005.エヤミドリ
グァグァグァ。
エヤミドリの鳴く中をどうやって教会まで逃げ込んだのか、壁際にうずくまるサムは覚えていない。
血と炎と赤い鳥。狂気に染まったあの日から、昼と夜が何度か訪れたようだけれど、目と耳をふさいでいたから正確な日にちも覚えていない。
この村の教会は避難所も兼ねていて、分厚い石の壁はエヤミドリの突撃にもビクともしない。けれど、教会に群がるエヤミドリの鳴き声と、減っていく食糧がじりじりと村人たちの精神を削っていった。
「ハンターギルドに駆鳥は送ったのか?」
「あぁ。エヤミドリが出てすぐに。だがエヤミドリは厄介なうえに儲からん。受けてくれるハンターがいるかどうか……」
「だがこの村は先日御子を出したばかりじゃないか。騎士団が来ちゃくれねぇだろうか」
「ノルドワイズで騒ぎがあったらしいからな。過度な期待はやめておけ」
「……エヤミドリ、どこの家から出たんだ?」
「ほら、あそこの……」
「まったく、卵の時点で気づかなかったのかよ」
「言ってやるな。自警団に出ていた父親と、ガチョウ番の息子以外全滅だそうだ」
恐ろしいとすすり泣く女子供の声に交じって、そんな会話が聞こえてくる。
サムは隣に座る父親の上着の裾をぎゅっと握る。
サムにはもう、父親しか残っていない。母親も兄弟姉妹もみんなエヤミドリにやられてしまった。それはまだ幼いサムにとってはあまりに衝撃的で、堪えられないほど悲しいことだ。けれど今の状況はサムと父親を悲しみに暮れさせてはくれない。避難する村人の数からすると決して広いとは言えない教会の中では、村人たちのひそひそと囁く声と視線を、否と言うほど感じるからだ。
サムの家からエヤミドリが出たことは、不運だとしか言いようがない。いつもより卵が大きいとメアリが言った時点で気が付いていればと悔やまない訳ではないが、そんな後悔なんて現状を打破する役には立ちはしないのだ。
生き残ったサムと父親が声高に糾弾されないのは、エヤミドリを出した家の生き残りには、やるべき仕事があるからだ。
「熱は引いた。もうやれる。俺一人でやり遂げてみせる。だから息子は……」
「まぁ、待て。食料ならまだある。奇特なハンターが来てくれるやもしれん」
サムの父親を制した村長は、痛ましいものを見る目でサムと父親を見、そして教会に集まった村人を見た。村長はこの教会の司祭様も兼ねている、人望厚い人物だ。
「これは村全体の災厄じゃ。誰が悪いというものではない。皆、そのことを決して忘れてはいかん」
村人全員に言い聞かせるように言葉を続ける村長。
けれど、助けが来なければ、この村が生き残るために、その役回りはサムの父親に回ってくる。
囮。いいや、生贄か。
この教会から真っ先に飛び出し、エヤミドリを引き付ける役は、災厄の発症した家の生き残りが担う決まりだ。
エヤミドリが囮を襲っている隙に、村人総出で退治する。それが、助けが来なかった場合にこの村がとれる唯一の手段なのだ。一点に集まったエヤミドリを焼き尽くす魔導具も、この教会には備えてある。
そんな備えをするくらいならガチョウなんて飼わなければいい。そう考えてしまうのはサムが子供で世間を知らないからだ。ガチョウ以外の特産物では村の結界を維持する『箱』に必要なお金を稼ぐことはできない。最後の手段を準備できるだけ、恵まれているとさえいえるのだ。
囮となった村人は骨すら残らないけれど――。
グァグァグァ。
エヤミドリの鳴き声がうるさい。
いつもと違う卵の様子を見逃したサムを嘲笑っているようだ。
グァグァグァ。
生意気なエミリ、かしこいメアリ、嫁入りが決まって浮かれる姉に、豪快な母親。幼い弟妹たち。
みんなみんな、死んでしまった。
グァグァグァ、グァグァグァ。
どうしてあんな生き物がいるのか。どうして人の血肉を喰うのか。
何の答えも得られないまま、ただただ時間ばかりが過ぎて、食料さえも尽き果てた。空を飛ぶエヤミドリは剣や槍では退治しにくく、高速で突撃するため魔法の詠唱は追いつかない。その上得られる魔石が小さいから、危険ばかりでうまみは少ない。
倒すには詠唱短縮が可能な高位の魔導士が適しているが、安価な村からの依頼料だけで動いてくれる魔導士など、やはり現れなかったのだ。
「これも村のためだ。すまぬ」
「いえ。どうか、サムを頼みます」
助けが来ないのならば、自分たちで倒すほかない。
誰か一人が犠牲になって、エヤミドリに喰らわれながら奴らを引き付けるほかはないのだ。
サムの父親は教会に準備してある分厚い鉄の鎧を身にまとい、村長に向かって深々と頭を下げた。囮の役を見事やり通せたなら、生き残った子供は成人するまで村長が育ててくれる。家は焼けてしまったが土地や畑もすべてサムに継がせることができるのだ。これもまた、囮が役目を全うするようにこの村が受け継いできたしきたりだ。
「いやだ、父さん! オレも行く」
「サム、お前は強い子だ。父さんたちの分まで生きてくれ」
「いやだ、父さん! 父さん、父さん!!」
大人たちに阻まれて、サムにはエヤミドリの群れへと飛び込んでいく父親の背中を見ることしかできない。
教会の前の広場に作られた石のステージ。そこが魔導具の発動地点で、必要な魔力は教会内部の起動部から村人総出で注ぎ込んである。
広場の魔法陣までたどり着き、あたりのエヤミドリを引き付けるまで生き残れればこの村の勝利だ。
全身に纏った鎧も、役割を思えば苦痛を長引かせるためのものでしかないけれど、息子の未来を守るため、サムの父親は教会の外へと飛び出した。そこへ群がるエヤミドリ達。
ガアン、ガアンとエヤミドリの突進が金属製の鎧を打ち、そのたびにサムの父親は右へ左へと大きくよろめく。
弾丸のように飛び交うエヤミドリの前では、数十メートルの距離が無限のように遠いのだ。僅か数メートル進んだだけで、エヤミドリの突撃は矢雨の如く彼を打ち据え、へこんだ鎧のつなぎ目からはぽたぽたと血が垂れている。
遠目に見て鉄の鎧が凹むほどの衝撃だ。鎧の中はどれほどの惨状だろう。それでもサムの父親はよろけながらも一歩一歩を踏み出していく。他の誰でもない、たった一人残ったサムのために。教会の格子窓から見守る大人たちは、それを理解している。子供を持つ親たちには彼の気持ちが痛いほどに理解できて、何人かは直視できずに顔を覆った。サムを拘束する力が緩んだのも、そのせいだったろう。けれどそれは、ただ一人残った子供を託された者としてしてはならないことだった。
「父さん!!!」
わずかな隙を見逃さず、サムは拘束する手からすり抜けて教会の外へと飛び出した。
「待て、サム!」
「……サ……ム……!?」
村長を始め村の大人が声を上げ、駆け寄るサムに気付いた父親が、どこにそれだけの力があったのかと驚くほどの俊敏さで、サムに駆け寄りエヤミドリから庇うように覆いかぶさる。
「父さん、父さん!」
「サム、なんで……どうして……」
ガアン、ガアン、ガィン。
父を想う子の気持ちも、子を想う父の気持ちも、エヤミドリに理解できるはずはない。
柔らかい肉が一つ増えた、それだけのことだ。
これほどの猛攻の中、サムを逃がすどころか動くことさえもはやできない。
エヤミドリの攻撃はますます激しさを増し、覆いかぶさる父親の下、サムの顔にはぽたぽたと赤い滴が滴り落ちる。
また赤だ。
赤い景色と、グァグァグァとけたたましいエヤミドリの声。
ガイィン!
一際高い音がして鎧の継ぎ目が壊れ、肩のパーツがはじけ飛ぶ。露になった柔らかな肉。それを見逃すエヤミドリではない。肩ごと腕をちぎり飛ばそうと、数羽のエヤミドリが肉薄してくる。
「父さん!!!」
その時。
パン、と軽い音をたて、サムの視界に新しい赤が加わった。
次いでどさりと地面に落ちたのは、サムの父親ではなく飛来してきた数羽のエヤミドリ。
「え……」
一体何が起こったのか。
パン、パパン、パン。
小さな炸裂音がするたびに、ぼとりぼとりとエヤミドリが落下して地面に赤い染みを作る。
ぴたりとやんだエヤミドリの攻撃に、サムの父親が恐る恐る顔を上げ、サムもまた開いた隙間から自分たちの危機を救ってくれた人物の姿を見止めた。
そこに立っていたのは一人の男性と、一人の少女。
冷冷と冴えわたる夜が形を成したような姿の男が軽く右手を振るだけで、その軌跡に光の点が無数に浮かび、それが光の筋を残して飛んでいったかと思うと、エヤミドリを片っ端から撃ち落していくのだ。
そんな芸当が、果たして人間にできるものだろうか。それでも、その軌跡を成したのがこの男性ならば納得できてしまうほど、男の姿は神秘的でさえあった。
けれどもサムの眼を釘付けにしたのは男の隣に立つ少女の方だ。
「……ミリィ? いや、まさか」
その少女の身長はサムの知るミリィよりも高いし、顔だって別人だ。同じなのは髪と瞳の色くらいだというのに、どうして妹だと思ったのか。
周囲はいまだエヤミドリが騒がしい。グァグァグァと、思いがけない闖入者に色めき立って騒いでいる。そんな中、サムの小さな呟きなんて聞こえるはずもないだろうに、少女は確かにサムと父親の方を振り向くと未だエヤミドリの飛び交う中を臆する様子も見せずに近づいてきた。
「ヨルさまの邪魔です。教会に戻るです」
「あ、あぁ。助けに来てくれたのか?」
父親の問いに少女はこくんと頷くと、ポーション瓶を父親に手渡した。促されるまま飲み干すと、良いポーションだったのか父親は立って歩けるまでに回復した。そうしている間にもエヤミドリはサムたちを獲物と見定めて襲い掛かっていて、その全てを黒髪の男が撃ち落している。
「いくぞ、サム。ここにいても邪魔なだけだ」
そう言ってサムの手を引き教会へ急ぐ父親。父親に引っ張られながらも、サムは少女に問いかけた。
「ねぇ、君の名前は?」
グァグァグァ、グァグァグァ。
少女の口が動いて名前を教えてくれたけれど、エヤミドリがうるさくてサムは聞き取ることができなかった。
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