを求めた丁度その時。
ゴオオォ! ゴバアアァァン!!!
目が眩むほどの光が走ったかと思うと、ライラヴァルの結界をすさまじい熱量が覆い、一瞬の間をおいて、障壁を覆っていたグロースプラガーが熱に焼かれてはじけ飛ぶ衝撃が襲った。
「ぎゃあああ! なにぃ? なんなの!? 熱っ、あっつー!!! 守りの大盾、守りの大盾、守りの大盾ぅー!」
溶岩のごとき熱量に、岩石が降り注ぐような衝撃。まるで火山の噴火に巻き込まれたような衝撃に、過剰に張っていたはずの防護障壁がガラスの様にたやすく割れ、赤く焼けたグロースプラガーの欠片と熱風が吹きこんでくる。
100度を超える高温蒸気は触れただけで火傷を負わせる凶器だ。ライラヴァルはパニックになりながらも守りの大盾を展開し、破れた障壁を補強する。
しかし、それもその場しのぎ。この高温が後数秒も続けば、ライラヴァルの障壁は崩壊し、灼熱の蒸気と共に焼けたグロースプラガーが降り注いでくるだろう。
(一体何!? 何なのよォ! ヨルさまの魔晶石を頂いた、あたしの障壁なのよ!?)
わりと本格的な危機にライラヴァルがようやく冷静になると同時に、エビのはじける音に交じって「凍れ」と澄んだ声が聞こえた。
自然すらひれ伏す魔王の声に、障壁の外を覆っていた灼熱は瞬時に消え去り、急激に冷えて収縮した空気が激しい風を巻き起こす。
熱と冷気と暴風と、真っ赤に焼けたエビの山。めまぐるしく移り変わる状況に多くの者が目も開けられずその場にうずくまる中、ライラヴァルだけはそれを起こした漆黒の影を認めた。
(あのお声、あのお姿は……!)
オトメ? のピンチにさっそうと駆け付ける。
そんな素敵な存在は、たった一人しかいないだろう。
「やはりライラヴァルか。障壁を張ってくれていて助かった」
「ヨ、ヨ、ヨ、ヨルさまああああぁぁぁ!!!」
こんがり赤く焼けた巨大エビの向こうから、さっそうと現れたのは、思った通りライラヴァルの魔王様、ヨルだった。
焼きエビの向こうから現れた時点で、だいぶシュールな絵づらなのだが、配下補正が掛かったライラヴァル視点にかかれば、こんがり赤い焼きエビも、赤い薔薇の花園のごときだ。ほんのりおいしそうな匂いさえ、これっぽっちも気にならない。
(あぁん、こんな登場の仕方、ズルイ!)
ライラヴァルはどちらかというとファッションオネェなのだけれど、こんな風にピンチに駆けつけられたなら、メロメロになってしまうではないか。
ライラヴァルから見たヨルは、魔王様というより王子様だ。
と、なれば、救われたライラヴァルはお姫様か。ちょうどエステでピカピカに磨き上げたところだ。抱き着いたって許されるかもしれない。
「ヨル様ぁ!」
ライラヴァルのホップ・ステップ・ジャンプ。
ヨルまでの十数メートルの距離をものともせずに、ロングジャンプでヨルめがけてタックル……違った、飛び込むライラヴァル。しかし、それをひらりと躱してヨルは転がる焼きエビの合間に着地する。こういう時には、魔王ボディーの身体能力はものすごく頼りになる。
「ちょうど良かった。ライラヴァルよ、俺が結界を起動するまでの間、お前はこのままグロースプラガーの上陸を防いでくれ」
「は、はい、ヨルさま! あの、お伝えしたいことがあって!」
「あとで聞く!」
魔王様の命令には「Yes」以外の返事は存在しない。直接命令を頂くことは心躍る幸福だ。
ライラヴァルは「お任せください」とだけ答えて命令をいただく愉悦に酔いたいところを何とか自制し、メリフロンドに来た目的、ヨルにある情報を伝えようとしたのだが、肝心のヨルは命令を一つ残してメリフロンドの街へと走り去ってしまった。
寝ずに仕事をかたづけてメリフロンドまでやって来たのに、ようやくの逢瀬はほんの数秒だ。
走り去るヨルの後ろ姿はすでに小さく、声もすでに届かないだろう。
「んもう、ヨルさまったら! ……でも、うふふ。ピンチに颯爽と現れて助けてくださるなんてー! きゃあーっ」
こんなに尽くしているというのに冷たくて、けれど、本当のピンチには現れて助けてくれるだなんて。売れっ子ホストも真っ青なしごできぶりではないか。
(全くなんてひどい男。もう、もうもう、だいすき! 脳が溶けちゃう! ホンット、らいしゅきー!)
通常、発狂せずに魔人化が進むほど、知能も進化していくのだが、ライラヴァルの知能はヤバいくらいに低下して、魔石と化して崩れていく赤いエビの亡骸も、薔薇の花びらが散っていくように見える始末だ。
「きゃ~~~~~~~~~っ(意訳:ヨルさまカッコよすぎでしょ~)!!」
シャシャシャシャ、シャキーン。ライラヴァルの奇声と共に、銀の棘が何十本も空中に浮かぶ。
「きゃ~~~~~~~~~っ(意訳:ヨルさま惚れちゃうんだけど~)!!」
ドンドドン、ズバーン。ライラヴァルの奇声と共に、銀の棘が生き残ったグロースプラガーを倒していく。
「きゃ~~~~~~~~~っ(意訳:略)!!」
「きゃ~~~~~~~~~っ(意訳:略)!!」
「きゃ~~~~~~~~~っ(意訳:略)!!」
魔滅卿として対魔物には聖ヘキサ教国一の攻撃力を誇るライラヴァルが愛を叫びつつハッスルしたおかげで、高級ホテル周辺の被害はゼロに抑えられた。




