*26* ガントレットとナックルダスター。
不穏な宣言通り躊躇いなくランベルク公の頭に手を伸ばす騎士。だけどアイアンクローをかけられて柘榴になる予感に制止をかけようと口を開きかけた直後。いったいどこにそんな気力が残っていたのか、私の足許に落ちていたクナイの一本を拾い上げたイザークが、二人に向かって駆け出していた。
「イザーク!?」
咄嗟に声を上げて伸ばした手が空を切る。間に合わない……そう思ったそのとき。目の前でまさに頭を潰そうとしていた騎士が、スローモーションのようにミドルを背後に庇い、突っ込んでいったイザークに足払いをかけて動きを封じた。
そのまま床に転げそうになった彼の背に腕を回して抱き止めた騎士は、冷静さを欠いたイザークの行動のおかげで正気を取り戻してくれたようだ。
まぁ――そのガントレットから、明らかにいま殴り倒した騎士達の人数に見合わない返り血らしきものが滴っているけど。ここに来るまでにすでに大暴れした後で、単にこのタイミングで正気に戻っただけかもしれないけど……。
とにかくイザークを止めてくれたことに感謝しながら、私も正気に戻って足許のシャツを拾い上げて羽織り、袖口でうっすら滲んでいた涙を拭う。固唾を飲んで見据えるその先でイザークの背に片手を添えたまま、ランベルク公の首筋に鞘を抜き放った短剣を当てて振り返り、口を開いた。
「グスタフ・カール・ランベルク。貴殿の目論見は破綻した。もうすぐ俺の部下達がここに到着する。貴殿は拉致監禁、殺人、殺人の強要、危険薬物の製造販売、禁止されている奴隷の売買と所持、その他十を越える余罪に加え、国家を転覆させようとした罪で逆賊として裁かれる」
フルヘルムの下から発せられるせいで少々くぐもってはいるものの、淡々とした声で事実のみを語る声にランベルク公が皮肉っぽく唇の端を歪めた。
「成り上がりの若造が。私がやったという証拠はあるのか?」
「残念ながらここに到着する前に検挙したキーブス伯爵とバルジット伯爵は、全て貴殿が持ちかけてきたと証言した。貴殿に罪を償う機会が与えられることはない」
こんな状況でもまだ悪い意味での威厳を見せる相手に聞かせるためというよりは、悔しさと痛みに目を血走らせているイザークに対してといった風に見受けられる。実際痛みから苦悶の表情を浮かべた彼の身体を気遣うように、ゆっくりと床に座らせた。
「イザーク、お前の気持ちも分かるがこれはまだ高位貴族だ。この件に関わったお前が殺すと罪に問われる。自ら手を下すことが許されない代わりに、お前には証言を頼みたい。その証言が確実にこの男を断頭台に連れていく」
その言葉に満身創痍な彼が俯くのを見届けた騎士は小さく頷いたかと思うと、握っていた短剣を手の中でくるりと回して、柄の部分でランベルク公の眉間を殴って意識を刈り取った。短く呻く以外のことをさせてもらえず床に崩れ落ちるミドル。相手に身構えさせる隙のない見事な手並みだわ……と。
イザークを少し移動させて壁にもたれかけさせ、気絶したミドルを先に落とした騎士から奪った剣帯で後ろ手に捕縛した彼がこちらに向かって歩いてくる。
普通ならフルヘルムの全身甲冑に身を包んだ人が歩いてきたら怖い。だけど中に入っている人が分かっていたら、違う意味でまた泣きそうになってしまう。今更ながら自分が如何にみっともない格好だったかということを思い出し、情けなさに拍車がかかって一歩後ろに下がってしまった。
けれどそれが余計な誤解を生む。彼は私が怯えたのだと勘違いしたのか、歩みを止めて自身の血塗れになったガントレットに視線を落とした。
そしてまるで王族に対してするようにその場に跪いて頭を垂れると、フルヘルム越しに「救助が遅れたうえに貴方に恐ろしい思いをさせてしまった。本当に申し訳ない」と。微かに震える声でそう言う彼を見て、慌てて大きく二歩踏み出す。
「あ……これは違うんです。誤解です。この程度の流血沙汰は問題ありません。むしろこの場での流血の半分は私にも責がありますし。それよりも子爵家の娘相手に頭を下げるなど、お止め下さいホーエンベルク様」
焦って矢継ぎ早な説明をすると、そんな元気もないはずのイザークから「確かに……」という同意の言葉が返り、思わず軽く睨んでしまった。
でもそれが良かったのか、跪いて頭を垂れていた彼が視線を床からこちらに上げ、ついでに今頃気付いたとばかりに表情を遮っていたフルヘルムを外してくれる。それに伴い私も足許に散らばる暗器やナイフを跨ぎ、さらに一歩近づいた。
「ホーエンベルク様、本当にありがとうございます。こうして助けに来て下さったことも……イザーク様に人殺しを犯させないで下さったことも。もう駄目かと思っていたところに駆けつけて下さったときは、まるで物語の騎士様のようでしたわ」
心の底からそう思ってそんな台詞を口にしたら、それを聞いていたホーエンベルク様の視線がふと私のストッキングだけの爪先に落ちて。
すぐさま側に脱ぎ捨てられた鉄芯入りの靴に気付いた彼が、その重さに驚きつつ恭しく手ずからそれをガラスの靴のように履かせてくれるのと、ランベルク公達が現れた通路から彼の部下達の無事を確かめる声が響いてきたのは、ほんの僅差の出来事だった。




