④ 雨よ風よ、私たちをここに閉じ込めて
外では雨の降りしきる中、玄関テラスにぴたりと寄せられた馬車に押し込まれました。
中に腰掛けたら、しばし唖然としている私です。
「あ、あの……」
「ん?」
聞きたいことはたくさんありますが……。
「パーティーの主役が会場を出てしまっていいのですか?」
「ああ。そんなのもう、無礼講でみんな好きにやっている時間だし。それに俺はとっくに家を出た身だからね」
「今はどちらへ?」
「うーん。簡単なものが食べられるレストランへ。あまり食べていないんだ」
海鮮料理おいしかったです。
「風雨がどんどん強まっていきますが」
「ごめんよ、こんな時に君を連れ出して。俺もさすがに天候は味方に付けられなかった」
これは予定に組み込んでいたということ?
どうしても私とふたりになりたかった……なんてこと、彼に限ってあるのかしら……。
目的の民家に到着しました。そこに住む町民の方が驚いた様子です。
「ノエラ様! このような雨の中を……」
「迷惑をかけてすまない。食事をリクエストしていいかな?」
連れてこられたところはだいぶ昔、彼がお姉様とお別れした直後に食事した、家庭料理のマスターのお店でした。
休業中のマスターを店舗隣の家屋から、ジークムント様が強引に引っ張り出した形に。
「お嬢様、タオルをよろしければ」
「ありがとう」
こちらのこぢんまりとしたログハウスは、晴れの日なら森の香りが立ち込める静かなお食事処です。
「ここは2階建てでして、上は従業員の休憩室なのですが。とりあえず1階に雨漏りの心配はございませんので」
そう話しながらマスターは早急にテーブルを用意し、ジークムント様のオーダー、グラタンを作り始めました。
「君はレモンティーだけでいいの?」
「お屋敷でいただいてきましたので」
彼とひざを突き合わせてお茶を喫するのは半年ぶりで、少しそわそわしてしまいます。
「最近、お父上は臥せられることもあるんだって? エレーゼから聞いた」
「ええ、もうお歳ですから。お姉様も育児の傍ら慈善会の関係で駆け回っていて、かなりお忙しいようです」
「俺が側にいて、いつでも駆けつけることができたら良かったのだけど」
「まだしばらく王都で職務に当たるご予定なのでしょう?」
「それなんだけど……」
彼はいったん食器をテーブルに置きました。そして、神妙な顔つきに……。
「?」
「俺さ。数年、国を出ることになったんだ」
「え?」
「S国・U国間の戦争に我が国が加担するという報は、北地方にも届いているだろう?」
「え、ええ……」
戦争……嫌な予感に背筋が冷えました。
「南のアルゲ海をわたった先のエストイア半島へ派遣されることになった。S国ライト領エデンバラの兵站病院に」
「…………」
我が国は最近戦争を始めたS国と同盟を結んでおりました。国から兵員・物資を現地に送るとの話は、この田舎でもささやかれていましたけど……まさか医師であるジークムント様が。
「いつから?」
「明後日の朝に発つ」
そんなすぐに!? だからパーティーでは忙しく方々に挨拶していたの……。
「今の情勢は長引くと聞いています」
「心配しなくても、ここ北方まで火の粉が飛んでくることはない。特需で地方が活性化する向きもある」
「そういうことではなくてっ。あなたはこの国の人々のため、医療の発展を願い地道にキャリアを積み上げてこられたのでしょう? なのにここにきて国を離れるのですか」
「今回のことで国に功績を認められる。帰ってきたら男爵位を賜ることになった」
「まぁ……」
彼は現状「貴族の家の者」という身分ですので、私財には困らなくとも立場は平民とそう変わりません。もちろん彼は貴族の地位が必要なのではなく。
「小さな領地でも所有すればコンスタントに税収が見込める。それを元手に国外から医療器具や素材を輸入する。今は治療困難な病や怪我も完治が夢でなくなるかもしれない」
いつもと変わらず飄々とした語り口の彼ですが、瞳の奥の、志の炎は隠せていません。
「ご自身を賭けて行くというのですか。戦地なんて、そんな危険なところへ……」
引きとめたい。でも他人である私にそんな権限はない。いえ、家族であっても彼を留まらせることなんてできやしないわ。
「前線に出るわけではないから、直接襲撃を受けたりはしないけど……人間、何があるか分からないからな。無事に帰ってこられるのが当たり前とは思ってないよ」
「そんな……」
「それは子どもの頃、隣国へ留学を決めた時だってそんな覚悟でいたし」
「隣国よりもずっと遠いですわ。収束するまで帰ってこられないのだし」
私があれこれ言っても仕方のないことは分かっています。それでも不安な心が言葉を急かすのです。
「そうだな、帰国は早くて5年先かな」
「5年もっ……」
……私に医療の心得があったなら、連れて行ってくれたかしら。
この10年で、私もお姉様のように学んでおけばよかった。あの日ピクニックで「君は付いていかないのか」と尋ねられた時、私は役に立たないからと気にも留めずに……。
その時、けたたましい雷鳴が鳴り渡りました。
「きゃっ……」
「大丈夫だよ。心配しないで」
会話に夢中になっていて意識の外でしたが、雨脚が相当に強まっている様子が室内からも窺えます。
「ノエラ様」
心配げな顔のマスターが提案してきました。
「さすがに今からお帰りになるのは危険です。手狭なところで申し訳ありませんが、よろしければ上の休憩室で今夜はお過ごしいただけないでしょうか」
「気を遣わせてしまい、すまないね」
彼は上階を確認してきたマスターを労いました。
「アンジェリカ。君にも、申し訳ない」
「ん?」
「初めて君とふたりで食事したここに、また連れ立って来たくなってさ。なんだか無性に」
「…………」
そんなことを言われたら。急速に私の胸をせつない思いが駆け巡ります。
私も、どうしても思い出してしまったから。あの頃の、芽吹いたばかりの思いとか、どれほど遡っても変わらないあなたの表情とか……。
あなたはいつも自然に私のところに来てくれて、あなたと過ごしたほんの限られた時間は、どこを切り取っても……
楽しい思い出だけが残ってる──……。




