025.牧場
パパパパッ。
ヨルが足を踏み入れた瞬間に、真っ暗だった大穴の向こうに照明が灯った。
(なんだ!?)
急増した光量に一瞬視界を奪われる。何らかの攻撃かとも思ったけれど、侵入者に反応して照明が灯っただけらしい。
「この遺跡は、まだ生きているのですね。それにしてもここは一体……」
恐る恐るヨルの後に続くアリシアたち。
高い天井に白い床と壁。通風孔からに開いた大穴の向こうは、廃坑の底とは思えない、清潔感のある保管庫だった。
縦長のタンクが何本も並び、天井部に配管や照明が渡してある様子はまるでビール工場だ。もともと無人工場なのだろう。ここに動くものの影はないけれど、どこからか魔力が供給されていて、内容物の品質を保っている。
横穴近くは大蛇に壊されたのか、タンクが幾つか倒れている。白い床を汚す内容物の赤さび色の汚れが忌まわしい。すっかり乾いてしまっているが、中身は一体何なのか。
タンクの並ぶこの部屋は、十字に通路が切ってあり、大蛇の通った跡は建物の外の、広大な空間へと続いていた。大量の魔力反応、シャグシャグと響く咀嚼音はこの先だ。
ところどころに、作業員らしき人型のゴーレムが倒れている。
アリシアは一瞥をくれただけで興味を示さないから、目当ての種類ではないのだろうが、人型をしたものが壊れたまま打ち捨てられているのは、いかにも廃墟然とした物悲しいもので、奥から伝わる生命の反応と矛盾していてヨルは落ち着かない気持ちになった。
タンクの林を抜けた先、壊れて空きっぱなしになった扉に近づくにつれ、くだんの咀嚼音と微かな異臭が漂ってくる。
この先だ。この扉の向こうで、何かが何かを咀嚼している。
「うにゃあ」
ぴくぴくと耳と鼻を動かしながらミーニャが情けない声をもらす。
いつでも攻撃できるように意識を集中しながら、ヨルとヴォルフは穴の向こうを覗き見る。
「なんだ……あれは」
いぶかしむヴォルフガングの声が空間にこだまする。
そこは広大な空間だった。おそらくここが鉱脈だったのだろう。鉱石は採りつくされて、巨大な空間が広がっていた。
空間を支える石柱がまるで林のように乱立していて、地面も柱も表面はほとんど白に近い苔で覆われている。湿度がやたらと高いから、苔を繁茂させるために散水でもしているのかもしれない。
シャグシャグ、シャグシャグシャグ。
鍾乳洞を思わせる白い苔に覆われた大空洞のそこかしこに、人間ほどの大きさの白い塊が蠢いていた。
シャグシャグ、シャグシャグシャグ。
ぶよぶよと太った巨体が苔を食む。漂ってくる悪臭は牧場や動物園のようだ。
シャグシャグ、シャグシャグシャグ。
苔を生育するためなのか、柱には所々に薄明かりがついていて、柱や床にはりついてシャグシャグと苔を貪り食う者の姿を照らし出す。
体長2メートルに満たない、白くて太った巨大芋虫。
「魔獣、ではないな。この虫は……」
魔獣なら、人間に襲い掛からないはずがない。けれどこの芋虫たちは一心不乱に苔を食むばかりで、剣を手にかけ警戒するヴォルフガングに関心すら示さない。
それにしてもなんと醜悪な姿だろう。
苔を食むその口は、一見すると芋虫のそれだが、開いた口の中には人を思わせる歯列が見て取れる。口の上に二つの鼻孔を備えた低い鼻と、白目を備えた小さな目玉が一対。虫ならば頭部の側面に目玉が複数あるけれど、このイモムシは二つだけ。それも白目のある眼球が顔の前側に揃って付いているのだ。
前面に目鼻口が揃った様子はどこか人間じみていて、肌の色も真っ白ではなく血の気を感じさせる色合いだ。よくよく観察すると、芋虫の腹にはいくつも足が生えているが、その先端は赤子の手のひらのように5本に分かれ、なんと爪も生えている。
この芋虫の様子は、腕や脚のない太った人間のようにも思える。
「どうしてこんなところに肉蟲が……」
誰もが沈黙する中で、芋虫を見たアリシアが、“肉蟲”とそう漏らした。
「この蟲を知っているのか」
「……書物で目にしたことがあるだけです」
嘘だなと直感的にヨルは思った。
肉蟲と漏らしたアリシアは、この芋蟲のことを知っている。どうして書物で見たなどと嘘をつくのか。
「どういう蟲だ?」
「……魔獣の餌となる蟲です」
魔獣は人を好んで喰らう。つまり、人の肉を持つ蟲なのだ。
こんなネズミとコウモリしかいない廃坑で、あの大蛇が何を食べていたのか疑問だったが、これだけの食料庫があったなら納得だ。
(こんな蟲と縁があるとは、ヘキサ教とはずいぶんキナ臭い)
ともかく、魔力と咀嚼音の主は判明した。ここがどういう場所なのかもだ。
「ここは、……牧場か」
ヨルが口にするのを躊躇した思考を、ヴォルフガングが言葉にかえた。
牧場、畜産場、あるいは養殖場。ここは食肉を育てる場所で、放棄された牧場なのだろう。
不自然極まるこの蟲に“野生”の状態があったのか甚だ疑問ではあるが、この肉蟲は地下の環境に適応し、広大な地下鉱脈跡に大繁殖したらしい。
「おそらく放棄された後も魔力供給が続いていたのでしょう」
アリシアが見つめる苔の剥がれた床を見ると、基盤のような筋が見えた。魔導具などで魔力を伝える、導線のようなものだ。
「魔導線か」
この空間一面に魔導線を張り巡らして肉蟲から僅かずつ魔力を集め、その魔力でこの牧場は稼働している。先ほどの部屋のタンクの動力や照明、牧場中の苔を育成するための薄暗い灯りに湿度や温度の管理といったこの牧場の管理全般を、この施設はずっと無人で遥か昔から続けていたのだ。ヨルがノルドワイズで見た人の暮らしとは隔絶した、恐ろしく高い技術力だ。
「!! サーベラント」
「おい、勝手な行動は……」
アリシアが急に叫んで腰の剣を抜刀する。魔剣カルタナとは別のものだ。魔剣がなくとも魔力で剣戟を飛ばす程度はできるようで、乱立する柱の上部めがけて斬撃を飛ばす。
ぐじゃりと柔らかい物が潰れるような音がして、柱の上部にぶら下がっていたスイカ程度の球体が落ちてあたりに飛散した。
サーベラント。監視者とも呼ばれる巨大な目玉の魔導生命体。
アリシアは求めるものを見つけたらしい。
とはいえ、周囲の安全も確保できていないのに、いきなり攻撃するのはいかがなものか。
「まさか、複眼!? ……ダメだ、これでは使えない」
制止も聞かず、落としたサーベラントに駆け寄ったアリシアが項垂れている。
使えんのはお前の方だとダメ出しをしたいところだが、一応今は雇い主だ。
切り落としたサーベラントを見て落胆するアリシアのそばに寄ってみると、落下した目玉の化け物は昆虫のような複眼だった。ひとつの眼球の中に黒目が複数あるタイプではなく、眼球自体が分かれている。それが落下の衝撃で割れて中まで見えているから、相当にグロテスクだ。
ここのサーベラントは牧場の監視用に設置されたものだから、1度に多くの肉蟲を監視できるように複眼タイプなのだろう。
「魔晶石、サーベラントの魔晶石は……駄目、複眼型じゃ義眼には……」
半ば潰れたグロテスクな巨大目玉にざくざくと剣を突き立て、中央にある魔晶石を取り出すアリシア。手が血に染まるのも厭わぬあたり、執念めいたものを感じる。
(サーベラントの魔晶石は義眼の材料になると、ヴォルフが言っていたな。あぁ、単眼タイプでないと人間の目には合わないからな。でも義眼ってものがあるんなら、金を積めば手に入るんじゃないのか?)
余程入手が困難なのか、それとも他に理由があるのか。
アリシア自ら探しに来たのだ。複眼とはいえサーベラントが何体もいる場所で、1体確認したくらいで納得するわけもなく、アリシアはふらりと立ち上がると、次のサーベラントを求めて歩き出した。
「アリシア落ち着け、危険だ」
「大丈夫です。肉蟲は草食で人を襲いません」
ヨルの制止も聞かず、牧場の奥へと進んでいくアリシア。
「肉蟲は草食でも成蟲がいるかもしれん」
「ヴォルフガング、あなたは知らないのでしょうが肉蟲は成蟲にはなりません。この蟲たちは突然変異の幼蟲。成蟲になる変態の負荷に耐えられずに死にます」
ヨルの制止もヴォルフガングの忠告も聞かないアリシアはサーベラントを探しながらずんずん奥へと進んでいく。
やはりこの蟲のことを知っているのだろう。それも、ずいぶんと詳しいようだ。肉蟲の牧場ならば安全だと思い込んでいる。
(ちょっと待て。いくらなんでもおかしいだろう。肉蟲が成蟲になれないならこいつらはどうやって増えているんだ?)
肉蟲なんて名前に心当たりはない。けれど、似たような魔獣の話をどこかで聞いた気がするのだ。
(突然変異だと言ったか。
……そうだ、こいつらは突然変異で発生したんだ。元々は確か人間を苗床にする蛾の魔獣……)
にじみ出る記憶に考え込むヨルを尻目にアリシアは奥へと進んでいき、仕方ないといった表情でその後をヴォルフガングが続く。
ミーニャは肉蟲の匂いに興味があるのか、おっかなびっくり近づいて、くんかくんかと臭いを嗅いで「うなっ」と、おかしな顔をしている。
離れていても臭うのに、わざわざ嗅ぎにいかなくてもいいだろうに。
「なぜわざわざ嗅ぎに行く……」
「愚問にゃ。そこにスメルがあるからにゃ。これはにゃかにゃか奥深いんにゃ。臭さの奥に変わったスメルがするんにゃあ」
猫と言葉が通じるならば1度は聞いてみたいことを、ヴォルフガングが真顔で聞き賢者のような表情でにゃん子が返事をしている。
「ミーニャ、嗅ぐならサーベラントを嗅ぎ分けて。ヴォルフガング、あなたも探すのです」
「むりにゃ。目玉は臭わんにゃ」
「分かった」
何匹目かのサーベラントを切り落としたアリシアは少し苛立っているようだ。ようやく見つけたサーベラントが全て複眼タイプだったから焦っているのかもしれない。
辺り一面蟲だらけ。果てが見えないほど広い場所だから、足の踏み場がないとまではいかないけれど、肉蟲が固まっている場所は迂回しなければ進めない。
肉蟲は体の作りも人間のそれに近いのだろう、漂う悪臭は肥溜めのようだし、なにより見た目が醜悪だ。
「ピキャ」
離れた群れから悲鳴が上がる。
「ケンカにゃ?」
「違う。あれは、……魔獣化したんだ」
答えた自分の声は、どこか他人のようだとヨルは思った。
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