016.獣と人
「知り合いかい?」
オプタシオがヨルに問う。
この子を探してここまで来たのかと、そう聞きたかったのかもしれない。
大切な人に会うために、二度と出られないこんな場所まで来た者にとって、どんな姿になっていても――たとえ魔獣に変貌していても再会できる方が幸せか、それとも会えない方がマシなのか。
「旅の途中、街道の宿泊施設で会った」
「そうかい」
オプタシオの声からは彼の想いは読み取れない。
月光に手を伸ばすミリィの足元には、干からびた死体が転がっている。少女の面影を残すミリィに、心も人のままだと勘違いした愚か者だろう。もはやミリィは人ではないのに。
「オレっちの妹も、ヘキサ教の御子だった」
オプタシオがぽつりと漏らす。
「御子さま、御子さまってありがたがってもよ、浄罪の塔に行くばっかりで出てきた話は聞きやしねぇ。まぁ、村じゃガキなんざボロボロ生まれんだ。たいていが街に出てって戻っちゃこねぇ。道中魔獣に喰われるか、ハンターになっておっ死ぬか。そんなんばっかだからよ、御子さまが戻ってこなくたって、誰も気になんてしねぇんだ。オレっちだって、妹が選ばれるまでは考えもしなかった」
男ばかりの兄弟だったから、年の離れた妹のことは特別にかわいがっていたとオプタシオは語った。
当時、ノルドワイズ周辺でハンターとして活躍していたオプタシオは、妹がヘキサ教の御子に選ばれたという知らせを受けて、道中宿泊するであろう場所に向かったという。
「うちはビンボーでよ、あいつには旨いもんも食わせてやれなかったから、兄貴面したかったんだよ。
最初はちょっと連れ出して、いいもん食わせて服でも買ってやってよ、頑張れよって、応援してるぜって塔まで送り届けるつもりだったんだ」
護衛の騎士たちの目を盗み、御子を連れ出したオプタシオの目の前で、妹は化け物に変貌していった。
「いつまでもチビだと思ってたんだがなぁ、こんな……、膝よりちっこいってありえねぇだろ? 腹減ったって言うから、何が食いたいって聞いたら、“兄ちゃんが食べたい”って……」
運よく、というべきか、オプタシオが襲われるより早く、御子の誘拐に気付いた騎士たちが駆け付け、妹だった魔獣は捕獲された。
秘密を知ったオプタシオは捕らえられ、妹ともどもここへ連れてこられたという。
「何が頑張れだよ、何が応援してるだよ、チクショウ……」
妹がここでどんな目にあったのか、どのように処理されたのか、オプタシオは知らない。
監禁が解かれたのは、妹を詰めた『箱』が出荷された後だったから。それは、事情を知る当時の区画リーダーのせめてもの計らいだったかもしれない。
「オニイ、チャン」
オプタシオの苦悩を知ってか知らずか、ミリィが声を発した。兄を呼ぶその声に、オプタシオはぎくりと体をこわばらせる。
「ミリィ」
ヨルたちを認めたミリィは、ゆっくりとした動きでこちらへと腕を伸ばす。痛みに歪んだその表情、頬を伝う液体は、涙か、それとも枝葉を濡らす餌の血潮だろうか。
「オニイ、チャン。タス、ケテ。イタ……イ」
「くっ」
妹と重ねたのか、ミリィの側に行こうとするオプタシオをヨルが止める。
「ミリィ、どうしたい?」
ミリィにどれほどの理性が残っているのだろうか。
ヨルの問いを、どのように受け止めたのか。
「な、なぁ、旦那。そいつ、親んトコに帰しちゃやれねぇか? 根っこはってんだ。こっちから近づかなきゃ人間を襲ったりしねぇだろ。そのためにこんなトコまで来たんじゃねえのかよ」
ミリィに同情するオプタシオの発言がどう認識したのか。
ミリィの口がゆっくりと開き、梢をゆらすような声が冷たい牢獄に響いた。
「オトウ、チャン。オカア、チャン。アイ……タ、タベ、タイ。カエッ、テ、オトウチャ、ニク、タベテ、オカアチャ、ノ、ゴハ……ント、チ、ノムノ。ニイ、チャニ、ネ、ハル。アソンデ、ネエチャ、ヲ、ナエドコ……ニ、ハナ、サイテ……。ミンナ、ニク、アイタイノ、アッテ、……タベル、ノ、ニク、ミンナノ、ニク、ダイスキ、ナ……」
ガサガサガサガサ。
こちらへ伸ばした枝葉をゆらし、自分を見つめるオプタシオを餌と定めたミリィがガチガチと樹皮のような歯を鳴らす。
殺気とともにぶわ、と吹き付ける魔力。まだ魔術として練り上げる術を知らないらしく、攻撃の形をとれない魔力ではあるが、その強さはここに運び込まれた魔獣たちの比ではない。
人間だった魔獣たち。彼らが成長すれば、その多くは人の手に負えない強敵になる。
「……なんでだよ。ヘキサ教の御子さまなんじゃないのかよ。選ばれたガキどもも、その家族もみんな有頂天になって喜んで、送り出したんじゃないのかよ!」
その末路が、魔力を供給するための『箱』の材料だ。
幸福の絶頂から地獄へと突き落とされる子供たちの心情はいかほどだろうか。
(いや……。本当にむごいのは……)
因の人間らしい思考に、ヨルの記憶が否という。
「あきらめろ、オプタシオ。魔獣に堕ちてしまった時点で、人の姿を手放した時点で、その者は人の心を失っている。この子は御子に選ばれなくとも魔獣と化した。人の名残をとどめても理性を持たぬただの獣に。魔獣は、人を喰うものだ。この子らが魔獣と化した時、最初に喰らうのは最も近しい人間の肉だ」
「ハハ……。だよな、そうだよな……。今まで似たようなガキどもをさんざん見てきたんだ。自己防衛だって、殺されねぇためだって言い訳して、オレっちは魔獣の手足をもいできたんだ。そんなかのどれかはオレっちらと同じ人間だったってのによ。落ち込んだ仲間に、“殺したわけじゃねぇ”って慰めの言葉なんかかけたりしてよ。送り出した先で、この後の行程で、どんな目に合うか知ってんのによ! ……一人くらい、どうにかしてやれるんじゃねぇかなんて……。夢、見ちまうなんてよ……」
白くなるほど拳を握り、うつむくオプタシオ。
普段は明るく振舞っていても、このあまりな現状を何とかしようと、囚人たちをまとめ上げ、情報を集めてきたのだろう。けれど、全貌を知れば知るほど罪の意識は増えるばかりで、一片の救いも見出すことはできない。調べるのではなかったと、次の行程で何が待ち受け、この浄罪の塔で一体何が作られているのか知らない方が幸福だとさえ思える始末だ。
そんなオプタシオの様子に、ヴォルフガングが口を開いた。
彼はこの聖ヘキサ教国の人間ではない。魔人や人型の魔獣が何から生まれるのか、知った上でそれらを狩る『魔人殺し』。大勢を守るため、少数を殺してきた男なのだ。
「……魔人と人型の魔獣は何が違う? 遥か昔は正気を保った魔人がいたのだろう? だからこそ人類が及びもつかない文明を築けた。この子を正気に戻すことは本当にできんのか?」
オプタシオはヨルが魔人であると気付いていない。だから言葉を選んでいるが、ヴォルフガングは「どうしてお前は正気なのだ」と聞いているのだ。
「……正気なんかじゃなかったさ。人間を飼い、食料にし、娯楽のために殺す。正気のはずがないだろう。だが、知性は保てた。それが魔人だ」
知性を保てる個体と保てない個体。その違いについて、魔人たちが研究しなかったはずがない。
先天的あるいは後天的な要因、特定の食品摂取に知能、幼少時の病歴、魔素の濃度に魔力量、魔力核の有無、魔化期間中の月の影響。終いには魂のありようなどと言う観測しようのない事象まで、医者に化学者、占星術師に果ては神学者までこぞって研究し、魔人文明は大いに発展したけれど、魔獣の知性を保ち魔人に変えることもできなければ、何が魔人と人とを分けるのかさえ解明できなかった。
「魔人になるか、魔獣に堕ちるか。人のままでいられるか。
それが分かっていたなら、今この世界に魔人も魔獣もいるはずがない。
魔人化は脳にまで及び知能は向上するのだろう。魔人が高度な文明を築けたのがその証拠だ。逆に魔獣化により脳は獣に退化する。痛みや食肉の欲求で発狂するだけじゃない。薬や外科的手法で痛みを取り除いても、魔獣――、獣への変貌は止められない」
魔人になるなら、知性や理性を保つ方法はある。しかしそれを知性を持たない魔獣に施したとして、ただの道具になり果てるだけだ。ルーティエは例外中の例外で、特殊な実験体に過ぎない。
魔獣化する者たちであっても、意識は正気と狂気を行き来して、まれに魔獣の体に人の心が蘇る。束の間戻った正気の時間、彼らは口腔に残る血肉の味に絶望するのだ。満腹を感じる腹の中に何が詰まっているのかを悟った時、果たして正気でいられるだろうか。
失った人というありようはあまりに重く、二度と取り戻すことはできない。絶望のまま狂気に呑まれ、人でないものに堕ちていく以外、彼らに道は存在しない。
ならば、手など差し伸べない方が、よほど慈悲深いのではないか。
「今ここで死ぬか、『箱』になって人間の役に立つか。……望むなら北の森深くに植えてやってもいい。ミリィ、お前は家族を殺し、その血肉をすすらずに済んだ。それは幸運なことだった。それだけは覚えておくといい」
家族を喰らう最悪を免れたのだと伝えて、どうなるというのだろうか。ミリィ一人助けたとしても、一過性の自己満足にすぎないことくらい、今のヨルにも理解できる。
「ワタ、シ、ソトヲ、ハシリ、タイ……。モウ、イチド、ミンナニ、アイタ、イ」
絞り出すようなミリィの声。
それは、体が硬い樹木へと変貌しつつある少女の、心からの本音であるようにヨルには思えた。
(あぁ、くそったれめ……)
この世界に再び舞い戻り、魔王の記録の断片を得てから予想していたことではある。
確証を得るためにここへ来て、そして目的は果たされた。
この場所も、聖ヘキサ教国の御子さまとやらも、ぜんぶ予想通りだったのだ。
魔化する前、人の姿をしているうちなら捕らえるのは簡単だ。無力なうちに自由を奪って魔獣になるまで養殖すれば、人間が捕らえられないほどの強力な魔獣も『箱』に加工することができる。
浄罪の塔に送られた魔獣は、死後、救済の国とやらに行けるとされる。ヘキサ教の御子の正体を知り、浄罪の塔へと護送した騎士たちは、子供たちが生きたまま『箱』に詰められるなど知らないのだろう。悪神テトラに魅入られ魔獣に堕ちる哀れな子らを家族殺しの罪から遠ざけ、塔へ送って救う、良き行いをしていると信じている。
塔の中でも工程は分けられ、『箱』作りに従事する囚人たちも、オプタシオたちのように苦心して情報を集めなければ、自分たちが何をしているのかその全容を知らずに済むのだ。
こうして作られた『魔獣箱』はどれほど多くの魔力を人に供給するだろう。
どれだけ長い間、人と魔獣を隔てる結界を維持し、どれほど多くの魔獣を滅ぼす兵器となるだろう。
ヘキサ教の御子たち。
この子らがいるから、聖ヘキサ教国に人型の魔獣は出没しない。
この子らの働きで、この国は守られ、人々は暮らしていける。
その言葉には、一つも嘘はないけれど。
「……こんなことのために、『箱』は作られたわけじゃない」
胸の底から湧き上がる憤りと後悔。この感情は、魔王シューデルバイツのものだ。
(だから、お前は……俺は蘇ったのか)
開かれた、絶望の『箱』。
その中には一片の希望さえ残されてはいないのか。
――『箱』は、**ために作られたのに。
※ 感想のお返事遅延のご連絡 ※
1週間ほど入院してきます。
復活したらスマホポチポチお返事できますが、数日程度、お返事書けないと思いますので、「返事こねーな!」と怒らず気長にお待ちください。
なお、更新は予約投稿済です。




