3-14 怪異食堂・裏飯屋さん
『ダイニグカフェ・モルテ』
とある県のとある都市、オフィス街のビルとビルの間に挟まれた古臭い二階建ての商業ビル一階にそのお店はある。営業時間は11時から15時までの日中だけで、定休日は土日祝日。メニューは日替わりランチのみで、お値段は800円。スープお代わり自由のコーヒー付き。なんてことない、何処にでもあるような普通のご飯屋さんだ。
かくいう私は”とある事情”で、このお店で住み込みのアルバイトとして働いている。
時給は9万2000円(※危険手当込み)。主な仕事内容は、接客、配膳、皿洗い、店内清掃。と、普通の業務から、夜間は仕入れ作業のために山や海や廃墟……等々、俗にいう心霊スポットへ店主と共に赴いて、食材となるモノを調達する手伝いをしている。
金曜日の夜にだけ営業する特殊なディナータイム。
”彼等”が来店する『怪異食堂・裏飯屋さん』の為に――。
某県某市。
都会過ぎず田舎過ぎず、そんな塩梅の地方都市に私の働く店がある。
お店の名は『モルテ』。洋食をメインに扱う小さな料理屋さんだ。
特にこれと言って何もない駅から5分程歩いた先、オフィスビルとビルの間に挟まれた年季を感じさせる小さな2階建ての商業ビル。そこが私の職場である。因みに1階部分はお店で、2階部分が居住スペースになっており、私は“とある事情”でこのお店の住み込みアルバイトとして働いている。
当然、屹立するビルの間に位置している物だから日当たりは最悪で、オフィス街の真ん中だと言うのにお客さんの出入りはあまり芳しくない。別に料理が不味いだとか、不相応な値段設定だとか、お店の雰囲気が悪いだとかじゃなく(外観はそれなりに古いけど)、何となく近寄り難い雰囲気なのは有ると思う。営業時間が11時から17時迄と限定的な時間帯なのも有るだろうけど、来客が0人なんて結構ざらで、土日だって普通に休みだ。
一応、このお店の店主である“カミゾノさん”の名誉の為にも述べておくが、過去このお店で悲惨な食中毒事件が起きたとか、ネットで大炎上したという訳でもなくて、あくまで『人様』を相手に商売をしているのは彼の趣味なんだそう。おかげ様で時給9万2千円と言う、桁が2つくらいおかしいバイト料もキッチリ貰う事ができている訳で……。
え? 人様じゃないなら、主な客層や収入源は何かって?
――それは週に一度の金曜日に、特別なディナータイムが――
「――お待たせしました。『悪霊』と『怨霊』でございます」
客の待つ卓上へ料理を置く。
『悪霊』と『怨霊』。そんな皿の上には炭化したみたいな丸みを帯びた焦げの塊と、イカスミよりも更にどす黒い色に塗れた管状のナニカが盛り付けられている。皆目、廃棄物とも見紛うそれらを見るなり――“彼等”は舌鼓を打った。
「ああ、ようやくだ。待ちわびたよ」
「まぁ、美味しそうね」
気立ての良い老夫婦は互いにフォーク、あるいはナイフを握ると、柔和だった顔を禍々しい形相へ変えて料理を己が口へと掻き込んでいく。既に先程までの気品といった雰囲気は失われ、私の目前に在るのは――貪る。正しくその表現がぴったりの光景だった。
「ご、ご注文は以上でお揃いでしょうか……?」
返事は無い。脇目も振らずに食事を続ける老夫婦。なにも目前の老夫婦だけではない。店内を軽く見渡せば、料理とも呼べぬ物体を眼前にしたお客らが、貪り、嗤い、悦び、食事を楽しんでいる――。
あるサラリーマン風の男性は廃油で汚れたような皿を前に恍惚とした表情を浮かべ、ある中年風の女性は漂流した靴底のような物体をナイフで刻みながら甲高い声を上げている。また、ある紳士風の老人はグラスに注がれた泥水のような液体を優雅に傾け、その隣、4人で来た男女の若者達は大盛のゴミ山を背景に肩を並べて写真を撮っていた。
歓談の音が――食器の当たる音が――目を閉じれば如何にも普通の飲食店の中に居るようなガヤガヤとした雑踏の音が店中に満ちている。
週に一度、金曜日のみの特別なディナータイムは本日も大盛況だった。
しかし……私にとっては週に一度の憂鬱な日でもある。別に忙しいから。とか、仕事が嫌だとか、そういう訳じゃなくて、彼等を相手に接客するのは『人様』を相手にするより何倍も心労するのだ。こればっかりはまだ慣れそうにない。
「……ごゆっくりどうぞ」
異様なホールから足早に去るべく、私が一礼して踵を返そうとした――最中。
「七山さん。七山ミコトさん」
と、声を掛けて来たのは、同じくこのお店で働いている私の先輩だった。
「3番席がお帰りですわ。伝票を渡してくださるかしら」
彼女の名は、霊子。霊の子と書いてレイコさん。
もちろん本名ではないが、本当の名は随分と昔に忘れてしまったらしい。享年は確か14歳だったか。故に、その風貌はどこかの白黒写真で見たような三つ編みおさげ頭の女学生みたいな容姿をしている。と言っても今の時代でも十分美人と呼ばれる類なのは間違いない。最初に彼女を見た時は腰を抜かしたけど……今は慣れた。
「因みにご新規のお客様ですわ。何かあれば直ぐに呼んでくださいまし」
「わかりました」
霊子さんは丁寧でいてお淑やかな口調でそう告げると、矢継ぎ早に次の客対応へと向かう。その一挙一度の動きは洗練されていて無駄がない。まだまだ動きの覚束ない私に比べてピンストライプの柄が縦に入ったブラウスが実に様になっていると思う。
その襟はフォーマルさを残したウイングカラー。首元には黒いリボンが付いていて、スカートは膝下くらいの丈で後ろがスリットになっている黒色。その上にはやや灰色掛かったエプロン。昔ながらの喫茶店やレストランを彷彿させるこのお店の制服は霊子さんが考案したのだとか。
カミゾノさんから聞いた話では――霊子さんは此処『モルテ』が開店する数十年も前に、この建物内で殺害されたとの事だが……何があったのか、そもそもなぜ働いているのか、詳しい話は知らないし、聞くつもりも無い。だって怖いし。
ボヤボヤしている暇は無いので会計伝票を3番席へ持っていく。
「お待たせしました。こちらが伝票になります」
その席は若い女性客1人だけだった。特徴は無い。街中で見ようものなら直ぐに景色の中へ埋没してしまうであろうその女性は、渡した伝票を一瞥するなり目を丸くする。
「900……万……?」
唖然とした面持ちで伝票と私を代わる代わる一瞥する。初見さんは大体こんな感じの反応をするので流石の私も慣れたものだった。からこそ、彼女が次に浮かべる言葉も私には大体の予想がついていた。
「そんなもんでいいの……? え、アメリカドルじゃなくて日本の円よね?」
「はい。うちのお店は明朗会計ですので……」
我ながら心無い返答だと思うがマニュアル通りの対応なので仕方ない。もちろん現時点で日本円の価値が暴落した訳では無く、このお店ではこれが通常なのだ。むしろ900万円の料理はこの店でも高い方に位置する。
「ここの店主は随分と無欲なのね。人間のくせに金に興味が無いのかしら」
呟きながら、その女性客は膝上に置いたポーチから流れるように札束を取り出してテーブル上へ並べ始めた。1束、2束、3束――9束。明らかに物理法則だとかを無視した形状のポーチから大金が出てくる。深く考えたら負けだと思う。これだけ貰っておいて金に興味がないと言われるのも甚だおかしいと思うが、“彼等”と“私達“では根本的な価値観が違うのだろう。
何を隠そう、毎週金曜日の夜にのみ訪れる彼等は『死神』と呼ばれる存在なのだから。
しかしその風貌は何処にでもいるような人間と変わらない。そして店内で食事を楽しんでいる彼等も、食している物と作法と言う観点さえ除けば、見た目は普通の人間と完全に同じである。
そのせいか、得も言われぬ違和感が心地悪さを増長させる。謂うならば防衛本能から来る生理的嫌悪。その感覚が近いかもしれない。何故なら彼等(死神)が今にも美味しそうに食らっているのは全て――
「ごちそうさま、美味しい魂だったわ」
悪霊は肉に――恨みが強ければ強いほど、良い憎汁が出るという。
怨霊は穀物に――漠然とした怨嗟は独自な粘り気を生み出すのだとか。
死霊は魚に――自覚を持たぬ死者はこの世を延々と回遊する事で脂が乗るらしい。
このお店のスタッフたるもの、最低限でも提供している料理の知識だけは備えておけとカミゾノさんから教わった内容である。つまり、このお店ではシェフであるカミゾノさんが直々に捕らえて来た怪異や霊魂を調理し、こうして金曜日の夜にだけ訪れる特別なお客様へ提供しているといった仕組みだ。
カミゾノさんはその筋では功名な“凄腕の霊媒師”と言う話で、日中は普通にお客が来ないレストランの料理人として活動し、夜間は金曜日に向けて『仕入れ』と称した除霊に勤しんでいる。モルテが日中しか営業しないのはその為だ。
詳しい話は忘れたが、彼等がこうして穢れた魂を喰らう事で強制的な成仏を促しているとの事だが……食べる事が一番の供養と言った言葉を地で行くのは此処くらいだろう。おかげ様でと言うのも変な話だが、罪悪感は無い。
ともなくして、3番席の死神様が席を立った。
「お客様のお帰りです」
お客様を見送るべく、私が出入口の扉を開けて先導すると、敷居の先は一切の闇に閉ざされていた。夜よりも深い色が扉枠の向こうでポッカリと口を開けている。漆黒。そうとしか言えない扉の向こう側はいったい何処に繋がっているのか……。
「とても生きの良い『クネクネ』だった。って、シェフに伝えておいて」
「……あ、ありがとうございます。伝えておきます」
そう言うと、死神の彼女は黒の中へ溶けて行く。
肉を肉、魚を魚と形容するように、彼女が注文したのは『クネクネ』と呼ばれるお化けを使用した料理であった。それは恐らく……私が此処で働く事になった一ヶ月程前、私が暮らしていた田舎の田園で獲れたものだろう。
て……早いもので、もう一ヶ月が過ぎようとしているのか。
お婆ちゃんは元気にしてるだろうか。
ちゃんとご飯は食べているだろうか。
私の“怪異”は――これからどうなっていくのだろうか。
「おい、料理できてるぞ」
「はい! ただいま!」
ディシャップからカミゾノさんの怪訝な声と共にベルが鳴る。
ボヤボヤしてる暇はない。
週に一度、金曜日だけのディナータイム――
死神らが集う『怪異食堂・裏飯屋さん』は本日も大盛況なのだから――。





