第101話 爆弾魔はメインディッシュを待ち侘びる
空に月が浮かぶ夜。
岩に腰かけた俺は、くわえた煙草を吹かす。
時折、瓶入りの炭酸ジュースを呷った。
踵を打ち鳴らしてリズムを取り、鼻歌を鳴らす。
導火線が地面を這っている。
長々と続くその先には爆弾があった。
炎の精霊石を使った爆弾だ。
威力は抑えているものの、そこらの手榴弾より威力がある。
爆弾のそばには、手のひらサイズの人間が縛り付けられていた。
黒いローブを着た男だ。
背中から半透明の羽が生えている。
やや老けているが、その風貌は一般的な妖精のイメージに近い。
この男こそ、暗殺王だった。
人型の靄に潜んでいた本体である。
靄はこいつの魔術で、全身をコーティングして姿を偽装していたのだ。
物理攻撃が効かないのも納得できよう。
初撃の段階で分かっていたが、靄はいくら殴っても無意味だった。
精霊爆弾を使った高威力の爆破でも、一瞬だけ形が崩れるだけで本体までダメージが届かなかった。
靄は物理・魔力の双方への耐性を持っていた。
これだけ聞くと無敵のように思えるが、そうではない。
具体的にはリボルバーの射撃は例外だったのだ。
銃と弾丸にアリスが術式を仕込んでいるからである。
賢者の魔術を貫いたように、リボルバーは魔術の破壊に特化した性能を有する。
こいつで靄を撃ち抜くと、その分だけ靄の体積が減った。
命中させればさせるほど人型の靄は縮小した。
それが分かれば話は早い。
あとはリボルバーの弾が尽きるまで靄を剥がし、徹底的に向こうの力を削いでいった。
さらに暗殺王の戦闘技術にも弱点があった。
彼は目にも留まらぬスピードを活かした短剣による一撃必殺を得意とするのだが、それは短期決戦に特化した動きなのだ。
常人ならその速度に追いつけず、一方的に殺せるだろう。
暗殺王の真骨頂である。
しかし、生憎と俺は常人ではない。
元々、血みどろの殺し合いを仕事にしてきた人間だ。
この世界に来てからは、超常的な存在との戦闘経験も積んできた。
超スピード程度で驚いたりはしないし短剣も躱せる。
暗殺王の靄は魔術だ。
維持には魔力を消耗し、補充にもやはり魔力を要する。
こちらの大半の攻撃手段は効かないが、持久戦に持ち込めば自然と暗殺王が不利になった。
長期戦を選んだおかげで夜になってしまったものの、結果的に安全に勝てたのだから問題あるまい。
俺のスタミナも未だ底が見えない。
今からフルマラソンを往復しろと言われても、楽に完遂できるだろう。
規格外のレベルは、数時間単位での全力戦闘をも可能としていた。
(あとはこいつのおかげだな……)
俺は視線を落とす。
地面に紫色のナイフが刺さっていた。
刃が先端までにかけて緩く弧を描いている。
質感は蝋に近い不思議な素材だ。
それなのに金属よりも硬い。
このナイフは、ネレアから借りた武器だ。
彼女の呪いがたっぷりと込められている。
詳しい構造は知らないが、暗殺王に抜群の効果を発揮するように調整されているらしい。
これで靄を斬っても体積を減らすことができた。
加えて途中から靄の形状が不安定になっていた。
ネレア曰く、暗殺王の術式を歪める力が封じられているのだという。
その悪辣な性能には、使った身ながらも同情せざるを得ない。
元々、ネレアは暗殺王を警戒して支配領域に専用の結界を張っている。
呪いのナイフは、その技術を攻撃のために転化させたものらしい。
いつか使うと思って準備していたのだという。
それを今回は貸してもらった。
彼女もなかなかに狡猾である。
いずれ暗殺王と敵対することを見越して、完璧な対策を用意していたのだから。
こういった特定の人物を狙うのは妖術の得意分野らしい。
それを近接戦に秀でた俺に装備させて安全に始末できたのだから、まさに作戦勝ちと言えよう。
以上のような備えがあったからこそ、俺は単独で暗殺王に挑んだ。
何事も準備は大切だ。
その場のアドリブも悪くないが、基盤となる戦略は必要である。
賢者との戦いも同様だ。
こういった部分を疎かにしなかったからこそ、俺は二人の代表を仕留めることができた。
俺は弱り切った暗殺王を一瞥する。
「正体を暴かれた挙句、為す術もなく殺される心境を教えてくれよ」
「……汝への殺意しか覚えない」
暗殺王は妙に甲高い声で答える。
いつもの地響きのような声は、靄と一緒で偽装していたものらしい。
その顔には俺への憎しみがありありと浮かんでいた。
いつも不愛想だが、素顔は表情が豊かだ。
暗殺王は先ほどから反撃の機会を窺っているが、それは無駄な努力であった。
彼の魔力は底を尽き、靄が出せない状態となっている。
小枝のような手足もへし折ってある。
背中の羽で飛ばれても逃がさない。
既に何もかもが手遅れであることは、暗殺王が一番分かっているだろう。
俺は導火線を掴み、ライターで先端に着火した。
導火線は徐々に燃えて短くなっていく。
「じゃあな。賢者によろしく言っておいてくれ」
「……汝の到来を待っている。安寧は許さぬ。凄惨な死が訪れることを心から祈り――」
次の瞬間、爆発が起きた。
真っ赤な炎が荒れ狂いながら巻き上がって周囲を燃やす。
そばにいた暗殺王は爆発に呑み込まれて見えなくなる。
夜闇を押し退けるように、火炎は轟々と燃え盛る。
やがて炎が治まると、空からひらひらと綺麗な羽が落ちてきた。
暗殺王の背中から生えていたものである。
記念としてミハナに見せてやろう。
羽をポケットに仕舞った俺は、放置していた賢者の死体に歩み取った。
その足首を掴んで引きずっていく。
賢者の死体もミハナにプレゼントするつもりだ。
俺の功績を自慢しなくてはいけない。
そうすれば、自分の立場をよく理解してくれるだろう。
二人の代表との殺し合いを経て、全身が血だらけだった。
ほとんどが返り血である。
ただし、衣服はボロボロだ。
賢者の魔術で焼け焦げたり、暗殺王の短剣で斬られてしまった。
早く着替えたいし、シャワーも浴びたい。
ただ、気分はとても清々しかった。
ストレスの原因を除去できたのが大きい。
やはり実力行使で解決するに限る。
口笛を吹く俺は、軽い足取りで娯楽都市への帰路に着いた。
◆
ネレアの屋敷に戻った俺を出迎えたのはアリスだった。
彼女は一目散に駆け寄ってくる。
「ジャックさん無事だったのね。よかったわ」
「当然さ。俺を誰だと思っているんだ」
俺達は会話をしながら屋敷内を移動する。
死体を引きずったままだが、アリスは特に触れたりしない。
何があったかを察しているからだろう。
数分もせずに、俺達は屋敷の一角に到着した。
その部屋の前にはネレアが立つ。
彼女は俺の姿と賢者の死体を認めると、目にハートマークを浮かべて叫ぶ。
「嗚呼、ジャック様! 成し遂げられたのですね……っ! 素晴らしい偉業です!」
「そんなことよりお姫様の調子はどうだい?」
「彼女は既に目覚めているようですが、特に動きはありません。何もできないようです」
ネレアが扉を開ける。
その先には、暗闇が広がっていた。
どれだけ目を凝らしても何も見えない。
室外の光が差し込んでいるはずなのに、それが一切反映されていなかった。
この部屋にはネレアが何重にも結界を施し、アリスが魔術で生成した闇を充満させている。
いかなる光源でも照らし出せないようになっているらしい。
室内に収容するミハナを閉じ込めるための策だ。
視界が闇に包まれている状態だと、彼女の未来予知は機能しない。
どんな未来も観えず、最適な行動ができなくなっている。
アリスやネレアには室内の彼女が感知できるそうだ。
耳を澄ますと、微かにくぐもった声が聞こえた。
姿はまったく見えないものの、彼女なりに脱出しようとしているらしい。
まあ、無駄な努力である。
「ジャックさん、一つ問題が見つかったわ」
「何だ」
「彼女の魂を解析したのだけれど、保護がかけられているみたい。彼女が死ぬと関係者を呪い殺す術よ。強力すぎて私達でも解呪は不可能だわ」
「へぇ、そいつは物騒だ」
アリスの言葉に俺は肩をすくめる。
まだトラブルは残っていたらしい。
それにしても、アリスとネレアですら対処できないとは。
よほど強力な術なのだろう。
「魔術契約が失効されたと同時に発動して、彼女の意志に従って機能している。だから魔力切れも関係ない。きっと賢者の仕業ね」
「なるほど、この展開も読んでいたか」
俺は素直に感心する。
契約失効を発動条件にしていたということは、賢者自身が殺される可能性も考慮していたのだろう。
その上でミハナを守ろうとしている。
本当に彼女の身を案じていたのだろう。
用意周到だったのは、こちらだけの話でなかったようだ。
暗闇に占領された部屋を眺めながら、俺は顎を撫でて考え込む。
内容がまとまったところでアリスに質問をした。
「……本人の意志なら術を解除できるんだな?」
「ええ、解除できるわ。でも、自ら解呪なんてしないはずよ。実行する理由がないもの」
「それなら理由を作ってしまえばいい。俺に考えがある」
俺は扉を閉めながら微笑する。
クソッタレな魔術契約は無くなり、邪魔な連中も残らず始末した。
ようやくメインディッシュにありつける。
面倒な呪いが立ちはだかっているが、これも些細な抵抗に過ぎない。
ちょっとした焦らしみたいなものである。
フィナーレはすぐそこだ。
存分に楽しませてもらおうか。




