*17* 未知の領域に入ろうか。
小鳥の囀りが響いてきたら、ベッドから身を起こして窓辺に寄って勢い良くカーテンを開く。もうすっかり夏になった朝の日射しを部屋に招き入れつつ身支度を整え、書き物机のひきだしから取り出した分厚い日記帳を前に瞑想する。
心を強く保ってそれを始まりの頁とは逆開き……つまり一番最後の頁から開いた。
【ありがとう、先生】 追い詰められて断頭台。
【わたくし、頑張りますわ】 孤独と絶望からの投身自殺。
【貴女さえいなければ……!】 嫉妬からマリアンナ殺害。
【愛していました、さようなら】 第一クズ王子の前で自害。
【母国の終わりを見てみたいわ】 追放されたのち他国で情報漏洩。
【裏切り者の王子に魔女からの罰を】 身重のマリアンナを階段からドン。
【それが先生との最後の授業でした】 途中退場(のち断頭台回想)。
【どうして誰もわたくしを見ないの】 しくじり後獄中死。
【ずぅっと……一緒にいましょうね?】 一族殺害後ヤンデレ逃亡劇。
【貴女もわたくしを見捨てるのですね】 誤解から始まる悪女物語。
――ザッと過去に通ったことのある共通ルートを書き出しただけでも、この狂気のラインナップ。これだけでも相当にイカれているけれど、これでもまだほんの一部なのだから恐れ入る。
ゲームジャンルが育成系だとはとても思えないというか、むしろホラーサスペンスの域だ。ここにさらに新情報【謎の男?】が追加され、これで推理も加わりとんだ欲張りセットが完成してしまった。不穏要素しかない。
あの鳥獣戯画舞踏会から一ヶ月後の六月に入った時点で確信した。いま歩んでいるこれは、間違いなくこれまでのシナリオから独立した完全な新ルートだと。まぁ、そもそもの話としてスタートが早すぎたから、元より普通に物語が進むとは思っていなかった。
イベントは出会った時点の年齢から換算して枝分かれするものと、途中までは共通するイベントも多々ある。でも今回は時系列が滅茶苦茶。
ただしライバルのマリアンナ嬢との関係性も良好だし、遊戯盤とその他のアイテムも順調に売れているから、逃走資金も現時点で結構貯まっている。あと四年もあればそこそこ纏まった軍資金になるだろう。
その他にはできる限りバッドエンドルートの可能性を潰していくこと。手始めにヤンデレ百合ルートをへし折る。今日はその切欠としては最良の日に違いない。
「……待ちに待ったアンナの晴れの日よ。姉の私が緊張で情けない顔なんてしていられないわ」
日記帳を閉じ、気合いを入れるために両頬を軽く叩いて、椅子から立ち上がる。目指すはこんな日にもぐっすり眠って起きないであろう妹の部屋。我が家の眠れる森の美女を起こすのは、伝説の剣でドラゴンを眠りにつかせるよりも難しいのだ。
***
朝の身支度をさせる時点では開演に間に合わないかと肝を冷やしたけれど、現在は無事に小さな劇場前でモギリの真似事の真っ最中である。お客は知り合いだけだと思っていたのに、意外にも知らない人の姿が圧倒的に多いことが嬉しい。
握ってしまったのか、クシャクシャになってインクの滲んだ券を差し出してきた子供や、結構身形の良いおじ様や、若い騎士見習いっぽい人、ごく稀に女の子やご老人もいたりして、客層も様々だ。
興味深く観察しつつモギリを楽しんでいると、背後から急に抱き付かれる。苦笑して振り返ると、唇を尖らせたアンナがぴったりくっついていた。
「お姉さま、こんなところにいたのね。雑用なんてわたしがするから、開演まで中で待っていてくれればいいのに」
「いいのよ、アンナ。こうして貴女とヴァルトブルク様と、領地の皆が頑張って作り上げた舞台を見に来てくれた人達を迎えるのは楽しいもの。それよりアンナこそ、原作者様がこんなところを彷徨いていては駄目よ。今日は大切な初日よ? 開演まで舞台袖で挨拶の練習をしていなさい」
「ええー……それなら、お姉さまが傍で聞いててくれないと嫌だわ」
「またそんなことを言って。いつまで経っても可愛い妹ですこと。あと六人分の券をモギれば中に戻るから、先に戻って。ね?」
そう言って頭を撫でれば、ようやく納得したのか「絶対すぐに来てね」と念を押して戻って行った。もしかするとあの子なりに、今更緊張してきていたのかもしれない。
少しだけ後ろ髪を引かれてその後ろ姿を見送っていたら、すぐ近くから「ベルタ嬢」と声が聞こえて振り向けば、ホーエンベルク様とルドの姿があった。
「本当にいらして下さったんですね、二人とも」
「勿論です。これを……初演のお祝いに。楽屋の皆さんで召し上がって下さい」
相変わらずそつのないルドが大きなお持たせの箱を差し出す後ろでは、ホーエンベルク様が微笑ましそうにその姿を眺めている。私と視線が合うと、彼は懐から券を二枚取り出して、こちらに差し出してきた。
「前売り券を買うくらい楽しみにしていたのだから当然だ。余計かとは思ったが、興味を持ちそうな同僚にも声をかけておいた。たぶんエリオットの奴も知り合いの舞台記者辺りを呼んでくるだろうが……こちらは良し悪しだな。本業の目は俺達より厳しい」
人気があれば公演期間が伸びる。それは前世と変わらない。新聞に広告を掲載するような予算はなかったから、フェルディナンド様が連れてくる舞台記者に記事として取り上げられるのはありがたい。
しかしそこで酷評されれば、この公演は失敗に終わるだろう。でも――。
「余計だなんてとんでもありません。ありがとうございます。それにこんなに小さな劇場に本業の方がいらっしゃることも、貴重な意見を聞ける機会もそうはありません。どんなことを書かれたとしても糧になりますわ」
うん、まぁ……本音は集客の期待できるようなものを書いて欲しいけど。そんな若干邪なことを考えながら微笑めば、ホーエンベルク様は「成程」と頷き、ルドは「そんな風に考えられるのは素敵ですね」と感心しきっている。
そんな素直な反応をする二人にやや心配を感じつつ、視線を彼等の後ろに向ければ、ぞろぞろとこちらに向かってくる一団が視界に入った。そちらに向かって手を振ると、一団の中から一人、弾かれたように走ってくる姿。
「先生!!」
私をそう呼び慕う、可愛い教え子。
――さぁ、ほんのちょっぴり強引だけど、君のための物語を動かそうじゃないか。




