*13* 強かに、しなやかに。
応接室からアンナの部屋へと場所を移し、明らかに今夜私に了承を取る前から書き溜めしておいたのであろう紙の束を受け取り、熱意に押されるままベッドに腰かけて読み始めたのだけれど――。
物語の主人公はまだ宰相である父親の背中を追いかける、若く野心家で人を見下す悪癖のある次期宰相候補。
そんな彼は父親の補佐をする日々に辟易し、自分の力を試したいがために戦が起こればいいと思う危険な思想の持ち主だ。
しかしそんな彼の望みを天は叶えてしまった。ひねくれた主人公が成人した数日後、これまで不戦の同盟を結んでいた五国の間で、百年ぶりの戦が始まってしまうのである。
そこで父親が友好国であった隣国で開かれる会議へと向かうのだが、何と隣国はすでに主人公達の国を裏切っており、宰相である主人公の父親を殺害。
首だけとなって戻った父親の無念を晴らし、愚かな望みを抱いた自身の手で大戦を止めようと主人公が乱世に身を投じる――……といった、いかにも大衆受けをしそうな感じの内容が、サクサク読める台詞回しと地の文で綴られている。
勿論物語には麗しいヒロインも出てくるし、熱い友情や涙の裏切りまである欲張りセットだ。こちらの長編小説は神話を下敷きにしたものが多く、重厚すぎて読み手を選ぶものが主流なので、これなら充分通用するだろう。
――というか。
「……やだ、うちの子ってば天才すぎ?」
「んもう、お姉さまったら褒めすぎですわ!」
思わず思ったことが口から飛び出すくらいには、アンナの書いた遊戯盤の二次創作小説は面白かった。いままで多くの翻訳を手がけてきたのだから、文章力が上がっているだろうとは思っていたけれど、まさかこれほどとは。
何よりあの遊戯盤のマスに書かれた情報を膨らませる妄想……もとい、想像力。書いた本人は完全にお世辞か身内の欲目だと思っている様子で、クネクネと身を捩らせながらニコニコしている。
前世なら即日ネット小説サイトにアップすることを勧めるレベル。この出来映えなら一週間で書籍化も夢じゃないぜ? と思うのは、何も姉の欲目だけではないはずだ。けれどだからというべきか、妹の初舞台に使う作品をこれにすべきではないと思う。
「アンナ、私は本当に本気よ。いつの間にこんなに文章を書けるようになったの? あの遊戯盤だけでこれだけ凄いものを書けるなら、最初に舞台にするのは貴女の思うままの世界を書いた方がいいわ」
姉としては妹の用意してくれた舞台を借りるのは忍びない。そう思っての発言だったのだが、妹はクネクネするのを止めて「絶対嫌よ」と唇を尖らせた。
「わたしはお姉さまの作品に“世界”を見たの。この世界で自分ならどう振る舞ってどう生きるか、ずっと考えて、寝る間も惜しんで書いたわ。それとも……お姉さまにとって、わたしの“世界”は退屈だった……?」
さっきまでの満面の笑みが消え失せて、くしゃりと顔を歪めた妹を見た瞬間、私の中で姉としての矜持が砕け散る。
「そんなわけないでしょう! こんなに面白い“世界”を退屈だなんて一欠片も思わないわ! むしろこの作品をもっと先まで読みたい。貴女が生み出した主人公がどう成長していくのか見てみたい。これが貴女の見た世界なら、このまま最後まで旅をして書ききって頂戴」
「ああ……お姉さま! お姉さまならきっとそう言ってくれると思っていたわ!」
感極まった様子でそう口にしたアンナを固く抱きしめようとした……次の瞬間、妹はスルリと私の腕から逃げ出して、ニンマリと口角を上げた。
「実はね、もうすでにここに最後まで書き上げた原稿があるの。明日からは本格的にヴァルトブルク様のシナリオの清書を急かしてくるわ。舞台の練習も前半のところは始まっているのよ。七月の終わり頃には公演できると思うわ!」
絶対に昨日今日の企てではない根回しの良さに、これが最初から事後承諾を引き出すための茶番だったことを知った。
――その翌日。
――の、昼下がり。
身内に悶々とした気分にさせられた次の日が休日というのは、本当にありがたいものだ。それすらもアンナの策なのだろうとは思うものの、別段腹が立つところまでのことでもない。
妹は昨夜の今日で、ヴァルトブルク様の出席するガーデンパーティーに『話を詰めてくるわ!』と言い、意気揚々と出かけて行った。父は当然仕事だ。
次の授業で使う教材の整理が終われば、屋敷の中での仕事はなくなる。そうなると自然、私の足はいつものごとく本屋へと向かったのだけれど――。
「ははは、成程、それは実に行動的なアンナ嬢らしいな。貴方を唸らせるほどの作品ならいまから楽しみだが、舞台公演の前売り券などはあるのだろうか。小劇場だとそんなに発券数はないだろう?」
「さぁ、まだそこまでは。ですがホーエンベルク様の分くらいであれば、私からアンナに話せば取っておいてくれると思いますわ。むしろ遊戯盤の出資者として無料でもらえるかと」
流石にそこで偶然こうして顔見知りに会うとは思ってもみなかったが、彼と本棚の間で言葉を交わすのは嫌いではない。むしろ暇があれば本屋に来るような人種には強い仲間意識を持ってしまう質である。
「それは駄目だ。作品の対価に料金を払わせてくれ。あと……できれば券は二枚欲しい。出資者特権はそこにも適用できるだろうか」
「ああ、ルドの分ですね? 分かりました。適用できるように頼んでおきます」
「お見通しなようで助かる。今日は俺だけで出かけることにゴネていたから、ちょうどいい土産話ができた」
「ふふ、それは良かったわ」
小声で談笑しながら店内を巡り、時折こちらを見下ろすホーエンベルク様が「この本か?」と、私の視線が長く留まっていた本の背表紙に触れ、抜き取って差し出してくれる。
「貴方のことを見ていると、教育方針は勿論だが、相手の観察が一番大切なのだと思わされるな。俺はあまり得意でないから学ぶことが多い」
穏やかに微笑む彼に“いまそれができていますよ”とこの場で言うのは、何だか勿体無くて。細かな埃と紙とインクの香る本の森で、そんなことをふと思った。




