★11★ 社交シーズンの到来と試練。
暖炉中で火に纏わりつかれていた薪が、ゴトリと音を立てて崩れた。もう少し前までのように慌てて薪をくべるような気候ではないものの、その音で一瞬だけ途切れていた会話が再び動き出す。
「ヴィーもマメだよなー。あと三日もしたらオレは領地に帰るんだし、それからうちの屋敷を訪ねて来たっていいだろ。その方がベルタ嬢に目撃される心配もしないで済むぞ?」
貴族同士の交流が嫌いなエリオットが、住込みではなく仮暮らしであるとはいえ、特に問題も起こさず任期を勤めきるとは正直思っていなかった。それだけ彼女との仕事はこの自由人な男にとって居心地が良かったのだろう。
手許にある彼女を描いた絵にも、いつの間にか瞳に穏やかそうな感情が宿っている。やや斜めを向いた視線の先にいるのはおそらくだが、教え子の令嬢に違いない。ヘビの縫いぐるみを肩にかけて頭を持ち上げる様は、失礼ながら童話に出てくる魔女のようだ。
「彼女の教育方針や生徒のことを聞けるのなら、別にそれぐらいの危険は構わん。今まで存在は知っていても、親の期待に沿えず社交界でも噂を聞かなかった娘が注目され始めた。社交場で脚色される前の情報を得る伝手があるなら使うさ」
「とか言って、ヴィーはほとんど授業風景についてしか興味ないだろ。使った教材や授業の内容とか聞いてこないし」
「教材は全て彼女の手製なのだろう。ならばそれは彼女とその教え子の財産だ。授業内容の組立てもな。俺が知りたいのは生徒への接し方だ。何でも無表情でこなしてしまうあの方の表情を引き出すのも、俺の教育者としての仕事だからな」
「相変わらず頭が固いねー。そんなだから五年目にもなってまだ生徒と距離があるんじゃないの? 確かそっちの生徒は十歳だったよな」
その容赦ない発言に苦笑すれば、エリオットは言いすぎたと感じたのか珍しく「……悪い」と言って頭を掻いた。乱暴にかき混ぜられた髪のガラスビーズがチャラチャラと鳴り、気まずそうな表情でありながらどこか間が抜けて見える。
第一こいつが謝罪の言葉を普通に口にすること事態本当に珍しい。少なくとも以前までなら口を滑らせたという表情を見せる程度だった。
「お前が殊勝に謝っても気味が悪いだけだ。止めておけ」
「あーあ、言ってろバーカ。単にオレもちょっとお前の苦労が分かったって言いたかったんだよ」
「それはそれは……俺の苦労も軽く見積もられたものだな。しかしお前にそんな一般人の感覚を植え付けた彼女には敬意を抱く。俺も家庭教師としての心得を彼女にご教授願いたいものだ」
学生時代から変わらない軽口の応酬をしつつ、脛を蹴ろうと伸びてきたエリオットの爪先を回避する――が。
「たぶんだけどなー、ベルタ嬢は今年も社交シーズンに王都に行くぞ。雇い主が今まで見向きもしなかった子供の顔出しに張り切ってる。その都合で本人もどこかの夜会とかに出席するかもよー?」
何故そこで彼女の名を持ち出すのかとは思ったものの、確かにニヤリとしたエリオットのその言葉に心が揺れたのは、悔しいから黙っておいた。
◆◇◆
社交シーズン到来の四月。
……別に一ヶ月前にエリオットの寄越した、あやふやすぎる情報を鵜呑みにしたわけではないが、それでも彼女やその妹の出席していそうな夜会や茶会を当たっている自分が情けない。
去年までは社交界シーズンと呼ばれるものが億劫で、本当に必要なものにしか出席していなかったくせに、今年はシーズン開始直後から、すでに前年出席した数の倍の夜会と茶会に出席している。
しかし精査しているとはいえ、運に賭けるような出席方法でそう易々と彼女に出逢えるはずもなく。今日も演劇好きで有名な某・子爵家の夜会に出席したものの、あまり期待はしていなかったのだが――。
『ねぇ、お姉さま。こちらのケーキも美味しそうですわ』
『あら本当ね。でも……ふふ、アンナは去年からさらに綺麗になったのに、夜会の楽しみ方は去年からあまり変わっていないのね?』
男性出席者達が不自然に足を止める会場の一角から探していた人物の声が聞こえ、慌ててそちらに向かおうとした矢先に急に肩を誰かに捕まれた。邪魔が入ったことに若干の苛立ちを感じつつも、笑みを張りつけて振り返ったそこに立っていた人物は――。
「ああ、やはりホーエンベルク殿でしたか。娘達にご用件でも?」
目の奥がまったく笑っていない美貌の文官。早くに妻を亡くして以来再婚もせずに、社交界で女性達の羨望を集めるハインリヒ・エステルハージその人だった。




