021.瓦解
「オプタシオ! 出やがった、魔滅卿だ!」
「ゴンドラは!?」
「こっち側だ。何人か塔に残されてる奴がいるが……」
「略奪に夢中になってたんだろ、ほっとけ!」
堀を隔てた対岸、ゴンドラの発着場を占拠し、浄罪の塔の動きを見守っていたオプタシオの元に、魔滅卿ライラヴァルが姿を現わしたとの報告が入った。
管制塔代わりの櫓に登って見れば、昏睡していた騎士や看守たちは目を覚まし、浄罪の塔に残った囚人たちはすでに捕らえられている。あの鱗粉の毒性からみて、これほど早く目が覚めるはずはない。おそらくは何らかの魔術で状態異常を回復させたのだろう。本当に魔術師という連中は厄介だ。
「こんばんは、おバカさんたち。いい月夜ね。ピクニックは満足したかしら」
何かの魔術か魔導具でも使っているのだろう。ライラヴァルの声はオプタシオたち囚人たち全員の耳に届いた。
(なめやがって)
城壁の上に姿を現したライラヴァルに苛立ちを感じたのはオプタシオだけではないだろう。
「魔術攻撃が来るかもしれねぇ。お前ら、物陰に隠れてろよ」
挑発に乗って飛び出す者が出ないよう、指示を出すオプタシオ。
ライラヴァルのいる位置からは、十分な距離がある。並みの魔術師では攻撃は届かないはずだが、相手はあんなナリでも魔滅卿だ。万が一に備えつつ、オプタシオは注意深く声を上げた。
「残念ながらな、お嬢さん。オレっちらの帰る場所はアンタのとこじゃねえんだ。土産話はそれなりに 手に入ったけどよ、アンタの悪趣味なドールハウスに付き合った割にゃ土産が足りねぇ。なぁに、急ぐ道行きってわけじゃねぇ。ここで ゆっくりピクニックを楽しむさ。必要な食料なんかは、デリバリーが来るんでね」
土産、すなわち、自分たちの要求が通るまでここを占拠する。食料も、そちらへは渡さない。オプタシオのニュアンスはそのまま理解されたようだ。
「わがままなお子様ねぇ」
ライラヴァルはやれやれと言った仕草をみせる。
この作戦には穴がある。
オプタシオたち反乱分子は所詮は烏合の衆。囚人たちの反乱が外に知られて軍を派遣されでもしたら袋のネズミだ。
時間は限られている。ここにいる全員がオプタシオの考えに賛同した同士ではない。『箱』の正体について情報は共有してある。子供たちを殺させるなという、オプタシオの演説に一応は共感してした様子もあるが、脱獄のチャンスと一時の盛り上がりに流された者が大半だ。こちらに不利な状況が続けば あっさり逃げたり寝返るだろう。
だから、夜が明け次第一定の人間を逃すつもりではいる。魔獣に襲われるリスクはあるが、何人かが生き残れば『箱』の情報を逃げた先々で漏らすだろう。
けれど、それだけでは噂話で終わってしまう。
大きな湖に一石投じたとして何になろうか。湖面を乱すさざ波が立ったとして、じきに凪いであとは変わらぬ湖面に戻るだけだ。こちらの要求を呑ませるならば、この発着場を占拠し、混乱冷めやらぬ今しかない。オプタシオは焦りを声に出さぬように気をつけながら声を上げた。
「着飾って高いところでふんぞり返ってるお嬢さんにゃわからねぇかもしれねえが、オレっちたちにだって心ってモンがあるんだぜ。たとえ化け物になっちまったって、ガキを苦しませるような真似はしたくねぇんだ。罪もねぇガキどもを『箱』にするな。あんなガキが一体何をしたってンだ!
化け物になるのがどうしようもねぇなら、森に放すか、せめて楽に死なせてやれ!
こんな救いのねぇモンが現実だって言うんなら、親たちに知らせてやるのが筋ってモンじゃねえのか。あんたらは賢いのかもしれねぇ。確かにオレっちたちにゃ学なんざねぇ。だがな、何にも考えねぇわけでも、手前の人生を手前で決められねぇわけでもねぇんだぜ」
「そうだそうだ!」
「馬鹿にするな!」
「ガキを殺させるな!」
オプタシオの要求に、囚人たちは口々に賛同する。堀の向こうでざわめく囚人たちを見下ろすライラヴァルは笑みを崩さず、「なるほど」と口を開いた。
「なるほどね。アナタの欲しいお土産は、箱の中身というわけね。アナタ、確かオプタシオだったかしら。妹思いのお兄さんだったわよね」
意外なことにライラヴァルはオプタシオのことを記憶しているらしい。名前を呼ばれたことに驚くオプタシオを視界にとどめ、ライラヴァルは話を続ける。
「勇気ある優しいお兄さんてステキだわ。だからアナタにお土産をあげましょう。その場所の大きな木の横にある塚、えぇ、それよそれ。それが、その発着場の魔獣除けの結界の魔導具なのだけどね、まずはその『箱』を開放してごらんなさいな。
……あなたの妹よ」
「な……ん、だ……と…?」
オプタシオは視線を魔導具に向けたまま、ビクリと固まる。
「落ち着け、オプタシオ。ブラフだ。嘘に決まってる」
落ち着かせようと仲間がかけた声に応じもせず、オプタシオは魔導具から視線を逸らすことができない。魔導具の向こうにはノルドワイズの深い森が広がっていて、この発着場に集まった大勢の人間を察知してか、こちらを狙う魔獣の気配をいくつも感じる。
魔導具から『箱』を取り出せば、結界は機能しなくなる。そうすればどうなるかくらい、誰にだって分かることだ。けれど、オプタシオは魔導具の方へとじり、と一歩踏み出した。
「騙されるな、オプタシオ。魔導具を止めるな。魔獣に襲われるぞ!」
「んなこと、言われなくても分かってんだよ!」
オプタシオは仲間に向かって声を荒げる。
言われなくとも魔道具を止めて『箱』を暴こうなんて考えていない。そんなこと、できるはずがない。
この辺りの魔獣は大きく力も強い。結界がなければ、単純にぶつかるだけで、この場所を囲っている壁など容易に壊してしまうだろう。それは、ここに限ってのことではない。囚人たちの多くが生まれ育った村々は、どこもその程度の防壁しか持たない。
「ねえ、そこにいるおバカさんたち、わかってる? アナタ達が『箱』を作らないなら、アナタたちの村が魔獣に襲われるだけなのよ? 真実を知らせろって言うけれど、知らせてどうするおつもり? アナタたちが狩れる程度の魔獣の魔石で結界が維持できるとでも思ってるの? アーサイド村、レイトルト村、モンタリス村。他にもたくさんあるけれど、『箱』の供給がなくなれば、この辺りの村はすぐにでも魔獣に襲われるでしょうね。
うふ、分かりやすいわねぇ。そんなにも顔色を変えて。別に帰りたければ帰ってもいいわ。帰って教えておあげなさい。自分たちが帰ったせいで結界を維持する『箱』はなくなりましたって。魔獣に襲われて全滅した村で、家族や友人知人たちの肉片に向かって、俺は1人の御子を助けましたって。村を襲った魔獣の中に、あなたが助けたかった御子がいなければいいわね」
ざわざわざわ。
ライラヴァルの言葉に、囚人たちがざわめき始める。オプタシオの演説に一時は心を動かされた彼らだったが、その結果訪れる状況については想像していなかったのかもしれない。
真実を知らせたとして、いたずらに悩みと苦しみを与えるだけだ。たとえ真実を知っていようと村人たちの力では、結界無しには村を守れない。
村を捨てて城壁に囲まれた安全な街へ逃げ延びたくても、そういう町はいっぱいで、戦えもしない者を受け入れる余裕などない。受け入れられるのは消耗品のハンターだけだ。入門料も税金も高額で戦えない者に払い続けられる額ではないのだ。
「他の国を見てごらんなさい。魔獣は少ないけれど魔素も薄くて痩せた土地を耕して、かろうじて生きている。この国のどの村より貧しいのに、どの村より安全じゃないわ。未だに魔族の支配に怯えて人間が家畜のように生きる国もあるのよ。そんな風に暮らしたいの?」
『箱』を、聖ヘキサ教国の仕組みを悪だと断じるならば、結界の守りを手放し魔獣に怯えて暮らしてみせよ。ライラヴァルはそう言いたいのだろう。
もしも、この国の人々が真実を知ったならどうなるだろうか。
この聖ヘキサ教国は豊かだ。村の外で魔獣に襲われることはあるにせよ、餓えることもなければ、村の中では安心して眠ることもできる。
最低限の当たり前の生活。 それはこの国だけのもので、その当たり前を享受し続けるために、村の有力者たちは『箱』が何かを知ってなお、御子を生贄として捧げる選択をするのではないか。
我が子を守ろうと魔獣化する子供を隠して食い殺される親もでるだろう。そのせいで大勢の村人が死ぬことになる。運命と諦めて子供を差し出すことになったとしても、全てを知った人々が、安らかに暮らせるだろうか。断腸の思いで子供を差し出した母親は、帰ってきた『箱』を見て、一体何を思うのか――。
もしかしたら、『箱』の真実は教団が隠したわけではなく、この国の一人一人が口をつぐんだ結果かもしれない。
「アナタ達は罪人でしょう。『箱』が罪だと言うならそれを作ることこそ贖いでしょうが。魔獣におびえる貧しい日々を生きるか。それとも故郷の家族や仲間くらい、安定した生活を送らせてあげるか。
お選びなさいな。さっき、言ったわよね? アナタたちは自分で考え、自分の人生を自分で選ぶことができるって」
ライラヴァルの話を聞いていた囚人たちの何人かが、自発的にゴンドラに乗り込む。先ほど名前を挙げられた村やその付近の出身者だろう。
「おい、お前らやめろ。惑わされるな!」
「うるせえ、惑わされてるのはお前らだろうが」
「オプタシオを見てみろよ。御大層な演説ブッてもよ、てめぇの妹がそこにいるかも知れねぇってだけであのざまじゃねぇか!」
「逃げて村に帰れたとしてよ、そこに誰もいねぇんじゃ意味ねぇだろうがよ」
オプタシオの仲間の説得にも関わらず、一人また一人と、ゴンドラに乗って囚人は自ら浄罪の塔へと戻っていく。
もちろん全員にそんな殊勝な心掛けがあるわけではない。ここにいるのはそもそもが囚人だ。自分さえ助かればそれでいい。そういった心根の者も大勢いて、そういった者たちは、建物の影などに身を隠しつつ、好機の訪れを待っている。
この場所に、少数の不運な子供を犠牲にする世界を変えようと願うものは、もはや僅かしかいない。
「さぁ、遠足はお終いよ。そこに残っている人たちは、新たな世界をお望みってことでいいかしら。それじゃあ、体験してみるといいわ。『箱』のない世界ってものを」
ライラヴァルは言葉と共に、《銀の棘》を結界の魔導具に向けて打ち出した。
通常の魔導士をはるかに凌駕するその射程、硬質な塚の表面をやすやすと射貫くその破壊力。
魔滅卿ライラヴァルの戦闘力以上に囚人たちを震え上がらせたのは、魔導具が射貫かれるや森から近づいてくる魔獣の気配、獲物を喰えると狂喜するその咆哮だったろう。
「うわあああぁ! 魔獣だ! 逃げろ!」
「のけ、のきやがれ! 俺は戻るぞ!」
「俺も乗せてくれぇ!」
それまで様子を見ていた囚人たちが、ゴンドラめがけてどっと押し寄せる。運よくゴンドラに乗り込んだ囚人も、重量オーバーで互いを押し合い、幾人かは肉食魚のいる堀へと落下する。落ちた囚人が「助けてくれ!」と水面に顔を出したのはほんのわずかな時間で、中洲でもできたのかと錯覚するほどの肉食魚が群れで襲い掛かり、あっという間に喰い尽くされて赤く濁る水が残るだけだ。
その凄惨な有様が、囚人たちの恐怖心をいっそうあおったのだろう。
逃げ惑う囚人たちで、発着場は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
ドン、ドン、ドン! バキ、バキ!
発着場を囲む壁に魔獣がぶつかる音がする。太い木と土で作られた壁がひび割れ、今にも壊れそうだ。
その光景を、オプタシオはじっと見ていた。
妹の『箱』があるという、魔導具の塚をじっと見ていた。
かつて地下の同じ区画で、この世界を良くしようと、『箱』なんてなくそうと語り合った仲間たちさえ、迫りくる死に動揺し、我先にとゴンドラへ乗り込んでいる。
ここに来るまでに、看守や騎士から武器は調達してきたはずだ。全員分はないけれど、何人かは武器を持っているというのに、襲い来る魔獣と戦おうとする者は一人もいはしなかった。
「どうして……。どうしてだよ……」
オプタシオの口から言葉が漏れる。
「戦え、戦えよ。諦めるな、与えられた選択肢で満足すんな。
想像できるだろ、さんざん語り合ったじゃないか! 今よりもほんの少しだけいい未来を。
夢みたいな最高の世界なんて遠すぎて届かないけど、少しだけいい未来ならかなえられるはずだって! 俺たちが無理でも、俺たちの弟や妹、そのガキたちに渡してやれるかもしれねーんだ。
なのになんで手を伸ばさない、どうして諦めてしまうんだ。俺たち人間はこの800年、いいやきっと魔王に支配されてたずっと昔から、そうやって発展してきたはずなのに。
俺は一人でも戦うぞ、一匹でも多く魔獣を倒してやる。そうすれば、一人くらいかわいそうなガキを逃がしてやれるかもしれねぇんだ!」
オプタシオは剣を抜き、今にも破れそうな防壁に向かう。
勝てる見込みなんてない。どうすればいいかなんてわからない。
それでも、ここで浄罪の塔へ逃げ戻ったら、掴めるかもしれないほんの少しだけましな未来さえ失ってしまうような気がしたのだ。
無事、退院いたしました。
お見舞いのメッセージをくださった皆様、本当にありがとうございました。微熱が続く中、とても励みになりました。
幸い思った以上に予後が良好で、問題なく執筆が続けられそうです。
引き続き、本作をお楽しみいただければ幸いです。




