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2-22 ブラッド・ワイアード・ヴァンパイア

二十二世紀初頭。

パンデミックによって直接接触が制限された結果、人類の活動の場は仮想世界へとシフトした。

繭の時代と呼ばれるほど個々人が隔離された環境でヴァンパイアたちは血の供給に頭を悩ませていた。

クローン臓器から得られた血には彼らが必要とする『魂』が失われていたからだ。

羽井也人(はねい なりと)はマスターからの命令を受けて観察者となる。

それはAIを積んだクローン素体のアンドロインドに魂を宿らせる実験だった。

 魂の重さ――二十一グラム。

 生と死の境で計測した体重の差だ。

 当時から眉唾物の研究結果だと信憑性に疑問を持たれていた。

 それでもこうして二百年以上語り継がれている根底には、魂の存在を信じたい人の性があるのかもしれない。

 その強い想いの力は時を経て結実した。

 人類の叡智によって魂の存在が証明されたのだ。

 もっともヴァンパイアを人の範疇に含めるかについては疑問が残るが……。


 僕、羽井也人(はねい なりと)は第十位階のヴァンパイアだ。

 二十二世紀の情報化社会でヴァンパイアのような怪異が実在するなんて信じられないかもしれない。

 だが、人とヴァンパイアの遺伝子の違いはたった千分の一。

 親と子供の違い、人という種の枠内で個性が生み出す差異とたいして変わりはないのだ。

 隣の部屋に住む人の顔を思い浮かべてみればいい。

 ヴァンパイアだと言われても気が付かないだろう。

 人類が繁栄を謳歌する傍でひっそりと生き延びていたというわけだ。


 そして位階というのはヴァンパイアの中での身分制度のようなもので、ざっくり言ってしまえば年功序列。

 ヴァンパイアは不老不死に近い再生能力を持つが、とかく弱点に事欠かない。

 特に太陽は天敵だ。

 ちょっとした油断ですぐに死んでしまっていた。

 一日の半分は陽の光が世界を照らしているのだから。

 長く生きている者はそれだけで尊敬に値するというわけだ。

 位階が高い者は誰しも慎重で狡猾で強力な異能を持っている。


 僕は人間を辞めて八十年余り。

 何百年も生き続ける彼らの中では、まだヒヨッコの部類でしかない。

 当時は地方から上京してきたばかりの大学生だった。

 世間知らずで迂闊なお上りさんを地で行く若者。


 だが、ちょっと待って欲しい。

 僕の言い訳ぐらい聞いてくれても罰は当たらないだろう。

 当時はコロナの感染拡大で大学の知り合いも作れず、同世代との交流に飢えていた。

 ほとんど引きこもりに近い生活で外に出るのは買い物かバイトぐらい。

 バイト先なんて日本語の怪しい外国人か母親のように世話焼きのおば様方ばかり。

 ちょっと怪しいサークルの勧誘に引っかかるぐらい仕方なくはないか?

 ましてや見目麗しい女性が誘ってくれているんだぞ。

 鼻の下を伸ばしてついて行ったからといって男どもからの批判は受け付けない。

 ……女性からの忠告には真摯に耳を傾けよう。

 まあ、その結果ヴァンパイアとなってしまったわけなのだが。

 僕をヴァンパイアにしたマスターは酒の肴代わりに第二の誕生日をいじ、祝ってくれるので一生頭が上がらないかもしれない。

 とにかく僕がヴァンパイアになった経緯は些細なことだ。


「也人様、ゴロゴロしてないでとっとと仕事してください。邪魔です」


 足首まで隠れるクラシカルなメイド服に糊のきいたエプロンを着た少女が部屋に飛び込んできた。

 腰まで伸ばした絹のような光沢の黒髪にビスクドールのような愛らしい顔。

 マスターの生き写しのような嗜虐的な表情でこちらを睨んでいる。

 彼女の名は久遠藍(くおん あい)

 マスターの遺伝子から作られたクローン素体にAIを積んだアンドロイドだ。

 いや、待て、待ってくれ。誤解だ。

 量子コンピューターより高価な人形を侍らせて悦に入っているわけじゃない。

 自分に対して清廉潔白であることを証明する行為自体が、後ろめたさを誤魔化しているとは思いたくなかった。


「思索の時間を邪魔しないでくれないか。精神の安定のために必要なんだ」

「起床から四時間、これっぽっちも働いていない穀潰しはニートと呼んで構わないと法律で決まっています」

「短すぎる!? 全国総ニート時代じゃないか」


 藍は返事代わりに短く鼻を鳴らすと、僕から毛布をはぎ取ってたたみ始めた。

 淡々と仕事をこなす姿から同居人に対する敬愛や温情は一切感じられない。

 このAIの人格形成には一体誰の思惑が働いているのだろうかと考えて、すぐにマスターの顔が浮かんだ。

 あのマッドサイエンティストの頭の中を分析したところで無意味だろう。

 その方が面白いなどと理解不能な答えしか得られないに違いない。


「それで偉大な思想家である也人様の南海トラフ並みの安定した精神はいつになったら活動し始めるので?」

「……そろそろ暖気が終わったところだ」


 ベッドから追い立てられた僕はぐでっと力なくソファーに体を預けた。

 シーツを取り換える藍はこちらを一瞥もせずにため息を吐き捨てる。


「百年前のクラシックカーより立ち上がりが遅いですね。ああ、也人様も同年代の骨董品でしたか」

「これでもヴァンパイアの中では若手の有望株だぞ」

「新入社員が入ってこないブラック企業みたいな集団で、ですか。鶏口とも言えない蚊口を拠り所にするなんて、也人様の震源地はとても浅そうですね」


 痛いところを突かれて僕は顔をしかめた。

 ヴァンパイアは死の恐怖から解放されると同時に、新たな同胞が生まれる機会も失っていたからだ。

 おそらくこのまま百年が過ぎ去ったとしても僕はずっと若手のままだろう。

 ヴァンパイアを取り巻く環境は深刻な状況に置かれていた。


 始まりは二〇一九年十二月。

 新型コロナウイルスによるパンデミックが世界を襲ったのが切っ掛けだ。

 ワクチン接種と行動制限で大きな危機を乗り越えた人類だったが、ウイルスの変容と感染拡大の波が繰り返されると、技術革新によって未曾有の危機を乗り越えようとした。

 社会活動の場を仮想空間に移し、人同士の直接接触を文字通りゼロにしたのだ。

 ロックダウンどころではないシャットダウン。

 巣ごもりなんて序の口で、最終的には冬眠にまでエスカレートした。

 二十二世紀は繭の時代と呼ばれている。


 今となっては人工子宮内で受精し、誕生から子育てまでの一切が隔離された空間で行われる。

 揺りかごから墓場まで、他人どころか両親とさえ直接接触が失われた。

 世界から虫歯は根絶されたのだ。


 この社会変容のあおりをもろに受けたのがヴァンパイアだ。

 ヴァンパイアの特徴は僕が人だった頃から世に知られたものだった。

 日光に弱く、不老不死に近い再生能力、そして血を吸う……。

 問題はこの吸血行為だ。

 何せ人同士であっても直接接触する機会がない。

 魔眼もオンライン越しでは効果を発揮しなかった。

 そして、ヴァンパイアは相手に招いてもらわないと住居に侵入できない。

 今度、会わないかと誘ったところで、サーバー上のアドレスを渡されるのがオチだ。


 ヴァンパイアは早々に吸血行為で血を得ることを諦めた。

 輸血パックがあれば、わざわざ人を襲う必要もない。

 しばらくは医療機関からの横流しで事足りていた。

 長寿であることを活かせば金儲けの種には事欠かない。

 ヴァンパイアには資産家が多いのだ。


 それが上手く回らなくなってきたのも、また技術革新によるものだった。

 血を飲んでも味がしなくなったのだ。

 無味無臭の水を飲むような感覚。

 それは血から生命維持に必要な力を得られなくなったことの現れだった。


 原因は血の供給源にあった。

 献血からクローン骨髄による製造に切り替わったことが分岐点だった。

 血の成分に違いはないにもかかわらず、何故か。

 その答えが魂の存在だったのだ。

 ヴァンパイアは血から栄養を取っていたわけではなく、血に含まれる魂の残滓を糧としていたのだ。

 期せずして長年の謎が明らかになった瞬間だった。


 しばらくは血を供給してくれている人間の下僕たちがいる。

 だが、彼らも相当な高齢者だ。

 いくら高度な医療技術によって寿命が延びているとはいえ、いつか限界がくるだろう。

 強制的に人を拘束するような真似も超管理社会となった現在では難しい。

 そこでひとつの計画が立ち上がった。


 マスターが提唱した『魂創造計画』――だ。


 それはAIを積んだクローン素体のアンドロイドに魂が宿るかどうかの実験だった。

 生命活動だけが魂の生まれる条件ではないことはクローン骨髄のことを考えれば明らかだ。

 それなら足りないものは何か。

 人を模した器に必要なものを詰め込んでみる。

 まるで大事な物に宿る付喪神か髪の毛が伸びる人形のようにオカルトめいたものだと誰もが眉をしかめたものだが、マスターは至極真剣だった。

 ヴァンパイアの存在自体がオカルトめいているのに何を今更といった様子で。

 僕は否応なしに実験の観察者に抜擢されてしまった。


「藍、そろそろ時間だ。頼むよ」


 始終不満気だった藍の顔から表情が失われる。

 整った顔立ちが一層作り物じみて見えた。

 藍は胸元のボタンを外すと、左肩をはだけて首を差し出す。

 艶めかしい白く透き通るような肌が目の前に現れた。

 毎日繰り返されるルーティーンなのに僕の喉がごくりと音を鳴らす。


 何故、首から血を吸うのだろうか。

 血液検査のように腕から血を採っても変わりないのに。

 僕は緊張を紛らわせようと益体もない思考を巡らせる。


 背後に回った僕は鋭く尖った犬歯を藍の首に突き立てた。

 瑞々しい肌の下には滾々と湧き出る泉のような確かな流れがあった。

 温かな血潮が舌を伝って喉を流れ落ちる。


 彼女の血は砂を噛むように味気ないものだった。

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