36 急報
「魔獣? 魔獣だと。なんだそれは……」
「アイゼンハルト領に……!?」
あまりにも突然の、予期せぬ報せ。私もまったくの予想外だ。
まず、この世界、この国に魔獣がいたなんて話は聞いたことがない。
歴史を紐解けばあるのかもしれないが、少なくとも私の世代は知らない。
「魔力を帯び、凶暴化し、また数が多い異常個体の獣が、アイゼンハルト領に溢れていると! 現在はアイゼンハルトの騎士団を小侯爵が率いて討伐に出ているが、救援を求むとのことです!」
魔力を帯び、凶暴化した異常個体の獣。
それは確かに魔獣と称するべきものだろう。
「……! 俺が行く! 陛下、殿下、御前失礼します!」
「あ、おい、ジーク!」
アイゼンハルト卿が陛下の許可なく謁見の間を走り去る。
ヴィンセント殿下が呼び掛けるも耳に入らない様子だ。
私たちは今、陛下に呼び出されてこの場に集まっていたので当然、問題行動なのだが。
「……ジーク」
「よい、ヴィンセント。行かせてやれ、奴の家族が関わっているのだ、落ち着かせる労力が無駄になる。それに単騎とはいえ戦闘に適したギフトの持ち主。奴が駆けつけるだけで大きな救援となるかもしれん。我らは、すぐに事態の把握と、救援の体制を整える。ヴィンセント以外は下がっていい。だが、護衛が必要ならば申し出ろ。とくにアスティエール子爵令嬢、お前は今、象徴的な存在だ。必ず護衛とともに帰るように」
「は、はい! お心遣い、ありがたくお受けいたします、陛下!」
陛下が玉座から立ち上がり、すぐに移動を始める。
「ヴィンセント殿下」
私は、その場ですぐにヴィンセント殿下を呼び止めた。
「なんだい、カーマイン嬢」
「答えてください。アイゼンハルト卿の兄君ですが、その方は尊敬できるような人物ですか?」
「は?」
「申し訳ございません、殿下の価値観で構いません。アイゼンハルト卿、ジークヴァルトさんにとって、そのお兄様は重要で、偉大で、尊敬できる人物ですか?」
「何を……」
「大切なことなのです、殿下。お答えを」
私は真剣に、ヴィンセント殿下に聞く。
時間もないだろうに、こんな質問をすることに険しい視線が突き刺さるが、気にしていられない。
「……ああ。ジークにとって、彼の兄、ヴィルヘルム・アイゼンハルトは尊敬すべき偉大な身内だ。ジークもよく慕っている。人格的にも、騎士としても評価が高く、王宮でもそれは同じだ。あいにくと家を継ぐ身であるから、私の近衛候補には上がっていないが、彼が違う立場なら、私の近衛となるのはヴィルヘルムだっただろう。……以上だ。これでいいか? カーマイン嬢」
「はい、殿下。ありがとうございます。お時間を取らせて申し訳ございません。私はこれで下がらせていただきます」
「……ああ。カーマイン嬢も充分に気をつけて帰るように」
「はい、殿下」
私は殿下に礼を尽くしたあと、すぐに謁見の間を出ていく。
「マイン様!?」
「フィナさんは護衛の段取りを組んでもらいなさい! ジュリアンさん、フィナさんにわからないことがあるなら助けてあげて!」
「……言われずとも」
追いすがるようなフィナさんの声に、護衛をつけるよう念を押しながら、私は足早に王宮を歩く。
ビンゴ。
いや、まずいんじゃないの、これは?
私はアイゼンハルト卿を『足りない』と判断した。
彼は、未熟で、幼稚で、横暴で、ヒーローたりえないと。
もし、ここから彼がフィナさんのヒーロー役になるのなら闇が足りないと。
闇とは〝深み〟だ。キャラクターとしての深み。
私は、さっきこう考えた。
『ここから彼の身内に不幸でもあるんじゃないか』と。だから。
ジークヴァルト・アイゼンハルトは、おそらく家族を助けられない。
……彼が成長するのは、きっとそこからなのだ。
それも亡くなるのは、国王が引き合いに出すような人物である彼の兄。
ヴィルヘルム・アイゼンハルト小侯爵。
ヴィンセント殿下にも評価されており、陛下の覚えもある人物。
優秀、有能、人格まで評価されている、偉大なる兄。
それが〝死〟によって、越えられない壁として完成する。
アイゼンハルト卿は、決して越えられなくなった、死んだ兄の影をこれから一生、追いかけ続けるのだ。
そして思い知らされる。
ギフトがあったって、助けられなかった人がいたことを。
大切な家族を助けられないギフトに、いったいなんの価値があるのか、意味があったのか。
自分ではなく兄がギフトを授かっていたなら、兄は生きていたのではないか?
なぜ自分なんかがギフトを授かってしまったのか、兄が授かるべきものを自分は奪ってしまったのではないか。
後悔、絶望、今までのすべての否定、へし折られるプライド。
そんなエピソードがあれば、あのアイゼンハルト卿がヒーローの一人になることにも頷ける。
彼は、〝深み〟のあるキャラクターへと変化するだろう。
「……だけど、おそらく、まだヴィルヘルムは死んでいない」
パターン1、アイゼンハルト卿は一切、間に合わない。
すべてが終わったあと、領地が壊滅した状態で現場に辿り着く。
パターン2、ヴィルヘルムの今際の際に、アイゼンハルト卿は間に合う。
だが、すでに手遅れなほどの手傷を負い、その死に様を彼は見届ける。
……この先、そのシナリオにヒロインが関わるというのなら、アイゼンハルト卿への愛情が歪んで伝わるような、誤解するような言葉を遺してヴィルヘルムは死ぬ。
『兄貴は俺を呪って死んでいったんだ』
『違うわ、お兄様は本当に貴方を愛していた。だから、そう言ったのよ』
これが黄金パターン。テンプレートってものだろう。
そのドラマティックな展開のためには、アイゼンハルト卿がギリギリで駆けつける必要がある。
この王宮から駆け出し、馬を借りて全力疾走。
そこまでして、ようやくアイゼンハルト卿が間に合う、程よい時間と距離。
私なら、その時間と距離を、筋斗雲でひとっ飛びなんじゃない?
この出来事が、推定乙女ゲームのイベントに過ぎないというのなら。
私はその運命を覆すことができ、死にゆく命を助けられる。
私は、王宮の廊下の影に入り、すぐさま印を結ぶ。
「隠身法。加えて、身外身法」
透明化し、すぐにうなじの毛を一本抜いて、ふっと息を吹きかける。
それは小さな私の分身となり、すぐにグググッと大きくなって、等身大の私の姿へ。
身外身法、孫悟空が得意とした分身の術だ。
これについては例の一件から、使用可能と、あらかじめ家で確かめておいた。
「大人しく公爵邸に戻り、自分や周囲の安全に気を配って過ごして」
「……ええ、わかったわ」
うわぁ、わかっていても自分の姿とやり取りするの、不気味!
分身に自我は、ほぼない。私の延長にある存在みたいな感覚。
あるいは命令を聞くロボットだ。
分身もある程度の能力を持つが、基本的には本体よりは弱い。
私本体は透明になったうえで、分身で身代わりを作り、体面を整える。
そして透明だけれど、念のため。
「七十二変化、変われ!」
髪の色を黒髪に。
「ギフトオン、金剛不壊、火眼金睛」
身体能力を引き上げ、目は透明状態でも自分の姿を見られるように。
十全に強化された身体能力で、私は王宮を飛び出し、スルスルと建物を登っていく。
「筋斗雲!」
あと、念のため!
「呼風喚雨!」
筋斗雲の移動を視覚的に誤魔化すために、霧を空に呼び寄せる。
「ありがとうございます」
念のため、力を貸してくれているかもしれない精霊か神様への感謝を口にしておく。
王都の空に霧がかかり、雲になる。
呼び寄せた筋斗雲に乗り、私は空を飛ぶ。
初めての長距離飛行がこんなに余裕のないことになるなんてね。
前回の時点でかなり緊急事態だったけど。
「火眼金睛」
私は先に王宮を出たアイゼンハルト卿を視界に映す。
彼は馬を手に入れたようだ。だが、まだ王都すら出られていない。
対して私は、ひとっ飛びで王都の端まで飛んでいく。この時点で歴然の差だ。
「……運転に集中した方がいいわね」
地上の様子も、アイゼンハルト領の様子も気になるけど。
まず慣れない飛行に集中しないと、ここから落ちたら流石に死ぬだろう。
……少なくとも大怪我はするはず。
間違えてはいけない。
孫悟空の力を使えるといっても、私は孫悟空ではない。
だから、筋斗雲で軽くひとっ飛びと、言葉で済ませるほど実際には簡単じゃない。
ただ空を飛ぶだけでリスクが伴う。
フラフラと飛び、或いは速度が足りず、肝心な状況に間に合わないかもしれない。
それが私と孫悟空の差であり、違い。
これはこの先も決して忘れてはならないことだ。
「……力があっても、すべてがうまくいくとは限らない」
もし、間に合わなかったら。
もし、ヴィルヘルム・アイゼンハルトが私の目の前で死んだら。
私は余計なことに首を突っ込んだうえに、ひどい心の傷を負うだろう。
その場に姿を見せたことで、アイゼンハルト卿に深く恨まれる可能性もある。
ただでさえ誤解されやすい性質なのだ。その展開だって充分にあり得るだろう。
「それでも」
この先の展開に予測がついているのに。それを覆せるだけの力があるのに。
何もしない選択はできない。
「……私は仏罰が怖いだけ」
正義感で動くんじゃない。
それを動機にすれば、きっとこの先の対応を間違うだろう。
『私は助けようとしたのに』なんて恩着せがましいことを考えて。
周囲の態度や、その場の空気を見誤る。それはいつか私自身を追い込むだろう。
だから、この行動は私のためだ。
見ず知らずのヴィルヘルムのためではない。
アイゼンハルト卿のためでも、フィナさんのためでもない。
無辜の民のためですらない。
私は、私の利益のために行動する。そう心に決めて、私は王国の空を飛んだ。




