023.逃避行
「助けてくれ!」
「塔に戻る、だから早くゴンドラを!」
「魔獣が、魔獣が!」
(本当におバカさんねぇ)
ゴンドラの発着場で、押すな押すなの大騒ぎを繰り広げる囚人たち。その短絡さに本気でため息が出そうになるのを我慢して、ライラヴァルは近くで待機している騎士に「後は任せたわ」と告げて踵を返した。
今、この浄罪の塔にいる正規の兵士は2個小隊程度。ライラヴァル直属の隊と浄罪の塔の管理を任された小隊だ。本来は、浄罪の塔の管理小隊が騒ぎを治める必要があるが、囚人が放った魔獣数匹が暴れていては荷が重いだろうと、直属の隊にも対処に当たらせている。
それを見て何か勘違いでもしたのだろうか、「任せた」と伝えたというのに管理小隊の隊長を務めるその騎士は、まるで他人事のような口調でライラヴァルに意見を述べた。
「恐れながら、このままでは全員の回収は間に合わないかと思われます。跳ね橋を降ろされてはいかがでしょうか?」
(ここにはおバカさんしかいないのかしら?)
何をのんびりと。この反乱の責任が自分にあると分かっていないのだろうか。そもそも聖ヘキサ教国に6人しかいない枢機卿に対する態度ではない上に、任せると言った言葉の意味が理解できないのだろう。
愚鈍な男だ。言いたいことは山ほどあるが、切れ者であればこの場所に任じていないことをライラヴァルは思い出す。
――あぁ、面倒。
そんな気持ちがこもってしまったのだろう。振り向き小隊長を一瞥したライラヴァルの赤みがかったアメジストの瞳はいつもより一層冷たく、失言をした小隊長は魔獣を前にしたようにぶるりと体を震わせた。
「跳ね橋を下ろす許可はあげるわ。助けたいなら自分たちでおやりなさいな」
もっとも、できるものならね。
その一言は口に出さないけれど、ここにいる騎士や看守の魔力を合わせても、あの跳ね橋を降ろせないだろう。大型の『箱』があれば可能だろうが、それらは囚人たちが持ち出してしまっている。完全に自業自得なのだ。
「で、ですが、労働力が……」
愚鈍で善良、ヘキサ教の教えを信じて疑わない。そういった者が浄罪の塔の管理に選ばれるのだが、ぐずぐずと口ばかりを動かす騎士にライラは苛立つ。恐らくこの小隊長は聖ヘキサ教国の教えの通り、力ある者の施し――、力あるライラヴァルが力なき自分や愚かな囚人を救うために働くことを当然と考えているのだ。
力ある者の施しが当然ならば、力なき者の献身――、犠牲や搾取もまた当然だろうに。
囚人など、いくらでも補充が効く。不要と判じられたなら捨てられるのは必定だ。
因が知ったら驚くだろうが、この世界では人間を含む動物の妊娠期間は魔素の濃度によって変化する。栄養価の高い作物が短い周期で実る農村部は、一般的に魔素の濃度も高いから、そこの住人なら年に2回は出産が可能で、双子、三つ子もざらなのだ。サイクルが短い分子供は小さく生まれ、母体の負担も少ないが、たっぷりと魔素を吸って育つ子供は病気もせず健康ですくすく育つ。魔獣に襲われることが最大の死因と言っていい。
農村部の結界や防壁は鉄壁とは言い難く、時折魔獣が侵入してくる危険はあるし、農作業の途中に襲われることもある。それでも減る人数より増える人数の方が圧倒的に多く、それだけの子供に継がせる家も畑も存在しない。結界を維持する『箱』は極めて高価なのだ。
だから子供たちの多くは成長するとノルドワイズなどの街に行く。しかし、街で就ける仕事と言えば魔獣を狩るか捕まえる危険なハンターの仕事ばかり。弱い魔獣では十分稼げず、犯罪に手を染める者は後を絶たない。別に浄罪の塔だけの話ではない。開拓や鉱山、魔人の遺跡探索に、危険地帯での農作業、人海戦術による魔獣の捕獲作戦。聖ヘキサ教国において囚人とは、欠かすことのできない、けれどいくらでも代わりの利く労働力だ。
そして今、助けてくれと騒いでいるのは、反乱に乗じて逃げ出したくせに魔獣に追われて逃げ惑う連中だ。そんな考えなしの日和見主義者など、いない方がマシなくらいだ。
価値があるのは自分の意志で浄罪の塔に戻ってきた最初の十数人だけだ。真実を知った上で戻ってきた彼らを各区画のリーダーに据えれば、すぐに何もかもが元通りになる。
「労働力が足りないなら、口しか動かさない騎士でも補充しようかしらね」
冷ややかにそう言えば、騎士は自分のことだと気づいたのだろう、慌てて戻ってきた囚人を地下に戻すべく走りだす。
(……くだらない)
騎士たちも囚人も、実力の伴わない正論をよく言えたものだと呆れてしまう。自分たちに危険が迫ると手の平を返す様子があまりに滑稽だ。きっとこんな連中は、今も昔も救世主の訪れを夢見ながら、文句ばかりを口にして生きていくに違いない。839年より昔、魔人たちに支配されていた頃も、魔人たちがいなくなった後、人間が国家を築いた今であっても、本質的には変わっていないのかもしれない。
(……あたしも、似たようなものだけどね。そりゃあ、見捨てられるわけだわ)
鬱屈した想いに囚われながら、ライラヴァルは魔導昇降機に乗り込む。
魔力を使いすぎた時はいつもこうだ。気力も魔力も尽きた時は、ろくなことを考えない。
(裏切りの新月の夜は魔力の回復が遅いわね。今ばかりはあの月が恋しいわ)
特に今は『魔滅の聖典』を使ったせいで魔力は枯渇寸前なのだ。口にした少量の血液などその場しのぎにしかならない。早くきちんとした食事を取らなければ。
あの双子は幼いながら、その辺りのことをよく理解している。反乱の鎮圧に向かう前、目覚めさせた騎士に部屋の片付けを命じているから、今頃部屋は片付いて、臭くてまずい肉蟲料理がテーブルに並んでいることだろう。
そのように予想して扉を開けたライラヴァルの目に飛び込んできたのは、片付けに向かわせた騎士だった。いや、目に飛び込んできたという表現は適切ではないだろう。なぜならその騎士の体はライラヴァルめがけて文字通り飛び込んできたのだから。
「なっ、ヴォルフ将軍!?」
騎士を盾にするように、ライラヴァルめがけて突進してきたのは、《銀の棘》で壁に縫い付け無力化したはずのヴォルフガングだった。
《銀の棘》は相手の魔力を逆手に取るもの。魔力の少ない人間に対しては、ただの杭と変わらない。それでも手足の関節を何箇所も刺し貫けば、普通は動くことなどできないはずだが、さすがは『魔人殺し』で名を馳せた男ということか。手足に残る傷跡や新たについた刀傷を見る限り、自力で脱出し部屋の片付けに来た騎士をも倒したのだろう。
魔人化により身体能力も魔力も強化しているライラヴァルだが、魔術師系のスラリとした体型故にイカツイ男性2人分の重量で突進され、そのまま床に押しつけられる。
なんとか受け身は取ったものの、今度はライラヴァルが拘束された形だ。その隙を逃さずヴォルフは騎士から奪った剣を振りかざし、ライラヴァル目掛けて躊躇なく振り下ろす。
「守りの大盾! この程度の攻撃でこのあたしがどうにかなるとでも思って!?」
隙を突き一矢報いたつもりだろうが、そんなものは何の意味もないことだ。万全の状態ならともかく 手負いの状態でライラヴァルに挑もうとは。実際、ヴォルフの一撃はライラヴァルが展開した盾の魔術で防がれて、一時の膠着状態を生み出すだけで精一杯だ。
「『魔人殺し』ともあろう者が。あたしを殺したいんだったら一旦引いて態勢を立て直すべきでしょうに」
ライラヴァルはヴォルフガングの無謀とも思える攻撃の意図を測りかねていた。
そもそもこの男は、魔人であるヨルと行動を共にしていたのではなかったか。つまり、魔人なら誰かれ構わず殺す訳ではないのだ。ライラヴァルは敵国の枢機卿ではあるが、特別の因縁があるわけではない。だというのに、どうしてこんな決死の一手に出たというのか。
そこまで考えて、ライラヴァルはヴォルフガングの意図に気付いた。
「おのきなさい、邪魔よ!」
魔人の怪力に任せてライラヴァルはヴォルフガングを跳ね飛ばす。次いで自らの背後、昇降機の方を見れば、そこにはヨルを抱えてよろめきながら昇降機を目指す少女――ルーティエの姿があった。
――あの2人を逃がすために。
ヴォルフガングの思惑に気づいたライラヴァルは、ルーティエを再び拘束すべく《銀の棘》を詠唱する。
「させるか! 早く行け、長くはもたん!」
しかしその詠唱は、再び飛び掛かってきたヴォルフガングによって妨害される。
「しつこい男は嫌われるわよ!」
「それは結構!」
嫌になるほどタフな男だ。普通ならば骨が折れるようなライラヴァルの打撃も、気絶するような衝撃にもびくともせず食らい付いてくる。魔人殺しと呼ばれるだけあって、体力も回復力も桁違いに高いのかもしれない。
「それにしても、魔人殺しが魔人と魔獣を助けようとするとはね。
人間、変わるものだと言うけれど、ちょっと変わりすぎじゃない?」
泥仕合を演じながらも、どこか余裕のあるライラヴァルにヴォルフガングは答えない。そんな余裕は、とっくに失われている。
激痛に耐えることは慣れているが、《銀の棘》を無理やり引き抜いた四肢の関節の傷は癒えないどころか、今にもおかしな方向に折れてしまいそうなのに、この華奢な体のどこにと思うほどライラヴァルの動きは力強く、暴れまわる猛獣を抑え込んでいるようだ。なぜかこちらを殺そうとしないから、もっているだけのことだ。
今は自分を自由の身にしてくれたヨルを逃がすことが先決だ。意識はなく心臓も動いていないけれど、心臓を刺し貫いて高所から転落してなお甦ってきた男だ。これぐらいで死ぬとは、ヴォルフガングには思えなかった。
ルーティエが昇降機前にたどり着き、昇降機の扉が開く。
あと少しライラヴァルを押さえられれば、ヨル達を逃がすことができる。
あと少し、あと少しだけ持ちこたえられれば……。
――希望というものは、裏切られるようにできているのか。
昇降機という箱の中には、ライラヴァル直属の聖騎士が立っていた。
「その子供を捕まえなさい!」
ライラヴァルの命令を聖騎士はたちどころに実行し、ルーティエを取り押さえる。ルーティエの小さな体に担がれていたヨルの体は、なすすべなく床に転がった。
「ヨルさま! ヨルさま!」
ヴォルフガングの手によって《銀の棘》からは解放されたが、棘の影響は強力な魔獣であるルーティエの体内に未だ根を張り、普通に歩くことすら困難なのだ。聖騎士の拘束から逃れることなど、今のルーティエにはできない。
「くっ」
拘束されるルーティエを見て隙を見せたヴォルフガングに、ライラヴァルは強烈な一撃を浴びせ、今度こそヴォルフガングは昏倒する。
絶体絶命。もはや、助けは訪れない。
「その子供は魔獣よ。地下に連れておいきなさい」
ピクリとも動かないヨルと引き離され、1人昇降機へと運ばれるルーティエ。
「ヨルさま! ヨルさま! ヨルさまぁ!」
少女の姿をした魔獣は力の入らない手をヨルへと伸ばし、悲痛な叫びをあげていた。
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