016:戦場に鬼が生まれる
そのときには、赤子はもう事切れていた。
敵の城にほど近い林の一角で兵たちが騒いでいるのを見つけて馬を寄せ、何事かと問いただしたところ、左右に割れた人垣の奥に錦のおくるみが見えたのである。それは戦場にはまことに不似合いな、まだ乳離れもしていないであろう一人の赤子であった。そして、顔といわず胴体といわずめった刺しにされてすでに息絶えていた。
年若い将校は馬を下りて赤子の無残な亡骸を抱き上げ、居並ぶ兵たちを見渡した。そのうち何人かは手にした槍の穂先から真新しい血をしたたらせている。将校は剣を抜き、声を張り上げた。
「言いたいことがある者は言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」
兵たちはたがいに顔を見合わせるばかりだったが、やがていちばん年かさの一人が進み出た。
「おそれながら申し上げますだ。その赤んぼは敵の大将のがきでごぜえます」
これでもうわかっただろうと言わんばかりに兵は口をとじた。将校は「それで?」と先をうながす。兵はとまどったようすで説明をくわえた。
「城の裏手から、お女中を乗せた輿が一台こっそり逃げ出すのを見つけたんでごぜえます。追っかけて行ってとっつかまえましたが、その輿を守っていた敵の兵どもが、若様をお守りしろとか言ってましたんでまちげえありません」
だが将校はそんなことを聞いたのではなかった。赤子を包む上等の絹を見れば、これが敵の首魁の一族であろうということはおおよそ見当がつく。これ以上この兵たちを問い詰めても無駄だとさとって、将校は声を上げた。
「それで、おまえたちはこの子供を殺したのか。この頑是ない赤子を、敵の一族の者だからという理由で!」
どなりつけられた兵たちの顔には、こんなはずではなかったのに、おかしいぞ、とありありと書いてあった。敵の大物の息子だか何だかを討ちとって、ほうびをたんまりもらえると思ったのに、と。
よかろう、存分にほうびをくれてやろう、と将校は思った。剣先をじわりと上げながら、もう一度まわりの兵たちを見る。何人かが気おされて後じさった。鋭い声が割り込んできたのは、将校が兵のひとりにむかって一歩踏み込もうとした矢先だった。
「そのほうら、何をしておる! 控えよ!」
振り返ると、戦場の喧騒の中から数騎の騎馬が歩み出てくるところだった。ただいまの声の主はそのなかの、ひときわ麗々しいよろいかぶとに身を包んだ一騎。将校の主君であった。
将校はさっとひざまずいて頭を垂れ、やや遅れて兵たちもそれにならう。馬上から、さきほどよりいくぶんか穏やかな声がかかった。
「何があったのだ。申してみよ」
「この兵たちが、こちらの赤子を殺したのです。敵の城主の一族の子らしく思われますが」
主君は黒々とした口ひげをひねって、ひとつうなずいた。
「なるほど、大儀であった。そこの兵たちには、のちほどほうびを取らそう」
将校は愕然として主君を見上げた。おもわず抗議しかけるが、主君が先んじて将校を見やり、言葉をかさねた。
「戦いがこちらの勝ちに終われば、どのみち生かしておくわけにはゆかなかったのだ。幼い身であわれだが、その子の命数というものであったのだろうよ」
機先を制して説明めいたことを言ったのは、あるいは若く血気さかんな将校がいっときの感情のたかぶりにまかせて不用意なことを口走らぬようにという、主君なりの気づかいであったのかもしれない。だが、かりにそうであったとしても、将校の胸のうちに渦巻く嵐のようなものは去りはしなかった。不意に自分がなりゆきで抜き身の剣をにぎったままであることに気づく。だが考えるまでもなく無理だ。自分は馬を下りてひざまずいているが主君は馬上であり、そのまわりには腕の立つ供もひかえている。いや、よしんば主君が馬を下りて目の前に首を差し伸べてきたところで、それを打てる彼ではなかった。目の前の人は自分の主君だった。とりたてて好きでも尊敬しているわけでもなかったが、自分の仕える相手だった。
いっそ裏切り者であれたら、と将校は思った。自分がもし服を着替えるかのように簡単にあるじを変える不忠者であったなら、いまこの場で主君に斬りかかることをためらいはしなかっただろうに。
「城攻めはあとひといきというところだ。音に聞こえたそのほうの武勇に期待しているぞ」
言い置いて主君は馬首をめぐらし、供の者たちを引き連れて立ち去った。兵たちもあっというまにどこかへ姿を消した。将校は赤子の亡骸を抱きつつ、体を満たすやりきれない思いが何か凶暴なものに変わってゆくのを感じていた。むやみと剣を振るいたかった。
今回イメージした曲は、『pop'n music 12 いろは』(家庭用、コナミ、2006年)から、
「月雪に舞う花のように」(佐藤直之作曲)です。




