★10★ 彼女の本質。
二週間前から俺と彼女の間で話題に上がっていた劇団の新作公演が、ついに明日始まるという前夜。明日の非番を前に翌週分の仕事を片付けながらも時間を気にしては、時計の進みが遅い気がして首を捻った。
何度か新聞の端にあった広告の切り抜きを手にし、そこに書かれた【ミステル座・新作公演】という箇所を確認する。場所は以前と同じ裏通りの小劇場。馬車の往来が難しい地区だ。
ふと気になって自室のカーテンを開けて窓の外を覗けば、ランプと暖炉の明かりにぼんやりと照らし出された闇の中、白い雪が淡く揺蕩っていた。しかし、ただそれだけのことだ。冬に雪が降ることに何の不思議もなければ、面白味があるわけでもない。
けれど、ふと。彼女もあの裏通りの道幅を知っていることに気付く。彼女の貴族の子女としての振る舞いに不安を感じたことはない。だが、常識の枠が貴族よりも平民に近いと感じることがたまにある。
だとしたら、明日は徒歩で約束の場所まで向かおうとするかもしれない。けれどその道のりを一人で歩く彼女ではないはずだ。だとしたら誰と向かうのだろうか。
――そこまで考えて、不意に苦い気分になった。
別に彼女が誰を伴って約束の場所に現れようと、それをとやかく言う権利は俺にはない。だというのに――。
「……面白くないな」
ポツリと漏れた独り言は深夜の静けさの中にやけに鮮明に残って。
「良識的な彼女なら……明日の朝突然屋敷に迎えに行ったとしても、追い返されはしない、か?」
自分でもどうかしていると思う。約束と違う行動を取ることに良識がないのも重々承知だ。ただ、どうしても一度思い至ってしまうと行動に移したくなる。かつて従軍中に夜襲を思い付いたときもそうだった。
それに明日は、間違いなくエリオットも来るだろう。だとしたら、もう俺と彼女の接点は城内で働くただの同僚になる。彼女の教え子の情報を共有できるのはエリオットだけだ。
あいつとの付き合いは彼女との付き合いよりも長い。女性とあまり長続きする質ではないあいつが、珍しく彼女のことを気に入っているのも分かっている。
「……まぁ、似合いの二人だろうな……」
窓ガラスにうっすらと苦笑と溜息の入り交じった情けない表情が映り込み、家名を変えた日のことを思い出しそうになって、カーテンを閉めた。
◆◇◆
翌朝、昨夜の予定通りに彼女の屋敷へ向かった俺を、エステルハージ家の使用人達は嫌な顔一つせずに歓待してくれた。まったく予期していなかった歓待ぶりに戸惑う俺を見た彼女も、嫌な顔はしていなかったように思う。
道中彼女の耳許に揺れるガラスの耳飾りにエリオットの気配を感じ、あいつの見立ての正しさと、彼女の常では見られない華やかな装いに言及したりもした。
その後の彼女にとっては事故的なことで、こちらにとっては少々喜ばしいことがありつつも、無事に劇場前でアンナ嬢や、アグネス嬢と一緒に来ていたエリオットと合流できた。
ただ教え子達二人を演劇を見せるためだけに、今日ここへ連れて来ることはできなかったという話を聞かされた彼女は、僅かに表情を曇らせた。恐らく本人もそうそう都合の良いことは起こらないと分かっていても、期待せずにはいられなかったのだろう。
けれどすぐにまたいつもの穏やかな微笑みを浮かべ、エリオットとアグネス嬢に今日訪れてくれたことへの礼を述べていた。
ひとしきり再会を喜んだところで公演開始の合図であるベルの音が鳴り、急き立てられるように一同会場内に入場して観劇したのだが――。
「王道にちょっと捻りを加えた作品で素晴らしかったですわ~。まさか途中でヒロインが交代するだなんて。しかも何だかちょっぴり背徳的な恋愛模様まで入っていましたわよね? ヒロイン×ヒロインの匂わせ……新しい境地でしたわ~」
「ええ、本当に。男装の麗人という設定はたまに見かけますが、ヒロインが麗人の正体に気付かずに恋をしている設定はなかなか面白かったですわ。麗人にまったく歯が立たないヒーローの立場の弱さも、対比としては新鮮でした」
「あ、あれは、アンナ嬢の発案で……その……」
「わたしが口を挟んだのはそこだけでしょう? ほとんど原案のままなのだから、この作品は貴男のものよ。変に謙遜なんかしないで、貴男は素直に称賛されていればいいの」
いつものカフェに立ち寄って席に着くなり、目の前では次々と今日の公演内容についての感想を述べ合う彼女達に、ヴァルトブルク殿が助けを求めるようにこちらを見るが、そっと視線を外す。
正直恋愛物についての感想や、そのことに伴う称賛対象の行方を決めるのはこちらの手に余る。それに今日皆に会って近況を聞くことを楽しみにしていた彼女が、こうもこの話を続けることに乗り気なのも不思議だ。
てっきりもっと早くに教え子の近況を聞き出すと思っていた身としては、肩透かしを食らった。しかしほぼ皆の会話に聞き耳を立てるだけだった俺の肩を、隣に座っていたエリオットが軽く叩く。
「女性陣はこういうのが好きだよねー。でも実際さ、騎士団に性別を隠して入団したってすぐバレそうなものだけど。そこらへんってどうなのヴィー?」
「あら、それは興味がありますわね~。ホーエンベルク様のお見立てはどうなのでしょう?」
「え、あー……まぁ、そうだな。女性とは根本的に身体の作りも基礎体力も違うから、夢のない話をすれば難しい」
突然話を振られたことで咄嗟にそう答えた瞬間、ヴァルトブルク殿の肩が落ち、アンナ嬢の非難するような視線が刺さった。そんな理不尽な……と思う一方で、彼女の表情が気になってそちらを向くと、意外にも楽しげに笑っている。
――それどころか、
「ではどのような設定であれば、今回のような物語でも女性だと疑われにくいと思われますか?」
――と、訊いてきた。
すると今度はヴァルトブルク殿の肩が上がり、姿勢も正した風に見える。アンナ嬢の視線も非難から興味に切り替わった。その様子に成程と、こちらも今更ながらに質問の意図を理解する。
「どんな設定なら、か。この作品の主人公のように武の素養がまったくないような男か、平民階級の者達が集められる下級騎士団なら、武術が達者な女性であれば或いは……といったところだ。ただし何事も現実の世界に忠実であればいいというものではなく、娯楽として楽しむ分には再現がくどくなりすぎないよう注意が必要ではあるだろう」
そう少し悩みつつも口にした俺の言葉を、どこから取り出したのか、分厚いよれたノートに書き込むヴァルトブルク殿と、横からそれを覗き込むアンナ嬢。
褒め合うだけでは気付きは生まれない。
認め合うだけではただの依存だ。
俺の回答と二人のその姿に満足げに微笑む彼女と、頷くエリオットとアグネス嬢を見て、ふと。どうやらここには教育馬鹿しかいないようだと、わけもなく笑い出したい気分になった。




