011.エンブラッド大湿原の夜
ライラヴァルが聖都セプルクで不負卿カストラと“正々堂々メリフロンドに行く権利”を釣り上げていた頃、エンブラッド大湿原で本物の釣りを楽しんでいたヨルの方は、魔石ばっかり釣り上げてオケラもいい所だった。
しかしヨルたちはチームプレイだ。ヨル軍団には、釣り師のヴォルフガングがいるのだ。釣り師ヴォルフガングがたくさん釣ってくれたおかげで、その日は猫大満足なディナーとなった。
大層豪華な食卓は人目を惹くものだが、それ以上にヨル達一行の見た目が問題だ。特に、ここは商人も多く行きかう場所だから、ワー・ニャンコのミーニャが目立ってしようがない。
そして、ミーニャが集めた衆目がヨルたち一行に注がれるのだ。
「おい、あそこの……」
「あぁ。だがまさか」
「だが、サフィア王国が負けたのはホントだろう?」
「でも、なんでこんなところに……」
ドリスとルーティエ、おまけのミーニャを連れたヨルだけならば、「リア充爆発しろ」で終わるのだが、皆の興味を釣りまくったのはやっぱり釣り師ヴォルフガングだ。
別に客が全員イケオジ好きなわけではない。敵国の将軍であっても『魔人殺し』は庶民の間で人気が高く、知名度が高いのだ。
(ヴォルフのやつ、思った以上に知られてるんだな、噂が広がる前に出発するか?)
ここで一泊したかったが、さっさと出立したほうがいいかもしれない。そう思ったヨルだったが、ヴォルフガングがどこ吹く風の表情で、ホウロウ村で調達したリュートのような弦楽器をつま弾き始めたではないか。
「本日この場に居合わせたる諸君に告げる。
我ここに至りて、物語を語り伝えん!
そう、我こそはサフィア王国の猛将軍にして『魔人殺し』、ヴォルフガング・エッシュバッハなり。
南に面する騎馬民族の国、アシュバリアとの戦働き、今宵聞かせて進ぜよう」
ポロポロシャララン。
(何やってんだ!? ヴォルフガング)
弾き語りしながらの名乗りに、全力で突っ込みそうになるヨル。
幸い魔王ボディの表情筋は死んでいるから、顔色が変わることが無かったけれど、ヨルは内心ビクビクだ。ヨル以外には無関心なルーティエと、魚に夢中なミーニャが無反応なのはいいとして、楽しそうに歓声を上げるドリスの肝の太さを見習いたいくらいだ。
将にとってよく響く声というのは、戦場で味方を鼓舞し指示を伝えるのに重要なものだと聞いたことがあるが、ヴォルフガングの低い声ものびやかでよく響いた。リュートの腕前もなかなかだが、それ以上に歌が上手い。まるで本物の吟遊詩人の様に騎馬民族との戦いの一節を謡い終わると、ヴォルフガングを見てひそひそと噂していた人々も拍手と歓声を上げてくれた。
「はーい、『魔人殺し』ヴォルフガングの旅に支援下さる皆さまは、ここに志を頂戴ね!」
「くれにゃー」
合間にドリスとミーニャがおひねりの回収までし始めたものだから、ここに『ヴォルフガング物まね吟遊詩人』が爆誕してしまったではないか。
途中噂を聞きつけて衛兵がやってきたが、ライラヴァルが用意してくれた偽の身分証を確認し、「ヴォルフガング将軍ではないではないか!」と、偽物認定までしてくれる始末だ。
「……考えたな、ヴォルフ」
「堂々としていた方が分からんものだ。噂が広がれば、ますますやりやすくなる」
肝を冷やすヨルの隣で、ヴォルフガングはカラカラと笑うと、すっかりお気に入りになったグリーンフラスクで歌で乾いた喉を潤し、再び魚料理に舌鼓を打つ。湖沼地帯の魚というのは泥抜きをしないと臭いものだが、このエンブラッド大湿原はモスキャスケードのお陰か釣ったばかりでも臭みがなく、脂がのっていて大変に美味だった。
「なぁ、あんた。弔いの詩は歌えるかい?」
そこに、この辺りの住人らしい一人の青年がおずおずと近づいてきた。
「親父がさ、昨日グロースプラガーにやられて……。親父、歌が好きだったんだよ。だから聞かせてやりたくて」
「承ろう」
吟遊詩人ヴォルフガングに近づいてきた青年は、この辺りの漁師の息子なのだと名乗った。
「……急な雨だったんだよ。雨の日はグロースプラガーが船に上がって来るから漁には出ないのが鉄則なんだけど、天気を読み間違えたんだ。親父、俺を庇って……」
ぽつぽつと話す青年の言葉に耳を傾ける。
青年が案内した質素な漁師小屋には、布がかけられた遺体が横たわっていた。グロースプラガーにやられたのだろう、布越しに五体満足でないことが見て取れる。小屋の中にはひどい腐臭とそれを消すための強い香の臭いが充満している。住居ではなく漁師小屋に安置しているのはこの臭いが原因だろう。
「すまねぇな、臭いは我慢してくれ。グロースプラガーの毒にやられるとあっという間に腐っちまうんだ」
申し訳なさそうにする青年に、ヨルは「炎で送ろうか?」と尋ねる。
火魔法ならヨルも使える。そう思ってのことだが、青年は「遺体は葬儀屋に頼んであるから」と、この辺りの風習について教えてくれた。
エンブラッド大湿原はモスフロートの浮島が連なる場所だから、樹木は貴重な上、水分が多く燃料に向かない。煮炊きは乾燥させたモスキャスケードを燃料に使うが、火葬するには火力不足だ。だからと言って湖沼に捨てれば魔獣に餌を与えるようなものだ。人の死肉で魔獣が力を付ければ住人の安全が脅かされてしまう。
だからこの辺りでは遺体は葬儀屋――、『ライツ葬送』に引き渡す。治安維持の一環でもあるから『ライツ葬送』にはこの辺りを治める不負卿から援助があるとかで、遺体は安価で引き取ってもらえるらしい。
「遺体はさ、ゴールデンクレスト山脈のふもとで埋葬してくれるんだって。あそこは土の地面な上に、なんて言ったっけ? 魔獣が出ない場所なんだろ? 親父もきっと安心して眠れるさ」
「魔素枯渇地帯だね。魔素が極端に薄いから、魔物がいないって言われてる」
ドリスの補足を聞きながら、ゴールデンクレスト山脈が魔素枯渇地帯なのは、大規模なネレアラピス鉱床があるからだと、ヨルは思い出していた。
(それにしても、随分遠くに運ぶんだな。何よりゴールデンクレスト山脈は安寧卿ミハエリスの領地じゃなかったか?)
経由地でもあるから場所は把握しているが、エンブラッド大湿原を抜けるだけでも1週間はかかるのではないか。
(どうせエンブラッド大湿原の外まで持っていくならってことなんだろうか……)
大都市メリフロンドを含めたエンブラッド大湿原全域ともなれば、かなりの人がいるはずだ。それだけの亡骸を全て遠方まで運ぶのだろうか。ずいぶんと非効率的に思える。
「魔素枯渇地帯か。魔獣がいない、じめじめしてもいない場所なんて想像もつかないな。ホントは生きてるうちに連れてってやりたかったんだけどさ。親父、平凡な漁師で何もない人生だったけど、グロースプラガー相手に戦って、毒の苦しみにも耐えたんだ。すげぇ強い、自慢の親父なんだ。だからきっと、ヘキサ神様の統べる『救済の国』に旅立てるよな……」
ヘキサ教ではこの世の辛苦に耐えて善行を積めば、死後はヘキサ神が統べる『救済の国』に行けるとされる。人がたくさん生まれ簡単に死ぬ、そんな世界でも、家族への愛情も親しいものを失った悲しみも、何も変わりはしないのだ。
うつむいて唇を噛む青年に、ヴォルフガングが言葉をかけた。
「この世は人にとっては何もかもがままならぬ。何も成せず守れず残せずに、志半ばで倒れる者のいかに多いことか。だからこそ、残された者は、死者を悼み志を継いでゆくのだ。御父上の人生に何もなかったなどと言われるな。息子を守って逝ったのだ。亡き父を、旅立つ人を悼む心を持つ、立派な息子だ。御父上は君をそのように育て、守り、ここに残した。御父上の魂は神の御許へ旅立たれたが、志はここに在る。御父上が意気揚々と旅立てるよう、心を込めて弔いの詩を歌わせてもらおう」
何も成せず、守れず、残せずに、志半ばで倒れる者。
それは戦場で倒れ、あるいは魔獣に倒されて死んでいった、ヴォルフガングの部下たちのことだろうか。それとも、ヴォルフガングは自分をそう見做しているのか。
良く響く低音で朗々と歌い上げた弔いの歌は、それまで聞いた武勇談とは打って変わった完成度の高さで、ヴォルフガングが何度もこの歌を口ずさんできたことがうかがい知れた。
幾度となく大切な者を送ってきただろう男の歌は、夜の大湿原に染み入るように響いた。
■□■
(故人を悼む気持ちは分かるが、墓参りにも行けない遠方にどうしてわざわざ……)
エンブラッド大湿原一帯の非合理的な埋葬様式にどうにも引っ掛かるものを感じていたヨルだったが、その些細な違和感も帰路の降るような星空に、あっという間に流されてしまった。
「わぁ、すごいよ、ヨル! 上も下も星空だ!」
「これは本当にすごいな」
漁師を弔った帰り道、ドリスの歓声で見上げたエンブラッド大湿原の夜景は、日本に帰った後も忘れないだろうと思われるほど、素晴らしいものだった。
満天の星と言うのはこういうものを言うのだろう。無数の光の粒子が散りばめられた星空は、三つの月に負けないほどの光を振りまき、銀河が帯を成している。それが水面に鏡写しになっているのだ。日が落ちて浮島の形が闇に溶けてしまっているせいで、自分が夜空に浮かんでいるような気さえする。
こんな場所にたった一人で立っていたなら、世界にたった一人になった気がしてどうしようもない孤独を感じるのだろうが、そばには歓声を上げるドリスだけでなく、じっと景色に魅入るルーティエやぽかんと口を開けているミーニャ、マイペースに散策をするヴォルフガングら旅の仲間がいてくれる。
「もしも空を飛べたら、こんな感じなのかな!?」
ドリスが興奮した様子で両手を挙げながらくるくると回る。
「おい危ないぞ」
「あは、ありがと」
そのまま空の中――湖へと突っ込みそうになるドリスの手を掴んで引き戻す。
「まったく、来られて嬉しいのは分かるが……」
ヨルはふと、恋人の咲那とウユニ塩湖に行きたいと話していたことを思い出した。
青空の写り込む写真に魅せられてインターネットで検索し、日の出や夕暮れ、何より星空の写る写真に魅入ったものだ。絶対に行こうとツアーを探すと、二人で300万円を越える金額に黙って顔を見合わせ、さらに2週間というサラリーマンには到底休めないツアー期間に「これは退職した後のご褒美だね」などと会話を終わらせた。
平凡なサラリーマンには簡単に行けない場所だけれど、二人そろって年を重ねていけるなら、辿り着ける場所だった。だから二人して、「いつか行こう」と約束したのだ。
その約束が叶った様に感じられたのは、一体どうしてなのだろう。
ここにいるのはドリスで、咲那ではないというのに。
ヨルの思考を遮るように、遠くで魔物魚がパシャンと跳ねた。
(昔はあんな魚、いなかったのにな)
異世界マグスに戻ってきてから、昔との違いを感じることはいくつもあった。風景だけではない。初めてドリスと会った時、言葉に違和感を感じたのもその一つだ。これだけ時間が流れたのだ、同じ言語であっても変わっているのが当然だろう。それでもここほど様変わりした場所は他にない。はじめは、魔王シューデルバイツの知らない場所かと思ったほどだ。
「ここって、魔人時代初期にできた爆心地だったんだって。なんでも魔導具の生産設備を作るために大幅に地形を変えたらしいよ」
「へぇ」
そんなことまで知っているとは、さすがは魔王の歴史を調べているだけはある。ただ合っているのは前半だけだ。魔石の生産設備を作るために地形を変えたわけではなくて、“やらかし”の後始末として生産設備を作らせたのだ。
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