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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
78/100

078:獣の運命

 馬車の幌の向こうは激しい物音に埋め尽くされていた。金属の刃と刃がぶつかりあう音、おびえきった馬のいななき、何人もの人間がひっきりなしにあげる叫び声。

 狭い檻の中をこつこつ歩き回りながら、ふるるるる、と獣はものがなしく鳴いた。思いがけず返事があった。

 「静かにしろ。いま出してやるからな」

 朝晩食べ物をくれる若いやせっぽちの人間の声だ。荷台の後ろの幌をゆるめて、よいしょと乗り込んでくる。おびただしい血を流しながら床を這い進み、檻の前にたどりつくと、ふるえる手で錠前をはずして戸をあけた。

 「親方は殺されちまったよ。このままここにいたらおまえもやられちまう。はやく逃げるんだ」

 獣はたいそう賢く、しゃべることこそできなかったが、人間の言葉をほぼ完全に理解することができた。若者のうながすままに荷台から地面に下り立って、そこでふと振り返った。親方と呼ばれている年かさの人間にはぞんざいに扱われたが、この若者にはずいぶん親身に世話をしてもらったように思う。傷のようすが気になった。

 「心配すんな。こんなのかすり傷だ。いいから早く行け」

 獣はおどおどしながら走り去った。やせた若者はそれを見届けるとその場に倒れ、ふたたび起き上がることはなかった。


 獣の姿は、運わるく盗賊のかしらの目にとまった。商人や用心棒のうち要領のよくない者はすでにほとんど殺され、それ以外はみな逃げ去っていた。盗賊たちは、残された十数台の馬車から金目のものを下ろしているところ。かしらは手下どもが積荷をちょろまかしたりしないようにと見回りをしていたのだが、そのとき獣が逃げ去るのを目にしたのである。一見したところ灰色の毛並みの子馬のようだが、その額の中央に生えた一本のまっすぐな角をかしらは見逃さなかった。

 「おっ、ありゃ一角獣じゃねえか。まだ小さいが、売り飛ばせばひと財産だぞ」

 そう、それは一角獣の子供だった。とある村で猟師が生け捕りにし、たまたま訪れていた商人がそれを買い取ったのだ。都に住む物好きな金持ちに売りつけて大もうけする心づもりだったが、望みなかばで盗賊に襲われて命を落としたという次第。

 かしらは近くの馬車につながっている馬の一頭をすばやく解き放つや、鞍を置いていないこともなんのその、背中に飛び乗って駆けだした。逃げる獣にとっては不運なことだが、かしらは乗馬の心得があった。

 襲撃の現場は山肌に張りついた道で、片側には崖がそびえ立ち、反対側は深い谷だった。登ることも下りることもならず、獣はまっすぐに道を駆けるしかない。近くに森でもあれば追手をたやすく撒くこともできただろうに。

 「生け捕りにするとしよう。殺すと値が下がるからな」

 かしらが欲深なたちだったのは、わずかながら獣にとって幸運だった。最初から殺す気で追ってきたのなら、獣が逃げ切る目はほとんどなかったにちがいない。

 幼くとも駿足の一角獣、またたくまに襲撃の現場は背後に遠ざかった。追ってくるのは盗賊のかしらただ一騎、それも馬とはいってもいたって平凡な駄馬である。両者のあいだはしだいに縮まってはいるものの、馬はあきらかに無理をさせられてばてており、そう長いこと走りつづけることはできまいと思われた。

 かしらもそのことを察したのであろう、腰にさげていた投げ縄を手に取った。長い縄の先を輪になるように結んだもので、この輪を相手に引っかけて手元に引き寄せるのに使う。かしらは輪になった部分よりいくぶんか下のところを持つと、頭の上で輪をくるくる回して勢いをつけ、えいやっと声をはなって投げつけた。縄は空中をするすると伸びていって先をゆく獣とのへだたりを埋め、みごとその首に。

 「よっしゃ、つかまえた」

 獣は暴れもがいたが、とうてい振りほどけるものではない。かしらが縄を巻き取るにつれて、いやおうなく引き寄せられてゆく。

 「いくらぐらいで売れるだろうな。高級な料理屋を借り切って、べっぴんの芸者も呼んで、酒池肉林としゃれこむとするか」

 うしししと笑いながらかしらは馬からとびおり、暴れる獣をなだめようと首を抱きかかえた。そのたくましい腕が首に回った瞬間、獣の胸に卒然はげしい怒りが燃え上がった。故郷の森で母親や群れの仲間といっしょに平和に暮らしていたのに、罠にかかって人間に捕えられ、別の人間に引き渡されて檻に入れられて、ようやく自由になれたと思ったらそれもつかのま、またしても人間の手に落ちたのだ、それもこんな酷薄な、こんな俗悪な人間の手に。だれがこのような仕打ちに耐えられようか。獣は足を踏み鳴らし首を振り立て、それまで以上に暴れ狂った。

 「おうっ、痛えなこのやろう!」

 後足のひづめで相手の爪先をうまくとらえて踏みにじったことで、首をかかえこむ腕の力がゆるんだ。すかさず身をよじって抜け出す。だがかしらは足をおさえて痛がりながらも、縄の端をしっかりつかんだままだ。あれをなんとかしないと逃げられない。

 「くそっ、この畜生め。生け捕りはやめだ。ぶち殺してくれる」

 かしらの忍耐は早くも底をついた。腰のだんびらに手をかけつつ立ち上がる。そこに獣は、ほんの数歩の距離から全力で突進して頭突きをぶちかました。額の角は子供のこととてまださほど長くはなかったが、鋭さは大人のそれに劣らず、たやすく敵の腹を貫いた。手がむなしく二、三度空中をひっかき、全身の力がぐったりと抜けた。

 角を引き抜いて、獣は死体から離れた。死者の手から縄がこぼれ、獣の歩みにつれて地面をひきずった。人間が死んだことをまだ理解していないらしい愚鈍な馬をその場にのこして、一角獣の子供は駆けだした。首のまわりに巻きついた縄はとがった岩にでもこすれば切ることができるだろう。檻のすきまからおずおずと飼葉を差し入れてきた痩せた手の持ち主のことは、もはや一瞬たりとも思い出さなかった。


 今回イメージしたのは、『ツヴァイ2』(日本ファルコム、2008年)から、

 「たすけてアルウェン」(Falcom Sound Team jdk作曲)です。


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