*12* 巻き込まれ家庭教師の受難。
四十代の後半くらいだろうか。アッシュグレーの髪と、アイスブルーの瞳に、形のいい薄い唇をしたナイスミドルは、当然のように知らないキャラクターだ。
ここまで知らない人物ばかりだと、かえってこの世界に“生きている”んだなという実感が湧く。最早前世のパソコン画面で見た人物相関図だけでは生きていけないようだ。某海外の貴族の一族を主役にしたドラマのように、愛憎関係も無限大とかだったらどうしよう。
「ランベルク公……所用で国を空けていると聞いたが、もう戻ったのか」
一瞬の逡巡の後、ついさっきまでの子供っぽさを消したマキシム様は、第一王子らしいやや高圧的な物言いで、お相手のナイスミドルにそう問うた。
とはいえ私は確実にお相手よりは格下なので、口頭では“こう”が“公”なのか“侯”なのか分からないのは不便だなー、などと考えつつ壁際に身を寄せた。この場での私の立場は空気。マキシム様から紹介をされるか、向こうから訊ねられるまで喋らない方がいい。
「つい先程です。それよりもマキシム様が私が国を離れた間に、また家庭教師を解雇したと聞き及びましたので。なに、人間同士、合う合わないはございます。すぐに新しい家庭教師を手配致しましょう」
まるでこちらを見ないでそう口にするナイスミドルに、正直願ったり叶ったりなのでよろしくどうぞと念を送るも、彼の言葉を聞いたマキシム様の表情が一気に険しくなった。
何で急に苛立っているんだこの子は……と、そこでふと彼の言葉の違和感に気付く。いまこの人は“家庭教師を手配する”と言った。だとしたら前回までマキシム様を受け持っていたやる気のない家庭教師を紹介したのは――。
「……必要ない」
「そういうわけにも参りますまい」
「すでにこの者に家庭教師を任せている」
「ほう、こちらの者が? 失礼ながらメイドかと思っておりました」
そう声だけは穏やかに。けれど身に纏う気配や言葉や表情から、ナイスミドルがこちらを小馬鹿にしきっていることが窺える。まぁそれは“公”にしても“侯”にしても、どちらの階級でも子爵家の人間なんて取るに足らない存在でしょうが?
どう考えても最悪すぎる自己紹介のパスに“下手くそか!”と内心突っ込みつつ、表面上は笑みを保って、失礼すぎるナイスミドルにカーテシーをとった。
「お初にお目にかかります、閣下。私は城で文官を務めております、ハインリヒ・エステルハージの長女で、ベルタ・エステルハージと申します。現在ご縁がありまして、マキシム様の家庭教師を務めさせて頂く栄誉を賜っております」
その言葉を聞いたマキシム様が胡乱な視線を送ってくる。普段はほとんど栄誉を賜っているようには見えないからだろうが、私も大人ですので。
するとこちらの自己紹介を聞いたナイスミドルは鼻で軽く嗤う。嫌な感じだな、来るぞ来るぞと身構えていると、案の定。
「聞いたことがあったかどうか思い出せんが……その歳で生家の家名を名乗るとは、余程家族仲が良いのだろうな」
「はい、恥ずかしながらそれはもう。ですが閣下が仰るように、我が家は家族仲の良さ以外はさしたる功績もない子爵家ですので、ご存じではないのも当然かと思われます」
前世だとセクハラ待ったなしの皮肉に反応するのも面倒だ。皮肉の続きが出てこないうちに会話の糸口を断ち切れば、相手は眉を僅かに不愉快そうに顰めた。先にふっかけてきたのはそっちだろうが。お前なんかもうただの中年で充分だ。
――と、何を思ったのか、急に私と中年の間にマキシム様が割り込んできた。
まだやや私の方が背が高いものの、それでもほとんど身長差のない彼が前に立つと、私と中年の視線が合いにくいのは確かだ。もしや庇われているのかな?
「ランベルク公、用件がそれだけならわたし達は所用がある。この者を家庭教師に据えた経緯は、陛下か宰相にでも直接訊ねればいい」
「成程、畏まりました。足をお止めさせてしまい申し訳ありません」
常の授業姿を見ている身としては一丁前に小生意気なことをと思うが、ここは素直にこの若い権力者に守られておこう。
そして台詞のわりに慇懃な感じのする礼をした中年を一瞥したマキシム様は、こちらに向かい「構わん。行くぞ、ベルタ」と、勝手に呼び捨てにした挙げ句、私の手を掴んでその場から歩きだしてしまった。
引っ張られながらも一応中年を振り返って会釈したけれど、直後に凄い視線を向けられる。
非常に納得いかない気分になりながらも、中庭とは反対側の鍛練場へと歩を進める彼に、今後のためにも奴の正体を確かめておかねばなるまい。
周囲に誰もいないことを確認して、前を歩くマキシム様の後頭部に「先程の方は結局のところ、どなただったのでしょうか?」と訊ねれば、彼は振り返ることも歩みを止めることもなく、ポツリと。
「亡くなった王妃の兄で……わたしとフランツの伯父だ」
情報としてはたったそれだけ。しかしそれだけでもそれなり以上に、面倒事の匂いしかしない自己紹介を述べてくれた。




