*17* 初めてのおつかい。
春先の柔い新緑から、少し深みと硬質さを増した緑が目映い六月中頃。
教え子は前世のゲーム内ではライバルキャラであったマリアンナ嬢と友人になり、お互いを“マリー”と“ローラ”と呼び合う仲になったことで、だいぶお茶会にも慣れてきているように見受けられた。
かくいう私もアグネス様とは今のところ至って良好な友人関係である。やはり同性で同職の友人というものはありがたい。
そこでそんな教え子の様子から、そろそろ私の付き添いがなくても一人で出席できるのではないかと思い進言したところ、一応会場までの送り迎えはするという条件付きで本人と侯爵共に色好い返事をもらえた。
では教え子がお茶会に出席している間や休日は暇をしているかといえば、それはそれなりにやることはあるもので――。
朝七時半に起床して身支度を済ませた後に向かうのは隣の部屋。軽くノックをしてドアを開け、ベッドの上にある膨らみの隣に腰かけてリネンの繭玉を引き剥がした。中から現れたのは我が家のお姫様である。
「アンナ、そろそろ起きて。今日は昼からお茶会があるのでしょう?」
四月で十六歳になった妹にそう声をかけるが、朝に弱いアンナは「お姉さま……あと五分だけ」と枕に顔を押し付けてしまう。ちなみにここで甘い顔をしたら絶対に起きないと断言できる。
領地にいるときなら手慣れた侍女達の手によって整えられる身支度も、社交界シーズン中はこうしてこちらの侍女達の手を焼かせてしまう。苦笑しつつ多少強引にリネンを取り上げると、今度は腰にしがみついて抵抗される。
「また昨夜も遅くまで誕生日にあげた本を読んでいたのね」
「……そんなに遅くまで読んでない」
「ならいいけれど。今起きられたら髪を梳かしてあげるわよ?」
「……じゃあ、起きる」
妹による可愛らしい抵抗はあっさりと終わりを告げ、ドレッサーの前で髪を梳かした後は、廊下に控えていた侍女達に任せて食堂へと向かう。食堂につくと、そこではすでに朝食を終えた父が紅茶を飲んでいるところだった。
「おはようございますお父様」
「おはようベルタ。今日もアンナを起こしてからきてくれたのかい?」
「ええ。アンナは昔から朝に弱いですから」
「アンナはルイーゼに似たんだろうなぁ。だとしたらお前が朝に強いのは私似だ」
そんなことを話ながら席につき朝食が運ばれてくるのを待っていると、食堂の入口からまだ眠たそうなアンナが入ってきた。私の隣の椅子をギリギリまでこちらに寄せた妹は、そのままこちらの肩にもたれかかってパンを千切って頬張る。
食べにくいだろうし行儀も悪いものの、私も父もその行動を注意したりはしない。それというのも普段は王都にいる父と、領地で領主代理を引き受けてくれる妹と、コーゼル領に雇われている私。
一年の中でこうして家族三人が揃うのは珍しいからだ。そういうわけで家族で食事を一緒にとれるときは、できるだけ甘えさせておけばいいというのが父と私の見解である。
城での仕事がある父は、食事をする私達に「それじゃあ行ってくるよ。ゆっくりたくさん食べなさい」と幼子に言い聞かせるように笑って出かけた。
けれどそれからしばらく経った頃、少しだけ廊下の方が騒がしくなった。何かあったのかと私達が顔を見合わせていると、食堂の入口から執事が分厚い封筒を抱えて現れた。
「お父様が忘れ物をなさるだなんて珍しいわね」
「わたしとお姉さまに届けて欲しくてわざと忘れたのかしら?」
「「…………」」
あり得ないとは言い切れないのが父のすごいところだ。思わず無言になって見つめるテーブルの上には、書類のみっちり入った分厚い封筒。
けれどアンナは昼からお茶会なのでそろそろ準備の必要がある。ということは、珍しく非番で予定の空いている私が一人で届けに行った方がいいだろう。
「私達ではこれが今日必要なものかどうかの判断がつかないし、仕方がないわ。アンナ、手形を用意してくれる?」
以前王城を訪ねる際に使える手形を作ってくれたけれど、まさか王都にいるときに使うとは思っていなかった。手形で王城に入ることは無理だが、父への取次ぎを頼むくらいはできる。そう思って軽い気持ちで王城へと出向いたのだけれど――。
『エステルハージ様の娘が来たって言うから見に来たのに、誰だあれ?』
『何て言うのか目つきが悪いし、地味だな』
『あー……ほら、あの変わり者の姉の方だよ』
見張りが出入りする小さい門の前で待っていたら、割と近い場所から門番達の会話が聞こえてきた。まぁ、こうなる予想がついていなかったわけではないけれど、笑えるくらいに素直だなと。
せっかく持ち場を離れて美女と名高い妹を見に来たら、ハズレの姉の方でがっかりしたってことですね。分かります。
ここは聞こえていないふりをしてあげよう。それに父が到着する前に口を閉じなかった彼等がどうなるのかも見物だし。
『ほう、これはこれは。エステルハージ殿は大変に家族思いな方だと聞いていたのだが……君達の今の発言を彼に告げれば、どうなるだろうな?』
しかしそんな私の密かな楽しみをぶち壊したのは、それまでの男子高校生のノリのある声とは違い、真意を読ませない聞き覚えのある声だった。あの人はよりにもよって城に出入りする格の家庭教師だったのか……。
門の裏側では何やら声を潜めて話し合っている気配がするけれど、正直こんなところであんな風に言われているところを知られたら、このまま顔を合わせるのも気まずい。いまからでも回れ右して帰ろうか。
そう思って一歩後ずさったところで閉ざされていた門が勢い良く開かれる。そしてそこから現れたのは珍しく表情の読めるホーエンベルク様の姿だった。




