◑2◑ 憧れの人。
下級文官の仕事の多くは上級文官から頼まれる調べものが大半を占める。一日中書庫を行ったり来たりする意外と過酷な城での仕事を終え、ようやく帰って来た屋敷の玄関ホールで執事に出迎えられた。
「お帰りなさいませヨーゼフ様。旦那様方もそろそろお戻りになられますでしょうから、すぐに夕食のご準備を致します。それまでは今しばらくお部屋にておくつろぎ下さいませ」
「ああ、ただいま。そうしてくれると助かるよ。今日は昼食を食べる暇がなかったからお腹が空いてしまって」
「左様でございますか。でしたら準備を急がせましょう。それと、こちらいつものお手紙が届いておりましたよ」
柔和に微笑む老執事から差し出されたのは、薄桃色の可愛らしい封筒だ。短く礼を言って手紙を受けとると、彼はそのまま自身の仕事へと戻っていった。
“送られてきた貴方の作品を読んだわ。意外とロマンチストなお話を書くのね。あのままでも素敵な内容だとは思うけど、公募に出すから忌憚なくということだったし、はっきり書くわね。”
自室に戻るなり封を切って便箋に視線を走らせ、そんな彼女らしい書き出しに仕事で疲れていた心が和んだ。
「書き出しからこうだと……やっぱり、少しはお手柔らかにと書いておけばよかったかもしれないなぁ」
昔から何をするにも人より愚図だった。そのくせ“適度”や“適当”という指示が分からず、相手が頼んだ以上のことをこなして、相手から頼まれていた時間内にこなせないという失敗を何度もした。
六歳くらいの頃に、両親から『落ち込むことがあったときには、甘いものを食べるといい』と言われてからは、それにすがった。以降は別に甘いものが好きなわけでも、そこまで空腹ではなくても食べれば“安らげる”と。
当然体重は増えていき、身長もそれに見合った伸びを見せ、同年代の子供よりも背の高い肥満児というどうしようもない姿になった。
十歳をすぎて面と向かって要領が悪いと注意をされてからは、細かく時間を区切った予定表を作っていくらかマシにはなったものの、予定にない突発的なことには手も足も出ない。
だけど家族は同年代に比べれば、だいぶ内向的な僕の趣味の詩作や文筆を認めてくれた。
父の仕事を手伝える歳になってからは、何とか下級文官として城に勤めることになったけれど同僚の中に馴染めず、毎日誰とも会話をせずに仕事をこなして帰宅するだけだったある日。
父の書斎に書類を届けに入ったとき、執務机の上に穴を開けて簡単に綴っただけの本を見つけた。普段父が読むものとは方向性が異なる。少し興味を引かれてその本を見つめていたら――、
『同僚の娘さんが翻訳した小説だよ。もう一冊は読んだんだが、なかなか面白かったぞ。ただ仕事が立て込んでいてなかなか読む暇がないんだ。気になるなら先にお前が読むといい。感想を教えてくれると助かるよ』
――と。
彼女の翻訳を知ることになった切欠はそんな偶然だったものの、内容を読んで胸が踊った。本はどこかでまだ男性が読むものという風潮が強い中で、女性の細やかさを取り入れた翻訳は新鮮で。読み込めば読み込むほど、自分でも何か創作物を書きたくなった。
彼女の翻訳したものと、他の翻訳家が翻訳した同書、さらには原本を取り寄せて読むうちに、どんどん感想を伝えたい気持ちが勝って……彼女がデビュタントに王都を訪れると父から聞き、ついにあんな失態まで演じてしまった。あのときのことを思い出すと今でも膝が震える。
――だけど。
“恋愛ものに恋の好敵手がいるのはいいと思うのだけど、顔も良くて地位もお金もあって、女性に人気があるって設定。あれだと普通すぎて途中で盛り下がる人もいると思うの。いっそ設定はあのままで、好敵手を男装の麗人にするとかどうかしら……は、飛びすぎよね。でもそういう驚きが欲しいわ!”
あのとき身の程知らずでもなけなしの勇気を出したおかげで、今こうして同人誌を書く上で神と仰いだ彼女からの進言をもらうことができるのだ。本当に勇気を出して良かったと心底思う。
「や、確かに飛んでるけど……悪くない、かも。それだと最終的にヒロインを交代した方が盛り上がるかな?」
彼女のくれた新しい構想が血液内を駆け巡る。空腹だったことも忘れてペンを手に作品の手直しにとりかかり、熱中しすぎて危うく夕飯まで食べ損ねそうになったのだ。




