4、エタることは悪いことなのか?
ブクマと評価入れてくださった数名の方々、ありがとうございます。
ポイント0なら危うくエタるところでした――というのは冗談ですが、おかげ様でこうして張り切って続きが書けます。
(昨日更新出来なかったのは、このエッセイを書いている分、メイン連載の更新が空いてしまったので、泡こいて書いていた次第です)
いきなり結論から書くと、作品をエタらせることは読み手にとっては『悪』ではあるが、書き手にとっては必ずしもそうとは言い切れない。
読者としては、物語の終着点や、バラまかれている謎や伏線、恋の行方や登場人物の運命などが分からないまま途中で放り出されるのだから、もやもやが止まらない。
大半の読者は多かれ少なかれ「始めたからには終わらせろ」「読んだ時間返せ」と作者に苛立ちを感じることだろう。
対して作者は、エタらせることによって、読者の信用その他を失うが、かわりに人生において一番貴重なものを得る。
それは時間である。
なんと、今までエタ作に費やしてきた時間を他のことに充てることが出来るのだ。
エタ作が不人気だったならば、出来た時間を使って、新しく思いついたり、今まで温めてきた自信のあるネタを使い(もっと面白い?)新作を書くことが出来る。
創作ではなく、現実生活を充実させるために時間を使うのもいいだろう。
一人の人間に与えられた人生の時間は有限なのだ。憂鬱な作業に費やすべきではない。趣味は楽しんでこそ価値がある。
――とは言え、ここで決して忘れてはいけないことがある。
書き手の時間が有限であるように、読み手もまた人生のうちの貴重な時間を使い、作品を読み、面白いとブクマしてくれて、手間をかけて評価や感想で応援してくれていたのだ。
そして、その作品を書き始めた時の楽しい気持ち、これも絶対に忘れてはいけない。
惨憺たる結果に終わったとしても、書いていて楽しい時期は必ずあったはずなのだ。
作品を応援してくれた人への感謝の気持ちと、自分の作品への愛、これだけは捨てずに大事に取っておきたいものである。
もしもエタるとしても、それを踏まえたうえでエタるべきだ。
得るものより失うものが多いならば投げ捨てた方がいい。
作家志望でもなく、お金も貰っていないのに、責任感に縛られ、産みの苦しみに頭を掻き毟り、感想に心を引き裂かれ、辛い思いをして書いて、一体何の意味があるのか?
――その問いに対して私は確信を持って――意味はある――と、答える。
マラソンや登山をやり遂げた後の爽快感を思いだして欲しい。
同じような喜び、充実感が、(エタりそうだった)作品を書きあげた時に訪れるのである。
エタってしまえば、今まで必死に頑張って登ってきた、または、走ってきた距離を無駄にしてしまい、完成後に得られる筈だった、脳内快楽を得るチャンスも失うのだ。
ゴールテープを切った後の、歓声や激励の言葉を受けることも出来なくなる。(完結おめでとうございます、みたいな!)
貴重な時間を得るか、完結の喜びを目指すか、どちらが自分にとってより価値があるものなのか、よく考えたうえで選び取ろう。
――というわけで、後者を選んだ「書き始めたからには必ず作品を完結させたい」という人のために、次章からはいよいよこのエッセイの主題である、作品をエタらせないためにはどうしたらいいのか? について書いていきたい。




