018.魔滅卿
ヨルたちの到着を待っていたように、すでに昇降機は降りていた。
「ヴォルフは俺を殺した罪で捕らえられたのだったな。俺は生きている、冤罪と告げに行こう」
「……あいつはどうにも苦手なんだが」
「え゛」
ヴォルフガングの渋面に、変な声が出るヨル。
魔人だろうが魔獣だろうが、臆せず切り込む戦鬼のごときこの男に、野菜以外にも苦手な物があったとは。
なんだか急に怖くなってきた。魔王ボディーの無敵感から勝てる気になっていたが、中身は田口因なのだ。
(そういや俺、人間相手に戦えるのか!?)
ヨルは現代っ子なのだ。ゲームには慣れ親しんでいるが、殴り合いの喧嘩は縁遠い。体育の授業で柔道はあったが、あれを対人戦に数えちゃだめだろう。
「……どんな奴なんだ?」
「会えば分かる」
ヴォルフガングが意地悪だ。心の準備がしたいというのに。
(相手が優しそうなお婆さんとか、お姉さんとかだったら無理だ、俺)
あと、何でも気合で解決しようとする体育教師系とかも。
(……困った。意外と守備範囲狭いかもしれん)
情けないことを考えるヨルたちを乗せ、昇降機はゆっくりと上昇を開始する。
地上で待っていたのは仕立ての良い揃いの服装をした二人の子供だった。
髪型は肩口で切りそろえたおかっぱで、顔には鼻より上を覆う面をつけているから表情は読めない。服装は膝上のキュロットのように広がったズボンにベスト、リボンタイを締めたブラウスは袖がたっぷりと広がっている。ブーツの下には膝上まである長い靴下、手には手袋と、口元以外徹底的に素肌を隠した服装だ。年齢的にも服装からも性別は読めないけれど、おそらく双子の男女だろう。
首元にちらと見える無機質な首輪が、この子供たちの用途を示している。
「お待ちしておりました」
「魔滅卿がお会いになります」
年不相応な無機質な声に「そうか」とだけ返事をする。
この双子を見て冷静になれた。子供を隷属させるようなクソ野郎ならジェンダーフリーでぶっ飛ばせそうだ。
双子の案内で、地上階からは別の魔導昇降機に乗り換える。
先ほどまでの人力の昇降機ではなくて、魔力で動く昇降機だ。内装も比べようがないほど精緻で庭園の四阿を思わせる。塔の管理者の居住区は魔人時代のものをそのまま使っているらしい。
昇降機の最上階も、これまでとは打って変わって宮殿のような豪奢なつくりで、毛足の長い絨毯の敷かれた通路の先に両開きの大きな扉がある。
扉の先の部屋はこの塔の様子を一望できる展望室のような大きな窓のある部屋だった。空には僅かに欠けた赤い月と青い下弦の月。白の月が消えたせいで、視界いっぱいに広がるノルドワイズの森は紫がかって悪夢の中にいるようだ。
壁には絵画の代わりに装飾の施された優美な剣や、魔獣の角や牙が申し訳程度に飾られている。広々とした部屋に置かれているのは細長いテーブルセットだけ。どこか寒々しい印象を受けるのは、テーブルにはクロスがかけられておらず、置かれた床にも絨毯が敷かれていないからだろうか。テーブルも床も景色を映すほどに磨き上げられているところに生活感は感じられない。
そんな部屋でこの塔の主は、あでやかな笑顔を浮かべてヨルを迎えた。
「ようこそ、浄罪の塔へ。初めまして、あたしはライラヴァル。巷では魔滅卿と呼ばれているわ。立ち話もなんだから、お掛けになって。ヴォルフガング将軍もどうぞそちらに。お久しぶりね。相変わらず苦み走ったいい男。ホント、食べちゃいたいくらい」
腰までやわらかくウェーブを描く銀髪は、美女と見まがう物憂げな美貌と酷く似合っている。不健康そうにも見える青白い肌、アメジストのような紫の瞳を縁取る長いまつげ。薄い唇は紫がかって、口紅まで引いているようだ。
顔にも体にも無駄な肉は一片たりともついてはいなくて、高い鼻とシャープな輪郭を強調している。
もう少し鼻が低かったら、というのはクレオパトラで有名だけれど、ヨル的にはもう少し柔らかい輪郭であれば見とれただろう美しさだった。
胸元を開けた服装が、贅肉のない身体と手足の長さを強調している。筋肉の少ない薄い胸板の割にしっかりとした肩幅で、言葉遣いに反してどう見たって男性だ。
天然なのか染色なのか、光沢のある紫のスーツは光を反射し、上に羽織った毛皮で縁取られた同色のマントと合わせて、ものすごく派手なのに、顔かそれとも立ち振る舞いか、“紫は高貴な色”を体現するような品がある。
(あー、こう来たか。ヘキサ教団、進んでるな!)
まさかのオネェ系である。これで枢機卿になれるとは、ヘキサ教とはずいぶん進んだ教団だ。
ビジュアル系ロックバンドか、カーニバルかといった服装のオネェは、どう見たって味方ではない来訪者に警戒するそぶりも見せず、テーブルセットに腰かけて、優雅にグラスを傾けながらヨルに席を進めてくるのだ。
「ヨルという。こっちは、ルーティエ。俺の配下だ。
ヴォルフガングとは、アリシア・ストリシアに依頼された仕事で知り合った。仕事後のトラブルでしばらく街を空けている間に手違いがあったらしく、俺を殺した嫌疑でここへ送られた。だが俺はこの通り生きている。ヴォルフガングは冤罪だ。解放を要求する」
思わぬ展開に毒気を抜かれたヨルは、勧めに従いライラヴァルの向かいに座り、あいさつ代わりにヴォルフガングの解放を要求してみた。
「あら、あたしに会いに来てくれたと思ったのに残念だわぁ。それにしても、あのお嬢さんも困ったものねぇ」
『箱』の秘密を知っているのだ、「はい、そうですか」とヴォルフを解放するとは思っていなかったが、実にオネェらしいはぐらかしで返された。ルーティエの肉体が、ヘキサ教の御子、ミリィであると気が付いているのだろうが、それについても特に気にする様子はない。
対話する余地はあるらしいと判断したヨルは、落ち着いた様子で椅子に腰かける。ルーティエは従者のつもりか、ヨルの後ろに控えている。
ヴォルフガングはというと、眉間に深い皺を刻んだまま、これまたヨルの後ろに立っている。こちらはヨルの後ろに控えたというより、後ろに隠れたような気がする。
(こいつ、ヴォルフを揶揄ってるだけだと思うぞ。それにしても、食べちゃいたい、ねぇ……)
『魔人殺し』ヴォルフガングは気が付いているのだろうか。
ヨルが席に着いたのを見て、双子の片方がヨルの前に赤い液体の入ったグラスを置いた。
「どうぞ、召し上がって。ここでは一番マシな品よ」
ライラヴァルがグラスを勧める。ノルドワイズの酒場で飲んだ薄い葡萄酒とは違って、繊細なガラスのグラスに注がれた液体からは馥郁たる香りが漂ってくる。
漂う香りからして、ライラヴァルのグラスのものと同じものなのだろう。
勧められるままヨルはグラスに口をつける。口腔を満たす味わいは、若さを感じられる素朴な味わいと鼻孔に抜けるある種の洗練された香りが同居してなかなかに美味だった。
「お気に召したようね。フフ、美しい所作。綺麗な人は大好きよ」
一口味わい、残りをグラスに遊ばせるヨルの様子にライラヴァルは満足そうに微笑むと、グラスに口をつける。
「その双子の血か」
「えぇ。ご所望なら肉もお出ししましょうか?」
生きた子供から肉を削ぐ。
ライラヴァルの発言を聞いても、双子の様子に変化はない。
代わりに反応したのはヴォルフガングだ。ヨルの後ろからドッと湧き上がる殺気。どうやらライラヴァルの正体に今気が付いたらしい。
「貴様っ、魔人か!!」
「押さえろヴォルフ。俺の相手だ」
鋭いヨルの声に、ヴォルフガングは飛び掛かる一歩手前で止まってくれた。
それでも飛び掛かる寸前の緊迫感、強い怒気を背後に感じる。
(……俺も血、飲んじゃったんだけど)
ヴォルフガングが怒り狂ったおかげで、逆に冷静に戻るヨル。
怒りが瞬間沸騰し、脊髄反射で飛び掛かるとは、とてもまともとは思えない。
ヴォルフガングもまた、魔人同様どこか狂っているのかもしれない。だからこそ、魔力においても肉体面においても人間を上回る魔人を殺しうるのだろう。
フッフッと浅い呼吸で殺気を迸らせるヴォルフガングとは対照的に、双子は怯える様子も見せずに扉近くに控えている。
この子たちにとっては、これは日常なのだろう。そのための隷属の首輪で、おそらくは食料として買われた子供だ。だとしたら、素肌を隠す服装も納得がいく。食いちぎられたか、切り取られたか、失った肉はポーションや治癒魔術で再生できるが、何度も繰り返せばケロイド状の痕が残る。それを隠すためなのだろう。
――こんな光景、800年前は珍しくもなかったな。
ふと蘇った記憶の断片が、ヨルにライラヴァルがどんな男か想像させた。
「いつからだ」
「貴方よりは新参かしら。だからって弱いとは思わないでね?」
ライラヴァルは笑みを崩さない。
それにしても、聖ヘキサ教国で6人しかいない枢機卿。その一人を務めるライラヴァルが魔人だったとは。
このマグスという世界には神なんて存在しない。その証明に、彼ほど適した者はいないだろう。
同時に、聖遺物、『魔滅の聖典』の使い手として彼以上適した者も。
「ねぇ、開けてはならない箱の話をご存じ?」
グラスに残った最後の血液を飲み干して、ライラヴァルは話し始める。
「悪神テトラの贈り物。開けるなと言われていたのに愚かな人間は箱を開けてしまったの。入っていたのは世界の半分を覆う闇。その日から、世界は魔獣におびえる夜を得た。けれどヘキサ神の慈悲により、闇夜を照らす光、三柱の女神が現れた」
この世界にも『パンドラの箱』のような話があるらしい。闇を照らす3女神ならば。
「月か」
「えぇ。静寂と狂乱と移ろいなんて呼ばれているけれど、あたしは冷静と情熱と裏切りだと思っているわ」
青い静寂の月が冷静で、赤い狂乱の月が情熱か。そこまではわからなくもないけれど、白い移ろい月を“裏切り”だとは。
「迷惑な加護もあったものだな」
「ただの月の話よ」
「ならば、あれはただ移ろうだけだ。“裏切り”のいない今夜はさぞかし心穏やかだろうが、……狂わせるのは月じゃない」
「そう。貴方はすでに、そうなのね」
ほんのわずかだけライラヴァルが苦しそうに眉をひそめたことをヨルは見逃さなかった。さきほどの会話と様子から、ライラヴァルは魔人としてはひどく若いのだと思う。おそらく、魔人化が始まって数年。この年月は、魔人化の苦痛を思えばあまりに長い。
30日ごとに白い月が満ち欠けするたび、降り注ぐ魔素の量は変動する。世界を豊かに潤す白い月の光。その月光は魔人化の進行にさえ影響を及ぼす。赤い狂乱の月は白い月の影響を増幅し、魔獣や魔人を狂わすけれど、変貌を遂げつつある者にとっては一月という短い期間で増減する魔素の影響こそその身を苛む責め苦となる。
肉体が変貌し、飢えと痛みにだんだんと己を失っていく感覚に、心が擦り切れていくのだ。
ヨルは血液の注がれたグラスを見つめる。そこには部屋の端に立つ双子の姿が映っている。
恐らく何度も喰われた子供。けれど、この子供たちは未だ死んではいないのだ。
人格の未熟な子供より、成人のほうが魔人化の苦しみに屈せず正気を保ちやすいけれど、餌である二人を生かして部屋に留め置けるほど正気を保っていられるとは。さすがは枢機卿というべきか、よほど強靭な精神の持ち主だと言っていい。
「あたしより貴方の話が聞きたいわ。ずいぶんと冷静なようだけど、大切な方でもいるのかしら?」
内心褒めたばかりだというのにこのオネェ、いきなり何を言っているのか。
「? ……恋人はいるが」
募集はしていませんよ、と答えたヨルだがそういうことを聞きたかったのではないらしい。
「……まぁいいわ、要件を聞こうじゃないの。あたしの招きを受けてくれたんだもの。『箱』の製法を盗みに来たわけじゃないでしょう? まさか本当にその子や将軍を助けに? でもその子、そんな状態じゃあ助けたなんて言えないわよねぇ」
ヨルの微かな感情のひださえ逃さず探るようなライラヴァルの視線。
「御子さまとやらは目的の一つではあったがな。本命はお前だ、魔滅卿。『魔滅の聖典』を返してもらおう」
「返す? この聖典を?」
ヨルの答えはライラヴァルにとってよほど期待外れなものだったのか、それまで好奇心の宿っていた瞳は光を失い、はぁ、とため息を吐いた後、グラスを置いて席を立った。
「……なぁんだ、残念。貴方、ウォルメン家の手の者だったの」
ヨルを誰かと勘違いしたらしい。
「殺す前に聞いておくわ。貴方、殺すには惜しい美形だもの。ねぇ、あたしのもとにいらっしゃいな。ここにいれば食事には困らないわ。地下で肉蟲を飼っているし、時々なら人のスネ肉もあるわよ」
「下にいるやつらのふくらはぎの肉か」
「えぇ。働きによってはこの子たちみたいな上物を手配してあげてもいいわよ」
うふふ、と口角を上げてライラヴァルは楽し気に笑う。まるで人の肉を喰らうことに一片の躊躇も感じてはいないように。ライラヴァルの容姿も仕草も造花のように美しく、施された化粧に隠され表情さえも読み切れない。
その言動も服装もどこか役者じみている。
クロスの敷かれていない石材のテーブルに、僅かな染みもないほど磨き上げられた床。そして、幾度となく血肉を貪られただろうに、未だに生きている双子――。
ヨルには彼の本心が別のところにあるように思えた。
「ウォルメンが何者かは知らないが、君については少しわかった。厚化粧じゃごまかせない」
グラスに残った血液を飲み干すと、ヨルも静かに席を立った。
ルーティエとヴォルフガングに視線を向けると、意を組んだのか部屋の奥、壁際へと下がる。ライラヴァルの双子も奥の部屋へと退避している。
「残念、交渉は決裂ね。この『魔滅の聖典』が欲しいなら、あたしを殺して奪いなさいな。
まぁ、今までの魔人たちみたいに、あたしが貴方をイカせてあげることになるでしょうけど。ふふ、貴方を解放してアゲル。それともあなたがあたしを解放してくれるのかしらね? 命を賭して戦って勝者は聖典を、敗者は救いを得るのよ。ステキだと思わない?
ヘキサ教の教えをご存じ? 魔人や魔獣にとって死こそが救済。
それだけは間違いなく真実よ。かつて聖女サラエナは愛を持って魔人たちを葬ったというわ。だからあたしも、愛を持って送ってあげる」
月光を背に立つライラヴァルの手には分厚い書物。
ヨルの記憶にあるそれこそが『魔滅の聖典』。真の名を『転身の書』という、魔王シューデルバイツが仲間と共に作り上げた遺物の一つだ。
その書の力をライラヴァルが解放する。
「開け、『魔滅の聖典』。夜を統べる王の叡智よ。力の流れを反転せしめ、我が意の下に封じ奉ぜよ!」
(おいおい、いきなり全開かよ!)
その瞬間、幾重もの花弁を有する花のような複雑な魔法陣が、ヨルの足元で花開いた。
その魔法陣は、閉じる花びらのようにヨルの全身を包み込み、きざまれた文様が生き物のように絡みついた瞬間、ヨルは全身の毛穴から血を噴き出して赤く染まった。
「ヨルさま――!!!」
ルーティエの悲鳴が遠くで聞こえた気がした。
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