001.逃亡
ガッショガッショガッショガッショ。
緑豊かな森の中を黒いヤドカリが駆け抜ける。背負った殻を完全に浮かし、飛び出す魔獣は巨大なハサミでなぎ倒し、歩脚として使われる2対の脚を器用に動かし爆走していく。
(急げ、セキト! 頑張ってくれ!)
荷運びガニと呼ばれる巨大ヤドカリ、セキト号に乗り込んだヨルは心の中で、一刻も早くノルドワイズに到着してくれと祈っていた。口には出さない。もしも口に出したなら、それこそセキトは泡を吹いてひっくり返るほど頑張ってしまうだろうからだ。
見つからずに逃げ出せたはずだ。追手がかかるにはまだ時間があるはずだ。
経由地であるノルドワイズに着くや、セキトを輸送獣専用獣舎に預け、ヨルとルーティエは街の中へと駆け込む。つい先日捕まったヴォルフガングは、セキトの中で待機してもらっている。時間がないのだ、面倒ごとを避けるための判断だ。
ノルドワイズに寄ったのは、食料の調達だ。ヨルはセキトに積み込んできた肉蟲の血液があるから大丈夫だが、ヴォルフガングの食料は必要だし、ルーティエが身体を借りているミリィもなるべく食事を摂る方がいい。ノルドワイズに立ち寄るのは少々リスキーではあるが、アリシアの依頼を受けた時に買い物をしているから、どこに行けば食料が手に入るのか分かるぶん無駄はないだろう。
ヨル自ら魔晶石を与えたセキトはハイスペックで爆速だ。ここで食糧さえ手に入れられれば、どんな追手もぶっちぎってくれるはずだ。だから、この街が正念場ともいえよう。
「2週間分の食料とポーション、毛布と短剣、あといりそうな物を適当に見繕ってくれ。代金はこの魔石でいいか?」
「十分すぎるが……釣りは出ねぇぜ?」
「かまわん。すまんが急いでいる」
割高だが質は良く、余計な詮索もしない。そういう店を選んで買い物を済ませる。
店主は大きな背負い袋を出すと、日持ちのするものから順に手際よく詰めていく。乾燥ビスケットや調味料の小瓶、お湯で溶かせばスープができるドライスープミックスに干し肉やチーズ、ドライフルーツやナッツを蜜で固めたエネルギーバー、最後に日持ちのしないパンやベーコン、袋の口を閉じた上に毛布といった具合だ。外に小ぶりな鍋のようなカップを二つぶら下げポケットにナイフを差し込む。
ポーションは別の袋で、こちらも渡した魔石相応の良い品だ。高価なものから使い勝手のいいものまで腰につるすタイプの鞄に入れる。それでも代金が余るのか、小型のランタンもどきだとか、水を入れる革袋とか、不要なものもぽいぽいと別の袋に入れ出したので、「それで十分だ」とストップをかける。
「まいど」
当たり前のように一番大きな食料袋を背負うルーティエ。荷物を全部持とうとしたがポーションと雑貨の袋はヨルがさっと身に付ける。
現代世界であれば女の子と成人男性の二人づれで10歳くらいの子供に重い荷物を持たせていれば、変な目で見られるだろうが、異世界となると話は別だ。“恵まれた”子供は大人顔負けの力があるし、いつ魔獣に襲われるか分からない世界では、戦える者が身体を開けておくのは常識だ。むしろ荷物持ちとして後方にいられる分、配慮されているともいえる。
そんな世情も相まって、ヨルとルーティエの二人連れは特に衆目を集めることなく買い物を終えることができた。
ヨルは素早く周囲を見渡す。こちらに注意を払う者はいない。
まだ、大丈夫だ。まだ、追手はかかっていない。
(……あ、酒)
必要なものが揃って少し気が緩んだのだろう。少しくらいなら寄り道をしても大丈夫だろうと、考えてしまった。
ここ、ノルドワイズは魔素が濃いぶん農作物の出来が良い。食べ物はどれもこれも美味しいのだが、酒の出来も素晴らしいのだ。製造技術は拙いがそれを有り余るほど素材がカバーしている。魔人であるヨルからしてみれば必要な栄養素が摂れないわけだが、味が分からない訳ではない。食事が肉蟲の血液に限定されてしまう分、嗜好品が欲しくなるのも致し方あるまい。
(ヴォルフも酒、好きだしな。確か向こうの筋の酒屋がお勧めだって宿の女将が言ってたな)
自分だって欲しいのにヴォルフガングのせいにするヨル。完全に油断し始めている。
こういう時に忠告してくれる仲間がいればいいのだが、あいにく同行しているルーティエは「ヨル様と買い物嬉しいな」くらいしか考えていない。
速足で急ぎながらもヨルの足は酒屋に向かう。
「いらっしゃい」
「この魔石で何本かお勧めを……っと、失礼。先客か」
酒屋には先客のご婦人がいたようだ。どこかで見たことのある女性だと思ったら。
「あれ、あんた、ミーニャの旦那じゃないか! 良かった、無事だったんだね。心配してたんだよ!」
前回世話になった『賑やかな鶏亭』の女将だった。
(そういえば、この店教えてくれたのこの女将だった……)
まさか鉢合わせしてしまうとは。あと、「ミーニャの旦那」という呼び方は、誤解を招くから止めて欲しい。ルーティエがすごい目つきで女将の方を睨んでいる。
「ミーニャの旦那では……」
「何言ってんだい、あんないいものあげといて。ミーニャずっと旦那のこと待ってたんだよ。いやぁ、良かった良かった」
「急いでい……」
「そうかい、そうかい。だったら、早く戻らないとね! おやっさん、済まないけど清算はうちの店で頼むよ。急いで旦那を連れて帰らないとね」
「いや、だから……」
「なんだい、もったいぶって。早く顔を見せておあげよ! 帰ったら驚くよ! おっと、これはお楽しみにしといた方がいいね。ほら、早く早く!」
どうしよう。一言いい終わるより先に10倍くらい言い返される。しかも、腕をガッシと掴まれ引っ張るのだ。
宿屋の女将だけあってなかなかの腕力だが、振り払うのは簡単だ。だが、あまりになれなれしい女将の様子に、隣にいるルーティエが“殺りますか?”みたいな顔をしてこちらを見ているのだ。ヨルが女将の手を払ったりすれば、それを合図とばかりにまた暴走しかねない。困った爆弾スライムちゃんだ。
(ミーニャのことだから、とっくに別の飼い主を見つけてると思ってたんだが……。待ってたんなら仕方ない。拾っていくか)
ヨルは動物好きなのだ。どっちかと言うと犬派だが、駄ネコが待っていてくれたなら嬉しくなっても仕方あるまい。恋人の咲那が実家で猫を飼っていて“出かけようとしたら鞄に入ってた”だとか、“布団に入ってくる”などとノロケるのを聞いては羨ましく思っていた。
「ヨルさま?」
「……少しだけ」
急いでいるはずなのに、何が「少しだけ」なのか。流されること確定な発言をするヨル。おそらくはこの時点で、ヨルの運命は決していたのだろう。
■□■
「うなああぁぁぁぁん! ヨルにゃー!!」
「うっわ、ミーニャ、やめろ毛が付く」
「離れろ、無礼者!」
「いやにゃー、離れないにゃー、ミーニャもいっしょにゃー!」
『賑やかな鶏亭』の扉を開けたとたんにミーニャがとびついてきた。
うなんうなんと、声を振り絞って甘えてくる。この子猫ちゃんめ。かわいいじゃないか。
「ミーニャ、ずっと待ってたんにゃ! ヨルもヴォルフのおっちゃんもずっと帰ってこなくて、心配だったんにゃー!!」
見た目はかわいいにゃん子に、こんな風になつかれてデレないはずはないだろう。
よしよしとミーニャの頭を右手でなでて、左手では「離れろ」と怒っているルーティエをこれまたなでる。なでりこ、なでりこ。
「うにゃあん」
「ふわわぁん」
途端におとなしくなる二人。うんうん、平和が何よりだ。
「ヨル、無事でよかった。行方不明って聞いて心配してたんだよ」
そして女将曰くのお楽しみ、まさかのドリスが『賑やかな鶏亭』にいるではないか。
「ドリス、温泉入って聖都に帰ったんじゃないのか?」
「うん。でもさ、その後すぐアリシアたちが戻ってきて、ちょっとした騒ぎになったんだよ。ストリシア家預かりの重要人物を勝手に連れ出したとか、その人がアリシアの協力者に危害を加えてどうとかって。で、もしかしてって思って調べたら、協力者ってヨルのことじゃん! だから、ボク、急いで引き返してきたんだよ」
――え、その情報、そんなガバガバでいいの?
ドリスの発言にヨルは目が点になる。
「……よく調べられたな」
実際はこう言うのが精いっぱいだったが。
「友達の友達は、みんな友達だからね」
女子の情報網はヤバいんだよ、と笑って言うドリス。マグスに広げよう友達の輪か、それとも試験前、ノートや過去問を交換する時だけやたらと交友関係が増えるあれか。そんなノリで広げていいネタではないと思うのだが。
「心配してたんだけど、うん、元気そうだね。よかった。で? 一体どうなってるのさ。そこの可愛い子のことも教えてよ」
「うにゃあ」
心配して駆けつけてくれたのは嬉しいが、一体どう説明したものか。
「話せば長くなるんだが、今は時間が……」
ヨルは今、急いでいるのだ。逃亡中だと言い換えてもいい。
だから一刻も早くここを立ち去りたいのだが……。
「経緯についてはあたしが説明するわ」
――あちゃあ。
どうやら魔滅卿ライラヴァルはヨルの想定よりも優秀な男だったらしい。
かなり急いできたようで、髪も乱れてはいるが、『賑やかな鶏亭』の出入り口をふさぐように立っていたオネェの登場に、ヨルは自分の逃走が初っ端で失敗したことを悟った。
ヤリ逃げ(?)失敗。
お読みいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマークを燃料に続きを書いていますので、応援よろしくお願いします。




