016.下層にて
エビの養殖場、もとい魔石工場の見学の後、ヨルたちはメリフロンドの下層をのんびりと観光していた。
(やー、この景色、ファンタジーって感じでいいな!)
魔王の記憶に存在しない、全く知らない場所、しかも異世界を散策するのはひどく楽しい。そんなヨルたちを呼び止める者があった。
「兄ちゃんたち、観光かい? あたいが案内してやろうか? 兄ちゃんどこに行きたいの?」
無邪気な声に振り返ると、八重歯のある口元で人懐っこくニコッと笑う少女が立っていた。
よく見ると少女の服は薄汚れているし、髪もボサボサ。ヨルの鋭敏な嗅覚には、ツンとした汗の臭いと梅雨時の洗濯物のような湿った臭いが漂って来る。
(貧民窟か何かがあるのか……。それとも孤児院の子供?)
おそらく小銭を稼ぎたいのだろう。
ここが現代だったなら、詐欺や犯罪に巻き込まれる可能性が高いから、ノーセンキューと立ち去る所なのだが、この世界ではどうやらそうではないらしい。周りを見渡した限り、小銭を握らせて荷物を運ばせたり、案内を頼む様子が見て取れる。
「ドリス、相場は?」
「半日で銅貨2~3枚かな」
「ここはメリフロンドだよ、もうちょっと色を付けて欲しいなぁ」
困った時のドリス先生に聞いてみたところ、案内を頼むのは問題ないようだ。小声で聞いたはずなのに、ちゃっかりと聞き取って賃上げ交渉してくるあたり、なかなかにたくましい。
「俺たちはメリフロンドに来て日が浅い。まずはこの街のどこに何があるのか教えてくれると助かる」
そう言ってまずは銅貨を1枚渡すと、少女は「毎度! あたいはナビアってんだ、よろしくな」と名乗った後、身振り手振りで話を始めた。
「この街ってさ、“湖から突き出した岩山に作られた街”なんだよ。なんか、むかーしむかしに魔人が作った人工島らしいんだけど。
あいつら高いとこが好きだったのかな? ここは縦に長い構造でさ、てっぺんには魔人時代の豪華な遺跡が立ってんの。ナントカと煙は高い所が好きって言うけど、魔人も高いとこが好きだったんかな? で、その立派な建物は、今じゃメリフロンドを支配してる連中の住処やお役所になってる。人間もさ、上の立場に立ちたがるヤツは高い所が好きみたいだね」
「ミーニャも高いとこ好きにゃ」
ナビアの話になぜかミーニャが反応する。そう言えば、猫は高い所が好きだ。折角人語を喋る猫がいるのだ、話が脱線するに任せて思わず「なんでだ?」と聞いてみたヨルだったのだが。
「シモジモのモノを見下ろしているんにゃ」
ろくでもないニャン子から、ろくでもない答えが返ってきた。
それを聞いたナビアが「上の連中もそうなのかもなぁ」なんて笑っているが、確かに高いところが好きというより、見下ろすのが好きなのかもしれない。
「えっと、上はそんな感じ。で、真ん中らへんが遺跡のメイン。数百年前まではさ、いろんな魔導具があったらしいよ。それでメリフロンドは魔導具の街として発展したっていうか」
「聖遺物や転移門が見つかったのか?」
「何言ってんだよ、兄ちゃん。聖遺物はヘキサ神さまがくれたんでしょ。それに転移門ってむかーし魔人が長距離移動するのに使ってたってやつだよね? でもそれ、街外れにしかないんだよ。いきなり敵がわーって来ないようになんだって。
ここで見つかったのは魔導具を作れる道具なんだ。それで、今も国中の魔導具を作ってるんだ」
ナビアの話によると見つかったのは編術師団が使っていた作業場、あとは住居跡だろうか。
「今じゃ遺跡のガワだけで遺跡の中だけじゃなく外にも増築して人が住んでる。もう、家を建てられる場所、残ってないんじゃないかな。
え、なんで木を切らないのかって? この辺の木はさ、すっげー水を吸い上げるんだ。中層とかそれこそてっぺんまで水を運んでくれてんの。しかも浄化っていうの? 飲めるくらい綺麗な水になってるから、超重要。超ライフライン。その木がデタラメに生えるから、街もデタラメになっちゃったみたいな。場所によっちゃ。絶対に迷子になるから、あたいらみたいなのに案内してもらうといいよ!」
しれっと営業トークを挟みつつ説明を続けるナビア。
ごちゃごちゃしている中層は一般層の生活圏らしい。
住人たちの居住区はもちろん、メリフロンド名物の魔導具街やそれを目当てに来る商人、旅人相手の宿屋や料理屋、雑貨店、果ては武器防具屋までがギュギュっと詰め込まれている。ヨルたちの宿も中層だ。
逆に水面に近い下層はほぼ公共の区画だ。水獣がけん引する運搬船の発着場に、聖都まで続く鉄道獣車の駅、エビの養殖場もとい魔石工場はもちろんのこと、宮殿みたいな広々豪華な施設もある。何だろうと聞いてみたら、なんとメリフロンド一の高級リゾートホテルらしい。
「下層が一番広そうだが、ここには住居や店舗はないのか?」
「ここは足場が悪いし……危ないからさ。ホテルとか駅とか、金かけてる場所以外はひどいんだ。住んでるのは、あたいらみたいなのだけだよ」
下層は緑が豊かで広そうに見えるが、モスに樹木が根を張っているだけで陸地はさほど広くないらしい。整備されているのは駅などの公共施設やリゾートホテルだけで、その他の場所では上層や中層から水やら生活排水やらが幾筋も小滝のように降ってきて雨の日の様に湿度が高いし、足元はどこもべちゃべちゃだ。何より下層は時々魔獣が出るのだ。
「魔獣がでるのか。結界はどうなっている?」
「そういうの、駅とかホテルとかにしかないんだよ。だから、普通は魔獣が上がって来れない上の方に住むんだ」
メリフロンドに来た時から不思議に思っていたのだが、この街を護る結界はどれも音波系、魔獣が嫌う音を出す物ばかりだった。この辺りの魔獣はすべて水棲で、音波系の魔導具は効果が高い。だからなのかと思っていたが、メリフロンドを造ったのが編術師団長エレレなら、あんな耳障りな魔導具を使うだろうか。研究に集中できないと、爆破する姿しか思い浮かばないのだが。
ともかく下層の安全が十分確保されていないせいで、駅やホテルといったガッツリ守られている施設のほかは、公園や倉庫と言った人が居住しない用途に充てられているそうだ。
そして、その中でも安全の面でも環境面でもよろしくない区画に、いわゆる貧民窟がある。
「ねぇ、そこに、教会とか孤児院もあったりするのかな?」
「うん、あるよ。赤毛の姉ちゃん」
ドリスの質問にナビアが答える。なんでも親が死んだり捕まったり、あるいは親に捨てられたりした行き場のない子供たちが集まって暮らしていたのを見かねて、教会の関係者が孤児院を建てたのだとか。メリフロンドの税金は驚くほどに高額だが、さすがに下層の孤児にまで税金を取り立てたりはしなかったらしく、いつしかそこに貧しい者が集まって貧民窟になったという。
「説明はこんな感じかな。さて、どこを案内しようか?」
もちろん追加料金だよ、と言いたげに手を出して笑うナビア。
案内のお陰で行きたいところができたヨルだが、ここから先はヨルが魔人だと知らない者は連れていけない。どうしたものかと考えるヨルに、ドリスが「いいかな」と口を開いた。
「ボクさ、孤児院に行きたいんだけど、案内してもらっていい?」
神学校に通い、学生の身分ながら神職にも付いているドリスは、ホウロウ村での稼ぎのいくらかを孤児院に寄付したいのだという。
「ヨルたちは宿に戻っててくれていいよ。ボクだけでいいからさ」
ヴォルフガングをちらりと見て言ったのは、いらぬ噂を流す必要はない、ということだろう。
確かに“将軍のそっくりさん吟遊詩人”は酒場でこそ有効だが、断片的に話題をばらまく子供相手ではいらぬ嫌疑をまねきかねない。
「そうか。それじゃあ、これは俺から」
「些少だが俺からも」
「ルーティエもヨルさまにならうのです」
「にゃんにゃ」
せめて寄付をとヨルが大銀貨を数枚渡せば、ヴォルフガングとルーティエも大銀貨を出してドリスに渡す。ちなみに駄ネコが背中のリュックから取り出したのはエヤミドリの尾羽だった。ちなみにヨル制作の猫じゃらしは気に入ったのか入っていない。
(羽って猫の宝物かよ……)
超立派な赤い羽根が何枚も。赤い羽根は募金をしたらもらえるもので、募金の代わりに渡すものではないんだぞと突っ込みそうになったヨルだったが。
「これってエヤミドリの羽だよね? いいの、高く売れるけど」
「にゃんにゃ」
ドリス曰く、これはこれで大銀貨くらいにはなるらしい。大事な宝物を差し出したミーニャを褒めてやらねばいけないだろう。
「あと、ナビア。案内料だ。ドリスを送ってやってくれ」
「こんなに寄付してくれるなら、案内料なんてもらえないよ!」
「じゃあこれで、何か土産でも買っていくといい」
「うん! ありがとう、イケメンの兄ちゃん!」
金を差し出すと兄ちゃんの前に“イケメン”が付いた。恐ろしく調子のいいナビアはヨルが追加で差し出した銀貨をかっさらうと、ドリスと共に下層の喧騒へと消えて行った。
二人の姿が消えるのを見届けると、ヴォルフガングがニヤリと笑って聞いて来る。
「それで、お主はどこへ行くつもりだ、目的地ができたのだろう?」
「せっかく、魔人遺跡の塊みたいな街に来たんだ。まだ発見されていないお宝が眠っているかもしれないだろう?」
バレたか、とばかりに返事をするヨル。
ここは、編術師団の本拠地だ。連中のことだから、知的好奇心の赴くままに雑多な研究をしていたのだろうが、少なくとも魔人文明の終末期にしていた研究ならば予想がつく。
もしその途中成果が見つかっていたなら、絶対に話題になるはずだし、なにより編術師団長エレレがいる施設なら転移陣は必ず設置しているはずだ。
それが見つかっていないということは……。
(2号機的なアレとか量産型的なソレとかがあるかもしれないからな!)
まだこの街に眠っているお宝を探すべく、ヨルはメリフロンドの下層の探索を開始した。
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