3-10 「綺麗だった君を汚したのは私だよ」と言っても、変わらず愛してくれますか?
美姫は成績優秀、運動神経抜群と非の打ち所のない学級委員長で、私――紗代の思い人だ。
ある日の授業中そんな彼女に偶然を装ってピアスを見せつけられる。
始めは見せられたこと自体忘れてしまおうと思った。
ただそんなことを美姫が許すはずもなく、私は授業中の教室から無理やり連れ出された。
ねえなんで美姫はピアスなんかつけたの?
なんでそれを私に見せつけるの……。
「おはよう紗代!」
席に着くなり休む間もなくそう声を掛けられた。
声の方を向くと隣の席の美姫が手をひらひらとさせている。
美姫は絵にかいたような学級委員長だ。
成績優秀で、運動もほどほどに出来、人当たりもいい。
毎日しっかり手入れされていると思われる胸まで伸びた黒髪に、薄茶色の大きな瞳が彼女の聡明さをより一層強調させる。
「おはよう」
私たちは1年生の頃同じ委員会で毎週会っていたこともあり、去年の2学期中頃には私から話しかけ仲良くなることが出来た。
ただまさかあの美姫と仲良くなれるとは思わなかった。
私が初めて美姫を見たのは入学式の新入生代表挨拶の時だ。
「知ってる? 挨拶って入試の最高得点者がやるんだって」
「てことはあの子が入試トップ?」
「なんでしょ? なんか数学一問落しただけであと全部満点みたいなこと聞いたし」
「やば……、ここってめっちゃ入試むずいじゃん私だってギリギリだったし。それでほぼ満点とか……」
へー、挨拶って最高得点者しかできないんだ。
すご。
そう流れて込んでくる話に思わず耳を傾ける。
壇上で堂々と挨拶を読み上げる彼女は凛としていて、すごく様になっていた。
「けどどうせあれでしょ、あんなかわいいってことは事前に問題教えてもらったとかじゃないの?」
「え、そんなこと出来るの?」
「できるんじゃない、なんか数年前にも入試問題漏れたみたいなのあったじゃん」
「ああ、あったね。じゃああの人も教師にすり寄ったのか、あの問題でほぼ満点とか取れるわけないし」
え、そんなことありえないでしょ。
努力してるに決まってるじゃん。
不正なんかしてもどうせいつかボロが出てバレるんだし。
全参列者の注目を一身に集めながらも、それが当たり前のように振舞う彼女に対する嫉妬に辟易としながらも、私は彼女に見入ってしまった。
あくまで遠くから彼女を眺めるだけだったが、それでも引き込まれてしまう魅力が彼女には有った。
すごいな……。
私だったらあんなところに立ったら緊張で頭真っ白になっちゃうのに。
その入学式に行われた会話が発端かはわからないが、入学してしばらくは彼女が不正で満点を取ったという噂が広がっていた。
ただ彼女は常に成績の上位で居続け、その噂を身をもって払拭していった。
それでも顔がよくて頭もいいという目立つ要素はどんどん噂を生み出すらしい。
最近あの噂聞かないなと思っていたら、すぐに全く違うものを耳にする。
どれも冷静に考えると根も葉もないことだったが……。
深夜の繁華街に消えて行く彼女を見たなどの話を聞いた時は、それ自分が遊んでましたって白状してるようなもんじゃん、と冷めた笑みがこぼれた。
そして成績がいいとそれを利用しようとする人も出てくるわけで……。
ノートを貸してほしいと頼んだら普段浮かべている微笑からは想像できないくらい重く冷たい声であしらわれたというのも聞いた。
まあそれは大して仲良く無いのに貸せって言った奴に非があると思うけど。
そんな彼女と同じ委員会でしかも隣の席だと聞いて、緊張しなかったかというと嘘になる。
初めて間近で彼女を見た時とても同級生とは思えない雰囲気に圧倒された。
それに見かけ上の優しさの下に分厚い壁が存在するのも簡単に理解することが出来た。
ただ話してみるとどうやらそれは誤解だったようで、私の感じていた壁は簡単に崩される。
精巧なガラス細工を思わせる端麗な器に入っていたのは、等身大の少しだけ勉強の得意な女子高校生で、同性ということもあって簡単に仲良くなることが出来た。
ただそれでも私が美姫と仲良く話せるとは入学した時には思わなかったけどなー。
それに2年になって同じクラスになれるとも。
ぼーっとそんなことを考えながら、自習に精を出している彼女を眺めていると担任が入ってきた。
退屈な授業を1限、2限と受けていくとどんどんと眠くなってくる。
黒板はインテグラルやシグマなど、まるで悪魔でも召喚するのかと言いたくなるくらい長い数式で埋め尽くされだした。
ただそこは昨日予備校でやったし、つまらないドラマの再放送を無理やり見せられている気分だ。
調子の変わらない教師の声を聴いていると意識はどんどんと眠りの世界へ堕ちていく。
ああもう無理、寝よ。
腕を枕にしようと体を傾けた時、私の視界に違和感が飛び込んできた。
髪の隙間から覗く美姫の耳にきらりと光るものがついている。
もしかしてピアス?
なんで美姫が……。
そんな校則破ってまでつける子じゃないでしょ。
「え?」
それを見た時、思わず声を漏らしてしまった。
普通なら授業の音に消されて誰にも届かないような小さな声。
ただなぜだかその声はしっかりと美姫には届いてしまったらしい。
彼女はゆっくりと私の方に顔を動かすと、まるで見下ろすかのように私を見つめてくる。
なぜか目を逸らしちゃいけない気がして、じっと彼女の目を見つめ返す。
見つめ合っている間1秒が永遠に感じる。
彼女の言葉にできない恐怖さに圧倒されたのか周囲の温度が2、3度下がった気がした。
見つめらている間、蛇に睨まれた蛙はこんな気分なんだろうか、などバカみたいなことが頭の中を流れる。
ただそんなことを考えたところで、さっき見たものが脳内から消えるわけではない。
一瞬しか見てないはずなのに、私の脳裏にはしっかりと髪の隙間から覗くピアスが焼き付いてしまった。
しばらくして彼女は満足したのか、片側の口角を上げ笑った。
その表情に含まれてた不気味さの所為で、背中が粟立つのがわかる。
ねえなんでそんな顔するの……。
今まで私にそんな顔したことないじゃん。
美姫が何を考えているのかわからないまま、彼女を見つめ続ける。
すると彼女はわざと見せるかのように髪を耳に掛けた。
そこにはさっきの小さな光からは想像できないくらい大量のピアスがあった。
耳たぶだけでなく、軟骨から耳を跨ぐようについているものもある。
見てない振りしなきゃ……。
幸い誰も気が付いてないみたいだし、私が見てない振りすれば全部丸く収まるでしょ。
そう目を逸らそうとしたが、彼女のこちらを支配するような冷たい視線に圧倒されてしまったらしい。
全身が氷漬けになったかのように指先一つ動かせない。
永遠にも感じられる時間の中、私の脳内では「なんで美姫がピアスなんか」、「似合ってるな」、「なんで私にばらしたの?」などの考えが暴風雨のように吹き荒れていた。
彼女は私がピアスを見たのがわかったのか、いつも通り耳に髪を掛けると再度微笑みかけてくる。
ただそれはいつも学級委員として周りに向ける笑顔ではない。
私の感情をすべてを見透かしたかのような、そんな底知れない笑顔だった。
彼女の笑顔に圧倒されていると、すーっと耳に入ってくる音が消えていく。
まるで二人だけこの教室に取り残されてしまったかのように無音になると、普段聴こえるはずのない彼女の息遣いまで聞こえてくるようだった。
「ねえ、それって?」
ほかの生徒にばれないよう未だ視線を外さない彼女に口の動きだけでそう話しかける。
私は小さく震える指で耳のあたりをさした。
ただ彼女がそれに答える事はない。
なにもなかったかのように私の目を見ると、満足したのか黒板の方に向き直してしまった。
さすがに答えてくれないか……。
それかあれじゃ伝わらなかったかな?
これ以上余計なものを見ないようにと、私は机に突っ伏した。
しばらくすると美姫の席の方からなにか気配がしてくる。
正直また何か見せているんじゃないかと気はなる。
ただ絶対に見ちゃいけない、碌なことにならないから。
そう自分に強く言い聞かせながら、私は枕代わりにしている腕に強く額を押し当てた。
それでもあんなことがあった手前何があったのか気になるので、彼女にばれない様耳をそばだてる。
するといつもの学級委員の雰囲気で、「紗代が具合が悪いそうなので、保健室まで付き添ってきます」と先生に言う彼女の声が聞こえてきた。
え、今なんて言った?
私具合なんか悪くないし。
ガバっと上体を起こすと、心配そうな顔をした美姫がこちらを見ている。
そこに先ほどの面影はなく、居たのはいつもの彼女だった。
「大丈夫紗代? 具合悪いんだよね?」
美姫はそう言って私の手を取ると、クラス全員の視線を浴びながら歩き出した。





