3-02 ネコさんと一緒
――ネコを信奉せよ。
ネコではなくネコさんなら、信奉できるかもしれない。
俺はいつの間にか、そんな風に思うようになっていた。
片野仁:大いなる遊戯の生贄のひとり
ジャスティン・九頭・英二:狂信者
相川五月:先輩にして化学者
ネコ:?
【わかりやすいあらすじ】
ネコさんの暇つぶしに巻き込まれた片野が、あれこれするうちに自分の夢だったことを成していく。
こんなお誕生日席は嬉しくない。
右手には弊社の人事部長様。左手の上座には見知らぬ若い女性。そして応接室でふたりに挟まれている俺。空気はしっとり稍重だ。
中堅商社のダメ社員たる俺では人事部長もめったにお目にかかれないけどこの若い女性もめったにお目にかかれないタイプだ。
俺より若くて大学生くらいか。長く伸ばした艶のある黒い髪、ピンクのカーディガンにくるぶしくらいまでの白いスカートの、中性的な顔をしたすごい美人さんだ。
俺の顔を見てにっこりしている。
「なんといおうかね」
腿の上で指を組んだ部長が困惑気味だ。
「ふむ、部長さんが言いにくいなら僕から」
女性がすくっと立ち上がる。服は地味だけど、立ち姿に気品というかオーラがある。王子様みたいだ。
「僕はネコというものだ。片野仁君、君を僕の事業にスカウトした」
どういうことでしょうと部長の顔を見るも眉をハの字にしている。
「……一応、社長には具申したんだが。ただその、ね」
部長は何が、とはいわない。
理解しました。
入社して五年。うだつの上がらない俺を外に出そうってことなんでしょこれ。中堅でも商社には入れたけどついていけないお荷物だしね、俺。
「僕の事業には草野君、君が必要なんだ」
人懐っこい笑みを浮かべる女性、ネコさん。困り顔の部長。
さすがに俺でもわかる。何をいっても覆らない情勢だ。
「ワカリマシタ」
「よし。善は急げというからね、いまから来てくれたまへ」
ネコさんの満足そうな笑みには圧を感じる。なんかコワイ。
「私物は後で送るから、片野君は彼女についていきなさい」
「……ハイ」
マジか、退職の挨拶すらなしか。
促されるまま会社裏の駐車場に。何処を走るつもりなのか、という感じの巨大なタイヤを履いたSUVが停められている。その横には、そのSUVにも劣らない背丈の、金髪にサングラスで牧師っぽい服の大男が立っていた。
「エイジ君、ハントは上々さ」
ネコさんは大男に声をかけて車に颯爽と登って乗り込んだ。
「さぁ君ものってのって!」
え、はしごとかないの?
車は渋滞する首都高を抜け、中央道を進んでいるようだ。
「あの、どこへ行くんですか?」
「話してなかったね。長野に向かっているんだ。県の北部に研究所をつくっていてね」
研究所という言葉に、俺は一瞬ときめいて、そして一瞬でさめた。
「なぜ俺なんかを」
「君の才能を五億円で買わせてもらった」
「ご、ごおく?」
「君は二十年間で五兆円ほどの利益を生む男だ。五億なんて誤差さ。初年度の年棒は十億円。あとは仕事の進み次第だね」
「……仕事内容も聞いていないのに年棒とかって。そもそもそんなうまい話があるわけないです。俺をバラバラにでもして売り飛ばすんですか?」
俺にそんなに価値があればこう追い出されたりしないって。
「君は、大学で微生物を専攻していただろう?」
「へ?……はい、微生物は、大好きなんです。子供のころから目に見えない小さいものが身近にあふれているというのが不思議で仕方がなくて」
「そんな微生物好きな君は研究職につきたかったが、あまりにも狭すぎる門で断念するしかなかった、と」
「どこも人は欲しいけど資金的な問題で。それに優秀な人から再採用されてしまうし、なにより俺みたいな微生物専門のニーズは切ないもんです」
思わず唇をかんでしまう。事実だけど突きつけられると胸が痛い。
「君のような逸材が埋もれていいわけがない」
にっこり微笑むネコさん。
「君は、熱帯魚を飼っている風で、実は微細藻類を培養しているだろう?」
ドキリとした。
「確かに飼育はしてはいますが」
それは、割と水温が高くても繁殖力が暴走しない藻類が熱帯魚の餌として適用できるかを実験していたんだ。これが実用に耐えれば、外部からの餌なしで熱帯魚飼育が可能になる。餌の残りによる水の汚れも減るだろうし、連日会社で寝泊まりして熱帯魚に餌をあげられない状態でも安心だ。
「まったく、熱帯魚ではなく自身の健康を省みたまへ」
「んなっ」
「それに君、ミジンコの抱き枕を愛用しているね。なかなか可愛いじゃないか」
ななななぜそれを!?
「僕は神様だからね」
なんだ神様って。ネコって自己紹介してたじゃないか。
「ネコ様はスバラシイ御方。さぁアナタもLet's信じまショウ」
運転席から声が飛んできた。怪しい外国人風になまった日本語だ
「あとで紹介するけど、彼は元牧師で日本生まれアメリカ育ちの白人系日本人のジャスティン・九頭・英二君だ」
「ドーモ=ハジメマシテ九頭デス。聖書は持っていまセン。ライトにエイジと呼んでクダサイ」
彼が分厚い本を見せてきた。表紙には【ネコを信奉せよ】と書いてある。
「その恰好は、牧師ですよね」
「元、デスね。コレは、ビッグな私のカラダに合う服がナクてデスネ。ですがネコ様は、信心に服装はムカンケイと仰いマシタ」
「祈りの服装にこだわるのは神の権威を着たい欲の現れだからね。僕はそんなものいらない」
ネコさんが不満そうに口をとがらせている。
「そうそう、僕のところへ来れば、好きなだけ微生物を愛でられるぞ。それは保証しよう」
「あ、行きます」
即答してしまった。
「僕は美味しい秋刀魚が食べたくってね。だのにここ数年は不漁だというじゃないか」
ネコさんは本当に残念な風で肩と落としている。いきなり何を言いだすかと思えば。ネコというくらいだから魚が好きなのだろうか?
猫はもともと肉食で肉の方を好むと聞いたけど、漁港の猫は魚を強請るとも。ごはんも食べる雑食だけどさ。
「そこで僕は思ったのさ。秋刀魚が獲れないないなら獲れるようにすれば良いってね」
ネコさんが芝居がかった風に伸ばした手を振り回す。
どう返答しよう。沈黙してようかな。
「……ここで、どうするんです?って聞いてほしいんだけどなあ」
ネコさんがまた口をとがらせてすねた。非常にわかりやすいんだけど、それでも美人さんだから様になってる。不公平だ。
あと、そんな期待のこもった目で見ないでください。
「……で、どうするんです?」
「よくぞ聞いてくれたッ!」
オーケストラが一斉に音出しをしたかのような笑顔を見せてくれた。大丈夫なのこの人、と運転席をチラ見すれば、大きくうんうんと頷く外人が。これが平常運転なんですね。
「秋刀魚をね、養殖すればいいんだよ!」
「…………ワァスゴイデス」
宇宙猫になりそうだ。
「そうだろうそうだろう! 繁殖はもちろん飼育も難しいとされる魚だからね、秋刀魚は!」
いきなりハードルが高すぎませんか?
「福島県にある水族館が秋刀魚の繁殖に成功していてね、そこと共同で研究と養殖の事業をすることになっているんだ。その水族館からも技術者を招く手はずになっている」
あれ、けっこうガチだ。うん、そこの水族館はよく知ってる。俺、そこと共同で卒論を仕上げたんだもん。
「魚の繁殖における水質の維持とその手法」
そうそれそれ――って。
「草野君の論文だね。何度も読ませてもらったよ。いやぁ、大変勉強になったよ!」
興奮気味に俺を見てくる。でもね。
「教授にも内容は褒められました。でも費用対効果がよくないからそこをほかの方法が取れたらなって評価でした」
「すごいじゃないか!」
ネコさんがパチパチパチパチと万雷の拍手をくれる。と思ったら運転手のエイジさんまで。
「ハ、ハンドルから手を離さないでください!」
「問題ありまセン。ネコ様のご加護がアリマス」
大ありです。
「ふむ。だから商社か」
ネコさんが訳知り顔で頷いている。
「マサニ、神様のオボシメシ! これでネコ様が神にオモドリニなられる時に一歩ススミまシタネ」
「あぁ、これが成功すれは熊手は手に入るだろうね」
ネコさんが嬉しそうに目を細めた。
「また神様? 戻る?」
え、やばい宗教団体だったの?
「ネコ様を信奉するんだ。さすれば己は高みへと歩む」
外人のイケボイスが聞こえた。
「……エイジさん、普通に話せるんですね」
「キノセイデース。オット」
エイジさんがごそごそと胸元に手を突っ込み、スチャっと白銀のナニカを抜き出した。
銃!?
「アオリ運転デス。追い越し車線をトロトロ走るノワ車両通行帯違反デス」
エイジさんが運転席側の窓を開け、右手に銃を持った。
「ちょ、ちょっとなんでそんなものを持ってるんですか」
「ゴ心配ナク。ヤクザマフィアが持っているヨウな粗悪品ではアリマセン」
いやそうじゃない!
「エイジ君、あと三分で前を走る覆面パトカーに追いつく。不心得者は彼らに任せればいい」
「御意」
エイジさんは物騒なブツを胸元にしまった。ついでに車線変更して速度を落とした。トロトロ走っていた車は急加速して遠ざかっていく。
「ふむ、先に説明をした方がよさそうだね」
ネコさんの顔が俺に向く。
「僕は天照ちゃんと暇つぶしのゲームをしてるんだ。僕が下界に落ちて、仁徳を積んで熊手と杖を手に入れれば神に戻れるってね」
ゲーム?
「僕の名前はネコ。よーくみてごらん。そこに熊手と杖を追加すると、文字はどうなる?」
「熊手? 杖?」
「そうそう。形でいうTとIになるね」
ええっとネコさんにTとI? なんのこと?
「向きを変えるとか考えたまへ」
……向き……これか……まさか。背中がぞくりとした。
――ネ申。
ネコさんはニコニコと笑みを浮かべている。
いやそんなアホな。
言葉が継げない俺の耳に、パトカーのサイレンが入り込んできた。





