014.メリフロンド
(余計な時間を使ってしまった)
教皇エウレチカ付きの聖騎士、アリシア・ストリシアはガタゴトと揺れる鉄道獣車の中で、目的地への到着を今か今かと待ちわびていた。
ストリシア家の令嬢であり自身も聖騎士の立場にあるアリシアはゴリゴリのお嬢様だから、鉄道獣車は当然一等客室だ。4人は乗れる個室だが、今回は取り巻きのAAとABは連れてきていない。一人旅など初めてな上に、素性を隠すために着慣れた白銀の鎧を脱いだ心もとなさも相まって、アリシアはせっかくの車窓を楽しめずにいた。
聖都セプルクとメリフロンドを繋ぐ路線は、途中にあるクロスドンと言う街で列車を引く獣を馬からジャヴィスクというワニに似た輸送獣に繋ぎ変える。エンブラッド大湿原の時期や天候によっては水面下に沈む路線に対応するためだ。10匹ものジャヴィスクが列車を引っ張る様子も壮観だが、水の中を進む車窓も見どころで、一般の乗客は窓際にひしめき合って鉄道獣車の旅を楽しんでいるというのに、一等客室の窓を独り占めできるアリシアは窓の外を見ようともしない。
(メリフロンドの魔導具街にあるグリムウィンダー魔導具店ならば、この魔晶石を義眼に加工してくれる)
アリシアは、たすき掛けにした鞄をぎゅっと抱きしめる。この中に、ノルドワイズで手に入れた魔晶石が入っているのだ。
今のアリシアの様子をヨルとヴォルフガングが見たならば、「初めてのお遣いだな、頑張れ」「変装は心意気だぞ、精進しろ」と生暖かい目で遠巻きにしながら声援を送ってくれただろう。弾いて歌えるヴォルフガングの上から目線はさておいて、元から頭ガチガチ系のお嬢様アリシアは、今は見た目からしてガチガチになっている。
それも致し方ないだろう。この魔晶石を手に入れるために払った犠牲は多大で、きっと二度とは手に入らない。それくらい、アリシアにだって分かっているのだ。
(エウレチカ様には、何としてでも視力を取り戻していただき、真実をご覧に入れなければ。父上もお兄様もどうかしておられるのだ。あのような、忌まわしいことを神がお許しになるはずがない)
アリシアを動かしているのは、ひとえにこの思いである。
枢機卿たちが持つアーティファクト、そして教皇の宝冠。それが本来何のためにあるものなのか、偶然にもアリシアは知ってしまったのだ。
(輝かしき神殿の奥深くで行われる忌むべき儀式。それに加担していることを、エウレチカ様は盲目ゆえにご存じないのだ。だからこそあの蛮行が見逃されている。教皇様のお目が見え、真実を理解されたなら、きっと間違いを正されてこの国はより正しい姿に生まれ変わるに違いありません)
教皇に真実を伝え この国を正常に導く。
そのためにアリシアは家の食客となっていたヴォルフガングを連れ出して、ノルドワイズに行ったのだ。ヨルという青年に出会い、AAやABと別行動をした上で魔晶石を入手できたのは、神のお導きとしか言いようがない。
その過程でヨルが魔晶石の目的に気付いてしまったことは残念でならないし、口封じのためにヨルを殺させたこと、そのためにヴォルフガングまで犠牲にしたことは大きな痛手であったけれど、必要な犠牲であったとアリシアは本気で考えている。
魔人文明の積極的な活動は推奨されていることだ。しかしそれは、必要に迫られてのことなのだ。 魔人からの独立と勝利の象徴である教皇は、魔人文明に侵されない、清廉なままであらねばならない。
魔人たちを駆逐し人類の時代を歴史を築き上げたと声高らかに宣言しても、自分たちの文明が魔人の遺産に頼らざるを得ないことを、この国の多くの知識人が理解している。だから魔人文明の異物によって教皇が視力を取り戻すなどあってはならないことだと、アリシアは教えられてきた。
(エウレチカ様に義眼が与えられない理由を、そう教えられてきた。教会の人間たちも皆そう思っているはず。だがそれは詭弁だ。私は知ってしまったのだ!)
アリシアは、手が紙のようになるほど握りしめる。
(あの忌まわしき儀式をエウレチカ様が知れば、お心を痛められ、必ずや廃止しようとなさるだろう。兄上を始め枢機卿どもはエウレチカ様を真実から遠ざけるためにお目を治させずにいるに違いない!)
家の食客であるヴォルフガングを無断で連れ出しただけでなく、魔滅卿の領地で罪人として処分したことを、アリシアの父も兄もたいそう立腹していた。何のためにノルドワイズに行ったのかと、アリシアだけでなく供をしたAAとABも厳しく追及されたのだ。
もっともそうなることは想定済で、ノルドワイズに向かった目的も、魔晶石を入手したという事実もAAとABに伝えてはいなかったから、魔晶石は今もアリシアの手元にある。
(魔晶石がないことで、一週間も謹慎させられてしまった。おかげで出立が遅くなってしまったが……。彼女には、感謝しなければな)
アリシアは魔晶石の入ったカバンをぎゅっと握る。
AAやABはアリシアの配下ではあるけれど、アリシアの家、ストリシア家に仕えているといった方が正しい。魔晶石を手に入れたことを知られていれば、間違いなく父に報告しただろう。アリシアの身の回りの世話をするメイドだって同じだ。持ち物の隅々まで検査されたことだろう。それをわかっているから、アリシアは唯一とも言える友人に魔晶石を託したのだ。
彼女は教皇の世話をする女官であり、巫女と呼ばれる女性だ。聖女付きの聖騎士であるアリシアとは顔を合わせることが多く、年の頃も近いことから自然と親しくなった。
盲目の教皇に代わって国のあちこちを旅し、見聞きしたことを話すことも仕事の一つだという話で、聖都セプルクからあまり出ないアリシアと違って、彼女の見識は非常に広い。ノルドワイズの遺跡のことを教えてくれたのも彼女だし、今回のアリシアの目的地であるメリフロンドに腕の良い魔導具工房があることを教えてくれたのも彼女だ。聖都にも魔導具工房はあるが、この聖都の中では誰に情報が洩れるか分かったものではない。
できればメリフロンドの情報も聞きたかったが、アリシアが謹慎を解かれた時には、どこかへ出かけた後だった。義眼の隠し場所は聞いていたから回収できたが、大切な物だと念を押して託したのに、放置して出かけてしまうとは。
(だが、そう言う奔放さが好ましいと思われて、あれほどエウレチカ様のお側におかれているのだろうな)
奔放な友人を思い出し、少し肩の力が抜けたようだ。ふぅ、と呼吸を整えて、アリシアは客室に流れ込む空気に水の臭いを感じた。
「わあー」という歓声とともに、車体がふわりと浮く感覚がした。
ジャヴィスクたちが引く車両が、レールを離れ水面に浮かんだのだろう。メリフロンドが近い証拠だ。
アリシアがようやく窓の外に視線を向けると、浮島がそこここに浮かぶ広大なエンブラッド大湿原の真ん中に、巨大な町が生えていた。
あれがメリフロンド。目的の場所だ。
■□■
「ははっ、これはすごいな!」
エンブラッド大湿原の景観も素晴らしかったが、広大な湖面にそそり立つメリフロンドの威容は、幼い頃に観た映画の情景さながらにヨルに感嘆の声を上げさせた。
静かな湖面から生えた建造物。編術師団長エレレをはじめとする技術系魔人集団が作り上げた建造物は1000年を超える時間をものともせずにそびえ立っているのだが、その周囲に場当たり的に増築された人間の住居と、僅かな隙間を見つけては繁茂する樹木が、元の形も分からないほどに表面を覆いつくしていて、魔人たちが去った後に、繰り返された人と自然が営みを誇示しているようにも思える。
建築物の外にも中にも、入り組んだ細い通路が場当たり的に張り巡らされていて、区画整理なんて概念をあざ笑うような複雑な構造が、見る者の冒険心をそそる。きっと内部は外見以上に混沌とした状態に違いない。
メリフロンドから西へは内海の港町ペトローミまで運河で繋がっていて、この運河を使った交通網も盛んだ。魔導具が盛んな街だから、魔導船なんてハイテクな船があるのかと思ったら、マナティーっぽいずんぐりとした水獣の輸送獣が船を引っ張っていた。見た目はマナティーっぽいのだが、サイズは倍はあるだろう。4,5頭で大型の船を1隻、のんびりと引いている。
南方のゴールデンクレスト山脈方面も運河がある様子だが、こちらは水深が浅いのか、浅型の小型の船が多く、イモリかヤモリかサンショウウオかといった外見の輸送獣がちゃぱちゃぱ水を掻いている。
面白いのは聖都セプルクに向かう東側で、水中から鉄道が伸びていた。鉄道と言ってもこちらも動物が引っ張るタイプだ。巨大なワニに似たジャヴィスクという輸送獣がぞろぞろと車両を引っ張って線路から湖沼に急流すべりよろしくダイブしたり、湖沼から線路の上に乗り上げて、えっちらおっちら引っ張り上げ、そのまま走り去ったりしている。
もちろん街道も何本もあり、主要都市への街道がメリフロンドをターミナルとして放射線状に伸びている。広大なエンブラッド大湿原のど真ん中という、本来は交通の不便な場所がこれだけの要所になったのは、メリフロンドで作られるという魔石とそれを組み込んだ魔導具の生産地だからだろう。
「ようこそ、メリフロンドへ! ずいぶん立派な輸送獣だな。荷運びガニなら預り所は第3外周区画だ。南側の入口に回りな」
案内に従ってメリフロンドの街へ入る。
ちなみにメリフロンドを囲んでいるのは、城壁というより堤防のような低い壁で、対魔獣用としては強度も高さも心もとない。不思議に思って聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「この辺は魔獣つってもグロースプラガーが出るくらいだからな。水の中に棲んでる奴だから、音系の魔獣除けで十分なんだ。ほれ、水ん中は良く響くだろ? エビが数匹ガチャガチャやっても掻き消せるもんじゃない。それより厄介なのは、湖沼から直接乗り込もうって人間だ。入場料を払わず済まそうとあの手この手で乗り込もうとしやがる」
確かに、忍び込みたくなる気持ちも分からないではない。何しろメリフロンドの入場料はノルドワイズの倍ほど高いのだ。
ちなみにヨルとルーティエ。ヴォルフガングの身分証はライラヴァルが準備してくれた偽物のハンターズギルド証だ。
ハンターズギルドは聖ヘキサ教国中にある組織で、村や町の入門料や宿泊費が割り引かれ、身分証の代わりになるなどメリットが多い。中でもストリシア・ハンターズギルドのギルド証は最も流通している身分証だ。戦闘職ならこれ以外はかえって目立ってしまうほどだが、運営母体がアリシアの実家、ストリシア家なのだ。アリシアがヨルとヴォルフガングに手配をかけているかもしれないから、念のためヨルも偽物を使用している。
(手配って言っても番号と名前が書面で回るだけの、アナログなものなんだよなぁ)
魔導具にピッとかざしたらアラートが出るような仕組みはないし、魔力を登録するのも金を預ける時だけだ。顔を覚えられていなければ新規登録は何度でもできるし、一度も金を預けていないなら転売だってできるのだ。ヨルたちのギルド証もそういうもので、別人が登録した本物だ。
「……ずいぶん信用のおける身分証だよな」
「信用は預けた金額、溶かしたネレアラピスの量で決まるものだな」
あっさり通れたことに対してヨルが思わずつぶやくと、ヴォルフガングがまだらに青く変わった身分証を見せながら答えた。
ギルドに金を預けると表現するが、実際はこのギルド証のプレートに、金額分のネレアラピスという非常に高価な鉱物を溶かすのだ。ギルド証はルナメタルと呼ばれる金属からできていて、魔力を流しつつネレアラピスと接触させると染みこむようにネレアラピスを溶かし込む。逆に金を引き出す時は、アルヴィライトという金属板に接触させつつ溶かした者の魔力を流すと、ネレアラピスは純度100%の状態で浮き出して分離するのだ。
誰の魔力でも分離可能な魔導具も存在するが、それは帝都にあるストリシア・ハンターズギルドの本店にしかないから、他人のギルド証を盗んでも本人以外はネレアラピスを取り出せないし、万一紛失した時のための保険的な仕組みもある。
何より均一に青く染まるほどネレアラピスを溶かしたルナメタルに魔力を通すと、魔獣除けの効果があると言われていて、お守り代わりにも重宝されている。それもそのはず、ネレアラピスは魔獣除けの結界にも使われる特殊な鉱物なのだ。
そしてこのネレアラピスの鉱山があるのが、この辺り一帯の墓所のあるゴールデンクレスト山脈だ。ゴールデンクレスト山脈が魔素枯渇地帯なのは、この鉱脈のせいである。
(ネレアラピスの採掘は、ろくに魔力も貯められない人間には厳しいだろうな。身体強化無し、魔法なしの肉体労働になるんだろうし。そりゃ値段も上がるわけだ)
このネレアラピスを使った貯金の仕組みが、ストリシア・ハンターズギルドを大手ギルドとして揺るぎないものにしている。
「ネレアラピスの採れるゴールデンクレスト山脈って、ストリシア家の長男こと安寧卿ミハエリスの領地なわけか。金がうなるほどあるとアリシアみたいな箱入りに育つのか」
そう考えるとアリシアの箱入り振りも頷ける。きっと兄貴の安寧卿ミハエリスも衝撃的な性格だろう。ヨルの考えにヴォルフガングも同意なのか「うむ」と頷いている。
「枢機卿は世襲ではなく聖遺物を使えるかどうかで決まると言うが、枢機卿を輩出した家系は必死で跡継ぎを残すから、めったなことでは他家にとってかわられることはないだろうな」
そのめったな事例がライラヴァルのところか。
(あいつも苦労してそうだなぁ……)
そういえば、ライラヴァルはどうしているのだろうか。そろそろグリュンベルグ城の調査が終わって、「ただの天変地異だったわ」とかしれっと報告しているのだろうか。
ライラヴァルのところにもルーティエの分体を残しているから、何かあればルーティエが教えてくれる手筈だ。ルーティエが何も言ってこないから、何度か様子を尋ねてはいるが、「順調のようです?」としか答えてくれない。語尾が上がっているようだが、大丈夫か。
ルーティエの性格上、不要な情報は一切シャットアウトしていそうだ。ヨルも何度かねぎらいの言葉を送ったけれど、ちゃんと届いているのだろうか。
(ルーティエからすると甘えたい盛りなのに弟ができた感じか? どこかでちゃんと話をしないとなぁ。世の中のお父さんお母さんは、どうやって教育してるんだろうか)
頭を悩ませてはみたが、魔王の辞書……いや記憶には、子育てに関する事項は記載されていないようだ。
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