*8* ここで頂き物の出番です。
十二月も終わるというときに、コーゼル侯爵から上の娘が旦那の浮気で家出してくるとかで、教え子が実家にいると羽根を伸ばせないだろうから、向こうと話がつくまで預かってくれと言われたときは、本気で顔面を凹ませようかと思った。
でもまさかそんな悲劇的終幕を己の拳で生み出せるわけもなく、私は微笑んでその申し出を受け入れ、教え子を連れての帰郷を決めた。
――が。それに伴い、皺寄せを受けた人物が一人。
我がエステルハージ領はフェルディナンド領から距離があるので、残念ながら去年のように一月半ばに彼を呼び寄せることができなかったのだ。
しかし彼はそのことを告げると『じゃあ、来年は四月の社交シーズンに王都に行くよー。普段は面倒だから行かないんだけど、授業と遊戯盤の打ち合わせがあるならしょうがないもんな』と二つ返事で快諾してくれた。神である。
実のところ私も少しだけ里帰りができるということの魅力に心が動いたし、領地に帰ったときの妹の喜び方も凄まじくて。華奢なあの腕に背骨をへし折られるかと思うほど熱烈な抱擁を受けた。
初めての顔合わせにしては強烈な出会い方だったにもかかわらず、教え子と妹はあっという間に三人姉妹の次女と末っ子のように打ち解け――……何だかんだ二月もあと少しで終わるという今日に至る。
今朝は一月から降っては止んでを繰り返していた雪が落ち着いたので、妹に留守番を頼んで教え子と外出中だ。
凍てつくような一月の寒さからほんの僅かではあるものの、服で覆えない額や目蓋の上を撫でる風の冷たさが温んだ気がしないでもない。とはいえまだまだ寒いものは寒い。
「せん、先生、凄いです。馬の上って、こんなに高いんですね。とっても、遠くまで、見通せますわ。それに温かくて、馬車をひいて、くれていたの、が、この子達だなんて、信じられません」
寒さで歯の根が合わないのか途切れ途切れにそう言って、小さな手で馬の首筋を労るように撫で、気を良くして振り向いた馬の黒々とした瞳を覗き込む。
そんな彼女を見つめ返す歳を経た牝馬の瞳は、まるで孫娘を見つめる優しい祖母のようだ。
薄日に照らされてキラキラと輝く雪原を前に屈託なくはしゃいでいる姿を見ると、ここに来る経緯はどうあれ、この子の情操教育上良かったのかもしれないと思い直している。
こんな光景のあるルート分岐は見たことがないけれど、バッドエンドに入っているような嫌な空気は感じない。隠しイベント的なものなのかも?
「アウローラ様に喜んで頂けて良かったですわ。それとこの子は重種馬なので、普段アウローラ様が乗っている二頭立ての馬車くらいは軽いものですよ」
「力持ち、なんです、ね」
「はい。気性も大人しいものが多いので、騎乗には手間取りますが、乗ってしまえば大抵は言うことを聞いてくれますわ。勿論乗せてくれることに感謝して、優しくお願いすることを忘れなければ……ですけれどね」
前に相乗りさせたアウローラの子供体温と、馬の体温のおかげで一人で乗るときよりも断然温かい。幼い頃の妹を乗せていたときも思っていたけれど、何というのか湯たんぽを抱えているみたいな気分である。
それとようやく長らく所有しているだけだった、ホーエンベルク様からの頂き物の乗馬用手袋をはめることができた。馬に乗れないコーゼル領では宝の持ち腐れ感があったけれど、ここでは使える宝物。
飴色の革はしっとりと手指に吸い付くように馴染み体温を逃さない。悔しいけれどやっぱり上質で高価なものは品質に跳ね返るのね……。今度会ったらもう一度しっかりお礼を言おうと思う。
「今日のように雪の残る季節は重種馬での移動になりますが、雪が溶けて暖かくなれば、もっとほっそりとした中種馬に乗れますよ。あちらは脚がこの子達より弱いですが、とても早く走れるので風になった気分が味わえますわ」
ただ、この気候と状況になれている私はいいとしても、侯爵家のご令嬢である教え子にはもう限界だろう。馬の耳許に唇を寄せて「そろそろ帰りましょう」と声をかけて手綱を引けば、長年私を乗せてくれている彼女はお安いご用だと言う風に鼻を鳴らし、ゆったりとした動作で方向転換をしてくれる。
しかしちょっぴり予想はしていたものの、案の定前に乗せていた教え子が振り向いて「あの……もう、帰るのですか?」と、歯の根も合っていないくせに屋敷への帰還を渋った。
その姿に現在は後ろに乗せるようになった妹の幼い頃を思い出して、微笑ましい気持ちになる。
「乗馬は大好きなのですが、私は寒がりなので。屋敷の暖炉の前で温かい蜂蜜ミルクを飲みながら読書がしたいなぁと。お付き合い願えると嬉しいのですけれど?」
そう昔は妹に使った決まり文句は、教え子の表情の輝き方を見るに、いまでもまだまだ、現役みたいだ。




